林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

関東鉄道常総線の旅

2009-08-17 | 鉄道・旅行
関東鉄道は茨城県内の常総線と竜ヶ崎線を所有する中小鉄道会社である。
1965年6月1日に常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併して誕生した。
現在では京成グループの傘下となっている。
常総筑波鉄道は取手-下館間を敷設した常総鉄道と、
土浦-筑波間、真壁-岩瀬間を敷設させた筑波鉄道が
1945年3月20日に合併して誕生した。
鹿島参宮鉄道は1922年9月3日に設立され、石岡-鉾田を敷設し、
竜崎-佐貫間を敷設した竜崎鉄道を1944年5月13日に吸収合併している。
1979年4月1日に赤字路線だった鉾田線と筑波線を分社化、
鉾田線は鹿島鉄道が、筑波線は筑波鉄道が引き継いだが、
筑波鉄道が引き継いだ筑波線は1987年4月1日に廃止、
鹿島鉄道が引き継いだ鉾田線は2007年4月1日に廃止されてしまった。

現在関東鉄道が所有している2つの路線のうち、
竜ヶ崎線は去年6月に全区間の完乗と終点の竜ヶ崎駅の駅取材を終えている。
・・・といっても、4.5kmで始点、終点を含めても3駅しかないが・・・。
しかし常総線は終点の下館でJRの駅取材のついでに車両取材しただけで、
乗ったことは一度もなかった。
常総線には土曜、日曜、祭日に限って一日乗車券を発売している。
そこで8月15日土曜日に一日乗車券を使って駅取材と車両取材を敢行した。

JR総武緩行線で船橋まで行き、東武野田線で柏まで出て、JR常磐線で取手まで行く。
本当は我孫子駅で下車して「弥生軒」で朝食を喰おうかと思ったが、
車窓からシャッターが閉まっているのが見えたため、
我孫子では下車せず取手まで行き、「喜多」で天ぷらうどん380円喰う。
関東鉄道の窓口で「常総線一日フリーきっぷ」1,500円を購入する。



07:45取手発の列車に乗り、ここから取材開始である。
終点の水海道で下車して駅取材、そこから快速で下妻へ行き、
黒子、大田郷と取材して10:24a.m.に下館へ。
下館は関東鉄道常総線の終着駅であるとともに、
JR水戸線、真岡鉄道真岡線が接続している。
真岡鉄道には「SLもおか号」という蒸気機関車牽引の列車が走っている。
この列車は10:37に下館を出て12:02に終点の茂木に至り、
上りは14:28に茂木を出発し、15:57に下館に至る。
このSL列車の発車時間に合わせて下館に行ったのである。
真岡鉄道は2両のタンク式蒸気機関車を所有していて、
今回はC12型66号機が使用されていたが、ほかにC11型325号機も所有している。



SL列車の発車前に10:36の常総線で下館を出て、
騰波ノ江、大宝、宗道と各駅を駅取材し、守谷止まりの列車で守谷まで行く。



常総線は取手から水海道までが複線となっているが、水海道からは単線である。
複線区間は有人駅となっていて、2両編成の列車が走っているが、
単線区間は1両で無人駅も多く、ワンマンのために運転手が切符などの確認を行う。
今年の3月14日~関東鉄道でもPASMOを採用しているため、
カード利用者はカードを運転手に見せ、降りた駅でタッチする。
そのため、無人駅でもPASMO用の簡易改札機が設置されている。
複線区間と単線区間は運行が分かれていているが、
一部の列車は単線区間用の1両編成が複線区間に乗り入れている。
守谷まで来たのは、ほかの場所では駅前に飲食店が見当たらなかったからだ。
始点終点以外で唯一他会社線との接続のあるのが守谷駅である。
秋葉原からつくばまでを結ぶつくばエクスプレスが2005年8月24日に開業した。
実際に行ってみて思ったのだが、
ここもやはりつくばエクスエクスプレスで駅前は整備されていたが、
それに見合うほど開けておらず、インフラのみが先走った感じが否めない。
それでも駅にフードコートがあって、
鹿児島ラーメンの「ザボン」にでたまごラーメン780円喰う。
そのあと下館まで直通する列車で玉村まで行き、
石下、南石下、三妻、中妻、北水海道と駅取材し、
水海道乗り換えで取手まで戻る。
単線区間の全駅を取材したが、
さすがに路線距離51.1km、24駅では一日では全駅取材は不可能である。
複線区間はキハ2100形、キハ2300形、単線ではキハ2200形、キハ2400形を車両取材したが、
元国鉄車などは車両基地に留置されているのを見かけただけで、
車両取材は出来なかった。
取手から常磐線で上野に出て、上野で夕食を喰い、
ここから京成千葉中央行きで帰る。
コメント (2)
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ホームページ更新

2009-08-16 | 更新情報
「REI RINGONO Home Page」を第344回更新しました。

「REI RINGONO Essay」に「林檎乃麗日記 文月2009」を公開いたしました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/

「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第222回更新しました。

駅名表示板コレクションに野田駅、弁天町駅、今宮駅を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「旅の徒然に」を第131回更新しました。

「駅弁コレクション」の東海エリアに「日本の味博覧」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第6回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「電気機関車図鑑」を更新いたしました。
「蒸気機関車図鑑」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/
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青春の旅立ち-飯田線の旅 3

2009-08-16 | 鉄道・旅行
3.deja vu-バス代行と豪雨の遅延

平岡にはダイヤ通りに到着し、そこから代行バスに分乗する。
バスは2台で、1台はマイクロバスだった。
マイクロバスの方は天竜峡に直行するバスで、
大きなバスは途中、温田、 門島、唐笠に停車して天竜峡まで行く。
休日で「佐久間レールパーク」利用者などで乗客が多いため、
直行バスが乗り切れなくなり、天竜峡から平岡に向かっているバスを待ってから、
2台に分乗して天竜峡を目指すことになった。



空は青く晴れて気持ちよい夏空だったが、
台風の影響なのか、天竜川は水嵩が高く、茶色く濁っていた。
天竜峡に直行するバスに乗ったが、駅に到着したのは14:36だった。
本来なら14:35天竜峡始発の電車に乗ることになっていたが、
バスが駅に入るのと同時に247Mは無情にも上諏訪に向かって発車してしまった。
とほほ・・・。
全然間に合わないのならまだ諦めもつくが、
乗るべき電車をバスから見ていただけに、納得がいかない。
代行バスの利用者も、たった2~3分なんだから、
発車を待てばいいじゃないかと職員に詰め寄っていた。
本来なら14:35上諏訪行きのダイヤの次は、16:16岡谷行きまでない。
そこで急遽、15:20飯田行きの臨時列車が出ることになった。
途中駅を経由して天竜峡に着いた代行バスの到着を待ち、
1両編成の119系が飯田まで走ることになる。
この臨時列車に乗れば、飯田駅で16:00始発の上諏訪行きに間に合う。
勿論、この電車に乗っても「スーパーあずさ30号」には間に合わない。
そこで駅で交渉して、「スーパーあずさ30号」の乗車券と指定特急券を払い戻しを要求する。
ただ、ビューカードで購入したため、返金もカードの口座にすることになるそうだ。
天竜峡駅はJR東海に所属するため、切符に事情をメモ書きして貰い、
JR東日本の駅で払い戻しをして貰うことになった。
「スーパーあずさ30号」は千葉までのため、
単純にそのあとの「あずさ」のダイヤに振り返ればいいというわけにも行かないのだ。
臨時列車は15:47に飯田に到着し、ここで16:00始発の上諏訪行きの電車に乗り換える。
飯田線はJR東海に所属し、辰野が境界駅だが、
使用された車両はJR東日本しなの色の115系だった。
飯田駅を出た時にはまだよく晴れていていたのだが、
それでも雲は多く、山吹で停車している時に突然大粒の雨粒が落ちてきた。
しかし雨は長くは続かず、隣の伊那大島から伊那田島にかけては虹も見えた。



だが好天も長くは続かず、日が暮れてくるに従って再び雲は多くなり、
進行方向に黒い雲がせり出しているのが車窓からも見えた。
何だか凄くいやな予感がしてきた。
黒い雲には雷光も見え、列車が黒い雲の下に近づくにつれて雷鳴が轟き、雷光が車窓を襲った。
そして雨も激しく降りだしてきた。
飯田線は単線ですれ違い列車が遅れているため、それを交換駅で待たなければならず、
少しずつダイヤに遅れが生じていく。
辰野では2分遅れだったが、終点の上諏訪ではホームが全て塞がってしまい、
入線待ちをしたために13分遅れで到着となった。
途中、辰野駅ではクモハ123-1の姿も見えたが、下車して飛び乗る時間も気力もなかった。
18:56に上諏訪駅に到着し、みどりの窓口に行って「スーパーあずさ30号」の払い戻しをする。
切符を見せると天竜峡の駅のハンコが押してあったため、直ぐに払い戻しに応じてたくれた。
そして今度は新宿までの特急の切符を購入する。
正規ダイヤで18:59上諏訪発の「スーパーあずさ32号」の指定席特急券と乗車券を購入する。



