Reiko's Travel 記事と現在の英国事情

在英51年、2020年7月未亡人になって以来、現在英国事情と過去の旅行の思い出を記載。

娘の結婚式 その1

2013-06-09 23:12:56 | 英国内のこの頃



今回 英国の結婚式の様子を書こうと思ったが、4月に行われた我娘の結婚式は英国の平均的な結婚式ではなかったから、タイトルも娘の結婚式と題した。

長年同棲し、大きな家まで共同で購入していた娘が昨年秋、ホリデーに行っていたカナダで婚約したと報告して来た。こちらにすれば何をいまさらと言う思いだったから、レジスター・オフィス(結婚登録オフィス)で簡単にすればと思っていた。ところが彼女のアイルランド人のボーイフレンド・パトリックの両親が厳格なカソリックときている。
カソリックの教会で結婚式を挙げないと認められないという。

ニューヨークに住んでいるパトリックの弟は数年前に今の奥さんと二人だけで結婚式をあげたそうだが、両親の逆鱗に触れて、昨年正式にカソリックの教会で挙式させられた。

無宗教の私たち夫婦からみるとそれほど宗教が大切なものかと思ってしまう。カナダから帰ってきた娘は結婚式をデボンのヴィクトリア時代のお屋敷で行うと宣言。ロンドン周辺の公民館かホテルでいいじゃないのとの私たちの言葉には耳も貸さず、デボンに決めたと言う。
そのお屋敷はロンドンから高速で早くて4時間、道路渋滞にあって6-7時間もかかったお客も居たから半端じゃない。そんなところを週末2回も下見に行って娘は4月に挙式を決めてきた。

英国では教会で結婚式を挙げるにはその教会のある地域に1週間以上滞在していなければ結婚証明書の発行ができない。また教会の牧師さんと宗教問答をしなければならない。ケントの中学・高校(11歳から18歳)で宗教学の教師をしている娘にはそれはお手の物。ところで結婚証明書を発行できるデボンのレジスターオフィスともアレンジして、教会挙式の前に登録書記官がお屋敷に来て挙式してくれることになった。

結婚式はデボンでも、式の1週間前から娘の住んでいる地域の市役所に結婚の表示がされる。その間に文句のある人は連絡してくださいとのことで、重婚を防ぐためだと言われる。

 

さてこのお屋敷はベッド数30、総勢72人の人達が宿泊できる。ホテルのようだが違うのは丸々一軒を借り受けるので招待客以外の人達は入館できず、まだ大きなキッチンで自分たちでクッキングができる。
料理が趣味で今まで何度も100人分くらいの料理を頼まれていた娘は、自分で披露宴の料理を全部作ると言う。

何時までも冬から抜け切れなかった3月半ば、結婚式前の諸事に私たちも手伝いしなければならないかもしれないと、暖かいポルトガルから帰ってきて震え上がった。おまけに私たち親の出る幕などほとんど無く4月半ばまで帰ってこなくても良かったのにと二人で嘆いたものだ。

式の一週間前には娘が買い込んだいろいろな道具や結婚衣装などが我が家に運び込まれ、これら全部をキャンパーで運ぶことになった。実際の結婚式は4月27日土曜日なのだが、私たちがキャンパーで我が家を出たのは木曜日の昼。夕方にはお屋敷から100kmほどロンドンよりのブリスタル近郊のホテルで一泊。娘とパトリック、それにブライドメイド(花嫁介添え役)の大学時代の友達とベストマン(花婿介添え役)のパトリックの友達もこのホテルで一泊した。この友達二人は木曜日の仕事が終わってからロンドンを出発したから、10時過ぎと夜中の1時に着いたという。

  


さて翌朝、娘とパトリックはウエディング・ケーキを引き取りにどこかの町へ行き、私たちはそれぞれ出発して教会のある小さな田舎町・村?ダルヴァートンで落ち合うことになった。このあたりは岡や林や牧場に谷川が多い全くの田舎でやっとたどり着いたダルヴァートンのセンターで何かのカンファランスがあったらしい。道路はどこも車でいっぱい、大きなキャンパーの駐車できる場所などどこにも無く、あれよあれよと言う間に町を通り過ぎてしまった。そのまま樹木の多い狭い山道になり折り返すのに数マイル行かなければならなかった。

 


やっとの思いで引き返してきて、こうなったら川渕で見かけたキャンプサイトに行ってみようと決めて一時間だけと頼んだところ、快く無料で駐車させてくれた。お昼12時半からこの町の小さなカソリックの教会で、結婚式の予行演習があった。
退屈な予行演習を終わるとすぐ各自の車で数マイル離れたお屋敷・ハンツシャム・コートへ向かった。何しろ狭い田舎道、キャンパー一台がやっと通れる幅しかなく対向車が無かったのは幸い、警笛を鳴らし続けてゆっくり走り30分以上もかかってやっと広大な敷地の奥に建つお屋敷にたどり着いた。

  

ハンツシャム・コートはヴィクトリア時代の壮大な建築物で、元はこの地の地主か貴族のお屋敷だったものらしい。一階は玄関を入ったすぐの大広間(ダンスホール)と蔵書で壁が埋め尽くされている図書室、120人の客を収容できる食堂広間、その横にソファーが並ぶ居間、廊下の向かいには酒倉とバーが付けられ、大きなキッチンの横に朝食の間があった。

 



2階の私たちの寝室が主賓室で4本の柱つきのベッド、ここで眠れるなんて一生に一度のことだろう。大きな寝室にこれまた風呂桶が2つも並んでいる大きなバスルーム・もしかして昔のご主人は風呂桶2つに一人づつはいって二人でシャンペンを飲んでいたに違いない。重いキャンペンボトル・クーラーが風呂の間に置かれていた。



2階には4本の柱のベッドの寝室が5-6室あり奥に行くと部屋も小さく普通のベッドで
家族の部屋だったらしい。3階は召使達の部屋だったのだろう。小部屋がたくさん並んでいて全部がトイレバスつきとは限らない。

 

さて金曜日の午後は夕方遅くまでクッキングとケーキデコレーションに追われた。
娘の大学時代の友達がその夫君たちと手伝いに来てくれ大きな台所いっぱいの食料の下ごしらえや煮炊きに追いまくられた。

 

ダイニングルームも料理が一段落したところで、皆で準備し飾り立て、結婚祝いにと日本の私の従姉妹から送られた和風ナプキンと祝い箸を各テーブルに置いたので華やかになった。

 



夕方やっとたどり着いた私のただ一人の日本人の友人が、お花全部を担当してくれた。巨大な生け花だけでなく、花嫁のブーケや親族の襟飾り、ブライドメードのブーケなど、大変な労力を使わせてしまった。

お屋敷を去るときにマネージャからダイニングルームのデコレーションが余りに素敵だったからこの写真をお屋敷の広告に使いたいと頼まれた。



金曜日の夕方には招待客が次々到着し、娘が前日クックした大なべ2杯分のカレーに20カップのご飯が炊かれた。この夕は結婚式前夜祭とて元気な男女は夜中遅くまで飲んで騒いでいたが、私などグラス3杯のワインで完全によっぱらって10時には寝てしまった。

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