心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

金子みすゞの「まなざし」

2010-06-27 09:13:47 | Weblog
 雨の日が続きますが、きょうの日曜日は曇り。雨が降らないだけまし、というわけで久しぶりに愛犬ゴンタと朝のお散歩を楽しみました。といっても、道端の草木はしっとりと雨に濡れていて、青々として元気そのものです。ゴンタは濡れないようにそれを避けて歩きました。
 そうそう、きのうの土曜日は、童謡詩人で金子みすゞ記念館館長の矢崎節夫さんのお話をお聴きしました。以前に申し込んでいた公開講座なのですが、二百人ほどの聴講者はほぼ同世代の方々、もちろん若い方も混じってはいましたが、ひとつの世代を感じました。矢崎さんのお話は、以前、NHKラジオの日曜カルチャーアワー「金子みすゞの宇宙 ~うれしいまなざし~」でお聴きしたことがあって、その独特の話し方が耳の奥に残っていたせいか、初めてとは思えない親近感を覚えました。そして、言葉を乱暴に使う癖のある私にとっては、言葉の持つ意味を改めて考えました。
 講座の副題は「まなざしを変えると見えてくるもの」でした。「私とあなた」と「あなたと私」とはどう違うのか。私の視点から「あなた」を見るとはどういうことか。「あなた」の視点から私を見るとはどういうことか。そこに金子みすゞさんの「まなざし」が見えてくる。それは「こだま」という言葉、共に生きる「共生」という言葉に繋がっていきます。多様性とか共生という言葉が当たり前のように使われている昨今、眉間にしわを寄せて蘊蓄を傾けるのではなく、人の心に支えられた言葉の原初的な意味合いを考えます。
 矢崎さんは、漢字の成り立ちについて、「憂う」の憂の左ににんべんをつけると「優しさ」になる、「辛(つらい)」の上に横棒を一本加えると「幸(さち)」になる、とも。三千年をゆうに超える漢字の歴史、その長い年月を経て今在る漢字の意味。こんな視点から文字というものを見つめた習慣のない私は、お話のひとつひとつを新鮮に感じました。どこにでもある平易な言葉のなかに、人の心が隠されている。心の機微が隠されている。ものごとを気取らず、ありのままに受け止め、それを素直に表現しているのが、金子みすゞさんの世界だと思いました。
 ことし没80年を迎えるということで全国何カ所かのデパートで展覧会が企画されているそうです。金子みすゞさんが生まれたのは1903年(明治36年)です。南方熊楠が英国から帰国して3年が経過した頃です。雑誌に童謡を投稿したのがきっかけで、西條八十に認められて頭角を現しますが、悲しい出来事があって26歳の若さでこの世を去りました。
 情報過多の時代、私たちは言葉を軽んじているところがないかどうか。言葉の「意味」を考える心の余裕すらなく、言葉を乱暴に扱ってはいないか。日々多用する電子メールの氾濫が、それを助長してはいないか。私自身、胸に手をあてて振り返ります。言葉の意味(重み)を、郷愁としてではなく、これからの時代にどう語り伝えていけるのか。世には若者のコミュニケーション力の欠如を嘆く声が多いけれど、いったい大人が叫ぶコミュニケーション力とは何なのか。先日、私は職場の若い方々に「意思を伝える」「知識を活用(創造)する」機能として言語の大切さを説きましたが、伝える手段としての言葉がもつ本来の意味に言及することはありませんでした。人の心と言葉の関係は、とりもなおさず人と人とのつながり、私たちの身の回りのありとあらゆるものとの関係性を問うことにもなります。
 最後に、この日矢崎さんが紹介された金子みすゞさんの詩の中の一篇を転記して今日のブログ更新を終えます。この詩は、掲載した「没後80年金子みすゞ」(JULA出版局)の表紙を飾っています。

『私と小鳥と鈴と』

私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のように、
地面を速くは走れない。

私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけれど、
あの鳴る鈴は私のように、
たくさんな唄は知らないよ。

鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
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南方熊楠考、いよいよ本丸へ

2010-06-20 09:09:55 | Weblog
 我が家のパフィオ「デレナティ」がやっと花開きました。今年の冬にデパートのラン展で購入したばかりなので今年は諦めていたのですが、数週間前から花茎が伸びてきて、ゆっくりと花弁を広げました。「デレナティ」を愛でながら美味しいワインをいただく、最高です。

 さてさて、梅雨入りして1週間が経ちます。蒸し暑い、じめじめした毎日が続いています。この季節になるとふと浮かんでくる絵が、ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」です。シェイクスピアの「ハムレット」に登場するオフィーリアの死を描いた絵、小川の岸辺で摘んだであろう草花を手にしたまま、小川に浮かんでいるオフィーリア。気になってしようがない。そんなオフィーリアをベースに「草枕」を書いたのが夏目漱石。その「草枕」を愛読したピアニストのグレン・グールド。1枚の絵が、人の心に様々な思いを募らせます。そう、ちょうど2年前のこの時期にも「夏目漱石とグレン・グールド」と題するお話をブログで紹介したことがありました。
 きょう掲載した写真は、マルタ・アルゲリッチが演奏するLPレコード(シューマン作曲「幻想曲ハ長調作品17」「幻想小曲集作品12」)です。演奏がアルゲリッチであり、ジャケットの絵がオフィーリアであることから、私にとってはお気に入りのLPのひとつです。その曲を聴きながらブログ更新をしています。