切符を購入した段階で既に18:59は過ぎていたが、ダイヤが乱れているため、
ひとつ前の18:49富士見行きも到着していないとのこと。
駅員も正確な時間は分からないがもうちょっと待って欲しいと行っていた。
こういう事態だから仕方がない。
それでもとりあえず指定席を確保できたので、新宿まではゆっくり出来る。
ニューデイズで駅弁を買おうと思ったが、おにぎり、サンドイッチを含めて全て売り切れだった。
気持ちよいぐらいにお弁当コーナーの棚には何一つ置かれていない。
列車内で買えばいいと思ったが、それは甘かった。
18:59の「スーパーあずさ32号」が上諏訪駅に到着したのは??19:22だった。
しかも途中赤信号で停まってしまい、新宿には予定の30分遅れで到着した。
車販で弁当を購入しようかと思ったが、
NREのアテンダントに「弁当、サンドイッチ類は全て売り切れです」と冷たく云われてしまった。
とほほ・・・。
新宿に到着した時間が21:36で、外に出て夕食を喰おうかとも思ったが、
色々考えてとりあえず東京駅まで行くことにした。
東京駅の駅弁売り場が10:00p.m.までやっていたと思ったので、そこで弁当を購入しようと思ったのだ。
新宿で乗った中央快速線が21:45発で、東京駅に到着したのが21:58。
慌てて駅弁売り場に行き、既に片付けを始めていた売店に飛び込んで、
「季節の吹き寄せ 平成二十一年度 なつ」1,300円を購入する。
残った弁当はこれとポケモン弁当しかなかった。
22:18東京駅始発の千葉行きのグリーン車に席を確保する。
ここでゆっくりと駅弁を喰い、千葉まで行く。
千葉で折り返して23:08のお茶の水行きで帰る。
従来の予定では21:12に幕張駅に着いていることになっていたので、約2時間の遅れでミッションを終了した。
とほほ・・・。

 行動報告

04:35幕張-総武緩行線・下り416C(10)-04:45千葉[21]
05:06千葉※-総武快速線・上り518F(38)-5:44東京[42]
 朝食/駅弁購入
06:26東京※-東海道新幹線「ひかり501号」(93/1:33)-07:59豊橋[13]
08:12豊橋-飯田線・下り511M(126/2:06)-10:18中部天竜[138/2:18]
 ※佐久間レールパーク見学
 昼食/駅弁購入
12:34-40中部天竜-飯田線・下り519M(51)-13:31平岡[14]
13:45平岡※-風越観光・鉄道代行(51)-14:36[44]
15:20天竜峡※-飯田線・下り臨時列車(27)-15:47飯田[13]
16:00飯田※-飯田線・下り249M(176/2:56)-18:56上諏訪[26]
19:22上諏訪-「スーパーあずさ32号」(134/2:14)-21:36新宿[9]
21:45新宿-中央快速線・上り2024H(13)-21:58東京[20]
22:18東京※-総武快速線・下り2261F(39)-22:57千葉[11]
23:08千葉※-中央・総武緩行線・上り2307B(9)-23:17幕張

 ※この文章はgooブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」と
  ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
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青春の旅立ち-飯田線の旅 2

2009-08-15 | 鉄道・旅行
2.4つめの青春-新幹線移動と炎天下のレールパーク

飯田線の旅は8月8日土曜日に決行された。
「佐久間レールパーク」が土曜、日曜、祝日しか公開されないため、
土曜日に行くことにしたのである。
04:35の下りの初電で千葉に行くため、3:50a.m.に起床する。
「青春18きっぷ」の旅は何時も初電で旅立つことになる。
幕張駅の改札で、「ありがとうございますJR東日本8.8幕張駅」と検印して貰い、
く4番線ホームに降りて下り列車に乗り込む。



千葉駅で初電の上り快速線に乗り込み、東京駅を目指す。
「青春18きっぷ」は快速を含む普通列車にしか乗れず、
特急などは乗車券も別に購入しなければならない。
東京駅で東海道新幹線改札を潜り、ホームに登る。
「青春18きっぷ」でここまで来たために、自動改札を通ることが出来ない。
駅員のいる改札口で切符を見せて検印して貰う。





少し写真を撮って売店で「牛すき重」1,000を購入し、「ひかり501号」に乗り込む。
「ひかり501号」は300系が充当されていた。
12号車13番E席に座って豊橋を目指す。
豊橋は以前、「青春18きっぷ」で豊橋鉄道の取材のために来たことがある。
そのため駅の外には出ずにそのまま飯田線のホームに行く。
「佐久間レールパーク」が今年11月1日で廃止されることが宣伝されているため、
多くの客が飯田線に並んでいた。
1番線ホームに並んで08:12の電車を待つ。
しかし待っている途中で構内放送を聞いていて耳を疑った。
飯田線が落石のために一部区間がバス代行になっているという。
08:12発の飯田線119系に乗り込み、車内放送で確認した。
それによると「門島、唐笠間の 落石の復旧作業のため、
平岡から天竜峡間の間で運転を見合わせていて、バスによる代行を行っています」とのこと。
しかも「所用時間は1時間30分程度を見込んでいます」とのことで、
接続できない列車も出るかもしれないとのこと。
乗り込んだ列車もダイヤでは天竜峡行きなのだが、実際は平岡止まりになっていた。
これはいやな予感がする。
天竜峡での乗り換え時間が30分しかない。
代行バスがどれくらいの遅れになるのかが分からないが、
場合によっては予定している帰りの「あずさ30号」に乗れないかもしれない。
119系はは自動ドアではなく、自分で開けなければならない。
しかも無人駅では車掌が切符を確認し、
「佐久間レールパーク」利用者が多くて混雑しているため、
途中駅で下車しての駅取材は断念した。
中部天竜まではほぼ予定通りの時間に到着する。
やはりこの駅で乗客の半数以上は下車した。
「佐久間レールパーク」は中部天竜駅に併設する形で、旧中部天竜機関区の跡地にの建設された。
蒸気機関車はないものの、旧型客車が多く、電車、気動車、電気機関車などの保存車両が展示されている。
天気は良く、青空の下で実車を見るのはやはり気持ちのいいものだ。



電気機関車はED11型2号機、ED62型14号機の2両、
電車はクモヤ12形クモハ12054、モハ52形モハ52004、クヤ165形1号車、の3両、
キハ48000形キハ48036、キハ181形キハ181-1の2両、
客車はオハフ33形オハフ33-115、オハ35形オハ35206、
マイネ40形マイネ407、オロネ10形オロネ10-27の4両、
そのほか事業用では荷物車スニ30形スニ30-95、建築限界測定車オヤ31形オヤ31-12、
操重車ソ80-180+チキ6132などが展示中だった。
さらに0系新幹線の運転台部分が展示されている。
決して広くはないが、十分に楽しめる実車だった。
昼は壺屋弁当部の限定弁当「佐久間レールパークおべんとう」800円を買う。
テントの下にはのパイプ椅子と簡易なテーブルが用意されていて、そこで喰う。
ステージではジャズバンドの演奏も行われていた。
このほか駅取材などして、12:40の電車で平岡まで行く。
この列車も本来なら天竜峡まで行く筈の電車だった。
車掌が何処で降りる予定か、乗客一人ずつに質問していった。
今年の夏の「青春18きっぷ」の旅は何だか予定にないバスに乗ること羽目になるな・・・。
今まで代行バスに乗ったことなどなかったのに、2回連続して経験することになるとは・・・。
そんなことを考えていると、終点平岡に到着した。
到着時間は13:31、そこから代行バスに分乗して天竜峡を目指すことになる。

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青春の旅立ち-飯田線の旅 1

2009-08-14 | 鉄道・旅行
1.飯田線の歴史と閉鎖される佐久間レールパーク

鉄道はレールの上を車両が走ることによって成立する。
そしてその車両は経年の劣化に加え、技術革新によって陳腐化し、やがてその活躍を終える。
鉄道車両は所詮機械の固まりだし、レールの上を走ることが出来なければただの素材ゴミである。
多くの車両が除籍後廃車され、解体されていく。
それは鉄道の歴史の上で仕方のない結末であろう。
ただ、それでも鉄道が多くの人々から愛され、退職後もその解体を真逃れた車両がある。
蒸気機関車などは多くの駅前や公園で保存展示されているが、
あまり見向きもされなかった旅客車両や業務用車両なども、
集めて展示保存する施設が全国に幾つか存在している。
東京では秋葉原にあった“交通博物館”が有名であるし、
そのほかにも大宮に新設された「鉄道博物館」、
信越本線横川にある「碓氷峠鉄道文化むら」、
青梅駅近くの「青梅鉄道公園」、
京都の「梅小路蒸気機関車館」、
大阪環状線弁天町駅に隣接する「交通科学博物館」、
鹿児島本線門司港駅に近接する「九州鉄道記念館」など、
思いつくまま列挙してもいくつもあるし、
さらに民間鉄道や展示車両数の少ないマイナーなところも含めると、
全国に多数存在すると思う。
その中の一つにJR飯田線の中部天竜駅に隣接いる「佐久間レールパーク」がある。
鉄道車両の中でも客車の保有数が多い。
大阪の「交通科学博物館」と並んでまだ訪問したことのない鉄道手車両展示施設のひとつである。
しかもJR東海ではあおなみ線金城ふ頭に「JR東海博物館」を計画しており、
「佐久間レールパーク」の展示車両を収容する予定であるという。
そのためことは11月1日で「佐久間レールパーク」は閉鎖されることが決まった。
「佐久間レールパーク」は飯田線中部天竜駅に隣接していて、
駅までの切符を所有していれば入場無料となっている。
しかし飯田線中部天竜駅は豊橋から特急でも1時間かかる位置にあり、
それほど遠い場所ではないにも拘わらず、飯田線は今まで乗ったことがない。
岡谷と豊橋で119系の取材をしたことがある程度である。
そこで「青春18きっぷ」の残り2日(回)分のうち、1日(回)分を使い、、
この「佐久間レールパーク」取材を含めた飯田線完乗の旅に出掛けようと思う。

