さてモナストリーを通り過ぎて遺跡の宝庫へ入っていくと左手に山へ登っていく細道がある。連れの2人はさっさと登って行ったから、私も上るのにリュックが重い。何しろ1.5リッターの水のボトル2本と二人分のサンドイッチが入っていた。
この山は行き止まりでまた同じ所へ戻ってくるものと思って、リュックを道端において登った。山頂に着いてまた同じところに降りてこないと気付いたと同時に、水や食べ物だけでなく二人のパスポートと現金1000ポンドも入れていたことを思い出して真っ青!!!!
慌てふためいて坂道を駆け下りた。途中で登ってくる若者たちに、道端のリュックを見かけたかと聞いても誰も知らないという。
必死で走って着いたところに・・・・あった。さすがヨルダン、これがイギリスだったらすぐに消えて行ってただろう。
遺跡内にはこのようなかっこいい観光ポリスが歩き回っている。どんなスタイルでも制服というのはかっこいいと思ってしまうのは私だけか?
迷路のようにあちこち登ったり下りたり、いたるところに穴が開いていてこれらが過去の墓地だとするといったい遺体や石棺はどこへ行ったものか不思議だった。
遺跡の広場の大通りにはローマの円柱が並んでいる。紀元後ローマ人がやってきてこの地を支配したものらしい。
大変フレンドリーな観光ポリスマン喜んで写真を撮らせてくれた。
あたり一面が見どころだからいったい自分がどこにいるのかが分からなくなってきそう。ここのまるで巨大な肉の塊りみたいな岩は砂岩で簡単に掘ったり削ったりができる。
雨など降りそうもないこの乾燥地帯でも、遺跡のあちこちにこのきれいな夾竹桃が咲いていた。
同行のオランダ人の女性やオーストラリアのおじいさんとも一日過ごしたのにお互い自己紹介をしなかったから名前を知らない。
ペトラの最奥にこれもまた巨大なモナストリーと呼ばれる建築物がある。入口の岩だけでも簡単にまたいで入れない。中はここも全く何もなくて巨大な空間になっている。
このモナストリーも周囲の岩をくり抜いて作られてあるから、その横に岩を削った階段がついていた。若者たちが屋根の上にいるのが見えて、お調子者のこの私も上っていった。
登ってみてあまりの高さにビビッて動けない。 やっとの思いで降りてきたが、この数年後に行った従姉妹は、ここは登頂禁止になっていたという。きっと誰かが落ちたに違いない。屋根は斜めにかしいでいて、そのふちに座っている若者たちがいた。
夕方帰るころにはポールはのどが渇いてつばも出ないと嘆いていた。
ペトラはユネスコ世界遺産に登録されている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます