心の風景

晴耕雨読を夢見る初老の雑記帳

歩き遍路(高知編) ~ 竹林寺から青龍寺へ

2018-08-30 20:04:37 | 四国遍路

 さあて、いよいよ「歩き遍路」№6です。午後10時、大阪駅前から高速バスに乗って一路高知へ。翌朝5時過ぎに高知駅前バスターミナルに到着しました。今回は、31番札所の竹林寺を皮切りに、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺、青龍寺の六カ寺をお参りしました。
31番札所 竹林寺 ~ 牧野植物園内の遍路道を歩く。
 早朝、路面電車の「はりまや橋」駅に向かって歩き始めて5分、雨が降り出しました。慌ててポンチョを取り出しましたが、始発電車に乗って「文殊通」駅に着く頃には
雨も上がって、やれやれ。町中をしばらく歩くと前方に五台山が見えてきました。竹林寺はこのお山の上にあります。
 墓地が並ぶ薄暗い遍路道を足早に通り過ぎると、牧野富太郎植物園が見えてきました。遍路道はその植物園の中を通っています。早朝のため門は閉まっていましたが、お遍路さんのための出入口が別に用意されていました。
 竹林寺は、その植物園の門を出た所にあります。石段を登って山門をくぐり、雨上がりの静けさのなか本堂に向かいました。久しぶりに般若心経を唱え、さて帰ろうとしたとき、なんと土砂降りの雨が降ってきました。これは大変と、しばし雨宿りです。雨の音とお坊さんの唱えるお経の声が妙に絡まり、贅沢な時間を過ごしました。
32番札所 禅師峰寺 ~ 「お疲れ様でした」の看板に癒される。
 雨が上がるのを待って、禅師峰寺へ向かいました。下田川を渡ってしばらく歩くと武市半平太旧宅の案内板がありました
。......さらに進むと石土池、その先に禅師峰寺が見えてきます。この間7.4キロ。寝不足だったためか、結構な距離に感じました。それでも、石段下にあった「お疲れ様でした」の看板にほっとひと息でした。
炎天下の歩き遍路にかき氷のお接待をいただく。
 10時を過ぎる頃になると、気温もどんどん上昇して夏の日差しが戻ってきました。雪蹊寺までは9キロ近くあります。とりあえず、遍路道唯一の船の路、種﨑渡船場をめざしました。土佐湾沿いに平坦で変化のない車道6キロを、ただひたすら歩き続けました。次第に全身を熱の塊が覆い始めます。それでも前を見つめて歩き続ける.....。
 もう限界かと思ったそのとき、1軒の小さなハワイアンカフェGarlishを見つけて飛び込みました。店内は冷房が効いていてほっとひと息。生き返った心地でした。でも食欲はなく、頼んだのはフレンチトーストとコーラだけ。ところが、お皿に盛られたサイコロ状のトーストとフルーツに蜂蜜がたっぷりかかっていました。なんと美味しかったことか。生気を取り戻しました。
 このお店に40分近くいたでしょうか。食後しばらくすると、お姉さんがお接待といってかき氷をサービスしてくれました。ほんとうにありがとうございました。そのあと軽快に歩くことができたのは言うまでもありません。
 種崎渡船場につくと、待合室に先客が2名。そのうち東京からやってきた中年男性は、大きなリュックを背負って移動中で、夜はテントで寝泊まりしながら歩いているのだと。その馬力には驚きました。
33番札所 雪蹊寺 ~ 境内のベンチに寝そべってお昼寝
 渡船(無料)は5分ほどで対岸の梶ヶ浦に着きます。そこから新川川沿いに20分ほど歩いたところに雪蹊寺はありました。.....お参りが終わったのが午後2時30分。その日お世話になる民宿「高知屋」さんのチェックインが午後4時。ということで、境内でしばし時間潰しをすることにしました。
 まずはメダカまで売っていた露店の店主と世間話をしますが、もちません。広くはない境内を歩きまわったあげく、木陰にベンチを見つけてひと休みです。蝉の声と木の葉の擦れ合う音しか聞こえない、そんな贅沢な空間に身をおいてぼんやり空を見上げていたら、いつの間にか眠ってしまいました。こんなに気持ちの良いお昼寝をしたのは何十年ぶりだったことでしょう。
 高知屋さんにチェックインすると、女将さんが丁寧に金剛杖を洗ってくれました。部屋には小さな杖立も置いてありました。行き届いたお宿でした。この日のお客は3名。食事どきはお婆さんが賄いをしてくれました。聞けば今年はお客さんが少ないのだとか。これだけ暑いと夏のお遍路は躊躇するかもしれません。炎天下数時間も歩くのは、やはり堪えます。冷たいビールで喉を潤しました。