飯田線は東海道本線豊橋と中央本線辰野間を結ぶ地方交通線である。
全区間がJR東海に所属し、基本的に119系が使用されている。
119系はローカル線向けの直流通勤形電車である105系をベースに、
ローカル線向けの近郊形電車として開発され、飯田線に投入された。
119系は飯田線のみに配属された専用電車で、
急勾配に対応した1M方式が採用されている。
豊橋-豊川間は複線だが、その先は単線となっている。
豊橋から小坂井駅手前の信号場まではJR東海が下り線、名鉄が上り線を所有しており、
両社が共用することで複線として使用している。
飯田線はには豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道の4つの鉄道会社が開業させた区間を、
国有化して一つの路線としたものである。
豊橋-大海間は豊川鉄道が開業させた。
1987年7月15日に豊橋-豊川間が開業され、
1900年9月23日に大海までの延伸した。
1925年には電化され、1926年4月1日より愛知電気鉄道が小坂井から豊川まで乗り入れを開始した。
大海から三河川合間は1923年2月1日に鳳来寺鉄道が開業させた。
この区間も1925年7月に電化された。
三河川合-天竜峡間は1927年に設立された三信鉄道によって開業された。
地層のもろさや天竜川渓谷沿いという建設地であるために工事は困難を極め、
朝鮮半島からの労働者の過酷な労働条件や賃金未払いなど、多くの問題をはらんだ中での工事だった。
この難工事に成功したことで、飛鳥組の熊谷三太郎は熊谷組を造る基盤を得た。
三信鉄道は最初から電化開業させていた。
1932年10月30日に天竜峡から門島までが開業、
1933年12月21日には三河川合から三輪村からが開業した。
その後延伸をくり返し、
1937年8月20日には最後まで残った小和田-大嵐間が開業して全通した。
天竜峡-辰野間は伊那電気鉄道が開業させた。
設立当初は伊那電車軌道と名乗っていた。
1909年12月28日に辰野-松島間が軌道法によって開業した。
この辰野は西町に変更され、後に廃駅となった伊那電車軌道の辰野駅である。
この区間は一部に供用区間も存在した。
この先は地方鉄道法による鉄道線として延伸開業していき、
1927年12月26日に天竜峡までの延伸が完成し、辰野から天竜峡までが全通した。
1919年には社名を伊那電気鉄道に変更し、
1923年3月16日には辰野-伊那松島間を経路変更し、軌道法から鉄道法に変更した。
この4つの鉄道が国有化され、路線名が飯田線に変更されたのは1943年8月1日である。
1955年4月には佐久間ダム建設のため、佐久間-大嵐間がルート変更された。

「佐久間レールパーク」は土曜、日曜、祝日のみ公開のため、
8月8日土曜日に行くことにして、
行きは東海土新幹線が東京から豊橋まで移動し、飯田線を北上する。
中部天竜駅で下車して「佐久間レールパーク」を見学し、
さらに北上して中央本線を特急「あずさ」で帰ることにする。
特急「あずさ」は新宿-松本を結ぶ中央本線の特急で、
一部は大糸線に入ってJR西日本との境界駅である南小谷まで行く。
しかし朝の松本方面と夜の新宿方面に12本ずつ千葉まで延伸運転されるダイヤがある。
朝の松本方面は「あずさ3号」が06:38に千葉を出て10:27松本着、11:14南小谷着である。
一方夜の新宿方面は「あずさ30号」が17:18に松本を出て20:08新宿着、20:50千葉着である。
ちばまでそのまま特急に乗って帰って来られるのは楽なので、
「あずさ30号」に間に合うダイヤを検討し、上諏訪で乗り換え時間4分で接続する予定を組む。
この予定に従って「ひかり501号」東京-豊橋間の乗車券と指定席新幹線特急券、
「あずさ30号」上諏訪-千葉間の乗車券と指定席特急券を購入する。

8月8日(土)

04:35幕張-総武緩行線・下り416C(10)-04:45千葉[21]
05:06千葉(8)※-総武快速線・上り518F(38)-5:44東京[42]
06:26東京※-東海道新幹線「ひかり501号」(93/1:33)-07:59豊橋[13]
08:12豊橋-飯田線・下り511M(126/2:06)-10:18中部天竜[138/2:18]
 ※三河一宮08:31-37(6)
 ※三河槙原09-35-45(10)

 ※佐久間レールパーク見学
 ※伊那路1号11:19-20

12:34-40中部天竜-飯田線・下り519M(85/1:25)-14:05天竜峡[30]
 ※伊那小沢13:18-25(7)
14:35天竜峡※-飯田線・下り247M(185/3:05)-17:40上諏訪[4]
17:44上諏訪-「スーパーあずさ30号」(186/3:06)-20:50千葉[9]
21:02千葉※-中央・総武緩行線・上り2181B(10)-21:12幕張

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千葉「馥園 FUH EN」の五目焼きそばと津田沼駅近辺の鉄道遺構

2009-08-13 | 鉄道・旅行
千葉県がんセンターでの治療は既に終了しているが、
諸々の用事があって昨日千葉に出掛ける。
用事を済ませて昼食を喰うために千葉パルコに行き、
以前何回か行ったことのある中華料理店「馥園」で、
五目焼きそば+チャーハン950円を喰う。



ここのランチメニューは主菜+副菜で950円ということになっている。
さらにランチタイムには杏仁豆腐が食べ放題である。
ここ数年、何故か中華焼きそばが好きである。
勿論、ソース焼きそばも嫌いではないが、
中華の餡掛け焼きそばが何故かしっくり来る。
餡掛けの場合、堅焼きもあるのだが、
個人的好みでは“やわらかいやきそば”の方が好きである。
千葉駅のみどりの窓口で買い物をしてから、京葉線経由で津田沼に行く。
京葉線に転籍し、赤い京葉線オリジナルカラーを帯に巻いた209系500番台を取材するためである。
蘇我に行くと既に209系500番台が止まっていて、慌ててそれに乗り込む。
海浜幕張で下車して車両取材し、南船橋から西船橋、総武緩行線で津田沼に出る。
途中、車窓から海浜幕張-新習志野間にある京葉車両センターを眺める。
「成田エクスプレス」用のE259系が止まっているほか、
205系に混じって209系0番台が1編成だけとまっていた。
これは総武本線、外房線、内房線などの投入が予想されているもので、
房総方面のカラーを表す2色のラインが施されていた。
津田沼で下車して津田沼一丁目公園に行く。
ここにはかつて鉄道連隊で使用されていた蒸気機関車が静態保存されている。
津田沼は今までたぶん、厳密に数えたことはないけれど、
中学時代から数えて来た回数は3桁になると思うが、この公園に来たことはなかった。
クルマで帰る途中の近道なので、ここに蒸気機関車らしいものがあるのは知っていたが、
実際に降りて確認したことはなかった。



この機関車は戦前の存在した日本陸軍鉄道連隊に所属していた蒸気機関車で、
試作型であるK1形に次いで製作されたため、K2形と名乗っている。
満州などの大陸の戦地に運んで鉄道連隊が敷設した路線で物資輸送などに使われたが、
戦後は消息が定かでない。
国内で使われた134号機が西武球場に隣接して造られた“ユネスコ村”で静態保存されていたが、
これが閉園になったために鉄道連隊があったこの津田沼に移管された。
看板には以下のように書かれている。

 K2形 機関車 134号

 この蒸気機関車は、かつて、津田沼に本部を
置いていた陸軍鉄道第2連隊が使用していたもので、
現在の新京成線敷内にあった陸軍演習線での機関車
として活躍していたものです。
 この度、西武鉄道(株)ユネスコ村に保存してあった
ものを譲り受け、鉄道連隊ゆかりの、この津田沼一
丁目公園に設置したものです。
                 平成6年3月

このあとイオンで買い物をしてから、跨線橋を渡って南口に行き、
千葉工業大学の通用門を取材する。
千葉工業大学の津田沼キャンパスのある場所はかつて鉄道第二連隊のあった場所で、
通用門は当時使用されたものがそのまま流用されており、
国の登録有形文化財に指定されている。



門の近くに設置されていた解説には以下のように書かれていた。

登録有形文化財 第12-0007号
この建造物は貴重な国民的財産です。
                     文化庁

この門は明治40年(1907年)当地に移駐した
陸軍鉄道連隊第三大隊(大正7年に鉄道第二連隊に改組)
兵舎の表門として使用されていたものです。
第2次大戦後、ここが千葉工業大学の校地になった後も、
「工大の煉瓦門」として親しまれています。
平成10年5月、国の登録有形文化財に指定されました。
わが国の私立工業系大学で最も古い歴史を持つ本学の
シンボルとして長く保存していきましょう。
                     千葉工業大学

調べてみると以外と身近なところに鉄道遺構があるものである。
この大学の学生ではなかったので中の様子は分からないが、
多い時には月に1度か2度は来ていた場所で、鉄道遺構があったとは驚きだ。
さらに駅に向かう途中に、
この地が鉄道連隊のあった場所だったことを記す看板が設置されていた。

 鉄道連隊跡

 日本の鉄道連隊は、明治二十八年(一八九五年)、
日清戦争における臨時鉄道隊の編成に始まり、
同二十九年、東京牛込に常設され鉄道大隊となりました。
同三十九年、習志野に派遣隊がおかれ、津田沼-三山間の演習線が敷設されると、
翌年、連隊の編成が始まりました。
これにともない津田沼は、第三大隊が千葉より転営し、
翌四十年、材料廠がおかれて、軍の鉄道敷設演習の拠点となりました。

