本日の読売新聞の社会面に、日本考古学協会など16学会による奈良市の五社神(ごせし)古墳、伝神功皇后稜の立ち入り調査が行われたという、小さな記事が載っていました。
陵墓の立ち入り調査、昨年の一月にやっと宮内庁が条件付ゴーサインを出したものですが、ついに実現しました。
それにしても「神功皇后稜」、そう来たか、やっぱりいきなり天皇陵とはいかなかったわけねー。
でも、まあ、天皇陵をはずすのであれば、「箸墓」かこれでしょうね。
神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で、第15代応神天皇の生母。
急逝した天皇に代わり、応神天皇を身ごもったまま、自ら軍を率いて「三韓征伐」に出征したとされている皇后です。
「三韓征伐」という語感からか、戦前には持ち上げられ、その反動で戦後に実在を否定する人もいる人物です。
しかしながら、この時代に倭国が朝鮮半島に出兵をしたことは中国側の資料からも事実であり、また応神、仁徳、履仲、反正と続く河内王朝、「倭の五王」へつながる人物として、日本古代史上の鍵を握る超重要人物の一人であることは間違いありません。
同古墳は全長270mの前方後円墳で、墳丘では埴輪の破片や葺石が確認されたとのこと。
そもそもこれが本当に神功皇后の墓なのか、それとも他の人物の墓なのか、本格的な学術調査により、被葬者が特定され、教科書が変わるような新しい歴史的事実が発見されることを期待します。
またこれをきっかけに、これ以外の陵墓の調査も進展することを、一古代史ファンとして、願って止みません。
陵墓の立ち入り調査、昨年の一月にやっと宮内庁が条件付ゴーサインを出したものですが、ついに実現しました。
それにしても「神功皇后稜」、そう来たか、やっぱりいきなり天皇陵とはいかなかったわけねー。
でも、まあ、天皇陵をはずすのであれば、「箸墓」かこれでしょうね。
神功皇后は第14代仲哀天皇の皇后で、第15代応神天皇の生母。
急逝した天皇に代わり、応神天皇を身ごもったまま、自ら軍を率いて「三韓征伐」に出征したとされている皇后です。
「三韓征伐」という語感からか、戦前には持ち上げられ、その反動で戦後に実在を否定する人もいる人物です。
しかしながら、この時代に倭国が朝鮮半島に出兵をしたことは中国側の資料からも事実であり、また応神、仁徳、履仲、反正と続く河内王朝、「倭の五王」へつながる人物として、日本古代史上の鍵を握る超重要人物の一人であることは間違いありません。
同古墳は全長270mの前方後円墳で、墳丘では埴輪の破片や葺石が確認されたとのこと。
そもそもこれが本当に神功皇后の墓なのか、それとも他の人物の墓なのか、本格的な学術調査により、被葬者が特定され、教科書が変わるような新しい歴史的事実が発見されることを期待します。
またこれをきっかけに、これ以外の陵墓の調査も進展することを、一古代史ファンとして、願って止みません。
今日のブログは途中で挫折しました
やっぱり僕は前の小学生の裸のほうが向いています。
昨日の記事があんまりだったので、ちょっとバランスとって見ましたが、、、ダメですか。