政局、どうなっちゃうんでしょうね。
地方選挙は民主党大敗、一時補正予算も成立したし、そろそろ動きがあるんでしょうか。
私は、首相の条件って、以下の3つだと思います。
1)信条、ビジョン
2)リーダーシップ、人望、カリスマ性
3)強さ、したたかさ
最近の首相で、この3つを持っていた人って、やっぱり小泉さん。
基本的に市場主義者、財政再建とそのための規制緩和、民営化、彼の政策はすべてに一貫性があったし、短期のみならず中長期の、決して実現不可能ではないビジョンもありました。
リーダーシップについては、小泉内閣で大臣を歴任した竹中平蔵さんの講演会でこんな話を聴きました。
政治家でも党員もなかった竹中さんのところへ、小泉さんがこう電話をかけてきたそうです。
「永田町は大変なことになっている。毎日がすごい戦いです。どうです。あなたも、こっちに来て一緒に戦いませんか。」と。
その後、一向に経済が上向かず、批判にさらされていた竹中さんに、毎日のようにこう電話をかけてきたそうです。「責任は私にある。あなたは、あなたの思うとおりにおやりなさい。」と。
丸投げといえばその通りですが、権限は委譲しても責任は委譲できない丸投げって、すごく難しいんです。つい口出ししたくなってしまう。
それに権謀術策も上手かったし、野党やマスコミの追求に対する切り替えしもしたたかだった。
それに比べると、安倍さんは、信条、ビジョンはあったけど、強くなかった。
福田さん、麻生さんはビジョンが見えなかったかな。
鳩山さんは、政治理念は感じるけど、足が地に着いていない理想主義者なんだと思う。
普通、理念・信条→ビジョン→目標→計画の順にやるべきことを具体化していくんだけど、彼の場合は理念から一気に計画に来てしまう。だから出来ない。
菅さんは人望、押取り刀で駆けつける剣豪みたいな役回りが似合う人なのでしょう。
今解散総選挙はないだろうから、次期総理は常識的には民主党の中からということになるけど、そうなると「例のあの人」になるのだろうか。
小沢一郎が自民党を離脱したのは93年、この頃の政治は全く民主主義ではなかった。
自民党は、政権与党となることについては一致団結するけど、選挙に勝ったあとは派閥政治、すべては国民を無視した永田町の力学で進められていました。
高度成長期はこれでよかった。与党に求められるのは安定と方針の一貫性、親米路線を続けることであり、実際の国の運営は優秀な官僚による官民一体体制、これで日本は急成長を遂げました。
しかしながら、高度成長が終わった後も、自民党は変れなかった。
小沢さんはそれが我慢できなかった。ちゃんとした議会制民主主義を志して宮沢内閣に不信任案を突きつけ、自民党を飛び出した。
一旦は細川さんを首相に連立政権を樹立、自民党を与党の座から引き摺り下ろしたけど、社会党の村山さんを首相に据えるという、恥も外聞もない自民党の逆襲にしてやられた。これには小沢さんも唖然だったでしょう。
これでまた政治は昔に逆戻り、その村山内閣の体たらくは忘れられません。阪神淡路大震災の際には、自衛隊に出動命令も出さず、海外の救援隊も受け入れずに事態を傍観した、最低の内閣でした。
その時代遅れの自民党政治を内側からぶち壊したのが小泉さん。
でも、普通の議会制民主主義って、理念が根付いていない日本ではやっぱり難しいのでしょう。まともに首相が務まったのは小泉さんだけです。
小沢さんの政治信条は、多分民主党のマニフェストとはちょっと違うところがあったんじゃないかと思います。
政策面では、鳩山さんとかに任せて、あまり口出ししなかったんじゃないかな。
今までの彼の著作や言動からして、彼の志す政治は、おそらくごく普通の、でも決してポピュリズムではない、大人の民主主義なんじゃないかと思います。国民にも応分の負担と責任を求める、真っ当な政治。
私は、彼は信条も強さも持っていると思っています。
あとは人望ですよね。彼、国民やマスコミから人気ないからなー。
地方選挙は民主党大敗、一時補正予算も成立したし、そろそろ動きがあるんでしょうか。
私は、首相の条件って、以下の3つだと思います。
1)信条、ビジョン
2)リーダーシップ、人望、カリスマ性
3)強さ、したたかさ
最近の首相で、この3つを持っていた人って、やっぱり小泉さん。
基本的に市場主義者、財政再建とそのための規制緩和、民営化、彼の政策はすべてに一貫性があったし、短期のみならず中長期の、決して実現不可能ではないビジョンもありました。
リーダーシップについては、小泉内閣で大臣を歴任した竹中平蔵さんの講演会でこんな話を聴きました。
政治家でも党員もなかった竹中さんのところへ、小泉さんがこう電話をかけてきたそうです。
「永田町は大変なことになっている。毎日がすごい戦いです。どうです。あなたも、こっちに来て一緒に戦いませんか。」と。
