Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

渡り鳥の旅 ヴァレンシア

2012-11-12 17:57:42 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

 

朝から曇っていたが、まさか雨が降るとは思っても見なかった。昨日まで良い天気だったし何しろ暑かった。昨年今頃この町へやってきて只1日だけ観光に来て大雨に降られ、ひどい目に会った。そしてまた今年も同じケース、バスで町の中心に当たる駅近くへ着き、闘牛場の前からかって歩いた町の散策に出かけたところ”あーまた雨”小雨の間に昨年感激した陶器博物館の前で素晴らしい外観を写真に撮る。

  

ここは昔アグアス伯爵宮殿を改造して博物館にしてあるもので中も素晴らしいけれど,二回見て歩くほど時間が無い。

 




雨はだんだん激しくなり建物の軒先をたどりながら、昨年見逃したロンハ(Lonja)へ逃げ込んだ。

ロンハは中央市場の向かいの15世紀の巨大なホールで、当時のストック・イクスチェンジにあたる。現在では世界遺産に指定されている。この日が日曜日だったことを忘れ、中央市場やスーパーマーケット、ほとんどの店は閉まっていたが、ロンハは週末は入場只だと言う。雨宿りも兼ね、たくさんの観光客があちこち写真を撮っていた。



やっと小止みの間に近くに開いているストリートマーケットで一番安い折りたたみの傘2本を買って(キャンパーの中には4本も傘が納まっている。)、地図を頼りに博物館へ。
まず入ったところが、考古学博物館で本当はトイレを借りたかっただけ。
受付の女性がにこやかで、親切だったから断れなくて全館見て廻ることになった。石器時代から青銅器、ローマ時代などの遺物が奥行き200メータくらいの2階に渡って展示され、途中で親切な案内の女性から英語の案内書など貰い、ゆっくり時間をかけることになってしまった。



なかなかきれいな博物館で、考古学も良いがその反対側のヴァレンシア・カルチャー博物館がとても良かった。展示に趣向を凝らし、床から壁がヴァレンシアの地図の映像だったり、過去からの男女の衣服など興味深い。この博物館の中庭に巨大なゴムの木は2本生えていてすごーい迫力。この博物館は入って良かった所だった。

  

この博物館の裏側のIVAM(Institute Valencia of Art Modern)が目的地だったがほんとにモダーンアートというのは判らない。
建物の地図を下さいと言ったらくれたのが各部屋に展示されている画家のブローシャーで5枚もくれた。
フリオ・ゴンザレスの作品はオブジェなのだけれどそれぞれタイトルがついている。この作品は判らないながらも面白く、ハーレクィン(ピエロ)だと書いてある。なんとなくそんな気もするが・・・・

一部屋が中国人リャン・ビンビンの作品で巨大な塔や長骨などが張子のようになっていて中から明かりが灯っている。亭主は何だコリャ。と言っていたけれどたいしたものだと私の感想。

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渡り鳥の旅 ヴァレンシアへ

2012-11-12 17:55:28 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

バルセローナのキャンプサイトには4泊して晴天には一日洗濯物を干し、マタロの町へショッピングに行ったりとのんびりした。

さてバルセローナのキャンプサイトは11月7日で閉まる予定だったが11日まで延ばしてくれたからのんびり出来たものの、また南へ行かねばならぬ。(これぞまさしく南へ向かう渡り鳥と同じ。)
バルセローナのサイトの受付の若い女性二人は、英語、フランス語、ドイツ語も達者で、英語などよどみが無い。スペインは4つの言語からなる多民族国家で、このカタロニア地方はカタロニア語、スペイン語はマドリッドが中心、他に2ヶ国語がある。1977年のフランコ将軍の独裁政治が終わるまで、スペインではスペイン語以外の使用を禁じられた。
最近ではバスク地方(北東地方)がスペインからの独立を求めて戦っている。



このバルセローナからヴァレンシアへの通りの表示がスペイン語とカタロニア語で書かれている。テレビでも地方の放送局はカタロニア語のニュースを流し、すこしスペイン語の判る亭主が全然わからないとこぼしていた。

  

途中の海岸線で一泊したけれど、町から遠く散歩にしてもオリーヴ畑と崖のもろい海岸線で行くところが無くて翌日ヴァレンシアの南5kmのキャンプサイトへ落ち着いた。



  



ヴァレンシアは昨年、このモダーンな建築群の一角の水族館を訪れたが、キャンプサイトはこの前の道路を通って車で15分の田舎にあり、何とこの周囲が水田になっていた。




昨年イギリス人からこの地域で稲の栽培をしていると聞いていたが、彼もそれが水稲なのか陸稲なのかは知らなかった。
スペインのパエリヤに使う米は丸くて大きく、やや日本米に似ている。従って水田なのが実際に見てわかった。

