・・ 恨みわび ほさぬ袖だに あるものを 恋にくちなむ 名こそ惜しけれ ・・
...........相模
あなたのつれなさを
恨んでは思いなやみ
私の袖は
かわく間さえないというのに
ああ その上に
あれ見よ 恋の痴(し)れものと 世に
指さして嗤(わら)われるわが名
わが名のいとおしさ
短歌は王朝女流歌人相模が詠んだもの。続く8行は田辺聖子先生の口語訳です。
相模は何不自由無く育ったお姫さま。内親王家サロンで大活躍し、後に相模の守として赴任する有名歌人に求婚され結婚。夫婦仲は良かったが結局離婚。以後色々な男と恋愛遍歴を重ね、再び内親王家に仕えてから、歌壇で重んじられた堂々たる貫禄の女人だそうな。(あの大車輪・勝間和代さんとは大分違いますね)
だからこそこの短歌は重みが利いており、このくらいの重みができてからが「女」というものである。
と田辺先生は決め付けている。(あのー、重みといっても体重じゃないはずですからね)
そしてこれから先がスゴイのだ。そのまま転記します。
日本の男性は、旧来の慣いとて「女」に正面切って向き合う器量がなく、.........というより、その能力が開発されてない。
だから自分より年下の、ひよひよぴいぴいのあまっ子ばかり相手にするのである。
男が若い女ばかりに関心をもつのは、種族保存の本能でっせという説を男たちは信じているが、なーに、おとなの女と丁々発止とやり合う自信がないだけのことである。
一人前の女とチャンと渡り合い、言い寄ったりはねつけたり、恋させたり恋したり、というのができるのこそ、オトナの男の貫禄というものであろう。
「ヤダー、ウソー、カワユイ」しかいえないひよっ子女ばかり相手にしてるから、日本の男は海外へいくと、もてないのである。女へのアプローチの訓練ができてないんですね、コドモばっかり相手にするからだわさ。
どーもすいません、凄い気焔ですね。よほどご機嫌がナナメだったのだろうか。
ただ、そこはお聖さん。ご主人のカモカのおっちゃんに似た熊八中年を登場させて、ぼそぼそと、
「しかし、........男にも、選ぶ権利、というもんがありますのでねえ........」
とまぁ、こういう風な解説が「田辺聖子の小倉百人一首」にはふんだんにあります。
挿絵は色っぽく、とびきり美しい。こっそり言うと、ブログネタ満載です。
美しいシンビジウムは、陸奥の守奥方相模ことぽっち~女史のブログから届きました。
男はともかく、女史の各地遍歴は確かです。あまっ子はとうに過ぎ、還暦までにはあと25年くらいはありそ。
「江戸川柳で読む百人一首」でお茶を濁させていただこう。
相模女は川柳の世界では淫乱の代名詞だそうです。
こんな才女になんたることを・・・いきます。
◎二三日 間がありゃ相模 恨み侘び
・・・すいません。
〔°Δ°〕
自分のブログで見るより遥かにベッピンさんに
見えてしまうのですが、なにかマジック使いました?
小肥りさん
久しぶりに艶っぽい川柳を目にいたしました
\(^_^ )( ^_^)/
チカラなき身にもあはれはしられけり
鴫立たぬ里の春の夕暮れ
マロは昔も今も 相模男
申し訳ありません フンッ
ポッチ~さま
翁とは失礼な ........翁か
だから テクニックなんか ありませぬ ふんっ