スペイン時間の午後4時から乗船、こんな真冬でも帰国するキャンパーが20台ほど行列を作っていた。
フェリーはスペインへ向かった時のよりも小型で、時間も29時間と書かれてあったが実際は30時間を超えた。
大型トラックはオープンデッキに駐車している。私たちのキャンパーは5階の巨大な車庫に駐車、ガスを消すように言われて、冷凍冷蔵庫も駐車時はガスで稼働するが、全部切ってしまった。
私たちのキャビンも同じ5階で、いつも上り下りの押し合いへし合いがなかった。
レストラン以外でユックリ座ってリラックスできるところはこの船の前方と10階の後方図書室だけ。
インターネットは全船でできるとブローシャーに書いてあったが、実際はキャビンではできず、公共の場だけと言われた。
各階の壁に面白い絵が飾られてあって、これくらいがエンターテインメント。
子供の遊び場
私は以前から船酔いがひどくて、今回も乗船する前から酔い止め薬を飲み両手首に酔い止めの圧力バンドをしていた。だから30時間のうち20時間は何も食べず熱いミルクコーヒーを3回飲んで寝たり起きたり。
スペインからブルターニュの西最先端までの20時間くらいはビスケー湾と呼ばれる荒波で有名なところで、この夜も海があれると注意のアナウンスがあった。もちろんその時は私はぐっすり眠っていて船の横揺れも知らなかった。
上の写真はフランスの最西端を通り過ぎたところで、亭主が陸が見えるとキャビンの窓から写してくれたもの。
キャビンの中のただ一つの色彩がこの絵、初めはなんだ子供の描く絵みたいと思って眺めていたがだんだん気に入って、私も真似して書いてみたいと思うようになった。
フェリーの緊急時にはこの小さなハンマーで窓を割って脱出との注意書き、こんな小さなハンマーで普通荒波にも割れないガラスが割れるだろうかと二人で議論した。人間必死な時にはどんな馬鹿力が湧くかも判らないと結論。
フェリーは夜8時にカフェーもレストランも閉まり、テレビもなし、エンターテインメントが一切なくて、亭主は飽き飽きしたとこぼしていた。
私はベットのマットレスが柔らかすぎて、20時間も寝ていたら腰が痛くなって、それから1週間も腰痛に悩まされた。
最後の10時間は酔い止め薬も飲まず、起き上がってシャワーに入ったり、、図書室の硬い椅子でインターネットを開けてみたりで、亭主がこんな元気な私を見たことが無いと驚いていた。
日曜日の夕方5時(英国時間の4時)に出航して着いたのは月曜日の夜10時過ぎだった。