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渡り鳥の旅 バルセローナ カタルニア・ナショナル美術館

2012-11-12 17:53:21 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013


  

  


この広大な美術館は1920年代エキスポの為に建設された。建物内部を見るのなら入場料はいらないと言われて入った。期待しないで入ってみたが、玄関の広い空間にはとっても気持ちの良い黒皮のソファーがあちこち置かれ、疲れた足を休めるには最適。
最奥には大聖堂の様にきれいな天井と大きなパイプオルガンが設置されている。大きな天井を支える太い柱はすべて彫刻が施されて過去の栄華を思い起こさせる。



2階のドームの天井は最近の絵らしく今までいろいろな教会や大聖堂で見かけたドームの絵よりモダーンだった。

最近の公共建築物はほとんどが有料だが、ここスペインの美術館はは65歳以上は入場無料とのことで、大喜びで入った。

初めに入った部屋が近代、モダーン・アートだった。多くの絵や彫刻のほとんどがスペイン人、特にバルセロナ出身の画家や芸術家の作品で19世紀半ばから20世紀半ばの作品が多い。
過去8年間、機会あるごとにヨーロッパの各国美術館を巡り歩いて感じたことは、どこでも1850年から1940年位までに描かれた作品が一番心に残っているし、受け入れやすく自然な絵が多い。中世までは宗教画のみだったし、ルネッサンスと言われる16から18世紀ごろまでもバイブルをベースにした想像画が圧倒的に多い。

19世紀半ばから宗教を離れた自然の風景や、人物像などが描かれそれも爆発的にヨーロッパ中の地方の画家によって描かれた結果かと思われる。それと当時の芸術の中心であったパリでは印象派が大活躍していたためだろう。


  

この2枚のパネルはガスパー・ホマーと言う人の1909年の作品で多種類の木をモザイクにして絵にしたもの。この時代はアート・ヌボーの盛んな頃、典型的な絵。

2枚目の絵はラモン・カサス(バルセローナ出身、1866年ー1932年)の題名”タンダムに乗っているラモンとペレ・ロメウ”1897年の作品で私が一番気に入った絵、まるで漫画のようでユーモアがある。当時では革新的な絵だっただろう。

  


3枚目の作品は特に好きなわけでは無いが、どうやって毛皮の毛の感じが油絵で出せるのだろうか?と接写してみたが判らない。バルセローナ出身のフランシス・マスリエラ(1842年ー1902年)の1882年の作品。



このぼろをまとった男の子が泣いている彫刻は哀れを誘うのになぜか微笑みたくなる作品で、バルセローナ出身で後にブエノスアイレスに移住したトルクアット・タソー(1852年ー1935年)のブロンズ像。泣いている表情がとてもうまい。

  

このテラコッタの女人像は高さ30cmくらい、衣類の細かなレースの浮き彫りにあっけに取られた。どうやってこのような作品が生み出されるのだろう。この像もバルセローナ出身のロッセンド・ノバス(1841年ー1891年)の作品。



この天使の絵はロンドンのテート・ブリテンの美術館にとっても似通った絵がある。
画家はArcadi Mas I Fondevila(1852年-1934年)でバルセロナー出身。 来年帰国したらテートへ行って是非確かめてみたい作品。 どなたか興味のある方は行って見て下さいませんか。



この絵は一目見てアルフレッド・シスリー(1839年ー1899年)の絵と判る。彼はパリ出身の画家で印象派の一人、セーヌ川ぶちやイギリスの通りなど静かな絵を描いた。私の好きな画家の一人。



このイスはアントニ・ガウディ(1852年ー1926年)のデザインによるもので、この天才設計士、家具デザイナー、芸術家だった彼は、あらゆる家具調度品のデザインを試みた。
それがまた素晴らしいデザインばかりで、このような天才の頭の中はどうなっているのだろうと思ってしまう。



 
今では誰でも一目でわかるピカソの作品が一枚だけこの美術館にあった。マラガ生まれのパブロ・ピカソ(1881年-1973年)は生きている間に有名・財を成したまれな画家で子供時代から絵の天分あり、このようにグラフィックされた絵を描くようになったのは後年になってからだ。若い頃の絵はまともだけれど真似が出来ないほどうまい。



このキリストの彫刻は1500年代に無名の彫刻家によってアレマニアで作られた。いかにもスペイン人によると思われる作品。

こうしてみると好みの作品がやっぱり19世紀から20世紀にかたまってしまう。しかしこの美術館にはにはロマネスク(11-13世紀)、ゴシック(13-15世紀)ルネッサンス・バロック(17-18世紀)の絵画、彫刻が数知れず展示されている。

