きのうNPOの事務所に行った帰りに天満橋のジュンク堂書店に立ち寄りました。古本以外の新刊本はネットで電子書籍を取り寄せるケースが多いのですが、店内をぶらりお散歩して手にしたのは、平田オリザ著「ともに生きるための演劇」(NHK出版)と松長有慶著「空海」(岩波新書)でした。オリザさんの本は久しぶりです。「空海」は来週後半に出かける高野山夏季大学の旅のお供にする予定。
先日、暑い夏の昼下がり、長椅子に横たわって山折哲雄対話集「こころの旅」をぱらぱらとめくっていました。今回のお相手は心理学者の河合隼雄さん、テーマは「フールな老賢者~老年期の心理~」でした。
この歳になると「老い」をテーマにした雑誌に目が留まります。昨年の春にはNewton「老いの教科書」、つい最近では中央公論6月号「老いと喪失 死と向き合う思想」。嫌ですねえ。でも、今夏72歳になる私に突き付けられた現実的なテーマでもあります。
対話の中で話題になった発達心理学。人事の仕事をしていた頃に少し噛じったことがありますが、発達心理学は当初「発達の外的な行動を追っている場合が多いので青年期で終わって」しまっていたのだとか。そういえば、ダニエル・レビンソンの「ライフサイクルの心理学」も、中年に入る時期で終わっていました。
「こころの旅」では、エリク・エリクソンの言葉を引用して、「老年というのは一方の極に絶望を抱え込んでいる。そして、もう一つの極に英知の萌芽が隠されている」と。「過去を振り返り、過去のいろんな心の傷を点検することはわれわれが蘇生するための一種の巡礼の旅のようなもの」とも。そのエリクソンは、人生を乳幼期から高齢期の8段階に分ける「心理社会的発達段階」を提唱しました。
ここで話題はイングマール・ベルイマンの映画「野いちご」に移りました。1957年の作品で、もちろん白黒映画です。さっそくネットで探しました。そして見つけたのがYouTubeでした。DVDが販売されているのにYouTubeで見ることができるのも変ですが、とにかく1時間30分ほどの映画を見ました。
ストックホルムで孤独に生きる79歳の老教授が、医学名誉博士の表彰を受けるため久しぶりに車に乗って都会に出かけていきます。その過程で、柩のなかに横たわっている夢を見たり、昔住んでいた屋敷に立ち寄って野いちごを見つけ若い頃の悲恋を回想したり。さらには妻の裏切り、親子の関係、いろんな出来事が浮かんでは消えていきます。
車での移動には息子と折り合いの悪い義娘が同行します。道すがら若者を含むふた組の人たちを車に同乗させ、彼らと共に行動する。そうこうするうちに、だんだんと堅物の老教授の心が開かれていく。つまり、かつては発達心理学の対象外だった「老人」の心が解きほぐされ新たな境地に至るという意味で成長し発達しているということに気づかせる、そんな映画でした。
そうなんです。世の高齢者たちはただ立ち止まってぼんやりしているわけではない。「絶望」と「英知の萌芽」。若い頃のように機敏ではないけれど、もう一歩前に進みます。新しい自分に出会うことだってあります。そんな変化(成熟)に気づかせる労作でした。
山折さんは、名優ヘンリー・フォンダと実娘ジェーン・フォンダが父娘役で共演し、老夫婦とその娘が織りなす心の交流を描いたマーク・ライデル監督の映画「黄昏」(1981年)も紹介しています。昨夜、Amazonに発注しました(笑)。
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この夏は、コロナ急拡大のため長男、次男一家の帰省は見送りになりましたが、きょうは午後から近くに住む孫次男君がお母さんと一緒にお泊りにやってきます。孫長男君は高校受験でそれどころではなさそうです。
ところで、NPOの仕事が来週から忙しくなります。週末には2泊3日の日程で高野山夏季大学に行く予定もあります。そんなわけで来週のブログ更新はお休みをさせていただきます。皆さまには、この暑い夏をお元気に乗り越えていただけるよう願っています。