「愛犬ゴンタは1999年11月23日、6匹兄弟の末っ子として生まれました。事情あって両親から引き離され、動物愛護団体の里親探しに登録されていました。彼が我が家にやってきたのはクリスマスの少し前でした。大きなミルク缶と哺乳瓶だけをもってやってきました....。」このブログ「心の風景」を立ち上げた最初のコメントです。そう、11月23日をもって、愛犬ゴンタは8歳の誕生日を迎えました。そんなわけで、この連休は、久しぶりに彼とじっくり遊んであげました。
朝は早くからお散歩にでかけ、ふだんは通り過ぎる公園で遊んだり、里山に分け入って高台から大阪平野を眺めたり、夜は夜で星空を眺めがら街中を散策してまわったりと、楽しい時間を過ごしました。お天気が良いので、花壇や畑仕事も一緒でした。一緒に泥んこになって土を耕してくれました。少し疲れると日陰を求めて休憩です。頭上の梢にはシジュウカラの一群がせわしく動き回っているのに、まったくもってマイペースなのです。でも、若い頃に比べると、少し休憩をとる回数が増えてきたように見えます。
この世に生を受けて8年。考えてみれば、当時は、まだ子供たち全員が我が家で暮らしていました。その後、就職や結婚で一人ずつ巣立っていきました。いまは初孫の赤ん坊の泣き声が聞こえる我が家です。定年まで8年を切りました。犬の寿命を考えると、わたしの定年が先か、ゴンタの寿命が先か、ふと寂しいことも考えてしまいます。でも、これもひとつの出会いですから、最後まで一緒に楽しく過ごしたいと思っています。
ゴンタは、ミルク缶と哺乳瓶をもって我が家にやってきました。両手にのるほどの小さな子犬でした。家内は夜中も起きてミルクを与えていました。8年が経った今、長女が夜中に起きて赤ちゃんの面倒をみている。生命の尊さを思います。実はきょうは、これから初孫の「お宮参り」です。そろって近くの産土(うぶすな)の神様に参詣します。
「冬型の気圧配置に変わり、真冬並みの寒気が流れ込みます」「全国的に季節風が強まり、寒くなるでしょう」。yahooのお天気予報どおり、きょうは寒い朝を迎えました。11月も半ば。考えてみれば、私の田舎でも以前は、この時期に初雪が舞っていたように記憶しています。遠い遠い昔のお話です。
ところで、いま、私の机の上には、大きなドングリの実が5個転がっています。先週、広島に出張した際に、あまりにも大きいので、背広のポケットにそっと入れて持ち帰ったものでした。秋を実感したかったのでしょう。とっさの動作だったように思います。その広島では、久し振りにかつての上司のお墓参りもしてきました。大きな大きな存在感を身近で感じてきた師も、いまは紅葉の季節を楽しんでいるかのような風景に、改めて人生の儚さを思ったものです。「秋」は、ひとを感傷的にする。そう、そのとおりですね。
きのう土曜日は、職場に少しだけ顔を出したあと、早目に退散して帰途につきました。でも、足は自宅とは反対方向に向いていました。大阪は堂島のジュンク堂書店に行きました。コーヒータイムをはさんで、そう、2時間はいたでしょうか。窓際の机を陣取って、北新地界隈の秋の風景を眺めながら、しかし静かにお勉強の時間でした。何冊か仕事の本を買いました。珍しく雑誌「現代思想」も手にしました。この雑誌、実は草創期のものは古本屋でよく購入するのですが、新刊本を手にするのはきわめて珍しいことです。11月臨時増刊号のタイトルは「マックス・ウェーバー」でした。もう30数年も前の卒業研究課題のひとつでした。
久しぶりにCDショップ新星堂にも立ち寄りました。そこでは、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」を手にしました。主役が、最近脚光をあびているアンナ・ネトレプコ(ソプラノ)とロランド・ヴィラゾン(テノール)とあっては見過ごすわけにはいきません。それも、見体験版DVDとかで2,500円と格安。るんるん気分で帰途につきました。で、さっそく昨夜は2時間あまりをかけて鑑賞でありました。ウィーン国立歌劇場でのライブ録画です。仮想世界ではあっても、観客と一体感をもって楽しむことができました。なによりも、第2幕にヴィラゾンが歌った「人知れぬ涙」は、素晴らしかった。観客と一緒に拍手を贈りました。すると、歌劇の途中なのに、アンコールでもう一度歌う。観客と一体となった本場の歌劇を楽しみました。....これで1週間の疲れもふっとんでしまいました。(^^♪