 ところで、最近、私の南方熊楠文庫に新しい仲間がやってきました。河出文庫「南方熊楠コレクション」(全5巻)です。1カ月ほど前に楽天ブックで注文したのですが2週間経って「在庫がありません」とのお返事をいただいて、少しがっかりしていたところ、梅田の書店で見つけたのです。先週の土曜日、池田市からの帰り道に、阪急電車梅田駅に隣接する紀伊国屋書店に立ち寄った際、書店の所蔵検索でⅡ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ巻を見つけました。肝心のⅠ巻「南方マンダラ」がなかったので堂島のジュンク堂書店に足を伸ばして、それも見つけました。これで全巻揃い踏みです。私の熊楠文庫は、どちらかと言えば熊楠を研究対象とする書が多いのですが、ここにきてやっと熊楠自身の文章に接することなります。中沢新一氏の解題を除き、文体は明治時代の古めかしい表現ですから、漢文古文の苦手な私にとってはやや荷が重いところがないわけではありません。まさに英文を読むような感覚で全体の流れと熊楠の心を見失わないように、注意深く読み進んでおります。私の南方熊楠考もいよいよ本丸に入ってきました。それにしても河出文庫さんは、良い仕事をしていただいています。私にとっては須賀敦子全集に次ぐ本格派です。
 ・・・・協議、交渉、決断、実行と、連日、仕事が輻輳して息切れしそうなのに、お気楽を気取っています。四六時中神経を研ぎ澄ませていては心が挫けそうになるから。自己防衛なのでしょうか。意識的に異次元の世界(時間)を彷徨する習慣が、悲しいかな長いサラリーマン生活のなかで身についてしまいました。でも、精神的にタフでいられるのも、ひょっとしてこのせいかもしれません。3週間ぶりに土日連休をいただいて、実は昨日から貪るように読み耽っています。
 さて、今日はこれから、高齢になった家内の母親を見舞うため、おでかけです。「南方マンダラ」をポケットに入れて。
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勾玉の携帯ストラップ

2010-06-13 10:11:20 | Weblog
 どんよりとした空を眺めると、いよいよ梅雨の季節なんだと思います。天気予報ではきょうの午後にも雨が降り出し、いっきに梅雨入りの予定だとか。四季がはっきりしている日本に暮らす私たちにとって、梅雨も季節のひとコマです。アジサイを愛でる心の余裕が必要なのだと思います。
 さて、島根県の玉造温泉で開かれた中学校還暦記念同窓会に出席して、早や1週間が過ぎますが、なんとなくこの1週間は重たいものを引きずって歩いたような気がします。職場の喧騒がおさまった僅かの時間に、駅で電車を待つ無防備な空白の瞬間に、ふわっと浮かんでは消える旧友の姿。45年前の彼、彼女の姿と45年後の彼、彼女の姿。既に亡くなった親友の姿を追う。しかし、今の自分の存在とが繋がらない、淋しさ。
 過去を封印してきたわけではないけれど、故郷に後ろ髪を引かれながらも前へ前へと歩んできた我が人生。ホテルの受付で私の名前を叫ぶ友、過去を思い出すのに少し時間を要しました。名簿と、それも旧姓とお顔を照らし合わせながら、ぼんやりと思い出す。ところが人間の記憶というのは不思議なものです。少し時間が経ったある瞬間、過去と現在の像がはっきりと繋がり、45年という歳月がいっきに縮みます。

 還暦同窓会には、地元はもちろん全国各地から同期生の約半数にあたる70人あまりが集まりました。みんなで神主の祈祷を受けたあと、記念写真を撮って、いよいよ懇親会です。全員が1分間スピーチをしても1時間はゆうにかかります。昔から元気一杯だったAさん、Bさんを中心とする女性陣の歓迎ドジョウ掬い踊りで宴も最高潮。懇親は夜を徹して行われました。仲間と旧交を温めながら、さて10年後の古稀記念同窓会に出席できるのかどうか、何人が集まるのかどうか。最後は淋しい話題になりました。
 実は、きのうの土曜日は、職場のOB会に招かれて池田市の山間にある温泉旅館に出かけました。2週連続の温泉宿です。大半の方は70以上、90歳に手の届く方もいらっしゃいましたが、「還暦?まだ若いなあ」というのが皆さんの一致した声。古稀(70歳)を過ぎると、元気に動きまわれるのはあと10年。残された年月を精いっぱい生きたい、とも。こう考えると、我が人生はあと20年あることになります。頑張らなくては。

 同窓会の翌朝、私は清々しい空気に誘われて、ホテルから山陰本線の玉造温泉駅まで歩きました。小川に沿っておよそ20分、全身で田舎の空気を満喫しました。そのあと、出雲市に足を伸ばして姉夫婦宅に寄り道をして、美味しい出雲そばをご馳走になって、午後2時30分発の特急やくもで帰途につきました。
 そうそう、いま机の上に、勾玉(まがたま)の携帯ストラップがあります。出雲駅のお土産店で私の還暦祝いのために買ったものです。以前、小林秀雄講演集CD第8巻「宣長の学問/勾玉のかたち」を聴いていて、小林さんが勾玉の姿に「人間が初めて表現しようとした原初的な形」とお話になっていたことを思い出したからです。説明書には、この石の持つパワーと題して「心を癒し、また、柔軟な思考力を授けてくれる」とあります。このストーン・パワー、いまの私には最も必要なものような気がします。....と、書き進んだところで、雨が降り始めました。

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