 演習線は、明治四十四年に千葉-津田沼間が敷設され、
大正七年(一九一七年)には津田沼-松戸間もほぼ完成しました。
同年、連隊の編成替が行われ津田沼は鉄道第二連隊がおかれました。

 第二次世界大戦後、連隊跡地は千葉工業大学、県立千葉工業高校などの教育施設に利用され、
昭和二十二年(一九四七年)には、
松戸線の軌道敷を利用して津田沼-薬園台間に新京成線が開通しました。

 その後、国鉄津田沼駅北口にあった高校は商業用地にかわり、
南口前にあった市立第一中学校や仲よし幼稚園は、
サンペデック、津田沼公園、文化ホールなどに生まれかわり本市の表玄関となっています。

 昭和五十六年十二月
                    習志野市教育委員会
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「大井川鐵道SLの旅」顛末記

2009-08-12 | 鉄道・旅行
大井川鐵道は東海道本線金谷から寸又峡温泉への玄関口である千頭までを結ぶ大井川本線、
中部電力から委託を受けている井川湖湖畔へアクセスする井川線を所有する地方鉄道である。
名鉄グループに属し、大井川本線でのSL運転などでも有名である。
しかしSLだけではなく、この鉄道には隠れた魅力が一杯なのだ。

金谷から千頭までの大井川本線は沿線住民の生活路線であると同時に、
寸又峡温泉へのアクセスのための観光鉄道ともなっている。
SLが運転されているものの、基本的には直流電化されていて電車が使用されている。
39.5km、19駅の単線路線で、使用される車両は関西大手私鉄からの譲渡車である。
しかもオリジナル塗色への変更はせず、譲渡元の塗色のまま使用されており、
ちょっと不思議な感覚が持てる。
これは長野電鉄に譲渡された小田急ロマンスカー10000形による1000形「ゆけむり」にも似ている。
近鉄16000系、京阪3000系などが見られるが、
その中でも特筆なのが21001系で、これは元南海電鉄高野線で使用されていた「ズームカー」である。
前面の丸いデザインが特徴で、この車両は一畑電鉄で取材したものの、
南海電鉄当時の塗色を残しているのは魅力的である。

井川線はもともと電力会社の専用線として敷設され、
のちに千頭までの旅客線を運営している大井川鐵道に運営を委託する形になって旅客鉄道となった。
基本的には非電化単線だが、1990年10月2日にアプトいちしろ-接岨峡温泉間を路線変更した際、
アブトいちしろ-長島ダム間を電化し、アプト式鉄道として開通させた。
全区間ディーゼル機関車が千頭方に連結され、井川方には制御客車を連結して推進、牽引運転する。
アブトいちしろ-長島ダム間はディーゼル機関車の前に電気機関車を連結し、
90‰の急勾配をラックレールを噛むことによって通行可能にしている。
ダム建設に沈んだ旧線を車窓から眺めることが出来るなど、観光特化した鉄道といえる。

大井川鉄道は今まで一度も乗ったことがない。
乗ったことがないどころか、金谷で下車したことがないため、車両取材もしたことがない。
距離的に中途半端な位置にあり、
泊まりがけで行くほど遠くはないが、
日帰りで行くにはちょっと距離があり、気が向いた時に直ぐ行ける距離でもない。
そのためずっと後回しになっていたのである。
平日に行動できるこの時期に行っておこうと思い、
往復を新幹線移動で時間を稼ぎ、その代わり日帰りの強行軍で計画を立てた。

8月11日(火)

05:47幕張-総武緩行線・上り515C(41)-06:28秋葉原[6]
06:34秋葉原-山手線・外回り505G(4)-06:38東京[25]
 ※駅弁購入
07:03東京※-東海道新幹線「ひかり461号」(63/1:03)-08:06静岡[8]
08:14-17静岡※-東海道本線・下り735M(32)-08:49金谷[73/1:13]
 ※大井川・あぷとラインフリーキップ 5,500円購入
 ※SL急行料金 560円
10:02金谷※-急行「南アルプス号」1001(83/1:23)-11:25千頭[35]
12:00千頭※-大井川鉄道井川線・下り205(66/1:06)-13:06奥大井湖上[77/1:17]
14:23奥大井湖上-大井川鉄道井川線・下り207(43)-15:06井川[42]
15:48井川※-大井川鉄道井川線・上り208(110/1:50)-17:38千頭[36]
18:14千頭※-大井川鉄道・大井川本線・上り32(74/1:14)-19:28金谷[30]
19:58金谷-東海道本線・上り850M(30)-20:28静岡[3]
20:31-36静岡-東海道新幹線「ひかり484号」(64/1:04)-21:40東京[24]
 ※駅弁購入
22:04東京-総武快速線・下り2055F(28)-22:32津田沼[9]
22:41津田沼-総武緩行線・下り2130B(6)-22:47幕張

この計画に合わせて幕張-金谷の往復乗車券8,620円と、
「ひかり461号」東京→静岡の指定席特急券3,120円、
「ひかり484号」静岡→東京の指定席特急券3,120円を購入する。
大井川鐵道のホームページから急行「南アルプス号」のSL座席予約を行う。

計画の3日前まではこの週はずっと晴れマークが並んでいた。
快晴の空の下で気持ちよく車両取材が出来ると思っていた。
しかし前日になって突然計画変更を余儀なくされる事態が起こった。
「台風9号」の接近である。
10日夜から11日朝にかけて関東にもっと接近するコースが予測されている。
兵庫県佐用町では死者、行方不明者の出る大惨事になっているようだし、
山の中を大井川に沿って走る大井川鐵道では台風の影響で落石や川の氾濫などの影響も十分考えられる。
そこで熟慮の結果、残念だが今回は計画を中止することにした。
JR幕張駅の窓口に行って払い戻しをする。
購入経費は14,860円だが、手数料を引かれたため、12,790円が払い戻しとして口座に戻された。
大井川鐵道営業部SL係に電話し、キャンセルを申し出る。
台風が近づいていることもあり、快くキャンセルに応じてくれた。
また近いうちに大井川鐵道については取材を計画することにしよう。
そう心に誓う林檎乃麗であった。
めでたし、めでたし・・・。

しかし自体はさらに予想も出来ないことになっていた。

11日の朝、寝ている時に携帯電話に着信があり、留守メモが録音されていた。
大井川鐵道からのメッセージだった。

「あ、えーと××様の携帯電話でしょうか。
こちら大井川鐵道と申します。
えーと、本日ご予約戴いたSL列車ですが、えー、今朝方の、えー、地震により、
え、運転を休止、えー、中止させて戴きました。
えー、また、えー、機会がありましたら、ご利用の方をお願い致します。
えー、ご迷惑をおかけしまして、申し訳ありません。」

今朝方の地震?
留守電を聞いた時は分からなかったが、ニュースを見てびっくりした。

静岡中・西部、伊豆で震度6弱 静岡・愛知23人けが(朝日新聞) - goo ニュース

8月11日、5:07a.m.頃、駿河湾を震源とした地震があり、
静岡県中西部や伊豆半島で震度6弱を観測したという。
これによって東海道新幹線、東海道本線で遅れや運休が出ていて、
しかも大井川鐵道は全線運休中になっていた。
昨日、中止を英断したのは結果的には良かったと云える。
台風はそれて中止するほどでもなかったが、
決行していたら東京駅から乗った「ひかり号」の中でこの伝言を聞くことになり、
しかも東海道本線は熱海-浜松間で運転を見合わせていたために、
静岡まで行けたとしてもその先の足がない。
結局、右往左往して金谷まで行ったとしても結局全線運休で何もせずに帰ってくることになっただろう。
大井川鐵道は11:40に運転を再開したようだが、
それでも予定通りの取材は出来ないし、タイトな計画のために無駄な動きしかできなかっただろう。
井川線を諦めて大井川本線のみの取材がいいとこだっただろう。
今年の夏はどうもSLに振り回される夏の様な気がしてならない。
それでもまた9月には大井川鐵道の取材の計画をリベンジしようと思う。
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上を向いて歩こう

2009-08-11 | 日記
「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんが亡くなったのが、
1985年8月12日の日本航空123便の墜落事故である。
事故現場の近くの山の名前を取って、“御巣鷹山”の墜落事故と云われている。

パソコンを始めて最初に仲間になった人たちに誘われて、
「帰去来」というメーリングリストに参加した。
今から10年以上前のことだ。
その仲間の一人にRikoさんという人がいた。
彼女は結婚直前にあの飛行機事故で父親を亡くしている。
彼女のホームページには事故当時のことが書かれていて、
結婚式直前まで御巣鷹山で父親の発見を待ったという。
その後も慰霊のために毎年御巣鷹山に登っている。
しかし真夏のこの時期に慰霊のために登るため、
彼女の子供たちもそれに付き合わされることになった。
友達が海だ、プールだと夏の楽しい思い出を作っている時に、
会ったこともないおじいちゃんのために過酷な登山を強いられているのだ。
事故に関係ない多くの人たちにとって、
あの事故は「そういえばそんな事故もあったね」程度のことなのだろうが、
遺族や事故から奇跡的に生還した人たちにとっては、
今も悲劇は続いているのである。
彼女のホームページを訪れる度にそのことを再認識させられる。
他人が軽々しく語ることの出来ない、当事者だけが抱えたもの。
そのことはつたない言葉では伝えきれない。
だからその代わりに彼女のホームページを紹介しておく。