34番札所 種間寺 ~ 清々しい早朝の歩き遍路
 翌朝は午前6時半に宿を立ちました。比較的涼しい時間を有効活用するためです。6.3キロ先の種間寺に向かいました。見落としそうな小さな案内矢印を確認しながら、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら軽快に歩きます。私はこういうお遍路が大好きです。特段に急ぐ用もないので、土佐の国の風景を全身で受け止め、ただただ歩き続けます。
 と、どこからともなくNHKラジオ第一の番組「音楽の泉」が流れてきました。どこから聞こえるのだろうとあたりを見わたすと、前を歩いているお婆さんの籠のあたり。そう、お婆さんはクラシック音楽を聴きながら、田圃道をお散歩中でした。立派なコンサートホールではなく、自然のど真ん中で聴く音楽ってなんて素晴らしいことか。この86歳になるお婆さん、若い頃には何度もお遍路に出かけたのだとか。だから今も足腰元気だと。四国を歩き終えたら小豆島の八十八カ所巡りをしてはどうかと勧められました。2泊3日で巡ることができるのだそうです。
 そうこうするうちに、遠くに種間寺さんが見えてきました。すると草むしりをしていたお婆さんが「種間寺はほらあそこだよ。もう少しだよ」と教えてくれました。分かっていたけれど嬉しい言葉です。都会の雑踏の中では得られない人との出会いに心温まります。
35番札所 清滝寺 ~山門の天井に龍の絵 
 次に向かったのは清滝寺でした。種間寺からは10キロ先にあります。途中、仁淀川大橋を渡ると遠くの山懐に清滝寺が見えてきます。
 バスツアーでは、山の中腹にお寺がある場合、観光バスから乗り合いタクシーに乗り換えて細い車道を登っていくのですが、歩き遍路の場合はそうはいきません。高知自動車道を潜り抜けたあたりからミカン畑が見えてきます。しばらくして昔ながらの遍路道に入り、さらに上をめざします。汗をふきふき坂道を登っていくと、やっと山門の前に辿り着きます。
 山門の天井に立派な龍の絵が描かれてありました。さらに長い長い石段を登っていくと、見覚えのある境内が現れます。納経所で記帳をいただいたあと、しばらくベンチに座って街の景色を眺めながら休憩です。さきほど渡った仁淀川大橋が遠くに小さく見えます。
36番札所 青龍寺 ~空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠も
 清滝寺から青龍寺までは13キロもあります。暑い暑い夏のこと、この日はショートカットして高岡高校通のバス停から土佐市ドラゴンバスに乗って次の宿所「三陽荘」に向かうことにしました。時間にして約30分。到着すると宿に荷物を預けて、青龍寺に向かいました。歩いて15分ほどの距離にありますが、のんびり散歩がてらといった感じです。いつもどおり、左に金剛杖、右にカメラをもって歩きます。
 こちらも、山門から長い石段を登っていきます。本堂、大師堂、そして空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠をお参りしました。
青龍寺奥の院、そして五色の浜で海を眺める。
 納経所で奥の院の場所を尋ね、またもや遍路道を歩き始めました。ところが、先日の台風のせいでしょうか、途中で道が分からなくなるほど荒れていました。道なき道を登って辿り着いたのは車道。しばらく行くとさらに遍路道があります。長い長い坂道を登った上に、奥の院はひっそりとありました。「これよりさき、土足禁止」の看板があり、備え付けのスリッパに履き替えて本堂にお参りしました。
 帰りは横浪スカイラインを下ることにしました。猛スピードで走り去るオートバイや自動車を避けながら歩いていると、五色の浜の看板。細い道を下って海岸べりまで下りました。打ち寄せては砕ける波の動きをじっと見つめていると時間の経つのを忘れてしまいます。「海」の持つエネルギー、生命の不思議に思いを巡らせました。
 三陽荘は、以前バスツアーでも泊まったことのある宿です。遍路宿にしてはやや高めですが、温泉もあって歩き疲れた身体を癒すのには最適です。夕食時には、前夜も同じ宿に泊まった同世代の方とお酒を呑み語らいました。愛媛の彼は、あと数日歩いていったん自宅に戻ると言っていました。皆それぞれに思いは違いますが、土佐の道をひたすら歩きながら、人それぞれに何かを思う。これが「歩き遍路」の醍醐味です。
 今回は暑さのせいもあったのでしょうが、ややお疲れ気味の「歩き遍路」になりました。次回はいよいよ足摺岬。あと3カ寺で修行の道場「土佐の国」を歩き終えます。体調を整えておかなければ。........それにしても今日はだらだらと長くなり過ぎました。最後までお読みいただき恐縮です。

