さあて、いよいよ「歩き遍路」№6です。午後10時、大阪駅前から高速バスに乗って一路高知へ。翌朝5時過ぎに高知駅前バスターミナルに到着しました。今回は、31番札所の竹林寺を皮切りに、禅師峰寺、雪蹊寺、種間寺、清滝寺、青龍寺の六カ寺をお参りしました。
31番札所 竹林寺 ~ 牧野植物園内の遍路道を歩く。
早朝、路面電車の「はりまや橋」駅に向かって歩き始めて5分、雨が降り出しました。慌ててポンチョを取り出しましたが、始発電車に乗って「文殊通」駅に着く頃には雨も上がって、やれやれ。町中をしばらく歩くと前方に五台山が見えてきました。竹林寺はこのお山の上にあります。
墓地が並ぶ薄暗い遍路道を足早に通り過ぎると、牧野富太郎植物園が見えてきました。遍路道はその植物園の中を通っています。早朝のため門は閉まっていましたが、お遍路さんのための出入口が別に用意されていました。
竹林寺は、その植物園の門を出た所にあります。石段を登って山門をくぐり、雨上がりの静けさのなか本堂に向かいました。久しぶりに般若心経を唱え、さて帰ろうとしたとき、なんと土砂降りの雨が降ってきました。これは大変と、しばし雨宿りです。雨の音とお坊さんの唱えるお経の声が妙に絡まり、贅沢な時間を過ごしました。
32番札所 禅師峰寺 ~ 「お疲れ様でした」の看板に癒される。
雨が上がるのを待って、禅師峰寺へ向かいました。下田川を渡ってしばらく歩くと武市半平太旧宅の案内板がありました。......さらに進むと石土池、その先に禅師峰寺が見えてきます。この間7.4キロ。寝不足だったためか、結構な距離に感じました。それでも、石段下にあった「お疲れ様でした」の看板にほっとひと息でした。
炎天下の歩き遍路にかき氷のお接待をいただく。
10時を過ぎる頃になると、気温もどんどん上昇して夏の日差しが戻ってきました。雪蹊寺までは9キロ近くあります。とりあえず、遍路道唯一の船の路、種﨑渡船場をめざしました。土佐湾沿いに平坦で変化のない車道6キロを、ただひたすら歩き続けました。次第に全身を熱の塊が覆い始めます。それでも前を見つめて歩き続ける.....。
もう限界かと思ったそのとき、1軒の小さなハワイアンカフェGarlishを見つけて飛び込みました。店内は冷房が効いていてほっとひと息。生き返った心地でした。でも食欲はなく、頼んだのはフレンチトーストとコーラだけ。ところが、お皿に盛られたサイコロ状のトーストとフルーツに蜂蜜がたっぷりかかっていました。なんと美味しかったことか。生気を取り戻しました。
このお店に40分近くいたでしょうか。食後しばらくすると、お姉さんがお接待といってかき氷をサービスしてくれました。ほんとうにありがとうございました。そのあと軽快に歩くことができたのは言うまでもありません。
種崎渡船場につくと、待合室に先客が2名。そのうち東京からやってきた中年男性は、大きなリュックを背負って移動中で、夜はテントで寝泊まりしながら歩いているのだと。その馬力には驚きました。
33番札所 雪蹊寺 ~ 境内のベンチに寝そべってお昼寝
渡船(無料)は5分ほどで対岸の梶ヶ浦に着きます。そこから新川川沿いに20分ほど歩いたところに雪蹊寺はありました。.....お参りが終わったのが午後2時30分。その日お世話になる民宿「高知屋」さんのチェックインが午後4時。ということで、境内でしばし時間潰しをすることにしました。
まずはメダカまで売っていた露店の店主と世間話をしますが、もちません。広くはない境内を歩きまわったあげく、木陰にベンチを見つけてひと休みです。蝉の声と木の葉の擦れ合う音しか聞こえない、そんな贅沢な空間に身をおいてぼんやり空を見上げていたら、いつの間にか眠ってしまいました。こんなに気持ちの良いお昼寝をしたのは何十年ぶりだったことでしょう。
高知屋さんにチェックインすると、女将さんが丁寧に金剛杖を洗ってくれました。部屋には小さな杖立も置いてありました。行き届いたお宿でした。この日のお客は3名。食事どきはお婆さんが賄いをしてくれました。聞けば今年はお客さんが少ないのだとか。これだけ暑いと夏のお遍路は躊躇するかもしれません。炎天下数時間も歩くのは、やはり堪えます。冷たいビールで喉を潤しました。
34番札所 種間寺 ~ 清々しい早朝の歩き遍路