秋桜花
http://homepage2.nifty.com/cosmos99/index.htm

テレビのニュースで慰霊に訪れる遺族の映像の中に彼女の姿を見つける度に、
彼女の背負っているものを目の当たりにさせられるような気になる。
非力ながら、強く生きるRikoさんにエールを送りたい。
そしてまた、あの夏がやってくる。

上を向いて歩こう、涙がこぼれないように…。
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夏の記憶

2009-08-10 | 詩歌
夏の記憶は、ギラギラと照りつける太陽ではなく、
土砂降りの雨の匂いだと思う。
突然の豪雨で激しく降る雨には、
記憶に刻まれた夏の思い出を甦らせる。

言葉には出来ない激しい感情や、
濡れた髪の彼女のぬくもり。
向日葵が似合う突き抜けるような青空よりも、
激しい雨音がその香りを思い出させる。

突然の豪雨に逃げ込んだ京葉線の高架下、
激しい雨に閉ざされた街並みの風景。
思いもしない彼女の行動に、
全ての記憶が雨に流されていく。

激しい豪雨を窓の外に聞きながら、
その雨の匂いをそっと嗅いでみる。
突然の豪雨で激しく降る雨には、
記憶に刻まれた夏の思い出が甦る。
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ホームページ更新

2009-08-09 | 更新情報
「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第222回更新しました。

駅名表示板コレクションに野田駅、弁天町駅、今宮駅を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「旅の徒然に」を第130回更新しました。

「駅弁コレクション」の九州エリアに「かしわめし」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第5回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「電気機関車図鑑」を更新いたしました。
「蒸気機関車図鑑」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/
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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 特別付録

2009-08-09 | 鉄道・旅行
 第1案

最初の計画では「プチ湯治計画」という名称で作成された。
ミッション名通り、病み上がりの湯治を兼ねた旅行というのが当初の目的だった。
そのため、湯治に適した“お一人様”歓迎のホテルを検索し、
北海道の湯の川温泉、東北の大鰐温泉、四国の道後温泉、
そして松江のしんじ湖温泉の4つに絞り込んで、
ホテルの料金やそれに絡めた鉄道取材などを考慮して松江に決定した。
松江に決定した最大の理由は、出雲市に比較的近いということ。
東京と出雲市とを結ぶ寝台特急「サンライズ出雲」に乗車することが、
実は最大の目的だったりした。

1日目(平日)

04:40幕張-総武緩行線・上り469B(40)-05:20秋葉原[7] Suica使用
05:23秋葉原-京浜東北線・南行403A(4)-05:27東京[33] Suica使用
 ※駅弁購入
06:00東京※-東海道新幹線「のぞみ1号」(192/3:12)-09:12岡山[16] 事前購入
09:28岡山※-吉備線・下り737D(12)-09:40備前一宮[17] 200
09:57備前一宮-吉備線・上り738D(10)-10:07岡山[118/1:58] 200
 ※駅弁購入
12:05岡山※-特急「やくも11号」(178/2:58)-15:03出雲市[50] 事前購入
15:53電鉄出雲市-一畑電車北松江線・下り325(20)-16:13雲州平田[42] 400
16:55雲州平田-一畑電車北松江線・下り327(37)-17:32松江しんじ湖温泉 500

※ニューアーバンホテル本館・別館チェックイン

2日目(平日)

※ニューアーバンホテル本館・別館チェックアウト

※一畑電車一日フリー乗車券 1,500

10:31松江しんじ湖温泉※-一畑電車北松江線・上り312(5)-10:36松江イングリッシュガーデン前[30]
11:06松江イングリッシュガーデン前-一畑電車北松江線・下り315(6)-11:12松江しんじ湖温泉[26]
11:39松江しんじ湖温泉※-一畑電車北松江線・上り314(48)-12:27川跡[55]
13:22川跡※-一畑電車・大社線・下り18(11)-13:33出雲大社前[520/6:40]
 ※旧JR大社駅取材
 ※出雲大社取材
17:13出雲大社前※-一畑電車・大社線・上り25(11)-17:24川跡[3]
17:27川跡-一畑電車北松江線・上り326(9)-17:36電鉄出雲市[79/1:19]
18:55出雲市※-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-

3日目(平日)

-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-07:08東京 事前購入


 第2案

第2案は第1案を手直ししたマイナーチェンジバージョンとも云える計画で、
大きな特徴は湯治との計画を断念し、宿泊地を松江から出雲市に変更したことである。
これによって松江のホテルから一畑電車への移動時間をそのまま鉄道取材に振り返られる。
岡山から出雲市への移動を1日目の最終に持って行き、
捻出した余剰時間を岡山電軌の取材に当てることにした。
岡山電軌は一度取材したことがあるが、
湯治はまだホームページ「ライトレールの時代」の製作が決まっておらず、
取材が甘く、電停取材もきちんと行われていない。
そこでもう一度きちんと全電停取材と全車両取材をし直すこととした。

1日目(平日)

04:40幕張-総武緩行線・上り469B(40)-05:20秋葉原[7] Suica使用
05:23秋葉原-京浜東北線・南行403A(4)-05:27東京[33] Suica使用
 ※駅弁購入
06:00東京※-東海道新幹線「のぞみ1号」(192/3:12)-09:12岡山[16] 事前購入
09:26岡山※-吉備線・下り737D(12)-09:39備前一宮[18] 200
09:57備前一宮-吉備線・上り738D(11)-10:08岡山[477/7:57] 200
 ※岡山電軌1日乗車券 400

 ※岡山電軌全電停取材

東山線
岡山駅前-西川-柳川-県庁通り-西大寺町-小橋-中納言-門田屋敷-東山

清輝橋線
柳川-郵便局前-田町-新西大寺町筋-大雲寺前-清輝橋

 ※岡山電軌全車両取材

3000形 3両 3005、3007、3010
7000形 2両 7001、7002
7100形 2両 7101、7102
7200形 2両 7201、7202
7300形 2両 7301、7302
7400形 1両 7401
7500形 1両 7501
7600形 1両 7601
7700形 1両 7701
7900形 5両 7901、8101、8201、8301、8501
9200形 1編成 9201

18:05岡山※-特急「やくも23号」(181/3:01)-21:06出雲市 事前購入、グリーン車
 ※駅弁購入

※スーパーホテル出雲駅前チェックイン

2日目(平日)

※スーパーホテル出雲駅前チェックアウト
※一畑電車一日フリー乗車券 1,500

08:03電鉄出雲市-一畑電車北松江線・下り309(26)-08:29雲州平田[41]
09:10雲州平田-一畑電車北松江線・下り311(37)-09:48松江しんじ湖温泉[43]
10:31松江しんじ湖温泉※-一畑電車北松江線・上り312(5)-10:36松江イングリッシュガーデン前[30]
11:06松江イングリッシュガーデン前-一畑電車北松江線・下り315(6)-11:12松江しんじ湖温泉[26]
11:39松江しんじ湖温泉※-一畑電車北松江線・上り314(48)-12:27川跡[55]
13:22川跡※-一畑電車・大社線・下り18(11)-13:33出雲大社前[520/6:40]
 ※旧JR大社駅取材
 ※出雲大社取材
17:13出雲大社前※-一畑電車・大社線・上り25(11)-17:24川跡[3]
17:27川跡-一畑電車北松江線・上り326(9)-17:36電鉄出雲市[79/1:19]
18:55出雲市※-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-

3日目(平日)

-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-07:08東京 事前購入

 決定案

これが「青春の旅立ち-山陽、山陰の旅」最終決定案である。
最終的に「青春18きっぷ」を使用することとして、計画を大きく変更した。
当初のプチ湯治計画からは全くの別計画と云ってもいいほどの変更である。
2009年夏期の「青春18きっぷ」の利用期間7月20日から9月10日に合わせ、
日程も7月24日から3泊とし、3泊目を「サンライズ出雲」とした。
今回の計画は山陽地区の小野田線本山支線と、山陰地区の木次線を取材するのが最大の目的である。
どちらも運転本数が少なく、特に関東エリア在住には取材困難な場所であり、
小野田線本山支線長門本山駅と木次線出雲横田駅はそういった意味では秘境駅と云える。
この二つの駅はホームページ「Station-駅から始まる物語」にぜひ収載したい駅である。
小野田線本山支線は朝に2本と夕方に3本しかダイヤがなく、
朝の自然光で取材するために07:04か07:30に長門本山駅に到着する列車に乗ることを基本に、
そこから計画を組んでいった。
最初は宇部山口空港に朝一の便で行こうと思ったが、それでも宇部新川駅にアクセスできるのは10:00で、
とても無理であることが分かり、前乗りで一番近いホテルのある駅である厚狭駅に一泊することにした。
本当は山口線の「SLやまぐち号」と木次線の「奥出雲おろち号」に乗りたかったが、
どっちも指定席券が取れず、こういう計画になってしまった。

7月24日(金)

04:40幕張-総武緩行線・上り443B(6)-04:46津田沼[19]
05:05津田沼-リムジンバス(45~75)-05:50~6:20第2旅客ターミナル[65/1:05~35] 1,200
06:55羽田空港-ANA671便(80/1:20)-08:15広島空港[14] 事前購入
08:29広島空港※-芸備バス(13)-08:42白市駅 380

 第1案
[4]08:46白市-山陽本線・下り快速シティーライナー5335M(15)-09:01八本松[17]
09:18八本松-山陽本線・下り337M(10)-09:28瀬野[31]
 ※スカイレール取材
09:59瀬野-山陽本線・下り339M(24)-10:23広島[123/2:03]

