心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

寄り道

2014-01-25 22:40:59 | Weblog

 週末、仕事帰りに沿線の百貨店で開催中の「関西らんフェスタ」を覗いてきました。夕刻6時を回っていたからでしょうか。会場に人はまばら。そのぶん、じっくりと観て回ることができました。ひと口に洋ランと言っても、いろんな種類があるんですね。原種から人が作り出したものでしょうが、花の色も形も様々です。
 カトレアの大株が並ぶコーナーを眺めていたら、株の奥から「私を連れて帰って!」と囁く声。小さなカトレアが、私を見つめていました。この日は観るだけのつもりでしたが、一緒に帰りました。
 と、家内から電話がありました。「電話しておくから、帰りにゴンタの薬をもらってきてくれない」。帰宅途中、バスを降りて動物病院に向かいました。夜だというのに待合室にはたくさんの患者さんが忍耐づよく待っていました。お隣の方とお話しをすると、けっこう遠くからやってきていらっしゃる。みなさん、我が子のように大切に、大切に育てていらっしゃる。最近、散歩しているワン君をたくさん見かけるようになりましたが、核家族化の先にある風景なんでしょうか。ヒトとペットの共生、これもありか。
 さて、きょうの土曜休日は、「こころ」をテーマにした研究報告会が京都大学であったので出かけてきました。なにやらウキウキした気分で、少し早い目に家を出ました。京阪三条駅で降りると、京都朝日会館の中にあるジュンク堂書店に向かいました。先日から気になっていた現代語訳の世阿弥著「風姿花伝」(PHP研究所)、能の対訳シリーズ「井筒」と「杜若」をご購入です。

 まだ、時間はあります。御池通りで東に向きを変えると、今度は高瀬川を北上しました。川の畔には、その昔、佐久間象山と大村益次郎が刺客に襲われた遭難の碑があります。その昔、京都と伏見、大阪を繫いだ高瀬川には、高瀬船が展示してありました。その北の端に着くと、もう一度東に向きを変え、ザ・リッツ・カールトン京都の横の小道を通って、鴨川の河川敷に降りました。


 深呼吸をしながら川べりを丸太町通りにむかって北上します。川面には水鳥たちが羽根を休めています。ふと、鴨川をまたぐ飛び石がありました。一歩一歩用心をしながら鴨川を横切りながら、川の真ん中で北山に向けてカメラのシャッターを切りました。心も晴れやか、学生気分に戻りました。

 ところで、先日、世界的な名指揮者クラウディオ・アバド氏がお亡くなりになりました。カラヤンの後継者としてベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いるなど、私たちに多くの感動を与えてくれたクラシック音楽界を代表する指揮者のお一人でした。心よりご冥福をお祈りします。
 歳のせいでしょうか。60数年の人生の一時期、ある種の感動を呼び起こしてくれた巨匠といわれる方々の訃報に接すると、なんとも寂しいものを感じます。しかし、感傷的にはならず、それを乗り越えて生きて行かざるを得ないのです。それにしても、あっちをウロウロ、こっちをウロウロ。この歳になっても足元が定まらないもどかしさを感じます。これが私の生き仕方なんだろうと割り切っていますが.....。
 土曜休日の夜長、グスタフ・マーラーのLP「交響曲第5番嬰ハ短調」(アバド指揮、シカゴ交響楽団)を聞きながらの、事情あって、いつもより一日早いブログ更新となりました。

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数年ぶりの発熱で夢現(ゆめうつつ)?