その後、一向に経済が上向かず、批判にさらされていた竹中さんに、毎日のようにこう電話をかけてきたそうです。「責任は私にある。あなたは、あなたの思うとおりにおやりなさい。」と。
丸投げといえばその通りですが、権限は委譲しても責任は委譲できない丸投げって、すごく難しいんです。つい口出ししたくなってしまう。
それに権謀術策も上手かったし、野党やマスコミの追求に対する切り替えしもしたたかだった。
それに比べると、安倍さんは、信条、ビジョンはあったけど、強くなかった。
福田さん、麻生さんはビジョンが見えなかったかな。
鳩山さんは、政治理念は感じるけど、足が地に着いていない理想主義者なんだと思う。
普通、理念・信条→ビジョン→目標→計画の順にやるべきことを具体化していくんだけど、彼の場合は理念から一気に計画に来てしまう。だから出来ない。
菅さんは人望、押取り刀で駆けつける剣豪みたいな役回りが似合う人なのでしょう。
今解散総選挙はないだろうから、次期総理は常識的には民主党の中からということになるけど、そうなると「例のあの人」になるのだろうか。
小沢一郎が自民党を離脱したのは93年、この頃の政治は全く民主主義ではなかった。
自民党は、政権与党となることについては一致団結するけど、選挙に勝ったあとは派閥政治、すべては国民を無視した永田町の力学で進められていました。
高度成長期はこれでよかった。与党に求められるのは安定と方針の一貫性、親米路線を続けることであり、実際の国の運営は優秀な官僚による官民一体体制、これで日本は急成長を遂げました。
しかしながら、高度成長が終わった後も、自民党は変れなかった。
小沢さんはそれが我慢できなかった。ちゃんとした議会制民主主義を志して宮沢内閣に不信任案を突きつけ、自民党を飛び出した。
一旦は細川さんを首相に連立政権を樹立、自民党を与党の座から引き摺り下ろしたけど、社会党の村山さんを首相に据えるという、恥も外聞もない自民党の逆襲にしてやられた。これには小沢さんも唖然だったでしょう。
これでまた政治は昔に逆戻り、その村山内閣の体たらくは忘れられません。阪神淡路大震災の際には、自衛隊に出動命令も出さず、海外の救援隊も受け入れずに事態を傍観した、最低の内閣でした。
その時代遅れの自民党政治を内側からぶち壊したのが小泉さん。
でも、普通の議会制民主主義って、理念が根付いていない日本ではやっぱり難しいのでしょう。まともに首相が務まったのは小泉さんだけです。
小沢さんの政治信条は、多分民主党のマニフェストとはちょっと違うところがあったんじゃないかと思います。
政策面では、鳩山さんとかに任せて、あまり口出ししなかったんじゃないかな。
今までの彼の著作や言動からして、彼の志す政治は、おそらくごく普通の、でも決してポピュリズムではない、大人の民主主義なんじゃないかと思います。国民にも応分の負担と責任を求める、真っ当な政治。
私は、彼は信条も強さも持っていると思っています。
あとは人望ですよね。彼、国民やマスコミから人気ないからなー。
だから、意思決定ができない。
神の意思による災害は天災、人の意思によるものは人災。
意思という概念がなければ、天災と人災の区別も定かではない。
人の行動を納得できるものに改めることも容易ではない。
指導力は、指導者の社会意思の決定力である。
意思そのものがなければ、社会問題は指導者による解決を見ない。
「首相はオーケストラの指揮者だが、誰も指揮者を見ていない」ということは、一個人の意思に構成員が意識を集中できないことを意味している。
問題を解決する能力のない人たちが、事態を台無しにする力だけを持っている。だから、世の中は難しい。
問題を解決しようとしても、先送りと積み残しに終始する。なりゆき任せになる。
「そのうち、何とかなるだろう」ということか。
未来の内容が定かに考えられないと、起こる事態は想定外のことばかり。
目の前に事態が現われてからでは、その対策は後手後手に回る。
未来のことは、未来時制の構文の中で述べられる。
日本語には、時制がなく、未来時制もない。
だから、その計画も場当たり的というか、行き当たりばったりになる。
日本人は、拙速主義である。場当たり的なトントン葺きの家づくりが得意である。
大ブタさんのわらの家をつくる。災害に強い小ブタさんの煉瓦の家は作らない。
作る暇などないからである。
日本人は、過去と未来に挟まれたごく狭い時空の中にあくせくと生活している。
精神を集中すると、その刹那も永遠に見えてくる。
前後の見定めのない自分の話が永遠の真理を話しているような気持ちになるところが不思議なところである。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812