林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

ホームページ更新

2009-12-13 | 更新情報
「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第253回更新しました。

駅名表示板コレクションに浅野駅、武蔵白石駅、南越谷駅を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第30回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「廃車&保留車 貨車」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「旅の徒然に」を第163回更新しました。

「駅弁コレクション」の特別付録空弁に「シュウマイ弁当」の1データを公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/
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行政サービスと住民-花見川区役所の日曜日-

2009-12-13 | 政治
保険会社からの依頼で早急に住民票が必要になった。
しかし平日しか区役所は開いていない。
会社から徒歩圏内に稲毛区役所があるため、
花見川区民でも稲毛区役所で住民票が取れるかどうか、
千葉市のホームページで調べてコールセンターに電話をしてみた。
すると、市内の全ての区役所で交付が可能だが、
さらに第2日曜日の午前中でも一部の窓口が開いており、
住民票の写しなら交付が可能とのこと。
そこで今日、午前中に花見川区役所まで行ってきた。
これまでにも何度か平日に訪れたことはあったが、
混雑していて交付までかなり時間がかかったように記憶している。
しかし今日は空いていて、入っていくと案内係の人が丁寧に教えてくれ、
申し込むとソファに座る暇もなく呼ばれて交付を受けることが出来た。
多くの住人が平日は仕事でなかなか区役所には来られない。
今は千葉市内での勤務となったが、以前は東京が勤務地であった。
そういう人は多いと思う。
月1回の日曜日の、しかも半日というのは少ない気もするが、
それでも平日に休めない単身者には有り難いサービスと云える。
行政サービスが行政側の都合一辺倒から、
少しは住民の都合も考慮するようになってきたということか。
人件費の問題もあると思うが、上手く工夫して休日の対応ももう少し検討してくれたら有り難い。
結果的には早すぎて次のバスを20分以上待つ羽目になってしまった。
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ホームページ更新

2009-12-12 | 更新情報
「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第252回更新しました。

車両図鑑・JR編/ジョイフルトレインにキハ48形「リゾートしらかみ・青池編成」、
キハ48形「リゾートしらかみ・くまげら編成」、
車両図鑑・私鉄編/大手私鉄の京成電鉄に3700形京成本線、
中小私鉄の弘南鉄道に7000系弘南線、津軽鉄道にDD35型ディーゼル機関車、
第三セクターの秋田内陸縦貫鉄道にAN8800形秋田内陸縦貫鉄道線を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第29回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「廃車&保留車 客車」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「旅の徒然に」を第162回更新しました。

「駅弁コレクション」の東日本エリアに「菊ずし」の1データを公開いたしました。
「A列車で行こう」に「寝台特急『あけぼの』の旅」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/
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千葉「増田家」

2009-12-11 | 飲食店
10日に千葉県がセンターに通院した際に、
昼食に寄ったのが「増田家」というラーメン専門店である。



ここは横浜ラーメンの店で、いわゆる“家系”の一つである。
“家系”は「いえけい」と発音するのであって「かけい」ではない。
店名が「・・・家」と称するとんこつラーメンの店をこう呼ぶ。
もともと横浜の「吉村家」を源流とし、
そこで修行し独立した店主の店が、
総本山に習って「・・・家」の店名をつけるようになったという。
ただ、現在は亜流の店も増えているようで、
店名だけで絶対“家系”とは断言できないようである。

オーダーはラーメン・中750円とトッピングに煮玉子100円。
トッピングは海苔が3枚、チャーシュー1枚、それにモヤシやキクラゲなど。



家系ラーメンの特徴はなんといってもそのスープにある。
独特の味覚を有するスープは好みの分かれるところ。
不特定多数の人にアピールできる味ではないが、
このスープの虜になる人も多い。
麺は“普通”でオーダーしたのだが、少しコシのある麺だった。
個人的には家系マニアではないのだが、
それでもたまに無性に喰いたくなるラーメンの一つである。
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建て替えが決まったJR千葉駅とミスドでブレイク

2009-12-10 | 鉄道・旅行
今日は検査通院のため会社を休んで千葉県がんセンターへ行く。
JR千葉駅からバスで行くのだが、
ここで初めて営業運転されている209系2000番台、2100番台を見かけた。



幕張本郷付近で車窓から留置中の車両を見かけたことはあったのだが、
営業運転されている車両を見るのは、実は今日が初めてだった。
今は209系のシルバーのボディにちょっと違和感を覚えるが、
たぶんそのうち、この光景も見慣れていくことだろう。
むしろ、スカ色の113系が房総方面を走っていたことも、
いずれは過去の話題となってしまうのだろう。

