ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

日本国憲法に纏わる思い出

2012-11-20 19:16:22 | 政治経済
日本国憲法は、終戦から1年3ヶ月後の昭和21年11月に公布され、翌年5月に施行されました。
これほど短期間に新憲法が出来たのは、米軍が持っていた憲法のテンプレートを、天皇の条項を除き、ほぼそのまま使ったからです。
それゆえ、普遍的な民主主義の精神を体現した、理想的な、しかしながら一元的で、一神教的で、原理主義的で、都会的で、人工的で、脳内的な憲法となっています。
理想的な故に、社民党とか、進歩的知識人とか、純粋まっすぐ、正義の味方系の人を惹きつけてやまないのでしょう。「日本国憲法ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」みたいな風潮が出来あがってしまってます。
そもそも制定以来憲法を一言一句変えていない国なんて、世界中で日本くらいではないでしょうか。
日本同様敗戦後に平和憲法を制定したドイツでも、憲法はもう何十回も改正されています。
「憲法を守れ」って叫ぶ人たちに対し、私は何となく気持ちの悪さを感じてしまいます。

中学校の社会科の先生がそっち系の人で、授業で、日本国憲法の前文を暗唱させられました。
テストに出すって言うから、「これ、日本語かよ!」と思いながらも、一所懸命覚えました。(そして本当に、定期テストの問題が、「憲法前文の世界平和に関する条文を書け」でした。)
『日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。(以下略)』って、今でも暗唱できます。
その頃の私は、純粋まっすぐ系の少年でしたが、自衛隊はおろか、「仮想敵国を想定すること自体が憲法の精神に反する」と教わった時、「これはかなり胡散臭いぞ」と思ったのを記憶しています。

普遍的(=アメリカ的)な民主主義もあれば、日本的な民主主義も、中国的な民主主義もあっていいわけです。
一神教が発生するのは、歴史的にみて、自然環境が過酷な、他民族が集まる都市部です。
日本は、ほぼ単一民族で、温暖な気候と四季、美しい自然があります。
祖先の霊や自然に宿る八百万の神がおわし、2000年になろうとする歴史があります。
わが国の憲法は、テンプレートではなく、日本人のDNAを反映したものであってほしいと思います。
自民党の安倍総裁は、はっきり自主憲法制定論者でした。それも、多分、私と同系の。
06年に安倍さんが総理大臣になった時の著書「美しい国へ」、引っ張り出して、読んでます。
安倍さん、期待シテマス。

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