2014-01-19 09:26:05 | Weblog

  陽が暮れた頃、愛犬ゴンタとお散歩に出かけたら、茜色に輝くそれは大きなお月さんが、東の空の地上すれすれのところに浮んで見えました。満月なんでしょうか。都会地では珍しい風景でした。
 そういえば、米航空宇宙局(NASA)が、2年後に打ち上げる小惑星探査機「オシリス・レックス」に、宇宙ファンの名前を刻んだマイクロチップを積もうと、その登録受付(http://planetary.org/bennu)を今月末まで行っています。過去、日本の探査衛星に何度か登録したことがありますので、子どもっぽい好奇心に駆られて、今回も登録しました。すぐに証明書をいただけますが、これもお愛嬌ということにしておきましょう。(笑)
 ところで、先週は何年ぶりかで熱が出ました。風邪だったんでしょうか。広島オフィスで仕事をしていたら、午後3時頃から何となく身体がだるくなって、それがだんだんひどくなって、ついには全身に悪寒が走りました。これは大変と、早めに仕事を片付けて宿所に戻ると、食事をとる元気も、医者にいく元気もありません。温かい紅茶で喉を潤し、お風呂に入って身体を温めると、ベッドの中に潜り込みました。
 この週は、祝日の月曜日に広島に日帰り出張、1日をおいて再び広島入りしていたので、少し疲れが出たんでしょうか。何もなければ予定を切り上げて帰阪もできたのですが、翌日は年末からのお約束で、相談事を兼ねた食事会をセッティングしていたので、まさかドタキャンも拙いだろうと、取りあえずは必死に自力での治癒をめざしました。
 さすがに、サラリーマン生活40数年の強者です。汗をかいてぐっすりと眠った翌朝、なんとか蘇りました。職場に出勤し、食欲はないけれども、蜂蜜入りレモン水で口を濡らせながら、何事もなかったように仕事を済ませると、ネットで予約しておいた幟町界隈のお店に向かいました。なにやら京都を思わせる路地の先にひっそりと佇むお店でしたが、新幹線の出発時刻ぎりぎりまで、じっくりと話し込んでしまいました。
 さて、今週は「能」について少し触れます。と言っても、昨年初めて能というものを体験しただけで、その薀蓄を語るものは持ち合わせていません。ただただ、自分の身体に染み込んでいる何かが目覚めるような異次元の空間が、アニミズムへの関心とだぶりながら、脳裡に焼き付いて離れない。そんな心の動きを感じています。
 今日のところは、免疫学の世界的権威でもあった多田富雄先生の著書「脳の中の能舞台」第一章「能楽堂の時空」から引用する形に留めます。

●橋の向こうの幕が内側に引かれ、引き揚げられると、その暗がりには、はるかかなたからやって来た旅の僧(ワキ)が立っている。静かに静かに、村人が待つこの村にやってくるのだ。永い永い旅だった。孤独な影を引きずった旅の僧は、橋を渡って、いま私たちの住むこの里に到着し、これから起こる舞台上の劇に、私たちの代表として参加するのである。
●能の「劇」はこうして始まる。登場人物たちは皆、橋の向こうの暗がりの中から現れる。ときにはあの世の幽霊の姿で、ときには何百里も離れた里から我が子を求める狂女となって、時には聖なる世界から天降る神として、ときには美しい花の精霊として、橋を渡ってやって来る。
●「あのひとたち」(シテ)は、舞台という私たちのいる「この世」に到着すると、私たちの代表である旅の僧(ワキ)と出会う。「あのひとたち」は、あるときは成仏できない苦しみを嘆き、あるときは奥深い心の悲しさを訴え、あるときは聖なる心の現れを、あるときは人間の煩悩の苦しみを、女の嫉妬を、男の誇りや執念を、老いの嘆きや超越を現して、静かにまた別の世界、すなわち橋の彼方へと消えて行く。
●わたしたち観客は、僧といっしょにこうした「あのひとたち」に出会い、彼らの喜び、嘆き、さらにもっと奥深い情念や、解決できない悩みに参加する。
 ワキとシテと場。これが舞台の上で、私を幽玄の世界に誘うということなんでしょうか。現実と非現実(夢)、過去と現在、そうした時空を越えた風景のなかで、人間の思い、情念がぶつかり合う。それが能なんでしょうか。単純な中に極めて奥深い人の情念が見え隠れしている。なんと魅力あふれる舞台芸術であることか。なにやらワーグナーの楽劇「ニーベルングの指輪」、村上春樹が描く「雨月物語」的な世界に近いものが、ぼんやりと浮かんでは消えていきます。
 最後に多田先生は、こうも語ります。

●ときには魂をゆさぶられ、ときには深い眠りに落ちる。そこには、ふしぎに物を考える空間がある。現実と空白が入り交じるふしぎな時間が流れる。そして、めったに会うことのできない「あのひとたち」と会うことができる。その出会いのために能楽堂にゆく。