昨日、千葉テレビのニュースをザッピング中に見て知ったのだが、
老朽化したJR千葉駅の前面建て替えが決まったそうだ。
JR千葉駅が現在の場所に移転してきたのは1963年4月。
それ以前は今の千葉市民会館の近くにあり、
外房線はスイッチバックしなければならなかった。
現在は千葉都市モノレールの駅が前に出来てしまったため、
もともとの外見が分かりづらくなってしまった。



JR東日本のホームページによると、
現在地上駅となっている千葉駅ホームを3階に橋上化して、
東口(正面側)と西口を同じフロアで繋げるとのこと。
現在は西口は改札内の跨線橋から改札外の跨線橋に出る形になっているが、
これを同じフロアで繋げるというのた。
これに伴って駅ビルも全面建て替え、フロア面積を約倍にするという。
“駅ナカ”を整備し、さらに立川駅などで行っている保育施設も設置するという。
来年より工事に着手し、2015年度に新駅として開業するという。
駅ビル、エキナカは翌年、翌々年の予定だという。
特に記載はなかったが、たぶん千葉都市モノレールとの乗り換えも便利になるだろう。
今はいったん外に出て2つのエスカレーターを乗り継いで改札階に行かなければならない。
平行移動できれば乗り換え時間も短縮する筈だ。

病院の検査の結果は特に問題もなく、来年2月に継続検査となった。
千葉に戻ってヨドバシカメラで無線ルーターなどを購入し、
misterDonutモノレール千葉駅ショップでブレイクする。
リッチドーナツ・チョコレートリングとポンデリングに、
ブレンドコーヒーをオーダーする。



ポイントカードの有効期限が近かったため、100円分使用する。
ミスドでブレイクするのも思えば久しぶりである。
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C61型20号機の復元

2009-12-09 | 鉄道・旅行
JR東日本のホームページで知ったのだが、
伊勢崎市にある華蔵寺公園遊園地で静態保存されているC61型20号機を、
再来年を目処に動態復元し、高崎に投入する予定だとのこと。
現在、D51型498号機が高崎から水上を結ぶ臨時列車に投入されているが、
ここにもう1機が入れば、より柔軟な列車運行が可能になるだろう。
いずれにしろ、動態復元されるSLが増えるのは嬉しいことである。
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神田神保町「キッチン南海」

2009-12-07 | 飲食店
神田神保町を散歩した時に昼食に入ったのが「キッチン南海」という洋食店である。
ここはすずらん通りという神保町から御茶ノ水方面に向かう、
靖国通りの一本裏にある路地沿いにある店で、
カツカレー発祥の店としても有名である。
しかしオーダーは学生時代に良く喰っていたチキンカツ・生姜焼きライス700円にした。
大学時代はそれほど金もなく、外食といっても立ち喰い蕎麦が多かったが、
次の日がテストなどの時は験を担いでチキンカツを喰ったものだ。
「勝つ」という験を担いだつもりだが、
実際は“チキン”な結果になることが多かった。
とほほ…。
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2009-12-06 | 更新情報
「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第251回更新しました。

駅名表示板コレクションに浜野駅、東千葉駅、新芝浦駅を公開いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第28回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「ディーゼル機関車図鑑」を更新いたしました。
「廃車&保留車 客車」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/

「旅の徒然に」を第161回更新しました。

「駅弁コレクション」の東日本エリアに「はやて弁当」の1データを公開いたしました。
「東京散歩日和」に「東京散歩日和~神田神保町~」を公開いたしました。

http://ringono.web.fc2.com/
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ホームページ更新

2009-12-05 | 更新情報
「REI RINGONO Home Page」を第348回更新しました。

「REI RINGONO Essay」に「林檎乃麗日記 霜月2009」を公開いたしました。

http://www.asahi-net.or.jp/~ez9t-sn/

「林檎乃麗鉄道写真館ANNEX」を第250回更新しました。

車両図鑑・私鉄編/大手私鉄の小田急電鉄に3000形SSE「あさぎり」、
3100形NSEを公開いたしました。
車両図鑑・私鉄編/大手私鉄の相模鉄道に9000系相鉄本線を変更いたしました。
車両図鑑・私鉄編/大手私鉄の相模鉄道の8000系相鉄本線を更新いたしました。

http://www16.tok2.com/home/reiringono/

「林檎乃麗鉄道辞典」を第27回更新しました。

「林檎乃麗鉄道辞典」を更新いたしました。
「ディーゼル機関車図鑑」を更新いたしました。
「廃車&保留車 電車」を更新いたしました。

http://ringono.kt.fc2.com/
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SOTECパソコンの処分