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渡り鳥の旅 バルセローナ2日目

2012-11-12 17:51:20 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013

  


2日目も10時にカタルニア広場に着いた。すぐ地下鉄の駅に行く。この地下道が長くて一体本当の駅はどこにあるのだろうと思った。雨降りの日には地下道を歩くのはいいかもしれないが、秋晴れのこの日、地下鉄で移動するのは早いけど、外が見えないのはつまらない。

地下鉄で4つ目の駅でおりた。ここからエスカレーターが山に向かっていると言うから歩けども歩けどもなかなか行き着かない。急な坂道を行くと最初のエスカレーターは壊れていたらしい。前を行くおじいさんは足が悪くびっこを引きながら息を切らして急坂を登っていった。

途中からエスカレーター3回に乗り継ぎ頂上に着いたのはグエルーパーク。ガウディが設計し世界で只一つの変わった憩いの場だ。ここも8年前に来たことがあるが公園の頂上まで登ったのは初めて。バルセローナが一望に見渡せる。若い日本人の男の子が堂々漫画を読んでいて、我が亭主はこんなところまで来て如何して?と不思議がっていた。

    

  

色とりどりのタイルを細かく砕いてモザイク状に張り合わせた公園のベンチはアイデアが素晴らしい。雨が降ると水はベンチの外の溝から小さなガーゴイルに流れ落ちるように設計されている。

  

今日もたくさんの観光客がこの公園で憩い、アフリカ系の物売りが警察の目を盗んでお土産、小間物売りにいそしんでいる。
黄緑色にブルーの羽を持つコクツー(オウムの小さいもの)は今ではヨーロッパのほとんどの国で見られるが、ここでは椰子の木に巣を作ってその姦しい事。この鳥オリジナルはオーストラリアだと思うが、ヨーロッパの気候にうまく順応して増えに増え、南国スペインからドイツまでどこでも見られる。

  

この公園の一角にガウディが住んでいた家があり今では博物館になっている。今回はゆっくり探して見ることが出来た。スペイン1の設計士、芸術家であったガウディにしてはつつましいくシンプルな家で、この机でサグラダ・ファミリアの設計もしたのかと感に打たれた。



午後早くカタルニア広場へ戻り、スーパーで昼食用のパンやハム、サラダなど買い、観光案内所でオリンピックスタジアムへ行く地下鉄駅を聞いたところ、地下鉄2日券はバスも乗り放題。バス55番がそこまで行くと言う。

  

明るい日差しの中、スペインの町並みや広場をバスの窓から見ながら、バルセローナ南西の岡へ登っていった。終点がオリンピックスタジアムで、すぐに中を見渡すことが出来た。ロンドンのオリンピックスタジアムを知らないから見比べることが出来ない。なんとなくなーんだ、このサイズか。と思ったのは不遜か。それにしては警備の人も居ず、誰でも通りすがりに見ることが出来るスタジアムはいいのだけれど、いつも使われていないのは無駄ではないか?スタジアムの近くのテレコムタワーはデザインが素晴らしい。さすがスペイン。

  

ここから歩いて数分、素晴らしい建物に行き着いた。初めは教会か大聖堂かと思ったのにこれがカタルニアナショナル美術館と知って大喜び。いいところへたどり着いたものだ。

  


美術館内部の写真は次回に譲って、夕方5時過ぎ美術館を出るとゆっくり下界へ降りていった。本当に美術館内で世間を忘れて素晴らしい絵を見ている時は、天国にいるみたい。

  

  


美術館から町へ降りてゆく途中にはマジック噴水なるものがありこれは時間が限られている。これは1929年のエキスポに作られたもので、噴水と同時に音楽もなるらしい。冬は金、土曜日の7時から9時まで4回と書いてあるから相当なショウのようだ。



これはカタロニア広場の噴水

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渡り鳥の旅 バルセローナ1日目

2012-11-12 17:18:55 | キャンプ旅行ヨーロッパ各地 2012-2013



 


8年前に訪れたこの地を図らずもまた訪ねることになった。キャンプサイトからバルセローナのカタロニア広場までキャンプサイトの無料バスが往復している。
朝9時15分サイトを出発して約45分で広場に着き、夜7時にバスが迎えに来てくれる。

その間各自それぞれ自由に町の観光に出かけてくる。ヨーロッパを車で自由に旅行したい人には、キャンプサイトのバンガローに宿泊してこのような無料バスを利用できればずいぶん安くて楽しいたびが出来る。