 第2案
[22]09:04白市-山陽本線・下り337M(14)-09:18八本松[13]
09:31八本松-山陽本線・下り快速シティーライナー5339M(10)-09:41瀬野[33]
 ※スカイレール取材
10:14瀬野-山陽本線・下り1543M(19)-10:33広島[113/1:53]

12:26広島※-可部線・下り759M(38)-13:04可部[24]
13:28可部※-可部線・上り766M(30)-13:58横川[19]
14:17横川-山陽本線・下り353M(45)-15:02岩国[22]
15:24岩国※-岩徳線・下り2237D(17)-16:41-45櫛ヶ浜[23]
 ※周防高森15:57-16:02(5)
 ※周防久保16:25-29(4)
17:08櫛ヶ浜-山陽本線・下り1563M(96/1:36)-18:44-45厚狭
 ※新山口18:00-12(12)

厚狭ステーションホテルチェックイン

7月25日(土)

厚狭ステーションホテルチェックアウト

06:34厚狭-山陽本線・上り3520M(5)-06:39-40小野田[2]
06:42小野田※-小野田線・上り1222M(14)-06:56-57雀田[3]
06:53-59小野田線本山支線・下り1223M(5)-07:04長門本山[6]
07:10長門本山※-小野田線本山支線・上り1322M(5)-07:15雀田[30]
(07:38長門本山※-小野田線本山支線・上り1224M-)
07:43-48(5)雀田-小野田線・上り1224M(7)-08:05宇部新川[15]
08:20-22宇部新川-宇部線・上り1834M(8)-08:30宇部岬[18]
08:48宇部岬-宇部線・上り1836M(44)-09:32新山口[69/1:09]
 ※快速「SLやまぐち号」取材 10:41-
10:59新山口※-山口線・下り659D(23)-11:22山口[28]
11:50-51山口-山口線・下り2541D(41)-13:45益田[114/1:54]
14:55益田※-山陰本線・上り352D(52)-15:47浜田[3]
15:50浜田※-山陰本線・上り332D(148/2:28)-18:18-20出雲市
 ※江津16:19-30(11)
 ※五十猛17:14-24(10)
 ※田儀17:50-54(4)

 ※スーパーホテル出雲駅前チェックイン

7月26日(日)

 ※スーパーホテル出雲駅前チェックアウト

08:42出雲市※-山陰本線・上り130D(38)-松江09:20[48]
 ※サンライズ出雲09:30-31
10:08-10松江-山陰本線・下り131D(21)-10:31宍道[50]
11:21宍道-木次線・下り1447D(161/2:41)-14:02備後落合[13]
 ※出雲横田12:49-13:00(11)
14:15備後落合※-木次線・上り1456D(59)-15:14出雲横田[39]
 ※出雲坂根14:52-57(5)
16:03出雲横田※-木次線・上り1460D(153/1:33)-17:36宍道[38]
 ※木次16:52-17:00(8)
18:14宍道-山陰本線・下り141D(17)-18:31出雲市[24]
18:55出雲市※-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-

7月27日(月)

-寝台特急「サンライズ出雲」(733/12:13)-07:08東京

 行動報告

実際の行動について、メモなどから書き起こした。
列車の遅延などはなるべく正確に記したつもりだが、現実の運行と若干の差異がある。
食事に関しても飲食店の場合は店名、駅弁の場合は購入場所について記しておいた。

7月24日(金)

04:40幕張-総武緩行線・上り443B(6)-04:46津田沼[19]
05:05津田沼-リムジンバス(45)-05:50第2旅客ターミナル[65/1:05] 1,200
 ※朝食/空弁購入
06:55羽田空港-ANA671便(95/1:35)-08:30広島空港[14] 事前購入
08:55広島空港※-芸備バス(14)-09:09白市駅[7] 380
09:16白市※-山陽本線・下り快速シティーライナー5339M(15)-09:31八本松[18]
09:49八本松-山陽本線・下り339M(9)-09:58瀬野[16]
10:14瀬野-山陽本線・下り1543M(19)-10:33広島[5]
10:38広島-呉線・上り636M(3)-10:41天神川[32]
11:13天神川-山陽本線・下り1547M(4)-11:17広島[50]
 ※昼食/ひろしまお好み物語駅前ひろば内「電光石火」
12:07広島※-可部線・下り757M(37)-12:44可部[24]
13:08可部※-可部線・上り766M(30)-13:38横川[6]
13:44横川-山陽本線・下り351M(36)-14:20大竹[18]
14:38大竹-山陽本線・下り1557M(7)-14:45岩国[25]
15:10岩国-山陽本線・下り649M(59)-17:09新山口[26]
 ※夕食/駅弁購入→ホテル
17:35新山口※-山陽本線・下り1569M(32)-18:07厚狭

 ※厚狭ステーションホテルチェックイン

7月25日(土)

 ※厚狭ステーションホテルチェックアウト

06:34厚狭-山陽本線・上り3520M(5)-06:39-40小野田[20]
07:00小野田※-小野田線・上り1222M(14)-7:14雀田[26] ※時間は推定
07:40雀田-小野田線・下り1225M(14)-07:54小野田[36] ※時間は推定
08:30小野田-山陽本線・上り3530M(30)-09:00新山口[101/1:41]
 ※朝食/新山口駅小郡駅弁当「やまぐち食彩館」
10:41新山口※-快速「SLやまぐち号」(36)-11:17仁保[133/2:13] ※時間は推定
13:30仁保※-中国JRバス・鉄道代行(30)-14:00新山口[66/1:06]
 ※昼食、夜食/駅弁購入
15:06新山口-山陽新幹線「のぞみ38号」(72/1:12)-16:18岡山 ※遅延時間は推定

 ※岡山ビジネスホテルチェックイン

 ※夕食/岡山駅「カプリチョーザJR岡山駅店」

7月26日(日)

※岡山ビジネスホテルチェックアウト

07:28岡山-山陽本線・伯備線・下り843M(85/1:25)-08:53新見[144/2:24]
 ※朝食/「標」
11:17新見※-伯備線・下り827M(111/1:51)-13:08米子[22]
13:30米子※-境線・下り1649D(43)-14:13境港[62/1:02]
15:15境港※-境線・上り1654D(48)-16:03米子[27]
16:30米子※-山陰本線・下り28M(100/1:40)-18:10出雲市[45] ※時間は推定
 昼食/出雲そば「黒崎」
 夕食/駅弁購入
18:58出雲市※-寝台特急「サンライズ出雲」(730/12:10)-

7月27日(月)

-寝台特急「サンライズ出雲」(730/12:10)-07:08東京 事前購入
07:43東京※-総武緩行線・下り709F(29)-08:12津田沼 乗り越し窓口支払い
08:17津田沼-総武緩行線・下り746B()-08:23幕張 乗り越し窓口支払い

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  ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 9

2009-08-08 | 鉄道・旅行
9.SUNRISE EXPRESSと再びの快晴-旅の終わり

入線してきた285系を取材し、荷物を個室においてからいったん改札を出て、
売店で夕食用に「焼き鯖寿司」やビールなどを購入し、
今度は「サンライズ出雲」のきっぷで入場する。





出発時間は18:55で、時間いっぱいまで車両取材する。
しかし時間ぎりぎりで列車に戻ると、車内放送があり、
接続する予定の山陰本線上り列車が遅れているために10分遅れるとのこと。
そのためこの時間を利用してさらに車両取材する。
しかし実際には車内放送があって直ぐにとなりホームに列車が入線してきたため、
車内に戻ると3分遅れで発車するとのこと。
そのままホームにいたら置いて行かれるところだった。
最初に荷物を置きに来たときに既に車掌が来て検印して貰ったため、
そのまま列車が発車したと同時にビールを開け、一人で乾杯する。
個室内には「Welcome to SUNRISE EXPRESS」という小冊子が置いてあり、
 車内禁煙について
 シャワー室について
 時計のアラームについて
 オーディオ・ビジュアルサービスの案内
などの説明書きが書かれていて、裏面には個室やノビノビ座席の紹介などが載っている。
シャワー室に関しては車掌からシャワーカードやタオルなどを購入して利用するのだが、
A寝台である“シングルデラックス”の利用者6人に関しては、
シャワーカードとアメニティグッズ一式がついてくる。



しかもシャワー室に関しては一般利用者とは別に、A寝台専用のシャワー室がある。
サンライズのシャワー室はなかなか順番が取れないことで大変なのだが、
A寝台は6人で一室を使うことで、自分の思ったときに使える。
ビールで乾杯してから少し鯖寿司を喰い、シャワーを浴びに行く。
シャワー室はお湯の出る時間は6分間だけで、シャワー室内は着替えも含めて30分以内となっている。
ただ、これは自主的な時間厳守をお願いしているだけで、タイマーなどはない。
6分間のシャワーというと、あまりゆったりは出来ないが、
それでも動く列車の中でシャワーを浴びられるというのは有り難い。
それに実際、6分という時間は短いようで、男にとっては持て余すほどの時間と云える。
シャワー室から自分の部屋に戻り、さらにゆったりとビールを飲みながら鯖寿司を喰う。
ベッドでうとうとしながら車窓を楽しむ。
この待ったりとした時間が寝台個室の魅力だ。
どんなにグリーン車がゆったりとした座席といえども、裸で寝っ転がったりは出来ない。
列車は山陰本線の遅れの影響で最大9分遅れのダイヤとなってしまったが、
伯備線に入って時間を取り戻したらしく、岡山で「サンライズ瀬戸」と連結するときには時間通りとなっていた。
「サンライズ出雲」は定刻では18:55に出雲市を出て、
山陰本線を伯耆大山まで行き、ここから伯備線経由で倉敷に至り、山陽本線を岡山まで行く。
停車駅は宍道、松江、安来、米子、新見、倉敷で、22:29に岡山に到着する。
ここで先に待っていた「サンライズ瀬戸」と連結作業をして22:33に岡山を出発する。
一方「サンライズ瀬戸」は21:26に高松を出発し、坂出、児島と停車して22:22に岡山に到着する。
「サンライズ出雲」も「サンライズ瀬戸」と285系7両編成が充当される。
車両の所有はJR西日本とJR東海で、内装は基本的に同じである。
285系は寝台電車としてJRになってから誕生させたもので、
内装を住宅メーカーに依頼するなど、従来の“ブルートレイン”のイメージを払拭させた寝台列車である。
岡山から2つの列車を連結させ、14両編成で山陽本線、東海道本線を東京に向かって走る。
停車駅は上郡、姫路、三ノ宮、大阪となり、翌朝、静岡、富士、沼津、熱海、横浜と停車し、07:08に東京に到着する。
上郡は夏の間だけの臨時停車である。
岡山でいったんホームに出て写真を撮り、そのあとはビールの残りを飲み干し、そのまま寝てしまう。
2:10a.m.頃にいったん目が覚めたが、外は激しい雨だった。
しかし翌朝目が覚めると車窓には青空が広がっていた。