ところで、いま、私の机の上には、大きなドングリの実が5個転がっています。先週、広島に出張した際に、あまりにも大きいので、背広のポケットにそっと入れて持ち帰ったものでした。秋を実感したかったのでしょう。とっさの動作だったように思います。その広島では、久し振りにかつての上司のお墓参りもしてきました。大きな大きな存在感を身近で感じてきた師も、いまは紅葉の季節を楽しんでいるかのような風景に、改めて人生の儚さを思ったものです。「秋」は、ひとを感傷的にする。そう、そのとおりですね。
きのう土曜日は、職場に少しだけ顔を出したあと、早目に退散して帰途につきました。でも、足は自宅とは反対方向に向いていました。大阪は堂島のジュンク堂書店に行きました。コーヒータイムをはさんで、そう、2時間はいたでしょうか。窓際の机を陣取って、北新地界隈の秋の風景を眺めながら、しかし静かにお勉強の時間でした。何冊か仕事の本を買いました。珍しく雑誌「現代思想」も手にしました。この雑誌、実は草創期のものは古本屋でよく購入するのですが、新刊本を手にするのはきわめて珍しいことです。11月臨時増刊号のタイトルは「マックス・ウェーバー」でした。もう30数年も前の卒業研究課題のひとつでした。
久しぶりにCDショップ新星堂にも立ち寄りました。そこでは、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」を手にしました。主役が、最近脚光をあびているアンナ・ネトレプコ(ソプラノ)とロランド・ヴィラゾン(テノール)とあっては見過ごすわけにはいきません。それも、見体験版DVDとかで2,500円と格安。るんるん気分で帰途につきました。で、さっそく昨夜は2時間あまりをかけて鑑賞でありました。ウィーン国立歌劇場でのライブ録画です。仮想世界ではあっても、観客と一体感をもって楽しむことができました。なによりも、第2幕にヴィラゾンが歌った「人知れぬ涙」は、素晴らしかった。観客と一緒に拍手を贈りました。すると、歌劇の途中なのに、アンコールでもう一度歌う。観客と一体となった本場の歌劇を楽しみました。....これで1週間の疲れもふっとんでしまいました。(^^♪
少し肌寒い休日の朝を迎えました。愛犬ゴンタとお散歩をしたときはどんより曇っていたのに、この時間になって、うっすらと陽の光が見える、そんな朝の風景が目の前に広がります。ドタバタの1週間が終わり、なんとなく落ち着きを取り戻した瞬間でもあります。
ところで、「美しく老いる」の第二弾でもありませんが、先週、連携事業でお世話になった某企業の周年事業に招かれ、そのとき、森山良子さんのコンサートを楽しみました。歌手生活41年目に入ったとおっしゃっていたから、相応のお歳だろうとは思いますが、しかし、ときどき耳にするあの透きとおった声は健在でした。何年か前に知床を旅行したときには、夜、町のホールで加藤登紀子さんのコンサートに行ったことがありますが、それもまた素晴らしいものでした。おふたりとも、わたしが若いときから知っている方で、加藤さんなどは学生時代、よくキャンパスにきて演奏していたことを思い出します。ある種、わたしの青春時代と重なっていて、改めて「美しく老いる」ことの意味を考えさせられました。
さて、明日は12日です。なんていうことはないのですが、2008年版の「超整理手帳」の1ページ目が、実は12日から始まるのです。昨夜は前年版の12月までのスケジュールを写し変え、少しだけ新鮮な気分になっています。ご存じの方もおありかと思いますが、A4判の蛇腹形式の手帳で、1冊目は12日から来年の3月2日までです。1年先までは頭がまわらなくても、3か月、6か月先だけでも見通しをつけておきたい。そんな気持ちでこの手帳とお付き合いをしています。数年前からは小さな「idea memo」帳がついたりTO-DOリストがついたりで、なかなかのすぐれもの。このアナログ感覚がなんとも言えません。とくに今年は懸案課題が多く前途多難な年でしたから、お正月でもないこの時期、なにか新しい気持ちにさせてくれます。さぁ、ことしもあと1か月半。翌年に繋げるための最後の踏ん張りのときを迎えました。
ところで、「美しく老いる」の第二弾でもありませんが、先週、連携事業でお世話になった某企業の周年事業に招かれ、そのとき、森山良子さんのコンサートを楽しみました。歌手生活41年目に入ったとおっしゃっていたから、相応のお歳だろうとは思いますが、しかし、ときどき耳にするあの透きとおった声は健在でした。何年か前に知床を旅行したときには、夜、町のホールで加藤登紀子さんのコンサートに行ったことがありますが、それもまた素晴らしいものでした。おふたりとも、わたしが若いときから知っている方で、加藤さんなどは学生時代、よくキャンパスにきて演奏していたことを思い出します。ある種、わたしの青春時代と重なっていて、改めて「美しく老いる」ことの意味を考えさせられました。
