グリニッチの一番の観光名所と言えば天文台とこの帆船カティサーク、この船は1869年中国から英国へお茶を運ぶ目的で作られた当時では俊足の帆船だった。1880年代の蒸気船の台頭により茶の輸送は終わり1895年までオーストラリアから羊毛の輸送船として活躍した。その後ポルトガルの会社に買われたが1922年英国が買い戻し英国南部ファルマス(Falmouse)で若い船員の練習船として活用された。1938年にグリニッチに転送され、当時若いエジンバラ公の元で近くの海軍士官学校の練習船として活躍、1954年から現在地のドライロックに収まっている。
このカティサークのすぐ近くテームス河の下を通るトンネルがある。
このトンネルは歩行者オンリーで1902年にオープンした370メータの歩道。自転車の人たちもこの階段を担いで上り下りするが、トンネル内は乗車禁止。両サイドにはエレベーターもあるが、この日は動いていなかった。
この写真はIsle of Dock(ドックランド)から見た旧海軍士官学校。
ドックランドは船が停泊するドックからつけられた名前で、犬のドックではない。
ドックランドが活躍華やかな時代は19世紀から20世紀初頭のビクトリア時代でこの大きな煙突はここで鉄工業を行い、近くの
ドックで当時最大の鉄性の巨大輸送船を建造中だった。この時活躍したのが、英国の産業革命に一番貢献したイサムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel)(1806-1859)
(ロンドンオリンピックの開会式にジェントルマンの格好をしたたくさんの男性これがブルネル)
せっかく作った巨大輸送船は役立たずで、ブルネルにも失敗作があったのだとこの時知った。
ドックランドは巨大輸送船がここのドックに停泊することがまれになったため、貧民街だった。
1980年末から1990年代サッチャーさんがここを開発する計画を立て、ロンドンで初めての高層建築が実現した。
こんな素晴らしいフラットだが決してマンションなんとかとは命名しない。
30年前私が働いて居た日系企業がこのドックランドの中心地カナリーウォーフにオフィスを借り私も1年ほどここへ通っていた。その頃はこんな新しいビルは建ってなくて、三角屋根のカナリーウォーフと呼ばれるビルが一番高かった。
カティサークと聞くと真っ先に思い出すのは、
ライトな味わいのスコッチブレンドウイスキー。
販売元はキューバのバカルディ社ですから、
ルーツはスペイン。
英国が七つの海を支配する前の海洋国家が
自前のブランド名に採用するほど、
有名な船だったのかと思います。
さすが歴史のある国らしい屋外展示の様子を
楽しませてもらいました。
では、また。
カティーサークはグリニッチの観光名所のひとつで内部の見学も可能です。
コロナが収まった時に一度訪英されてはいかがでしょう。日本の若者に言わせますと落ちぶれてきた英国には習うものがないと言ってましたが、大英帝国の遺跡を見るだけでもすごいと思います。