2009-12-05 | パソコン
Windows7を搭載したノートパソコンを購入したことで、
今まで予備機として取っておいたSOTECのパソコンを処分することにした。
のちにオンキヨーの子会社とになり、今ではオンキヨーブランドとなっているため、
オンキヨーのホームページから処分を依頼し、
11月17日火曜日に同社PCリサイクル窓口から2通の請求書来る。
デスクトップPC回収料金として\3,150、
LCD(一体型PCを含む)回収料金として\3,150とのことで、
これは翌日にコンビニらから振り込みをする。
その後、12月になって排出のための宛名が書かれた伝票が届く。
これを梱包したパソコンに貼り、昨日会社から日本郵便花見川支店に電話して集荷を依頼。
今日の昼頃に2つとも回収されていった。
これで一連のノートパソコンの購入と不要になったデスクトップの処分は完了した。
あとは無線LANの計画を推進するのみである。
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東京散歩日和~神田神保町~ 後編

2009-12-04 | 鉄道・旅行
すずらん通りの洋食店「キッチン南海」で昼食後、
お茶の水に向けて歩き出す。
すずらん通りは靖国通りの一本裏に当たる細い道で、
飲食店などが並んでいる。



ここは「スヰートポーヅ」という餃子専門店である。
大学時代にバイトの仲間と何度か訪れたことがある。
戦前から営業していたという神保町の中でも有名な店の一つである。



「駿」は特別有名な喫茶店ではないが、
大学時代にバイトの入り時間の調整で何度か入った店である。
ここに入るとピザトーストをよく喰っていた。



「揚子江菜館」は中華料理専門店である。
ここは冷やし中華発祥の店としても有名である。
ただ、入ったことは一度もないけれど・・・。

すずらん通りを御茶ノ水方面に歩いていくと、三省堂書店本店がある。
さらに途中には書泉ブックマートや書泉グランデなどの大型書店があり、
靖国通りに面した通りには高岡書店がある。



ここは漫画専門の書店であり、予備校時代、大学時代を通じて足繁く通った店の一つである。
さらに神保町の交差点の、稲垣ビルから靖国通りを渡ったところには、
「トロワバグ」というコーヒー専門店がある。



ここは豆から落としてくれるコーヒーが飲める店で、
バイトの先輩が連れて行ってくれた。
その先輩は楳図かずお氏が必死で原稿を描いている姿を目撃したと云っていた。
となりの立ち喰い蕎麦屋もよく行った店の一つである。



「三幸園」は中華料理店で、ここもよくバイト終わりで行った店の一つである。
ここの味噌ラーメンは少し高かったが、
小さな大蒜がそのまま入っていて、大好きな味噌ラーメンの一つだった。

すずらん通りから靖国通りを渡って御茶ノ水駅に向かう途中に、
「BAMBI」という名の洋食店がある。
どちらかと云えば学生向きの店で、一度だけ入ったことがある。



バンビとは道の反対側の少し奥まったところに「駿河」というとんかつ屋さんがある。
ここも何度か入ったことのある店で、
変な話だが、トンカツより定食についてきたシジミの味噌汁の味が今でも記憶に残っている。



ここから御茶ノ水方面は楽器店が多くなり、
靖国通り沿いを行くとスポーツ用品店が多くなる。
お茶の水に向かって歩くと明治大学があり、
その奥まったところに「山の上ホテル」がひっそりと佇んでいる。



ここは戦前に建てられた建築物としても有名で、戦後一時GHQに接収されていたこともある。
また多くの文人に愛されたホテルとしても名高い。
有名作家が都心で“カンヅメ”になる時によく利用されたりもするようである。