さて、明日は12日です。なんていうことはないのですが、2008年版の「超整理手帳」の1ページ目が、実は12日から始まるのです。昨夜は前年版の12月までのスケジュールを写し変え、少しだけ新鮮な気分になっています。ご存じの方もおありかと思いますが、A4判の蛇腹形式の手帳で、1冊目は12日から来年の3月2日までです。1年先までは頭がまわらなくても、3か月、6か月先だけでも見通しをつけておきたい。そんな気持ちでこの手帳とお付き合いをしています。数年前からは小さな「idea memo」帳がついたりTO-DOリストがついたりで、なかなかのすぐれもの。このアナログ感覚がなんとも言えません。とくに今年は懸案課題が多く前途多難な年でしたから、お正月でもないこの時期、なにか新しい気持ちにさせてくれます。さぁ、ことしもあと1か月半。翌年に繋げるための最後の踏ん張りのときを迎えました。
きょうは爽やかな秋の京都で1日を過ごしました。正確にいえば、前日の夜、大学時代のクラブのОB会があって、きょうは朝から母校のホームカミングデーにでかけていました。昨年に続いての参加です。今年はわたしの大の親友も誘い、同じ部屋でひと晩呑んで語り明かしました。
参加したメンバーは、わたしたちのひと世代前の先輩諸氏、そして、わたしが在学中の先輩諸氏と同僚たちといった面々です。つまり、定年退職をした世代と、あと数年で定年退職する世代、つまり団塊の世代です。その世代と少し外れたところにわたしたちの世代が踏ん張っているわけです。それだけに、悠々自適の生活報告、親の介護やお孫さんのことなど話題も豊富で、わたしたちは聞き役に回っていました。リタイア後にジャズピアノを始めた方、四国巡礼を続けている方など、企業戦士としての仕事生活を終えたあとの自分探しを楽しんでいる姿に感銘を受けました。
某先輩は、来年1月に定年年齢を迎えるのだそうです。お酒の流通のお仕事をされて30有余年、国内はもとより海外にも買付にでかけ、お客様に喜ばれるお酒を求めて東奔西走されたご様子でした。造る人間の心によってお酒のでき具合が違うのだそうで、地方の小さな酒蔵の中に、驚くほど美味いお酒があるのだとか。その製法の違いもお聞きすることができました。食品の製造日偽造事件が話題になっていますが、「造る心」を失った商品はいずれ淘汰されていくのだと、改めて思ったものです。
ところで、先輩女性の方々も何名かご参加になっていました。相変わらず知的な雰囲気が漂い、年齢とは違うところで「老いの美しさ」のようなものを実感しました。このことは男性も同じです。老いというと、なんだか人生の終わり、寂しさのようなものを想像しますが、けっしてそうではありません。「心」の持ちようで美しく歳をとることができるんだと思いました。妙な柵から開放されて、一人の人間として自分を見つめ直していらっしゃる。そんな先輩諸氏にお会いして、わたしはたくさんのことを学びました。
参加したメンバーは、わたしたちのひと世代前の先輩諸氏、そして、わたしが在学中の先輩諸氏と同僚たちといった面々です。つまり、定年退職をした世代と、あと数年で定年退職する世代、つまり団塊の世代です。その世代と少し外れたところにわたしたちの世代が踏ん張っているわけです。それだけに、悠々自適の生活報告、親の介護やお孫さんのことなど話題も豊富で、わたしたちは聞き役に回っていました。リタイア後にジャズピアノを始めた方、四国巡礼を続けている方など、企業戦士としての仕事生活を終えたあとの自分探しを楽しんでいる姿に感銘を受けました。
某先輩は、来年1月に定年年齢を迎えるのだそうです。お酒の流通のお仕事をされて30有余年、国内はもとより海外にも買付にでかけ、お客様に喜ばれるお酒を求めて東奔西走されたご様子でした。造る人間の心によってお酒のでき具合が違うのだそうで、地方の小さな酒蔵の中に、驚くほど美味いお酒があるのだとか。その製法の違いもお聞きすることができました。食品の製造日偽造事件が話題になっていますが、「造る心」を失った商品はいずれ淘汰されていくのだと、改めて思ったものです。
ところで、先輩女性の方々も何名かご参加になっていました。相変わらず知的な雰囲気が漂い、年齢とは違うところで「老いの美しさ」のようなものを実感しました。このことは男性も同じです。老いというと、なんだか人生の終わり、寂しさのようなものを想像しますが、けっしてそうではありません。「心」の持ちようで美しく歳をとることができるんだと思いました。妙な柵から開放されて、一人の人間として自分を見つめ直していらっしゃる。そんな先輩諸氏にお会いして、わたしはたくさんのことを学びました。