Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

祝賀パレード

2012-09-13 14:51:55 | ロンドン周辺



昨夜パラリンピックの華麗な閉会式があった。オリンピックが始まる前まで、警備の不備や交通機関に働く組合のストなど腹の立つことばかりが続いて、不安とテロに対する恐れが反オリンピック開催をあおっていた。
それがどうだ。オリンピック開会式からパラリンピック閉会式までの英国メディアの熱狂振り、そしてそれに答えるように次々更新される世界記録や、オリンピック記録、開会、閉会の式典の素晴らしさなど英国に住んでいて良かった・・・と在英日本人ならほとんど感じたはず。今回ほど英国の底力を感じたことは無かった。

月曜日にもかかわらず、マンションハウスからバッキンガム宮殿まで、オリンピック、パラリンピックそしてその期間ボランティアとして活躍した人達のパレードが有った。ロンドン市内は総勢100万人の熱狂的な観客であふれた。

私もその中の一人、お昼にプラットフォームで電車を待っている時に、この夏一番見慣れたボランティアの制服を着た女性が隣に立っていた。いつもは知らない人に話しかけるほど勇気がない私だが、このときは嬉しくなって ”貴女もパレードへ行くの?”と聞いたところ ”残念ながら今から家へ帰るところ”
との返事。彼女は英国中央部リンカンシャーから今年の休暇を全部充ててブランティアに応募したと言う。
オリンピック、パラリンピックの期間中この駅近くの友達の家に寝泊りしてボランティア活動を続けた。ロンドン以外からの人達も多数いてホテルから通ったと言う話も聞いていたから、彼らの熱意には大いに心揺さぶられた。電車の中でもロンドンブリッジに着くまでの20分足らず、彼女は写真やボランティアのお礼にもらったと言う銀色メタルのバトンを見せてくれた。一生の思い出になると目を輝かせていたので写真を撮らせてもらい私のブログに乗せるからと断っておいた。

明日からまた仕事に戻らなければ・・・・と残念そうだったがGood Luck!!!と手を振ってロンドンブリッジで降りていった名前も知らない素敵な女性。




パレードは1時半開始、ちょうどオフイス街の昼食時だったからパレードを一目見ようと言う人々で歩道も道路もあふれている。1時すこし廻ったところでセントポール寺院の側面道路で友達と待ち合わせた。私たち二人ばあさんの体面をかなぐり捨てて、一段高い石段の後ろに立たせてもらい、カメラを構えて待ち受ける。
石段に陣取っていた年寄り夫婦は今朝9時半から待っていたと言う。セントポール寺院の側面テラスにセントポール神学校や小学校の生徒たちがつめかけユニオンジャックを振って大歓声。真向かいにテレビカメラが備えられていたからその熱気のすごいこと。


 

2時過ぎ先導の騎馬警官に続いて、ドラムの音と共に下の写真の飾りのようなものが通り過ぎた。観客でほとんど見えないから本当に何か判らなかったが、英国選手団の象徴ライオンで有ったらしい。



21台のオープンカーに750人のオリンピック、パラリンピック選手が乗って車はゆっくりと進んでゆく。そして彼らを迎える沿道の観客の熱狂振りがすごかった。一台目に乗っているはずの中・長距離ランナーのモー・ファラーは車の反対側にいてみることが出来なかったが、女子5種目で金メダルを取った美人のジェシカ・エニスとその横に座っているデビット・ウィアーの写真が撮れた。



次々に通り過ぎる選手たちの中にはテレビでよく見た有名選手がいて、もう名前が出てこない。”ほらほらあれあれ”で行ってしまう。ペキンオリンピックの自転車競技で金メダルを何個も取ってサーの称号を持つクリス・ホーイが行った。



今年18歳になって飛び込みで銅メダルを貰って大喜びのトム・デイリーは若い女性の憧れの的。”トム、結婚して”と書いたプラカードがあちこちに上がり、テレビのインタビューアーが”あんなにたくさん求婚されているんだよ” からかっていた。もう一枚の写真はトムが4年前ペキンオリンピックから帰った時のパレードで撮ったもの、まだ14歳で子供子供していたが4年で立派な若者になった。





私の一番のお気に入り、トライアスロンで金メダルを取ったアリスティア・ブラウンリーと銅メダルを取った弟のジョニー・ブラウンリー、万歳!!! 彼らの写真が写せた。この兄弟はハイドパークでの水泳、サイクリング、ランニングのタフで過酷なレースで優勝候補だったが、はじめから最後まではらはらしながらテレビに釘付けだった。弟のジョニーが泳ぎからサイクリングに移行するときに、30秒くらい早く出てしまってペナルティーに、ランニングの最、途中で30数秒止まらなければならなかった。
かろうじて3位入賞を果たしたもののそのまま倒れて起き上がれず医療班に世話になって、授賞式も遅らせたからずいぶん心配した。急激な運動から静止状態に入ると心臓に良くないことがよく判った。



21台のオープンカーが通り過ぎると今まで熱狂的に旗を振って叫んでいた群衆は急にいなくなってしまった。皆オフィイスの午後の仕事へ戻っていったのだろう。私も片道30分の電車で帰宅してすぐテレビを見たが、21台はまだトラファルガー広場へ着かない前だった。あーあー、トラファルガー広場へ行かなくて良かった。ものすごい人で身動きできない様子だった。

ザ・モールからバッキンガム宮殿は一般立ち入り禁止で、ここはボランティアの招待席だった。ロンドン市長ボリス・ジョンソンや首相デビット・キャメロンのスピーチの後、宮殿の上空に9機のレッドアローが赤、青、白の煙を残して飛び去った。さすが大英帝国だとまたまた感激 !!!!。

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