この通りから少し奥まったところにニコライ堂がある。



“ニコライ堂”の愛称で親しまれている建築物は、
正確には「日本ハリストス正教会教團東京復活大聖堂」という。
つまりギリシャ正教の教会なのである。

大通りに戻り、そのまま行くと神田川を渡る御茶ノ水橋の手前にJR御茶ノ水駅御茶ノ水橋口がある。



御茶ノ水駅は神田川沿いに平行して建てられている。
平行して建てられていると云うより、護岸の上に強引に敷設されたといった感じだ。



御茶ノ水橋から見る光景は、さだまさし氏の名曲「檸檬」のジャケットにも描かれている。
神田川に架かる橋が聖橋で、湯島聖堂に繋がる橋からこの名がついた。
下には東京メトロ丸の内線の橋も見える。
JR中央線の下を潜るため、神田川の川面に近い位置に橋が設置されている。
地下から川を渡る時だけ地上に出て、またすぐに地下に繋がるトンネルに入る不思議な光景である。

予定ではここがゴールだったが、
御茶ノ水からさらに中央線沿いを歩き、昌平橋から秋葉原に至る。
このあたりの快速線の高架は、明治時代に作られた煉瓦によるものを、
後にコンクリートで補強して使用している。
そのため煉瓦の部分は明治時代に甲武鉄道が建設したもののままであると思われる。



鉄道遺構を単なる遺構として保存するのではなく、
実際に補強して使いながら保存するという姿勢には共感が持てる。
御茶ノ水から快速線は神田へ、緩行線は秋葉原へと続くわけだが、
快速線の途中にはかつてあった万世橋駅のあとも残る。
交通博物館として利用されていた旧万世橋駅は、今はその役目を終え、ひっそりとしている。
電気街を抜け、秋葉原駅電気街口から昭和通り口に抜ける。



ここでこの散歩の旅は終わりである。
JR水道橋駅を出発したのが8:48a.m.、JR秋葉原駅に到着したのが1:10p.m.だった。
昼食時間も含め、4時間22分の散歩旅であった。

取材日:2009年11月28日
区間:JR水道橋駅-東京メトロ神保町駅-JR御茶ノ水駅-JR秋葉原駅
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東京散歩日和~神田神保町~ 靖国神社

2009-12-02 | 鉄道・旅行
靖国神社の最寄り駅、九段下は神保町から東京メトロ半蔵門線に乗って一駅である。
この二つの駅間は営業キロで0.4kmしかなく、徒歩で移動することにした。
靖国通りは日本武道館でコンサートを見た帰りに御茶ノ水まで歩いたことは何度かあった。
しかしそれ以外はほとんど行ったことが無く、見知らぬ風景である。
途中に九段会館や昭和館などがあり、程なく日本武道館の“玉葱”が見えてくる。
靖国神社に行く前に、田安門から北の丸公園に行ってみることにする。



木々はすっかり秋色に染まっている。
お堀に架かる橋を渡ると田安門で、そこを抜けると日本武道館が見えてくる。



この日はコブクロがコンサートをやるようで、既に午前中から警備員がうろうろしていた。
駐車場には機材や大道具を運んできたと見られるトラックが何台も停まっている。
既にファンと思われる女性が前で記念写真を撮っていたりする。
パトカーも巡回していた。
再び靖国通りに戻り、子爵品川彌二郎卿像を一瞥してから歩道橋を渡り、
靖国神社の正面に至る。
第一鳥居と云われる大鳥居の右側には社号標がある。



