ブラスカル

元マラソンランナーですが、今や加齢と故障でお散歩専門、ブラタモリっぽく街歩きをしています。

初ハーフマラソンの記憶

2005-04-02 18:41:45 | マラソン・レース
私が初めてハーフマラソンを走ったのは、00年の4月。米軍厚木基地で行われた「まほろば国際マラソン」という大会でした。(この大会、残念ながら01年で中止になっちゃったみたいですね。)

1月に、何も知らずに、ジャージの上下で地元の10kmレースに出てしまい、ビリから2番という屈辱を味わった私は、心に固くリベンジを誓いました。
「ランナーズ」を購入し、市民マラソンの大会を研究、4月のハーフマラソンにエントリーして、まず退路を断ちました。
取引先の岐阜の会社の社長がランナーと聞いて、アドバイスを受けました。走歴3ヶ月でハーフに出ると言ったら、「2時間切れたら、まあまあじゃない。」と言われました。これで目標も決まりました。
(この方とは、以降3回、ご自宅に泊めてもらい、一緒に「いびがわマラソン」に出場しました。)

毎週末、練習もしました。15kmを3回走りました。走行距離は、月60~70km位でした。
それでも、当時としては、ハーフマラソンに向けて猛特訓しているつもりでした。笑っちゃいますね。
ランナーズのネット通販で、レース用の新合繊系のTシャツを購入しました。シューズは、香港出張時に買ったナイキの一応ランニングシューズ。ランニングウォッチの存在を知らず、ストップウォッチ機能のついているG-SHOCKを使用してました。

そしていよいよ当日、本格的な市民レースというものがどんなものなのか、全く分からなかったので、当時中2だった息子を荷物番に連れて行きました。
余りの人の多さにビックリ。初めてRCチップなるものを知り、こんなものでタイムが計れるのかと、死ぬほど感心したりしました。

そしていよいよスタート。参加人数は2000人以上、真ん中よりちょっと後ろに並んだので、スタートラインまで2分くらいかかりました。
沿道、といっても米軍基地の中なので、一般の応援の人はいません。でも、米軍関係者やその家族の方、自衛隊の人とかが一生懸命応援してくれます。ちょっといい気分です。
コースも、軍用機が止まっているだだっ広い滑走路など、見たことの無い景色で、なかなか楽しい。
とにかく良さそうなペースで走っている人に着いていき、10kmを55分で通過、いい感じです。でも、15kmを過ぎ、未知の距離に入ってから、かなりしんどくなってきました。
周りには歩いている人がかなりいます。自分は絶対に歩かない、そう自分に言い聞かせながら走り続けました。
ラスト2km、1km、キロ6分で行けば2時間を切れる、時計を見ながら必死に走りました。ネットタイム1時間59分27秒でゴール。感激の初完走でした。

しかしながら、後日郵送されてきた完走証を見てびっくり、というか、がっくり。総合2465人中2022位、部門別820人中705位でした。自分では、中の下くらいで走ったつもりだったのですが。。。市民ランナーというのは、自分が想像していたより、ずっと速いということを、思い知らされました。
自分は、息子が悪い成績を取ってくると、「勉強は努力、努力が足りない。」とか言ってました。「努力が足りないのは自分じゃないか。」
息子は、学校のマラソン大会で、6kmを29分台で走っていました。
ここは、一丁、練習して、レースではせめて中の上くらいで走れるようになって、ついでに息子よりも速くなって、「努力は才能に勝る」ということを身をもって証明してやろうじゃないか。

それから随分時間が経ってしまいましたが、何とか「中の上」にはなれました。今は、もう一段上を目指したい、と思っています。
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1 コメント

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初ハーフ マラソン (走る9番ライト)
2005-04-03 15:47:32
初マラソンのショックもさることながら、むしろこちらの衝撃のほうが大きかったのではないでしょうか。自分では内心では「まぁまぁ」と思っていたのが、実はそうではなかった、というのは、結構こたえますよね。僕は高校時代に数学で同じ経験をして、そのショックから結局立ち上がれなかったような思い出があります。RASCALさんは、苦い経験をされるたびに唇を噛みながら立ち上がる、その足跡が見事です。

よし、僕もその後を追って走ります。
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