先週の水彩画教室は人物画がテーマでした。それも実物のモデルさんを囲んでの写生とあって、みんなどきどきそわそわ。モデルさんを囲んで椅子を2列並べましたが、いざ座ってみると前列は男性陣が陣取り、みんなで笑ってしまいました。20分おきに10分の休憩を4回、2時間の設定でしたが、デッサンまでで終わり、色づけは帰ってからになりました。写真を撮ることはできませんから、あとは自分の感性に頼るしかありません。
話は変わりますが、先日、コンサートの裏方の仕事をしました。なんとホールは現役時代に若干の関わりをもった都市型の中規模ホール。この日の役割は観客誘導、HP用の写真撮影、そして記録用のビデオ撮影と盛りだくさんでした。ビデオなんて子どもが小さい頃のホームビデオ以来触ったことがありません。SDカードを初期化したのはよかったのですが、写し終わって再生するとなんにも写っていない!!。「えぇ!!」。どうやら撮影前に記憶する場所をSDカードに設定しておく必要があったよう。自動的にビデオのハードディスクに録画されていました。慌てましたが、ほっとしました(笑)。
コンサート専用ではなく多目的なホールなのですが、そういう制約の中にあって音響に拘ったところは活かされていました。スタインウェイのピアノ、弦楽器、歌曲ともに良い感じで、演奏者の皆さんにも好評でした。写真はリハーサル前のピアノの調律風景です。収容定員600名弱のホール内の椅子は一口20万円の椅子募金で賄われていて、背に寄付者の名前(アルファベット)が記されています。どこかに私のプレートもあります(笑)。 コンサートが好評のうちに終わった日の夕暮れ、大阪駅前のバス会社に立ち寄って、予約していた四国行きの乗車券を買って帰りました。
ところで、先週紹介した新書「奇跡の四国遍路」(黛まどか著)のことですが、筆者と西垣通さんとの問答のなかで、黛さんが「俳句と身体性」について語っていらっしゃいます。
「自然の中で身体を動かしていると、波動のようなものを感じるようになります。対象(自然や人など)が出す波動と自分の波動が合致した瞬間に、命の交歓が生まれ、俳句が生まれます」
「歩くことによって、現代生活で鈍くなってしまっている五感のアンテナが立ち、日常にはない思考回路へと導かれます」
「都会を歩いているとすれ違う人の多くが”閉じている”ように見えます」
「記憶の断片と今目の前にある風景、感じている風、匂いなどが乱反射して俳句になっていきます。大きな命の連なりの一部としての一期一会、命の交歓です」
私は俳句のことは分かりませんが、黛さんのおっしゃっていることが何となく分かるような気がします。「歩き遍路」に惹かれる大きな理由のひとつが、こんなところにあるような気がします。
さてさて、今週は珍しく写真が1点だけとなりました。月曜日から金曜日まで会議やら講座運営やらプレスリリースやらと現役並みの用事に振り回される1週間です。そして土曜日は能楽鑑賞「屋島」。さらに来週末は北海道へ。2月も末、なにかと忙しくなってきました。いや、自ら忙しくしている今日この頃です。