2週間ほど前、友達に誘われて大英博物館で特別展のBurma to Myanmar(ビルマからミャンマーへ)展へ行ってきた。
今までの特別展の中ではこじんまりとした展示会で1時間半ほどで見終わった。
1907年当時は英国の植民地であったこの国で英国統治者の総督あての手紙がこの巨大な貝に書かれている。民衆の総意で、清水、交通機関の改良、バイリンガルの学校設立、病院 などの要請がかかれてある。
19世紀半ば中国人によって掘り出され、作られた大きなジェイドの容器。
インド、タイ、中国に囲まれたこの国は紀元700年から1100年にかけインドから伝わった仏教が広まった。
貝殻で作られた仏典、これが文字であるとは思えない。素晴らしい芸術作品見たい。
ビルマ王室で使われた壁掛けで、オリジナルはインドのストーリー(ラマヤマ)が東南アジアに伝わり、それを演じたタイの舞踏団を刺繍した華麗な壁掛け。インドネシアの影絵を思わせる。
鰐の楽器はミャンマーの南部に住むモン民族が隣接するタイ文化の影響を受け作られた弦楽器。
19世紀末、ブリティシュ、シャン民族、中国人により作られたシャン地図。当時ミャンマーはシャン民族、ナムマオ(ビルマ)民族、ナムカム、セラン,モングマオなどの民族が住んでいた。
織物は当時シャン民族の主産業で縦じまの織物は北部タイ、南西中国、ラオスなど一般的に作られた。
カッチン族のバッグで主に1800年末、英国―インドの軍隊にカッチン族軍人募集に使用された。
シルバー、ビーズ、ポンポン、リボンなどで飾られたバッグで実用向きではない。
英国とミャンマーは19世紀3回にわたり戦争をし(The Anglo-Burmese Wars)200点ものを戦利品として英国海軍が奪った。その中の一つがこの大きな仏像、大きな手が異様に思える。
この展示会では最高の出来栄えと思える象牙の椅子。ミャンマーの最後の王Thibou(1878-85)の椅子。
1830年―1900年の手工芸品(テキスタイル)は自然染色と草の実で装飾されている。
此の写真でははっきりと見えないが The Japanese Government とプリントしてあるお札は1942年から1945年日本軍がこの国を占領しこのようなお札を発行、経済を牛耳っていた。
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