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「家」とお墓

2018-08-23 21:03:48 | Weblog

 ちょっとした気候の変化に昆虫たちは敏感です。急に秋めいてひんやり感が漂う朝、お散歩をしていると、待ってましたとばかりに赤トンボがまとわりついてきました。蝉の声もミンミンゼミからツクツクボウシに変わりつつあります。....ところが、その数日後、台風19号と20号のダブルパンチ、またもや夏の暑さが舞い戻ってきました。この時期、元気なのは百日紅だけのようです。
 そんな夏のある日、孫君たちがバスに乗ってやってきました。ふだんは塾やらサッカーやら習い事やらで何かと忙しい彼らですが、環境が変わったためか長男君は夏の宿題も捗り、我が家にいる間に仕上げてしまう勢い。一方、来年小学1年生になる次男君は、今年は余裕の夏休みです。マンガを読んだりお絵描きをしたり。そうそう、ピアノの練習成果を披露してくれました。
 夕方になると、仕事帰りの両親が三々五々やってきて、楽しい夕食会となりました。孫君たちはもう1日泊まりたいと言い張ります。バスで10分ほどの距離なのに、二人とも「お爺ちゃんのお家は僕らの田舎だよ」と嬉しいことを言ってくれます。ついついお財布の紐が緩くなります(笑)。
 そうそう、68歳のお誕生日に京都に出かけました。まず向かったのは荒神口からほど近い鴨川縁のホテル「くに荘」。香淳皇后のご実家、久邇宮邸跡地に建つ国家公務員共済組合の宿所のようですが、京都の上京区で熱海温泉の源泉が楽しめることを突き止めた家内の企画でした(笑)。京の会席料理をいただいたあと、ゆったりと温泉を楽しみました。温泉は熱海から運んでいるのでしょうか。
 ひと息ついたところで、この日は知恩院に向かいました。お盆にお墓参りができなかったので、せめて総本山の知恩院にお参りをして亡き両親に無事68歳の誕生日を迎えたことのご報告です。
 この知恩院、6年前から国宝・御影堂の大修理が行われていますが、来年竣工の予定です。瓦葺きが終わって久しぶりに大屋根の一部が見えます。4年前に奉
納させていただいた特別瓦も、大屋根のどこかに葺かれていることでしょう。....夕刻、四条河原町のビアレストラン ミュンヘンで美味しいビールをいただいて帰りました。
 お盆のテレビ番組で「お墓」をテーマにしたものを見ました。墓じまい、無縁墓、墓友、自然葬.....。改めてお墓の意味を問うものでした。「家」というものに対する認識もずいぶん違ってきています。大家族から核家族への変化もあります。独居老人へのサポートが取り沙汰されている昨今でもあります。どこかで何かが置き忘れられているのかもしれません。難しい問題です。
 十数代にわたる先祖代々のお墓は実家に委ねるとして、子供たちが独立してしまった私ら夫婦は、あえてお墓は造らず知恩院に納骨してもらいます。子供や孫たちが何かの拍子にふと思い出したとき、ふらっと知恩院にお参りしてくれるだけでよいと割り切っています。そこには「家」を守るという発想はありません。ひとりの人間の生きた微かな痕跡をお寺に記すだけです。これでよいと思っています。 さてさて、今週から再びカレッジが始まりました。前期最終講座となった古典文学は井原西鶴の浮世草子「武家義理物語」(1688年)がテーマ。美しい姉妹と明智光秀のお話しでした。昨日は歴史の授業、西宮神社の歴史を学びました。そして今日は水彩画教室で、いくつかの瓶を画材に、影にも色があることを学びました。
 来月からは本科の運営アシスタントの仕事も始まります。何やかやで週3日を当てることになります。その合間を縫って「歩き遍路」に出かけたり、旅行に出かけたり。秋になると各所で古本フェアも開かれます。読書の時間もしっかりと確保したいところです。