この旅の3日間はずっと土砂降りの雨に悩まされていたが、
東京に戻ってこの快晴は逆に腹が立った。
なんだか雨に振り回された3日間をあざ笑うような快晴である。
東京駅に到着し、回送されるのを見送ってから総武快速線で帰る。
結局今回の旅では目的だった小野田線完乗と長門本山駅取材、
木次線完乗と出雲横田駅取材が全く出来なかった。
また何時か機会があったら、全く同じ行程でリベンジしたい。



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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 8

2009-08-07 | 鉄道・旅行
8.もうひとつの顔-雨の境線と出雲蕎麦

新見駅に行って駅のベンチで待っていると電車の入線があった。
そこで改札口を潜ってホームに行く。
ホームに行く途中に「頌山堂」という和菓子店の広告が目にとまった。
新見銘菓の「山芋餅」という和菓子を造っている。
この和菓子は全国菓子博覧会で何度も受賞した銘菓なのだそうである。
駅前にある「頌山堂」には「Cafe de ShiRuBe」というカフェが併設されていて、
この山芋餅はそこでも購入することが出来ると書かれている。
最初は気付かなかったが、よく見ると今まで入っていた喫茶店「標」の写真が載っている。
あの喫茶店は単なる喫茶店ではなく、
喫茶店として客を呼んでおきながら、「頌山堂」の和菓子を販売する目的があったのだ。
そんなことならお土産に山芋餅を買っておけば良かった。
時刻表で調べたとおり、米子行きの電車は11:17に新見駅を出発する。
見かけた電車は新見駅始発の電車だったが、中線に止まってそのまま駅から少し離れたところに移動した。
新見駅は2面4線のホームだが、上りと下りの間に2本の中線が設置されていて、
そこにいったん止まって4番線のホームが開くのを待ったのである。
この駅は伯備線の駅であるとともに、姫新線、芸備線も発着する。
そのため1番線、2番線を姫新線、芸備線の気動車が使用し、
3番線、4番線を伯備線が使用する。
新見泊まりの湘南色の115系が3番線に到着し、
さらに特急「やくも」が停車してから2両編成の115系が入線してくる。
米子方は中間車両の先頭化改造タイプのクモハ114-1098だった。
途中の備中神代で3分の停車時間がある。
この時間を利用して駅取材を強行し、あとはおとなしく電車に揺られてひたすら米子を目指す。
途中、EF64型に牽引された貨物列車とすれ違った。
途中ずっと車窓は山岳路線の様相を呈していたが、伯耆大山で山陰本線に入って急に景色が変わった。
米子駅に到着すると側線にはEF64型1047号機が停車している。
以前にも米子駅を取材し、その時は雪景色の中でEF64型1048号機を取材している。
そのほか、大阪と米子を結ぶ夜行急行「だいせん」のキハ65形も見かけたが、
この車両も「だいせん」が2004年10月16日のダイヤ改正で廃止になったあとに廃車されている。
遠くの側線には気動車が多く並んでおり、その中には姫新線専用塗色の車両が何両か見受けられた。
姫新線にキハ122形、キハ127形が導入されることと関係があるのだろうか。
米子は既にに駅取材済みであるし、境線には既に車両が止まっている。
今回は改札の外には出ずにそのまま境線の車両取材に入り、そのまま乗車する。
境線は終点の境港に水木しげる記念館がある関係で、
地元をあげて水木茂るの妖怪ワールドで町おこしをしている。
境線の駅には妖怪の名前が付けられ、
境線のキハ40形4両が「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラでデザインされている。
キハ40-2115「ねずみ男」列車、キハ40-2095は「目玉おやじ」列車のデザインが施されていた。
境港までは43分の旅となる。
起点終点を含めて16の駅があり、全てに妖怪の名前が付けられている。
米子駅はねずみ男駅、境港駅は鬼太郎駅である。
途中に米子空港駅があった。



目の前に空港があって、空港までは徒歩圏内である。
実際に乗るまでは気付かなかったが、
境港線は地域住民の生活線、水木しげるワールドに彩られた観光線という側面のほかに、
もうひとつの顔があったのだ。
それは空港アクセス線ということである。
米子空港の発着数や境港線の運行数から考えると、“便利”とまでは行かないが、
リムジンバスによる移動を考えると検討の余地はある。
ただ、境港線は1時間に1本、多くても2本しかないため、リムジンバスの方が有益であるとは云える。
境港に着く頃には再び雨が強くなっていて、境港駅は雨の中の駅取材となってしまった。
しかし雨の中、駅前ではお祭りをやっていて、
バンドの発表会や漁船を使っての綱引き大会などが催されていた。
15:15の列車で米子に戻る。
この列車はキハ40-2118使用の「鬼太郎」列車と一般色のキハ47-3003の連結だった。
片運転台のキハ47形と両運転台のキハ40形の連結だが、
気動車ではこういった連結はよくある。
米子で車両取材をしながら始発の山陰本線06:30発の列車を待つ。
そして115系が充当された山陰本線で出雲市を目指す。
しかし山陰本線は雨の影響なのかダイヤが乱れていて、予定のない駅での停車時間が多い。
そのおかげで安来、揖屋、宍道で駅名表示板の取材が出来た。
また宍道ではちょうど木次線の気動車が停車していて、それも取材する。
ダイヤでは17:47到着になっていたが、実際は20分以上遅れて18:10過ぎになっていた。
駅の外に出て駅舎取材し、昨日泊まる予定だった「スーパーホテル出雲駅前」に行き、
とりあえずビルの外からお詫びを云う。
出発時間まであと少しあるので駅野中にある「出雲そば 黒崎」に行き、天ぷらそば850円を喰う。
普段はうどんを喰うのだが、やはり出雲と云えば蕎麦の名産地なので、ここは天ぷら蕎麦をオーダーする。
少し時間がかかると云ったが、そのままオーダーを通した。
天ぷらは衣を揚げるところからなので時間がかかるらしい。
揚げたての天ぷらが乗った天ぷらそばが出てきたのが列車の発車時間の30分前を切っていた。



出雲蕎麦の特徴は最初からそば湯が入っていて、醤油の味がしない。
ちょっと独特の味覚で、物足りない人のためにつゆが別についてきた。
10分ちょっとで蕎麦を喰い、お土産を買ってからホームに上がって「サンライズ出雲」の到着を待つ。
既に日は傾きかけていて、ホームに上がって直ぐにライトをともした285系が入線してきた。

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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 7

2009-08-06 | 鉄道・旅行
7.伯備線、北へ-新見の集中豪雨と「標」のナポリタン

3日目の朝は6:00a.m.にモーニングコールをセットして起床した。
岡山ビジネスホテルは素泊まりで宿泊したため、
シャワーを浴びて支度をし、そのままチェックアウトする。
空は多少雲が多いが、それでも天気は悪くない。
岡山駅まで歩く途中に留置されている気動車が見えたが、
国鉄首都圏色と呼ばれる朱色5号の塗色車の中に、
姫新線の専用塗色のキハ40系列の車両が幾つか見えた。
岡山駅では駅前の桃太郎像に挨拶した。
急遽泊まることになったので、昨日挨拶し損なっていたのだ。
最近の桃太郎は犬、猿、雉のほかに鳩も家来にしているみたいだ。



