2月14日月曜日、この日もほとんど雨で寒い。娘婿のパトリックはこの日はインターネットで働くそうで、私達3人で出かけた。
孫のジュードが行っている学校の宿題が、ビクトリア時代に関する物事を書きなさいとのことで、このブロッズワースホールがちょうどよかった。冬の間は閉まるというこのマンションも、スノードロップが咲いているときは一階のビクトリアキッチンと庭が開いている。
ドンカスターから北西5マイルにあるヴィクトリアン・カウントリー・ハウスは1791年、奴隷貿易で財を成したピーターテルッソン(Thellusson)がジョージアンスタイルの家を建てたが、1861年彼のひ孫にあたるチャールス・テルッソンが現在の屋敷を建立。
1990年この建物と広大な庭はEnglish Heritage に買われ現在に至っている。
上の写真の右側一階は召使、使用人住居になっており、この部分しか開いていなかった。
ビクトリア時代のオーブンとクッカー手前の楕円形の蓋つき容器は、馬車の中で足を温めるのに使用された。
お客接待用の巨大オーブンと右奥の縦長のはパンを焼くためのオーブンだった。
ミスターベルによって発明された初期電話。
敷地内の教会、周囲には墓石がたくさん建てられている。
English Heritage が購入した当時は荒れ果てた庭園だったが、専門の庭師の努力で、素晴らしい庭に再現された。
ここはアーチェリーを競技する一角でその距離約200メーター、奥の建物に目印を置いて競技したとの説明、女性も200メーターの目標を撃っていた。
この地が奴隷貿易で財を成したことを忘れないため、最近飾られたこのモニュメントは、西インド諸島でお茶栽培に使役した奴隷を表している。
過去2年ほどアメリカで発生したBlack liveMatter ( 人種差別反対)運動で英国でも奴隷売買で財を成した人たちが標的になっている。その一つに英国西方のブリスタルでは奴隷売買で財を成したエドワード・コルストン(Edward Colston)は国会議員にもなりその財産を慈善事業に寄付し、大学を作りと善行したため彼の死後1895年に町の中心地に像が建てられた。ところがBLMの運動が盛んになった2020年4人の白人大学生によってこの像は引き倒されて、海に投げ込まれた。ブリスタル市では器物破損罪で4人を起訴したが、無罪判決になり、これが黒人学生だったら無罪だっただろうかと議論されている。
こんな富裕層の人たちが善行を施して、その名前が通りの名前や建物の名前になっていたのが、抹消された。どんなことをしても歴史は変えられないのに。
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