 どうやら台風20号が四国か近畿地方に上陸するようです。我が家の周辺もずいぶん風が強くなってきました。テレビニュースには、台風が迫る室戸岬や潮岬の海岸が映し出されています。大きな被害がないことを願っています。その台風も今夜中には日本海に抜けるようです。その後を追って明日の夜、私は夜行バスに乗って高知に向かう予定です。伸び伸びになっていた「歩き遍路」№6です。リュックに菅笠に金剛杖、そして雨具。準備万端整いました。

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68回目の夏

2018-08-15 22:42:20 | 古本フェア

 茹だるような暑さがここ数日影をひそめています。まだまだ油断はできませんが、見えぬ風にかすかな秋の気配。立秋を迎えて涼風至(すずかぜいたる)とはよく言ったものです。
 そんな夏の某日、68歳のお誕生日を迎えました。田舎を出て50年。新しい伴侶を得て圧倒的に都会地での生活が長くなったのに、未だに田舎での夏の風景が浮かんでは消えて行きます。多感な時代を過ごしたからなんでしょう。....母が亡くなって40数年、父が亡くなって30数年。この秋には父の33回忌法要があります。
 紆余曲折を経て「今」があります。さあて、どうなんだろう。職を辞して自由の身となって、さてどうする。日本人男性の平均寿命は81.09歳。ならば残りの十数年をいかに生きていくか.......。
   一方、10年前に比べて生産労働人口(15歳~64歳)は134万人も減っています。それを65歳以上の労働者(315万人増)がカバーしているというデータもあります。のうのうと暮らしていてよいのか.....。
 でもねえ、いつまでも規模の拡大を追求していく時代でもありません。今後の人口動態を考えれば現状維持すら危うい時代が目の前に迫っています。今まさに持続可能性の質が問われ、定常化社会の在り様が問われています。そういう意味でのパラダイムシフトが求められているのではないかと......。
 などと、勝手なことを綴っていますが、私自身はリタイアした後、学びの場に首を突っ込んで2年が経ちました。決して高度なお勉強をしているわけではないけれど、ゆったりとした時間と空間に身を置いて時代を鳥瞰する心の豊かさを噛みしめています。時には呑み語らい、時には読書に没頭する。未消化の真新しい言葉が散りばめられた企画書に翻弄された現役時代とは一線を画す毎日です。
 そうそう、先日、京都古書研究会主催の「下鴨納涼古本まつり」に行ってきました。およそ40店舗、80万冊という大規模な古本まつりで、今夏31回目を数えます。配られた内輪を片手に、下鴨神社の糺の森でのんびり品定めと洒落込みました。
 この日手にしたのは、リチャード・シェルダード著「エマソン魂の探求~自然に学び神を感じる思想」(日本教文社)、河合隼雄著「明恵 夢を生きる」(京都松柏社)、そして真鍋俊照著「曼荼羅の美術」(小学館)の三冊でした。
 その夜、目の前に置いた三冊の本を眺めていると、私がいま関心を寄せている領域が手にとるように分かります。「エマソン魂の探求」は、ちょうどいま読み進んでいる稲本正著「ソローと漱石の森」が面白くて、一時期ソローに強い影響を与えたエマソンの人となりを知りたくなりました。
 「明恵 夢を生きる」は、23歳の頃に俗縁を絶った隠遁僧・明恵上人をテーマにしたものです。臨床心理学者の河合隼雄先生がどんなお話しをされるのか興味津々です。
 そして「曼荼羅の美術」は、まさに今お勉強中のNHK講座「マンダラと生きる」の副読本になります。
 「ソローと漱石の森」は、自然文学者にして市民運動家、東洋の思想にも関心を寄せるヘンリー・D・ソローの生きざまを追って、米国マサチューセッツ州ボストン郊外のコンコードを訪ねた著者の思いが綴られています。それと並行して、人間の対象物としての自然(Nature)ではなく人間自身も入り込んだじねん(自然)という視点から、漱石と関わりの深い場所を訪ね歩きながらその心を読み解いていきます。「解は現場にある」という某経営学者の言葉がありますが、そんな著者の姿勢にある種の心地よさを感じながら頁をめくります。

 健康寿命が平均寿命より9歳ほど短いのだとすれば、元気に自立して過ごせる期間はそんなに長くはありません。それを無駄にしない生き方がしたい。健康なうちは極力外に出て歩こう。都会の雑踏のなかですれ違うごく普通の人たちとの出会い、はたまた「歩き遍路」での一期一会の出会いを通じて、これまでとは異なる人の生きざまに触れる。そんなビビッドな生き方ができれば最高です。

 そうそう、ブログ「心の風景」は明日、開設して5000日を経過します。54歳で始めて13年と数カ月、ただただ漫然と綴ってきたこのブログ。さあてどうなんでしょうね。いずれにしても引き続きお付き合いをいただければ幸いです。

追記
  山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子が今朝、ボランティアとして捜索に関わった大分県の尾畠春夫さん(78)に無事保護されたというニュースが飛び込んできました。尾畠さんの温かい「人間愛」と野性的な「勘」、2歳にもかかわらず3日間一人で生き抜いた男の子の「生命力」。忘れかけていた「生きる力」(じねん)を想起させる出来事でした。記事によれば、尾畠さん曰く「学歴もない何もない人間だが、65歳で鮮魚店を辞めて、残りの人生を社会にお返しさせてもらおうと思ってきた」と。ずしりと迫るものがあります。

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大阪の暑い夏の1週間

2018-08-09 22:50:07 | Weblog

 今週の古典文学講座は前回に続いて井原西鶴の浮世草子「世間胸算用」(1692年)でした。西鶴51歳の作品で大阪を舞台にした町人物語ですが、三百年も前の町人の暮らしと人となりが、こんなにも明るく面白可笑しく綴られているとは。ついつい引き込まれていきます。隔週で通う文学講座、9月からは松尾芭蕉の「奥の細道」がテーマです。
 高校生の頃、大の苦手だった「古文」の授業。女生徒に人気の若い男性教師の立ち居振る舞いに胡散臭いものを感じた私は、授業の間現代小説を読んで過ごしました。当然のことながら「古文」から遠のいてしまい.......。いやいや、だからこそ、この歳になって「学んでみよう」という気持ちになった次第。この4月から通い始めたばかりですが、少しずつ古典文学の楽しさを感じ始めています。
 授業のあと、天満橋駅に向かって歩いていると、街角で「熊野かいどう」の歴史を記した案内板を見つけました。
平安時代、熊野へ詣でる人々は京都から淀川を船で下り、現在の天満橋付近に上陸。このあたりは、古代は難波津、平安時代には渡辺津(窪津)と呼ばれたところで、ここを起点に南下して四天王寺、住吉大社などを経て、熊野に向かったのだそうです。
 そんな古き良き時代の「大坂」を学んだ翌日は、暑気払いと銘打って仲間たちと「鱧料理」を食べに難波に集いました。暑い季節に長いものを食べると精力が付くのだそうですが、平均年齢が70歳に手が届こうかというシニア7人組(男4名、女3名)、呑んで食べて皆さんお元気そのものです。次回は9月の「だんじり祭り」に岸和田に繰り出すことに。(下の写真は集合場所の難波高島屋正面玄関前)

