昨夕から降り始めた雨が今朝も残っています。寒くはないけれど、春先の雨は気分的に滅入ってしまいます。しかし、土にとっては恵みの雨なのかもしれません。1カ月ほど前から花壇の土を掘り返す作業をしているのですが、なんだかしっかりした顔つきになってきました。今年もたくさんのお花を咲かせてくれることでしょう。
季節の移り変わりとともに、私も勤務部署を異動することにしました。ポストを予定より1年早く後進に譲り、今後はまさに経営陣の一員として事業体の建て直しに尽力することになります。4年ごとに部署を変えて改革を進めてきましたから、つぎのステージが本当の意味での最後のご奉公になるのだろうと思っています。
そんな節目というわけでもありませんが、きのうは家内と一緒に、久しぶりに京都・知恩院にお参りをしてきました。少し遅めに出発したので、三門をくぐって急な石段(男坂と言われています)を登って御影堂に到着したのは、午後の3時を過ぎていました。彼岸会だからでしょう、多くの方々がお参りになっていて、堂内には読経とお香の香りが漂っていました。こうした敬虔な空間に身をおいてご先祖様と対峙しながら自らの身の振り方を考える。ひょっとしたら私は意外と信心深い人間なのかもしれません。というよりも、先の震災を目の当たりにして人間の非力さを思い知らされたこと、やはり宗教とはこういう一面をもっているのであろうと妙に納得したものです。
広辞苑を開くと、彼岸とは「河の向う岸。生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。涅槃ねはん」とあり、春は春分の日(21日)を中日としてその前後7日間を彼岸というのだそうです。「菩提の種を蒔く(迷いから離れようとする心をおこすこと)日」(知恩院)とも言われています。視点はすでに次を見据えているとも言えます。暫し仏前にお参りをしたあと、お灯明をあげようとすると、灯明料は東北地方太平洋沖地震義援金として寄付する主旨のお知らせが記されていました。心を込めてお供えをさせていただきました。
東側の内陣には、彼岸会のときだけ、観無量寿経の世界を絵ときした「観経曼陀羅」が掲げられています。畳何畳分あるのでしょうか、それは大きな曼陀羅図です。インドの王舎城の悲劇をモチーフに、釈迦が阿弥陀仏と西方極楽浄土を思い描く16通りの方法を示したものです。絵の中央に描かれた阿弥陀の極楽浄土の姿が、私の心に安らぎを与えてくれます。この日、曼陀羅の前には東北地方太平洋沖地震物故者の御位牌が飾られていました。犠牲になられ方々を優しく浄土の世界にお導きになる、心のなかでそんなことを思いながら哀悼の意を捧げました。
知恩院を後にすると、京都・大丸百貨店(大丸ミュージアム)で開催中の「没後80年金子みすゞ展~みんなちがって、みんないい。」に向かいました。折しも先日の震災以来、TVでは民間企業のCMに変えてACジャパン(旧公共広告機構)制作のキャンペーンCM、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」が放映されています。自然の脅威に人間の非力さを思いながらも、人の「こころ」に問いかける金子みすゞさんの詩の世界。形容詞をひとつひとつ取り去ったあとに残る、言葉の重み。ふだん、あまりにも多くの仰々しい言葉に振り回されている私にとって、金子みすゞさんの詩の世界には格別の思いがあります。このブログではこれまで「大漁」と「私と小鳥と鈴を」の2作を全文掲載していますが、今回は、この「こだまでしょうか」を掲載しましょう。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
知恩院から四条通りに向かう途中、円山公園では東山花灯路2011の一環として各流派家元等による生け花展が催されていて、そこでも作品の横に震災お見舞いの言葉が添えてありました。近年少し樹勢が弱っていた祇園枝垂桜も、心なしか元気を持ち直したようで、その姿をバックに生け花を撮影した写真を添えて本日のブログ更新を終えます。
季節の移り変わりとともに、私も勤務部署を異動することにしました。ポストを予定より1年早く後進に譲り、今後はまさに経営陣の一員として事業体の建て直しに尽力することになります。4年ごとに部署を変えて改革を進めてきましたから、つぎのステージが本当の意味での最後のご奉公になるのだろうと思っています。
そんな節目というわけでもありませんが、きのうは家内と一緒に、久しぶりに京都・知恩院にお参りをしてきました。少し遅めに出発したので、三門をくぐって急な石段(男坂と言われています)を登って御影堂に到着したのは、午後の3時を過ぎていました。彼岸会だからでしょう、多くの方々がお参りになっていて、堂内には読経とお香の香りが漂っていました。こうした敬虔な空間に身をおいてご先祖様と対峙しながら自らの身の振り方を考える。ひょっとしたら私は意外と信心深い人間なのかもしれません。というよりも、先の震災を目の当たりにして人間の非力さを思い知らされたこと、やはり宗教とはこういう一面をもっているのであろうと妙に納得したものです。
広辞苑を開くと、彼岸とは「河の向う岸。生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。涅槃ねはん」とあり、春は春分の日(21日)を中日としてその前後7日間を彼岸というのだそうです。「菩提の種を蒔く(迷いから離れようとする心をおこすこと)日」(知恩院)とも言われています。視点はすでに次を見据えているとも言えます。暫し仏前にお参りをしたあと、お灯明をあげようとすると、灯明料は東北地方太平洋沖地震義援金として寄付する主旨のお知らせが記されていました。心を込めてお供えをさせていただきました。
東側の内陣には、彼岸会のときだけ、観無量寿経の世界を絵ときした「観経曼陀羅」が掲げられています。畳何畳分あるのでしょうか、それは大きな曼陀羅図です。インドの王舎城の悲劇をモチーフに、釈迦が阿弥陀仏と西方極楽浄土を思い描く16通りの方法を示したものです。絵の中央に描かれた阿弥陀の極楽浄土の姿が、私の心に安らぎを与えてくれます。この日、曼陀羅の前には東北地方太平洋沖地震物故者の御位牌が飾られていました。犠牲になられ方々を優しく浄土の世界にお導きになる、心のなかでそんなことを思いながら哀悼の意を捧げました。
知恩院を後にすると、京都・大丸百貨店(大丸ミュージアム)で開催中の「没後80年金子みすゞ展~みんなちがって、みんないい。」に向かいました。折しも先日の震災以来、TVでは民間企業のCMに変えてACジャパン(旧公共広告機構)制作のキャンペーンCM、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」が放映されています。自然の脅威に人間の非力さを思いながらも、人の「こころ」に問いかける金子みすゞさんの詩の世界。形容詞をひとつひとつ取り去ったあとに残る、言葉の重み。ふだん、あまりにも多くの仰々しい言葉に振り回されている私にとって、金子みすゞさんの詩の世界には格別の思いがあります。このブログではこれまで「大漁」と「私と小鳥と鈴を」の2作を全文掲載していますが、今回は、この「こだまでしょうか」を掲載しましょう。
「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
そうして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。
知恩院から四条通りに向かう途中、円山公園では東山花灯路2011の一環として各流派家元等による生け花展が催されていて、そこでも作品の横に震災お見舞いの言葉が添えてありました。近年少し樹勢が弱っていた祇園枝垂桜も、心なしか元気を持ち直したようで、その姿をバックに生け花を撮影した写真を添えて本日のブログ更新を終えます。