 


カタルニア広場へ着くとすぐに見つけた観光案内所で地下鉄2日券(13ユーロ)と地図を貰い、まずは近くにあるピカソ博物館へと歩いた。途中にバルセローナ大聖堂がありミサの真っ最中。ここは大きくて、ミサも後ろの入り口のほうは見えないからあちこちにテレビが備え付けられて中継していた。この聖堂はつい先週見たフランスの大聖堂2軒より豪華、巨大で高窓のステインドグラスが素晴らしい。

そこから歩いて10分ほど、ピカソ博物館へ着いてみてびっくり。狭い通りに面しているチケット売り場に延々と並んでいる観光客。私があっけに取られている間にも列はどんどん長くなってゆく。11月になって一体どこからこんなに観光客がやってくるのだろうか?

  

すっかり諦めて、地下鉄でもう100年前から建築中のサグラダ・ファミリアへ行った。
8年前に来た時は後20年もすれば出来上がると言われていたが、そのときは床も完成していなくて天井を作りかけており、ステインドグラスは入り口の両サイドだけだった。
それでも教会嫌いの亭主が、”これが完成した時にもう一度見てみたいものだ”と言ったのを今でもおぼえている。

地下鉄駅を出てみる切符売り場の前から長ーい行列、これじゃピカソ博物館のほうが良かったかもと悔やんだけれど行列の最後尾に着いた。昨夜インターネットで調べてみたがこのサグラダ・ファミリアがバルセローナで一番観光客が集まるところだと言う。真夏の炎天下で1時間以上も長い行列を作る人のため、水と帽子を忘れないようとの注意書きがあった。11月でも太陽が出れば結構暑い。もちろん帽子も飲み物も持参で列を作った。

いらちの亭主はこんなところで1時間も並ぶのは嫌だ、とごねていたけれど”私にはここを見るためにわざわざバルセローナまで来たのだから、貴方が嫌なら好きなところへ行ってきたら?後で時間を決めて会いましょ。”と言ったもので諦めて黙ってしまった。

  

  


行列は思ったよりも割りと早く、35分ほどで、門をくぐることが出来た。正面玄関のモダンなキリスト像は8年前にも出来上がっていたから目新しいものではなかったが、玄関の扉を入ったところであまりの明るさ、華麗さ、あふれる色彩と光の調和、素晴らしい完成度に大感激思わず涙があふれた。わずか8年で教会内部は95パーセントは出来上がっており、天井も周囲のステインドグラスも祭壇もどこを見ても言葉に出来ないほどの素晴らしさ。

  

2年前の11月バチカンのローマー法王、ベネディクト16世によってここサグラダ・ファミリアは神に捧げられバシリカに成った。

  

  


この8年間どんなにたくさんの人が建築に加わったのだろうか。日本人の彫刻家がここに加わっていると報道されていたことは知っているが・・・。ヨーロッパのあらゆる国で多くの町で教会や大聖堂を見て歩いたが、これほど明るくモダーンでそして荘厳な聖堂を見たことはない。これぞ21世紀の聖堂だが、設計したガウディは90年近く前に亡くなっている。

  

  

1926年交通事故でなくなったガウディは身寄りが無くあまりにみすぼらしい姿のため3日間ホームレスの人達のように身元不明で安置所に置かれたそうだ。
そんなことを思いながらこのバシリカを見て周り今もガラスにステインドグラスを取り付ける工事中の人達の写真を撮りながら、ガウディがどんなに喜んだことだろうと思い巡らした。

あれほどごねた亭主が”やっぱり来て良かった。8年前を思い出した。あの時とはなんと言う違い、あの時は工事現場だった。”と感激していた。

  

裏の外壁の彫刻の中になんとなく日本人の親子のような顔が見えるが、もしかして日本人の彫刻家の作品かも知れない。

バシリカを出た午後2時半、切符売り場の行列は5分の1に短縮していた。これじゃピカソ博物館もあまり人がいないかも知れぬと思い立ち、昼食もそこそこに博物館へいそぐ。
途中に素晴らしい建物を見つけた。

  

なんとなくアラビア又はトルコ風なデコレーションで、地図に拠ればミュージカル・シアターと書いてある。残念ながら閉まっていて内部を見ることは出来なかったが、通りかかる観光客が皆立ち止まって写真を写していた。

ピカソ博物館は彼の子供時代からの作品が展示され、天才は子供時代からなのだと思い知らされた。以前は彼の歪曲した人物画などを見て如何してこれが良いのだろうと思ったものだが、今では感心してみている自分に驚く。

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