 その日は少し早い目に家を出て日本橋界隈を散策しました。久しぶりにLPレコード店DISC J.J.さんに立ち寄り、グレン・グールドのR・シュトラウス「イノック・アーデン」、ラザール・ベルマンのリスト「巡礼の年」をお持ち帰りでした。
 日本橋界隈は昔に比べてずいぶん雰囲気が変わりました。電器街というよりはアニメ、マンガ、ゲーム、コスプレの街。外国人観光客が目立ちます。そんななかで老舗オーディオ専門店も頑張っていました。私が愛用するレコードプレーヤーもこのお店で買いました。
 しばらく歩くと「なんば古書センター」が見えてきます。といっても今はビルの1階に「山羊ブックス」さん1軒が頑張っていらっしゃいます。秋から始まる古典講座のために新潮古典文学アルバム「松尾芭蕉」を手にしました。ほかにも何冊か気になる本がありましたが、今週末から京都下鴨神社で「下鴨納涼古本まつり」が始まりますのでお預けです。そうそう、難波千日前で天地書房という古書店を発見しました。
 翌日は、先月下見をした街歩きの日でした。JR桜橋駅からバスで10分ほどのところにある大阪市環境局舞洲工場、要するにゴミの焼却施設ですが、建物の奇抜な外観はウィーンの芸術家 故フリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー氏の作品です。建設当時は賛否両論ありましたが、「技術・エコロジー・芸術の融和のシンボル」としての立ち位置に、なんとなく共感を覚えました。
 外観もさることながら、ゴミ焼却技術の素晴らしさに驚きました。次々と運び込まれる可燃ごみの投入から焼却、焼却灰の処理、燃焼ガス・排水の処理、余熱利用による発電と、一連の流れがコンピュータで集中管理されていました。その巨大な工場に従事する人が百数名、それも交替勤務ですから1クルー三十名弱に過ぎません。こうした最先端技術を見学するために、中国など海外から修学旅行でやってくる若者が後を絶たないのだそうです。ちなみに処理済みの焼却灰は、大阪がいま万国博覧会開催をめざす夢洲の埋立に使われています。
 この日の参加者は14名。打ち上げはホテル・ロッジ舞洲でのBBQでした。多くの若者たちで賑わっていて、我々のようなシニア組は少数派でしたが、皆んさん元気にぺろりと平らげました。
 この日も暑い一日でした。日が暮れる頃になると大阪湾の向こうに神戸、その先に明石海峡大橋が見えます。大阪市内の雑踏からは考えられない風景が広がります。万国博覧会の誘致に成功するようなことになれば、この一帯は一大リゾートセンターに様変わりする予感がします。カジノ誘致には反対ですが.......。
  そうそう、忘れていました。先週末に孫長男君と南港の海釣り公園に行ってきました。同じ大阪湾でも、少し南の方ですが、この日の釣果はアジ十数匹でした。孫君も大満足でした(笑)。信じてもらえないかもしれませんが、私は大きな獲物を逃しました(笑)。
 こうしてドタバタの1週間が終わろうとしています。締めは水彩画教室です。今日のテーマは夏野菜。粗目の画用紙を用いた表現手法を学びました。水彩画を習い始めて1年、決してうまくはないけれど、言葉以外の方法で自己表現することの楽しさを覚えました。決してうまくはないけれど.......(笑)。

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今夏は「忍の一字」で耐え忍ぶ

2018-08-02 14:58:29 | Weblog

 台風12号が大阪を直撃した29日の午前2時過ぎ、ものすごい風雨の音に目が覚めました。こんな経験は何十年ぶりのことでしょうか。.....その後、台風一過、爽やかな夏の空が広がると思いきや、なんと酷暑の夏に逆戻りしてしまいました。今夏は「忍の一字」で耐え忍ぶしかありません。
 でも、楽しい出来事もありました。31日の夜、火星が15年ぶりに地球に大接近したのです。大接近といっても6千メートル弱の距離はありますが、カメラを片手に気の遠くなるような宇宙の彼方に子供のような目を向けます。そして南東の空に、赤く明るい火星を見つけました。