翌朝は午前6時半に宿を立ちました。比較的涼しい時間を有効活用するためです。6.3キロ先の種間寺に向かいました。見落としそうな小さな案内矢印を確認しながら、清々しい朝の空気を胸いっぱいに吸い込みながら軽快に歩きます。私はこういうお遍路が大好きです。特段に急ぐ用もないので、土佐の国の風景を全身で受け止め、ただただ歩き続けます。
と、どこからともなくNHKラジオ第一の番組「音楽の泉」が流れてきました。どこから聞こえるのだろうとあたりを見わたすと、前を歩いているお婆さんの籠のあたり。そう、お婆さんはクラシック音楽を聴きながら、田圃道をお散歩中でした。立派なコンサートホールではなく、自然のど真ん中で聴く音楽ってなんて素晴らしいことか。この86歳になるお婆さん、若い頃には何度もお遍路に出かけたのだとか。だから今も足腰元気だと。四国を歩き終えたら小豆島の八十八カ所巡りをしてはどうかと勧められました。2泊3日で巡ることができるのだそうです。
そうこうするうちに、遠くに種間寺さんが見えてきました。すると草むしりをしていたお婆さんが「種間寺はほらあそこだよ。もう少しだよ」と教えてくれました。分かっていたけれど嬉しい言葉です。都会の雑踏の中では得られない人との出会いに心温まります。
35番札所 清滝寺 ~山門の天井に龍の絵
次に向かったのは清滝寺でした。種間寺からは10キロ先にあります。途中、仁淀川大橋を渡ると遠くの山懐に清滝寺が見えてきます。
バスツアーでは、山の中腹にお寺がある場合、観光バスから乗り合いタクシーに乗り換えて細い車道を登っていくのですが、歩き遍路の場合はそうはいきません。高知自動車道を潜り抜けたあたりからミカン畑が見えてきます。しばらくして昔ながらの遍路道に入り、さらに上をめざします。汗をふきふき坂道を登っていくと、やっと山門の前に辿り着きます。
山門の天井に立派な龍の絵が描かれてありました。さらに長い長い石段を登っていくと、見覚えのある境内が現れます。納経所で記帳をいただいたあと、しばらくベンチに座って街の景色を眺めながら休憩です。さきほど渡った仁淀川大橋が遠くに小さく見えます。
36番札所 青龍寺 ~空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠も
清滝寺から青龍寺までは13キロもあります。暑い暑い夏のこと、この日はショートカットして高岡高校通のバス停から土佐市ドラゴンバスに乗って次の宿所「三陽荘」に向かうことにしました。時間にして約30分。到着すると宿に荷物を預けて、青龍寺に向かいました。歩いて15分ほどの距離にありますが、のんびり散歩がてらといった感じです。いつもどおり、左に金剛杖、右にカメラをもって歩きます。
こちらも、山門から長い石段を登っていきます。本堂、大師堂、そして空海の恩師だった恵果和尚を祭った祠をお参りしました。
青龍寺奥の院、そして五色の浜で海を眺める。
納経所で奥の院の場所を尋ね、またもや遍路道を歩き始めました。ところが、先日の台風のせいでしょうか、途中で道が分からなくなるほど荒れていました。道なき道を登って辿り着いたのは車道。しばらく行くとさらに遍路道があります。長い長い坂道を登った上に、奥の院はひっそりとありました。「これよりさき、土足禁止」の看板があり、備え付けのスリッパに履き替えて本堂にお参りしました。
帰りは横浪スカイラインを下ることにしました。猛スピードで走り去るオートバイや自動車を避けながら歩いていると、五色の浜の看板。細い道を下って海岸べりまで下りました。打ち寄せては砕ける波の動きをじっと見つめていると時間の経つのを忘れてしまいます。「海」の持つエネルギー、生命の不思議に思いを巡らせました。
三陽荘は、以前バスツアーでも泊まったことのある宿です。遍路宿にしてはやや高めですが、温泉もあって歩き疲れた身体を癒すのには最適です。夕食時には、前夜も同じ宿に泊まった同世代の方とお酒を呑み語らいました。愛媛の彼は、あと数日歩いていったん自宅に戻ると言っていました。皆それぞれに思いは違いますが、土佐の道をひたすら歩きながら、人それぞれに何かを思う。これが「歩き遍路」の醍醐味です。
今回は暑さのせいもあったのでしょうが、ややお疲れ気味の「歩き遍路」になりました。次回はいよいよ足摺岬。あと3カ寺で修行の道場「土佐の国」を歩き終えます。体調を整えておかなければ。........それにしても今日はだらだらと長くなり過ぎました。最後までお読みいただき恐縮です。