改札を潜る前にみどりの窓口に設置されている時刻表でダイヤとルートを確認する。
そのあと青春18きっぷに「(西)岡山駅7.26入鋏済」とスタンプを押して貰い、改札口を入る。
ホームに降りていくとニューアルしたJR四国8000系が停まっていたので、
まだ未取材だった貫通型の正面の画像を撮る。
昨日岡山駅に来た時に思ったのだが、新しくコンコースが出来たため、見目新しい駅に来た様である。
岡山駅には何度も来たことがあるのだが、記憶していた景色と全く違っていた。
ホームに降りて駅蕎麦を喰おうかと思ったが、開店が7:30a.m.からだった。
今日乗ろうとしていた伯備線新見行きの電車は07:28で、開店まで待っていたら間に合わない。
しかも8000系の写真を撮っていたために列車の入線時刻が迫っていて、
階段を上っているうちに1番線に列車が入ってきていた。
自販でお茶を買う余裕もなく、新見行きの電車に乗り込む。
この列車は播州赤穂から赤穂線経由で岡山に来て、倉敷から伯備線に入って新見まで行く。
07:28に岡山を出て山陽本線を倉敷まで行く。
ここまでは利用客も多く立ち客もいたが、伯備線に入ると利用者は極端に減った。
伯備線は伯耆国(現在の鳥取県の一部)と備前国(現在の岡山県の一部)を結ぶ鉄道線として、
戦前の鉄道院、鉄道省によって丙線として建設された。
南北から建設が開始され、
山陰本線伯耆大山から建設が始まった伯備北線は1919年8月10日に伯耆溝口が部分開通し、
その後、徐々に延伸して192612月1日までに足立まで延伸した。
倉敷から建設された伯備南線は1925年2月17日に宍粟まで部分開通し、
その後延伸されて1927年7月31日に備中川面まで延伸された。
1928年10月25日に備中川面-足立間が開通して伯備線は全通した。
高梁川に沿って北上する線形で敷設され、自然豊かな風景が車窓に広がる。
08:53に新見駅に着いた時には微かに霧雨が降っていて、雨の中の駅取材になってしまった。
いったん駅取材してから駅に掲示されているダイヤを見ると、
9時台、10時台は特急「やくも」があるだけで、
青春18きっぷで乗れる列車は11:17の新見始発米子行きしかない。
そこで駅の窓口にあった時刻表でダイヤを調べ直す。
宿泊地を変えてしまったため、事前に調べた予定表はほとんど役に立たない。
そして今日は出雲市から「サンライズ出雲」に乗って帰ることになっているため、
18:55までには出雲市まで行かなければならない。
当初の予定では出雲市に宿泊していて、
松江で駅取材してから木次線を取材し、再び出雲市まで戻るという予定だった。
木次線の終点は備後落合であり、
芸備線で51.0kmの距離である。
予定では、14:15発の備後落合発の列車に乗ることになっている。
この時間なら備後落合まで行けないかと思ったのだ。
芸備線のダイヤは12:47までないが、その列車に乗れば14:10に備後落合に到着する。
5分の乗り換え時間で予定のダイヤに間に合う。
出発までかなり時間があるため、駅でボーッとしていても意味がないので、外に出て取材をする。
新見駅にはかつて備中鉄道部があり、車両基地が併設されていた。
現在は廃止になったものの、車両基地としての機能は残っていて、留置されている車両が見受けられた。
これを外から取材しようと思ったのだ。
駅を出た時にはまだ小雨が残っていたものの、歩いている途中で完全に雨は止んでいた。
高梁川を渡る姫新線の車両を撮影しようと、川沿いに立って列車を待っていると、
再びポツポツと雨が降り出し、それはあっという間に土砂降りの雨になった。
旅行用バッグは布製のスポーツバッグを使用している。
簡単に形が変わるので、飛行機の手荷物入れに入れる時や、コインロッカーに入れる時に便利である。
しかし布製のために雨に弱く、川に放り投げたのかと思うほどびしょびしょに濡れてしまった。



列車の通過時が一番雨が激しく、撮影してから直ぐに駅前に戻り、
駅前にある「標」という喫茶店に入る。
考えてみればまだ朝食を喰っていなかったのだ。
そこでスパゲティナポリタン(サラダ付き)550円をオーダーする。



昨日の夜も「カプリチョーザ」でパスタを喰ったが、
個人的にはパスタ専門店のアルデンテなものより、
喫茶店が片手間に作ったようなちょっと腰砕けなスパゲティナポリタンの方が好きである。
それはおいらが貧乏舌からかもしれないが・・・。
ここは新見の駅近隣を歩いてみて、唯一ちょっとお洒落な店であった。
ただ、お洒落なカフェではあるが、
ショーウインドーにはモンブランやチーズケーキなどの洋菓子と並んで、
くず餅などの和菓子が平気で並べられていた。
この辺の感覚が田舎らしいと思った。
ただ、土砂降りの雨に降られたことで、ちょっと考え方が変わったきた。
昨日と同様、雨でダイヤが乱れたら危険である。
木次線がダイヤ通りに動いていて、芸備線が遅れたら乗り継ぎは出来ない。
備後落合で取り残されたらもう動きようがない。
木次線に乗って出雲横田に行きたいという気持ちは強いが、
それはかなり危険な行動と云える。
そこで今回は木次線を諦めて伯備線で早めに米子に行くことにしようと思う。
駅で調べたダイヤは以下の通りである。
原文のまま記しておく。

 新見12:47-443D-14:10備後落合
 -14:15-1456D-15:14出雲横田

 7:28岡山-843M-8:53新見
 11:17-827M-13:06米子
 13:30-境線1649D-14:13
 15:15-16:03
 16:03-17:47

途中でかなり雑なメモとなっているが、
新見から芸備線で備後落合に行く場合、
備後落合からは事前に立てた通りの予定に乗り入れることが出来る。
一方で、新見からそのまま伯備線に乗る場合、
13:06には米子に到着する。
そのまま出雲市まで行ったのではもったいないので、
今まで行ったことのない境線を終点の境港まで往復してみるのも悪くないと思った。
時間的にも十分に間に合う。
「標」でブレンドコーヒー350円を追加オーダーしてゆっくりと考えをめぐらせた。
そしてこの喫茶店を出た頃にはもう雨は止んでいた。
姫新線の写真を撮った時だけ土砂降りの雨だったみたいだ。
とほほ・・・。

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青春の旅立ち-山陽山陰の旅 6

2009-08-05 | 鉄道・旅行
6.「のぞみ38号」の緊急移動と岡山の夜

みどりの窓口では「SLやまぐち号」の指定席の払い戻しだけした。
携帯電話で予約していた「スーパーホテル出雲駅前」に電話し、
事情を話して予約をキャンセルさせて貰う。
晴れた新山口駅の駅取材をしてから、
自動券売機で新山口から岡山までの乗車券・新幹線特急券を購入する。
そんなに急ぎの旅ではないので、「ひかり」か「こだま」でも良かったが、
ちょうどいいダイヤがなかったため、
15:06新山口発の「のぞみ38号」の普通席指定席券を購入する。
乗車券4,940円、新幹線特急券4,160円で合計9,100円である。



少し時間があるので昼食を喰おうかと思ったが、
今朝、駅蕎麦店は使ってしまったので、駅弁を新幹線で喰うことにした。
新幹線改札口を潜り、売店で新山口名物「あなごめし」930円を購入する。
普段は魚介類はそんなに積極的に喰わないのだが、
地域に根ざした駅弁を選択していくと、どうしても魚介類が多くなってしまう。
ホームに上がるとそこの売店でさらに「ふく寿司弁当」1,000円を見つけ、これも購入する。
駅弁の包み紙には「新山口駅 福到」と書かれている。
さらに「明治21年、時の総理大臣、伊藤博文が下関を訪問したおりに料理店でふぐを食べました。
女将が違法を承知で出したのですがその美味なることに驚いた伊藤博文は
山口県に命じて県下ではふぐが解禁となりました。
日本で最初にふぐ食禁止令を出したのは豊臣秀吉。
その美味さにふぐ解禁を命じたのは伊藤博文。」と書かれている。
昼食は「あなごめし」にして、「ふく寿司弁当」は夜食にしよう。
「のぞみ38号」はN700系が充当されていた。
新山口駅のホームには予定通りの時間に来たのだが、
雨の影響で速度制限が出ていて、到着時間が遅れると車内放送があった。
駅弁を喰ってうとうととしているうちに、岡山に到着した。
切符に乗っている到着時間は16:13となっていたが、実際には16:18くらいだった。



岡山駅で少し新幹線の車両取材をしてから在来線の改札経由で外に出る。
駅にあった地図で岡山ビジネスホテルに電話して当日予約する。
本当は岡山ビジネスホテルアネックスの方が駅から近いのだが、
電話してたらシングルは喫煙室しか残っていないということでここは諦めた。
岡山ビジネスホテルはたぶん10年くらい前に一度だけ泊まったことがある。
駅から少し遠いのだが、留置されている車両を見ながらホテルまで歩くのがちょっと楽しい。
いったんホテルまで行ってチェックインし、
荷物を置いてからカメラバッグだけ持って再び岡山駅に行く。
最初は岡山まで戻れる範囲でどこかに行って駅取材に行こうと思ったが、
疲労も蓄積していて何処に行こうか決められず、結局日が暮れるまで車両取材だけになった。
リニューアルした381系「ゆったりやくも」を始め、
同じくリニューアルしたJR四国8000系の非貫通型のグリーン車バージョンの塗色を取材する。
全国的に国鉄回帰の傾向があるが、
JR西日本でも113系と115系が湘南色になっていて、
岡山駅では一瞬、113系と115系の湘南色が並んだりした。
日が暮れて自然光でのに取材が難しくなった段階で取材を終了して、
「カプリチョーザJR岡山駅店」で1名様セット1,490円喰う。
これは好きなパスタとサラダ、飲み物がセットになった一人客専用のメニューで、
パスタはきのことトマトのスパゲティ、飲み物はビールをチョイスした。
売店で明日のために廣榮堂の「元祖きびだんご」を購入する。



これは明日の伯備線の旅で犬と猿と雉に出会ったら、家来にするためである。
ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、「ふく寿司弁当」をつまみにビールを飲む。
テレビでFNS感謝祭などを見ながら、11:00p.m.には就寝する。

 ※この文章はgooブログ「林檎乃『とほほ・・・。』ブログ」と
  ぷらぷらレール「れいの日記」、同時公開です。
  ご了承下さい。
コメント (2)
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