 それにしても暑い夏です。今朝は、日差しを避けて、少し早い目にお散歩に出かけました。お不動さんの境内に着くと、朝のお勤め「護摩供祈祷」が始まっていました。広い本堂では、10名ほどのお坊さんが般若心経や不動尊真言などを力強く唱えていらっしゃいます。祭壇では護摩木が焚かれ、炎が燃え上がります。宗教の何たるかが整理できていないのに、終わってみると妙な爽快感を感じるのは何故でしょう。
 この4月から、NHKテレビのEテレで放映されている「こころの時代」(宗教・人生)で「マンダラと生きる」を聴講しています。鶴見和子先生から「南方マンダラ」という言葉をいただいて以後、曼荼羅というものに関心があります。南方熊楠の世界観(思想)から大日如来、真言宗、そして萃点へ.....。その後、毎日新聞社主催の高野山夏季大学(宿坊での2泊3日)を聴講して.....。リタイアした後、何となく始めた四国遍路のバスツアー。そして「歩き遍路」.....。
 般若心経をはじめ仏教に関する知識は断片的です。そんな私にとって「マンダラと生きる」は、小さな点をひとつひとつ繋いでいく作業の道標になります。前のめりになることへの躊躇もありますが、テキストを読み解きながら理解を深めています。
 ところで、今週は台風12号の影響で「歩き遍路」を延期したために、比較的ゆったりとした1週間を過ごしました。そんなある日、京都の知人のお宅におじゃましました。古い京の町家を購入して、それをリノベーション。さあて、どんなお家に仕上がっているのか興味津々で出かけました。路に迷いながら、いかにも京都の町らしい細い路地に入っていくと、格子戸が美しいお家の玄関先でお出迎えをいただきました。
 百年はゆうに超える古民家だったようですが、改装されたお家に入ってびっくり。洗練された空間に吸い込まれていきます。「シンプルで、かつ、心穏やかに過ごせる場」をめざしたとか。納得です。小さなお庭を囲むように各部屋が配置されています。調度品のひとつひとつにも家人の心を感じます。圧巻は天井の大きな梁でした。圧倒的な存在感を示す梁が、歴史の重みと何世代にもわたる人の営みを感じさせました。素晴らしいお家でした。ここがご夫婦にとって京都の新しい拠点になります。

 夏の京都といえば「下鴨納涼古本まつり」です。今年も11日から16日までの6日間、下鴨神社糺の森で開かれます。リュックを背負って出かけます。それに先立って先日は、大阪くらしの今昔館で開催中の「大大阪モダニズム~片岡安の仕事と都市の文化」を見に行ったついでに、天神橋筋商店街の古書店「天牛書店」に2年ぶりにおじゃましました。
 明治40年の創業以来「ふるほんや天牛」として大阪の人々に親しまれたお店で、「洋書から和書まで時代・ジャンルをとわず、ちょっとユニークで楽しい本との出会い」が売りです。空調の行き届いた店内には軽いBGMが流れ、商店街の喧騒から解放された空間が広がります。お店の方に店内の撮影をお許しいただきました。
 ゆったり1時間ほど眺めてこの日お持ち帰りしたのは、稲本正著「ソローと漱石の森~環境文学のまなざし」(NHK出版)でした。ソローと漱石?。夏の昼下がり、クーラーの効いた
部屋の片隅で長椅子に横たわって頁をめくります。
 さて、明日は孫長男君と大阪湾の南港海釣り公園に行ってきます。このところ釣果が芳しくないので、明日は相応の釣果を期待して朝早くから出かける予定です。さあて、どうなることやら。

 そうそう、延期した土佐の国の「歩き遍路」ですが、8月下旬の実施で準備万端。高速バス、宿所ともに手配が完了しました。電話の向こうに民宿の女将さんの明るい声を聞くと、今にも出かけたい気分です(笑)。大阪から遠くなるに従い、2泊3日だと第1日目のスケジュールが窮屈になるので、今回は前日の夜遅く大阪駅前から夜行バスに乗って高知に向かいます。車中泊を含めて3泊4日になります。

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