ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

飛鳥浄御原宮

2006-03-09 12:47:21 | 歴史
昨日の読売新聞の一面に「飛鳥浄御原宮のほぼ全容が明らかになった。」という記事が載っていた。
久々の大好きな考古学ネタの一面記事である。

個人的に意外だったのは、遺跡が3層になっていたということ。
舒明天皇の飛鳥岡本宮、皇極女帝の飛鳥板葺宮、そして天武・持統朝の飛鳥浄御原宮、この3つの宮がほぼ同じ場所に建てられていたということである。
私は、古代の天皇家は、死穢や怨霊を嫌い、天皇が替わるたびに王城の地を移していたと思っていた。

板葺宮は、天武にしてみれば、実母の皇極天皇の目の前で、実兄の中皇子が当時の大臣・蘇我入鹿を惨殺した、いわば血塗られた場所である。
その同じ場所にわざわざ宮を建てたということになる。
それだけ飛鳥が王城の地だったのだろう。
そして天武が入鹿の怨霊など全く恐れない屈強な精神の男だったのだろう。

天武・持統の家系は、草壁皇子、文武天皇、聖武天皇がいずれも強い男子を残すことなく早死にし、道鏡事件を引き起こした称徳女帝を最後にその血統が絶え、天皇位は自ら打ち滅ぼした実兄の天智天皇の血統に戻った。
やはり入鹿の怨霊は祟ったのかもしれない。
それが、自らを殺害した張本人の天智天皇の子孫に天皇位を与える結果となったのだから、何とも皮肉な話ではある。
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