 写真は昨年、大槻能楽堂で購入した絵葉書のうちの1枚です。「三山」赤松禎英と記されています。その大槻能楽堂の「友の会」に入会手続きをすませました。

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「読み始め」と「聴き始め」~南仏を彷徨う

2014-01-12 09:36:39 | Weblog

 寒い日が続きます。昨夜は、部厚い毛布と布団にくるまって、熊の冬眠のように眠りにつくと、朝までぐっすり熟睡でした。そして、蓮鉢の水が凍る朝、いつも通り愛犬ゴンタと元気にお散歩にでかけました。旧暦ではこの時期を「小寒」、第六十八候「水泉動(すいせんうごく=地中の泉が春に向けて動き出す)」と言うそうです。
 先週、広島に向かう新幹線の中で、山陽道を横目に、ポケットに忍ばせた中経文庫「日本の七十二候」をぼんやりと眺めていました。1年を春夏秋冬に分け、それぞれ6つずつに分けた24の「気」が、冬至、大寒、立春、春分などと呼ばれる「二十四節気」。それをさらに5日ずつに3つに分けたのが「七十二候」。「水泉動」はその68番目にあたります。自然の移ろいと豊かな恵みを、昔の人は72の季語で表わしました。
 七十二候を眺めていると、古き良き時代の風景がぼんやりと蘇ってきます。あくせく働く現代人も、時にはゆったりと季節の流れの中に身を置く心の余裕が必要なのかもしれません。気持ちだけでもと、スマホの手帳アプリ「ジョルティ」に旧暦表示を追加しました。(笑)
 先週は、小林秀雄の「ゴッホの手紙」を携えて広島に出かけました。昨年5月のゴッホ展「空白のパリを追う」に触発されて、小林秀雄全集第20巻「ゴッホの手紙」を手にしたのですが、仕事の慌ただしさにまぎれて、最後の20数頁を残し本棚の片隅に置いたままでした。年末、博多の友人から立派なブックカバーをいただいたので、急に思い出して持ち歩くことに。
 この作品は、ゴッホが弟テオや友人・知人に宛てた膨大な手紙を忠実に追いながら書き下ろした作品です。悲運にも、ゴッホは拳銃自殺を図り2日後に息を引き取りますが、その半年後、兄を追うようにテオも亡くなっています。兄に財政的な支援を惜しまなかった弟テオがいなかったら、今のゴッホはなかったかもしれません。死後は、テオの妻ヨオがゴッホの伝記や書簡集の出版に尽くしました。
 ゴッホは、精神的な病と闘いながら、自らの立ち位置を冷静に見つめていました。悲しいかな、時に強い発作に襲われ精神病棟に収容されることもありました。安定期と発作が交互に訪れましたが、死の直前まで絵筆をもち、描き続けました。作品の大半が、南仏アルルに移住した1988年から亡くなるまでの2年あまりの間に集中しているのも、彼の壮絶な人生を彷彿とさせます。
 私には、一枚の絵から画家の心を読み解くことはできません。しかし「手紙」には、ゴッホがどういう状況の中で絵を描いたのかが記されています。文字を通してゴッホの声なき声を聞き、それを絵の中に見つけようとする私がいます。
 週末、広島での新年会を終えて飛び乗った新大阪行最終の新幹線の中で、私はiPodに入れた小林秀雄講演録「ゴッホについて」を聴きました。彼は、著書「美を求める心」の中では「絵は眼で楽しむものだ。頭で解るとか解らないとか言うべき筋のものではない」と言っていますが、ことゴッホに関しては「膨大な数の手紙を知ることによって、彼がどんな気持ちで描いたかをより深く知ることができる」と熱っぽく語っています。納得です。
 最近、どういうわけか、お休みの日に画集や音楽に触れることが多くなりました。それに真正面から向き合う時、どうしても小林秀雄が登場します。難解な文章が多いだけに、何度読んでも新しい気づきを得るのは、凡人の気楽さなんでしょう。今年の「読み始め」「聴き始め」は小林秀雄でした。
  3連休の中日、この時間帯になると窓の外に陽の光が輝き始めます。きょうは館野泉の「ひまわりの海~セヴラック:ピアノ作品集」を聴きながらのブログ更新です。このセヴラックは、南仏の夏の景勝、一面のひまわり畑、トゥールーズに近い田舎町で生まれました。南仏らしい土の香りがする作風が特徴です。 

