大阪府立真田山学院高校演劇部公式ブログ
Vol・17『今日この頃』
※台詞は入ったんだけど
稽古は着々……と言いたいんですけど、なかなかです。
なかなかええ、とちごて、なかなか進まへんの「なかなか」です。日本語はむつかしい。
配役は以下の通りです。
咲花 かおる 三好清海 (二年:部長・演出)
畑中 すみれ 九鬼あやめ(一年:舞台監督)
由香・看護師 大野はるな(一年:音響・その他)
本は『すみれの花さくころ』 ネットで、これに大橋むつおと入れると出てきます。
えらそうや思うたら堪忍してくださいね。いわゆる高校演劇のレベルにはなりました。
台詞も入ったし、立ち位置や、おおよそでとりあえずの動き(ミザンセーヌ)は決まりました。挿入曲も一応覚えました。文化祭のクラス劇やったら、もう完成です。そやけど演劇部は、ここからです。
泣き笑いなんかの喜怒哀楽が、まだまだ引き出し芝居です。一応役者としての基礎練習はよそよりやってるんで、普通には芝居できます。役者の第一条件は、自己解放です。
自己解放とは、芝居に合わせて自分の感情が自在に操れることです。一年の時に徹底的にやらされました。やり方は簡単。過去の体験で、悲しかったことや、辛かったことを再現するんです。演じるんとちゃいます。気持ちを表現するんとちごて、その時の物理的な記憶を思い出すんです。
うちは、お婆ちゃんが認知症になって、あたしのことを忘れた時のことをおもいだしました。病院のたたずまい。病院独特の奥行きの在るエレベータ、消毒薬と、そこはかとなくしてくる病人さんらのニオイ。夏やったんで、エレベーターが開いたとたんに入ってきた冷気。それも足元やのうて、首筋で感じたこと。病室のドアが最初はちょっと重たいけどスルっと開く感覚……ほんで、お婆ちゃんが「こんにちは」と言うた時の他人行儀な響き。他人に対する愛想のよさ……この時の笑顔が、お婆ちゃんが亡くなったとき初めて見た死に顔と重なって、あたしの記憶は一気に、お婆ちゃんが死んだ日にとんでしまいました。どっと悲しみが溢れてきて、お通夜、葬式、火葬場、骨あげ、あたしはパニックになりかけました。
この練習は、メソード演技の基礎です。ただ、レッスンの素材に使う思い出は、3年以上経過してて、感情の崩壊をおこさん程度のもん。これが原則です。うちは、お婆ちゃんが亡くなったばっかりやったんで、記憶が、そっちに引っ張られてしもて、まだ生傷のお婆ちゃんの死を思い出してしもたんです。
そやけど、これであたしは自己解放を覚えました。
しかし、役者は、これではあきません。役者個人が自分の感情を見せたら演技とちゃいます。
役者は、その役に合うた感情表現ができんとあきません。たとえばAKBの高橋みなみと指原莉乃とでは、泣き方も笑い方もちがうでしょ?
今、あたしは、この段階にさしかかってます。役の肉体化と言います。かおるというのは昭和20年に17歳やった女学生です。女と言えど人前で泣いたり笑うたりしたらあかんと言われてた時代です。ほんで宝塚を目指すほどの子ぉですから、姿勢もええし、歌もうまいし、抑えようとしても出てくる自然な明るさ……なかなかですわ。
チェ-ホフやったかスタニスラフスキーやらが言うてました。本を書くのも演技するのも森の中を歩くのといっしょやて。
一回通っただけやったらあかんのんです。毎日森を歩いて、森の中の最高の場所と道を探します。最初は、毎日違う道を歩いて迷うこともあります。適当に見つけたロケーションで満足することもあります。それでも繰り返し歩いて、ほんまに、その人物や戯曲が求めてる道を探ります。
今は、暗中模索です。ネットで検索して昔の遊びなんかしたりしてます。お手玉、福笑いなんかにも挑戦しました。あと、かおるが死んだんは3月10日の東京大空襲なんで、そのことも調べてます。
で、気ぃついたこと。一回の爆撃で一番犠牲者が多かったんは、原爆と違うて、この東京大空襲やったんです。一晩で10万人亡くなってます。東日本大震災の三倍です。で、これを企画したのがカーチス・ルメイいうアメリカの将軍で、皮肉なことに、この人は航空自衛隊の創設にも力を尽くした人で、日本は大勲位菊花賞いう最高の勲章をやってます。この勲章は天皇陛下が直接手渡すことになってるんですけど、昭和天皇は、直接手渡すことだけは断らはったそうです。むろん外交上失礼になれへん理由をつけてですけど。
まあ、今は、こんなとこです。役作りは、毎回のことやけど、大変です。まあ、四か月あるから、どないかなるでしょ。こういう楽観も役者には必要です。
※連盟の夏の講習会
うちらは行きません。芝居は一日二日の講習なんかで身に付くもんと違います。自動車の運転に例えたら分かると思います。たった一日の教習で免許とった人の車に乗せてもらおと思います?
ほんで、これはうちの中でも整理ついてないんですけど、今度の講師は、三年前に真田山を理不尽な理由で落としときながら、合評会では、その審査内容を撤回した人です。あの時の先輩らの気持ちは受け継がれてます。連盟の先生らは、こういうとこに心配りがありません。顧問の貴美先生も「組織的に総括せんままに、同じ審査員使うのは問題や」と言うてはります。
そうなんです。この人は、また本選の審査員をやらはります。で、うちらは、その時と同じ芝居を持っていきます。
ああ、どないしょ!?