ここを潜ると正面に大村益次郎銅像が建っている。
説明板には以下のように書かれている。

  大村益次郎は大村益次郎は文政七年(一八二四)、
 周防国鋳銭司村(現、山口県山口市)の医者の家に生まれ、はじめ村田蔵六といった。
 広瀬淡窓について儒学を、緒方洪庵について蘭学を学び、
 嘉永の初め宇和島藩に仕えてはじめて西洋式軍艦を設計建造。
 さらに江戸に出て私塾「鳩居堂」を開き、
 幕府の講武所教授等を勤め蘭学者、蘭方医、兵学者としてその名を高めた。
 ついで桂小五郎の推薦により長州藩に仕え、慶応二年、第二次長州征伐の折に、
 石州口の戦いを指揮して幕府軍を破り戦術家として脚光を浴びた。
 戊辰戦争では新政府の軍務局判事に任じられ、大総督府に参じ東北の乱を平定。
 ついで兵部大輔に任じられ、建議して軍制を洋式に改めることを主唱したため攘夷主義者を刺激し、
 京都出張中の明治二年(一八六九)九月、不満士族に襲われて重傷を被り、
 同年一一月五日大阪にて歿した。四六歳。
  明治二年六月、戊辰戦争の戦歿者を祀る東京招魂社(現、靖國神社)の創建に際し、
 社地選定のため同月一二日、この地を視察したことも記録に見え、
 靖國神社創建者としての功績は大きく、明治一五年、伯爵山田顕義らにより銅像の建立が発議され、
 宮内省から御下賜金の御沙汰もあり、彫刻師大熊氏廣に塑型の製作が委嘱された。
  大熊氏廣は明治九年、工部美術学校の開設と同時にその彫刻科に入学し、
 イタリア人教師ラグーザの薫陶をうけ、同15年に首席で卒業する。
 卒業後は工部省に入り、皇居造営の彫刻制作に従事、明治一八年に大村益次郎の銅像製作を委嘱されると、
 この任を重んじ彫刻研究のため欧州に留学する。
 パリ美術学校ではファルギエルにつき、ローマ美術学校ではアレグレッティ、
 さらには巨匠モンテヴェルデに入門した。
 大熊氏廣の帰朝後、漸く明治26年にいたりこの地にわが国最初の西洋式銅像が建立された。
 大熊はキヨソネの描いた大村益次郎の肖像画や遺族らに取材しながら製作にあたったという。
 陣羽織をつけ左手に双眼鏡をもち、東北の方を望む姿は、
 上野東叡山にたてこもる彰義隊討伐の時の様子といわれる。
 後に大熊は、有栖川宮熾仁親王、小松宮彰仁親王などの彫像を制作し、
 文部省美術展覧会審査委員を務めた。

第一鳥居から第二鳥居までの間では、フリーマーケットが行われていた。
どうも靖国神社とフリーマーケットというのが結びつかない。
道路を挟んでその先に第二鳥居がある。



第二鳥居を潜ると大手水舎が左にあり、正面に神門がある。
神門には菊花の紋章がつけられている。
神門の先には桜の木が植えられており、その先に中門鳥居がある。



ここに植えられている桜の木は、東京の開花宣言に使われる標準木である。
中門鳥居の先に拝殿があるが、ここから先には立ち入らなかった。
公式参拝も私的参拝もしなかったのである。
神門を潜って右に能楽堂があり、その奥に“遊就館”という展示施設がある。
靖国神社が集めた遺品や史資料を収蔵しているものである。



拝観料は大人800円だが、玄関ホールまでは無料である。
玄関ホールにはC56型31号機や零式艦上戦闘機などが展示されていた。



蒸気機関車C56型31号機は大東亜戦争当時にタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道にに使用された機関車で、
戦後タイの国鉄で使用されていたものである。
泰緬鉄道の関係者が拠金してタイの国鉄から譲り受け、靖国神社に奉納されたものである。
解説には以下のように書かれていた。

  泰緬鉄道C56型31号機関車

 この機関車は昭和十一年日本車両で製造され、
 石川県七尾機関区を走行していた機関車である。
 大東亜戦争において九十両が南方に徴用されたが、
 タイで活躍し、この三十一号機は、
 泰緬鉄道の開通式に参加した機関車である。
 戦後は、タイ国有鉄道で使用され、
 昭和五十二年に引退することになったが、
 泰緬鉄道建設に関係した南方軍野戦鉄道連隊関係者が
 拠金してタイ国有鉄道から譲り受け、
 昭和五十四(一九七九)年、靖國神社に奉納された。



零式艦上戦闘機はその名の通り、空母に搭載して戦地へ赴く戦闘機で、
一般的には「零戦」の愛称で親しまれている旧日本軍の戦闘機である。
解説には以下のように書かれていた。

  三菱零式艦上戦闘機五二型(A6M5)

 昭和十五年すなわち紀元二六〇〇年に正式採用された
 「零式艦上戦闘機一一型」は、「ゼロ戦」の愛称で親しまれる。
 初陣は昭和一五年九月。
 中国、重慶においてソ連製中国軍機との空中戦で、敵の大半を撃墜。
 見方に損害なしという空前の戦果をあげ、
 その格闘性能と航続力で世界最強を誇った。
 ここに展示されている五二型は、
 初期型より主翼の両端を短く円形に整形されている。
 そして発動機の栄二一型エンジンに、
 推力式短排気管を採用して速度がかなり向上し、
 零式戦闘機の中では最も多く生産された。

ここを出てから能楽堂などを見学し、靖國神社をあとにした。
そのまま徒歩で神保町まで戻る。
ここから御茶ノ水を目指すわけだが、その前に「キッチン南海」で昼食を取る。
ここは以前から何度も訪れている洋食店である。
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