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大阪のお正月

2014-01-05 09:05:53 | Weblog

 年末年始は、1年ぶりに家族全員11人が勢揃いしました。1歳半から6歳までの4人の孫たちに、お祖父さんもお祖母さんもおおわらわ。最年長の孫長男君が仕切ってくれたのが救いでした。そんな騒々しいお正月も、2日には孫たちが帰ったので、家内と次男と3人でゆっくりと「大阪のお正月」を楽しみました。
 まずは、近くのお寺と氏神様に初詣です。3日ともなると人出も減り、スムーズに本殿に辿りつくことができました。恒例の御神籤、今年は『中吉』と出ました。
 「吹きあるゝ 嵐の風の 末遂に 道埋るまで 雪は ふりつむ」とあり、「親類まで災をして思うに任せず心痛する事多し 何事も時の到るまで天にまかせて 静かに身を慎んで居れば雪が朝日に消える様に楽しい時来る今は何も控えよ」と。なんとも意味深なお言葉でありました。

  験直しで、この日、少し遠くの神社にもお参りすることにしました。大阪ではよく知られた「すみよっさん」(住吉大社)です。1800年の歴史を有する由緒ある神社ですが、40数年も大阪で暮らしながら、私は一度もお参りしたことがありません。環状線に乗って新今宮駅で下車、路面電車の阪堺電車に乗り換えて住吉鳥居前駅に到着すると、大勢の参拝客でごった返していました。たくさんの露店が立ち並ぶ参道を歩き、反橋を渡って住吉鳥居をくぐると、まずは第三本宮、そして第四本宮を参拝、第二本宮を経て最後に第一本宮に向かいました。
 この「すみよっさん」で二度目の御神籤を引きました。今度は『小吉』と出ました。「何事をまつとはなしに住吉の 神に心をかけぬまぞなき」とあり、「何事かを待っているというわけではないが、住吉の神に唯一筋の信仰の誠を捧げています、の意」とあります。「このみくじにあう人、平穏無事な生涯を得易い」「(対人運)友人・知人に何かを期待してはなりません」「(仕事運)多くを望まなければ順調」「(体調運)暴飲、夜更かしを慎みましょう」とも。幸運のカギは「感謝」でした。
 微妙な違いはあるものの、二つの御神籤はなにか良く似ていました。納得です。

 と言うわけで、初詣は無事終了しました。帰途、阪堺電車の恵美須町駅に到着すると、交差点の向こうに、通天閣本通の看板に目が止まりました。通天閣といえば、その昔中学校の修学旅行で登ったことがあります。行き当たりばったりの珍道中、寄り道をすることにしました。ところが1時間半待ちの混雑です。それでも物珍しさも手伝い長い列の後に並びました。
 やっと最上階に登ると、東京のスカイツリーの比ではないものの、お正月を迎えた大阪の街が一望できました。遠くに生駒山、近くには天王寺動物園、大阪市立美術館、天王寺駅の向こうには今年3月にグランドオープンする「あべのハルカス」が聳えています。ビルとしては日本一の高さになるそうで、通天閣(103メートル)の3倍もあるとか。最後にビリケンさんにご挨拶をして降りました。
 うろうろしている間に、陽も傾いてきました。大阪ミナミと言えば食い倒れ。新世界といえば串カツ。せっかく来たんだから寄って帰ろうということで意気投合。ここは有名な「串かつ だるま」でしょっ、というわけでスマホを駆使して場所探しです。お店は直ぐに見つかりましたが、なんと長蛇の列。1軒目の通天閣店、2軒目の本店と回って、3軒目のジャンジャン店で、止む無く後ろに並びました。
 40分ほど待ったでしょうか、やっとカウンターに座ることができました。目の前には「ソースの二度漬けは禁止やで!」のステッカー。お口直しのキャベツはお代わり自由。噂に聞いた串かつ屋さんでした。ソース、衣、油の三位一体で「串かつ だるま」ならではのお味でした。3人で40本いただきました。
 店を出ると、新世界はネオンサインが輝く街に変身していました。この日は、朝から晩まで「こてこての大阪」を楽しみました。グランフロント大阪、あべのハルカスと、最近、大阪では真新しい集客拠点があちらこちらに登場しています。でも、時にはこんな大阪を見て回るのも楽しいものです。
 さあて、明日は仕事初めです。心機一転、新しい年の第一歩を踏み出すことにしますか。

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