文責 大阪府立真田山学院高校演劇部部長 三好清海(みよしはるみ)
Vol・17『今日この頃』
※台詞は入ったんだけど
稽古は着々……と言いたいんですけど、なかなかです。
なかなかええ、とちごて、なかなか進まへんの「なかなか」です。日本語はむつかしい。
配役は以下の通りです。
咲花 かおる 三好清海 (二年:部長・演出)
畑中 すみれ 九鬼あやめ(一年:舞台監督)
由香・看護師 大野はるな(一年:音響・その他)
本は『すみれの花さくころ』 ネットで、これに大橋むつおと入れると出てきます。
えらそうや思うたら堪忍してくださいね。いわゆる高校演劇のレベルにはなりました。
台詞も入ったし、立ち位置や、おおよそでとりあえずの動き(ミザンセーヌ)は決まりました。挿入曲も一応覚えました。文化祭のクラス劇やったら、もう完成です。そやけど演劇部は、ここからです。
泣き笑いなんかの喜怒哀楽が、まだまだ引き出し芝居です。一応役者としての基礎練習はよそよりやってるんで、普通には芝居できます。役者の第一条件は、自己解放です。
自己解放とは、芝居に合わせて自分の感情が自在に操れることです。一年の時に徹底的にやらされました。やり方は簡単。過去の体験で、悲しかったことや、辛かったことを再現するんです。演じるんとちゃいます。気持ちを表現するんとちごて、その時の物理的な記憶を思い出すんです。
うちは、お婆ちゃんが認知症になって、あたしのことを忘れた時のことをおもいだしました。病院のたたずまい。病院独特の奥行きの在るエレベータ、消毒薬と、そこはかとなくしてくる病人さんらのニオイ。夏やったんで、エレベーターが開いたとたんに入ってきた冷気。それも足元やのうて、首筋で感じたこと。病室のドアが最初はちょっと重たいけどスルっと開く感覚……ほんで、お婆ちゃんが「こんにちは」と言うた時の他人行儀な響き。他人に対する愛想のよさ……この時の笑顔が、お婆ちゃんが亡くなったとき初めて見た死に顔と重なって、あたしの記憶は一気に、お婆ちゃんが死んだ日にとんでしまいました。どっと悲しみが溢れてきて、お通夜、葬式、火葬場、骨あげ、あたしはパニックになりかけました。
この練習は、メソード演技の基礎です。ただ、レッスンの素材に使う思い出は、3年以上経過してて、感情の崩壊をおこさん程度のもん。これが原則です。うちは、お婆ちゃんが亡くなったばっかりやったんで、記憶が、そっちに引っ張られてしもて、まだ生傷のお婆ちゃんの死を思い出してしもたんです。
そやけど、これであたしは自己解放を覚えました。
しかし、役者は、これではあきません。役者個人が自分の感情を見せたら演技とちゃいます。
役者は、その役に合うた感情表現ができんとあきません。たとえばAKBの高橋みなみと指原莉乃とでは、泣き方も笑い方もちがうでしょ?
今、あたしは、この段階にさしかかってます。役の肉体化と言います。かおるというのは昭和20年に17歳やった女学生です。女と言えど人前で泣いたり笑うたりしたらあかんと言われてた時代です。ほんで宝塚を目指すほどの子ぉですから、姿勢もええし、歌もうまいし、抑えようとしても出てくる自然な明るさ……なかなかですわ。
チェ-ホフやったかスタニスラフスキーやらが言うてました。本を書くのも演技するのも森の中を歩くのといっしょやて。
一回通っただけやったらあかんのんです。毎日森を歩いて、森の中の最高の場所と道を探します。最初は、毎日違う道を歩いて迷うこともあります。適当に見つけたロケーションで満足することもあります。それでも繰り返し歩いて、ほんまに、その人物や戯曲が求めてる道を探ります。
今は、暗中模索です。ネットで検索して昔の遊びなんかしたりしてます。お手玉、福笑いなんかにも挑戦しました。あと、かおるが死んだんは3月10日の東京大空襲なんで、そのことも調べてます。
で、気ぃついたこと。一回の爆撃で一番犠牲者が多かったんは、原爆と違うて、この東京大空襲やったんです。一晩で10万人亡くなってます。東日本大震災の三倍です。で、これを企画したのがカーチス・ルメイいうアメリカの将軍で、皮肉なことに、この人は航空自衛隊の創設にも力を尽くした人で、日本は大勲位菊花賞いう最高の勲章をやってます。この勲章は天皇陛下が直接手渡すことになってるんですけど、昭和天皇は、直接手渡すことだけは断らはったそうです。むろん外交上失礼になれへん理由をつけてですけど。
まあ、今は、こんなとこです。役作りは、毎回のことやけど、大変です。まあ、四か月あるから、どないかなるでしょ。こういう楽観も役者には必要です。
※連盟の夏の講習会
うちらは行きません。芝居は一日二日の講習なんかで身に付くもんと違います。自動車の運転に例えたら分かると思います。たった一日の教習で免許とった人の車に乗せてもらおと思います?
ほんで、これはうちの中でも整理ついてないんですけど、今度の講師は、三年前に真田山を理不尽な理由で落としときながら、合評会では、その審査内容を撤回した人です。あの時の先輩らの気持ちは受け継がれてます。連盟の先生らは、こういうとこに心配りがありません。顧問の貴美先生も「組織的に総括せんままに、同じ審査員使うのは問題や」と言うてはります。
そうなんです。この人は、また本選の審査員をやらはります。で、うちらは、その時と同じ芝居を持っていきます。
ああ、どないしょ!?
文責 大阪府立真田山学院高校演劇部部長 三好清海(みよしはるみ)