大橋むつおのブログ

思いつくままに、日々の思いを。出来た作品のテスト配信などをやっています。

高校ライトノベル・『私家版・父と暮らせば・1』

2016-08-31 07:02:35 | エッセー
高校ライトノベル
『私家版・父と暮らせば・1』
          


 まるで、連休中の小旅行の日程を決めるように簡単に決まってしまった。

「連休中は、前半と後半が晴れで、中頃は雨降るでえ」
「せやな、ほんでも二十八日は息子アコギのレッスンやしなあ……」
「あんまり先は、天気予報もあてにならんしなあ」
『それでは二十九日ぐらいでいかがでしょうか?』
 そこで、通話口を押さえた。
「姉ちゃん、大丈夫か?」
「睦夫のとこ、よかったら、それでええで」
 何事も早めを好むカミサンの顔が浮かんだ。で、送話口を解放した。
「ほんなら、それでお願いしますわ」
『何時頃お見えになりますでしょうか?』 
「え~十一時ごろ伺いますわ」
『十一時でございますね。承知いたしました。それでは四月二十九日十一時にお待ち申し上げております』

 父の納骨の日が決まってしまった。

 二年前の2011年11月の朝九時頃に姉から電話があった。
「睦夫、じいちゃん(父)心肺停止状態て、施設から電話かかってきた!」
「え、ええ……」
 五分後、再び姉からの電話。
「死亡が確認された。今から出といで」
「う、うん」
 
 一時間かけて、父の介護付き老人ホームについた。

「睦夫、こっち。警察の人と話して」
「大橋睦夫さんですね。わたしN署の○○です」
 鑑識の濃紺の作業服のお巡りさんが、警察のバッジをチラ見させながら、そこだけ非日常になった、父の部屋の前の椅子に誘った。そして、施設の人が発見してから、ここにいたるまでのいきさつを、区切るように説明してくれたが、何も耳には入らなかった。
「おっちゃん、事件性はない。ざっと検分したけど、まぶたの裏にチアノーゼもないし、ほぼ即死やわ……」
 横の刑事が、なれなれしく喋る。その時、別の刑事がやってきた。
「病院は、あきませんわ。昔なんでカルテも……こちらは?」
「ほとけさんの甥ごさんで、本部の一課の主任さんや」
 で、初めて気が付いた。なれなれしい刑事は、十数年ぶりに見る我が甥のなれの果て……いや、立派な刑事になった姿であった。
「詳しい死因は開いてみな分からへんねんけどな、ここか、ここや」
 テレビドラマそのままの呼吸で、所轄の鑑識と入れ替わり、我が甥は胸と頭を示した。
「で、おっちゃんが遺族筆頭やさかい、おっちゃんがウンて言わへんかったら、病理解剖せなあかんねん。この上メス入れたんのはカワイソウやで」
 まるで、刑事のように落ち着いて言うじゃないか……と思ったら、こいつは本物の刑事。わたしも混乱していた。
「とりあえず、じいちゃん見てくるわ……」
 そう言って、わたしは父の六畳ほどの部屋に入った。
 ありきたりだが、眠っているように穏やかな顔で父はベッドに横たわっていた。五十八年間の父との記憶が爆発した。

 その数分間の記憶は、きれいに頭からぬけている。

「おっちゃん、どないする?」
 甥が静かに問いかけてきた。
「病死……納得」
 わたしの、その言葉で全てが動き出した。所轄のお巡りさんは無線で、わたしに話した倍のテンポで連絡を取り始めた。
「一時に検死のお医者さんが来ます。そのあと死体検案書ができますんで、取りに……」
「わしが、全部やりますわ」
 と、甥が言う。
「あ、そうですね。ほんなら、そういうことで」

 あとは、よくできた芝居のようにダンドリがよかった。甥は検死を待って、タクシーで死体検案書を受け取り、市役所に死亡届を出してくれた。
 介護ヘルパー一級の姉は、かねて契約していた葬儀屋さんに電話、約束の三時にはピタリとお迎えの車がきた。
 父はシュラフに入れられ、ストレッチャーに縛着されて、施設のお年寄りが三時のお八つを食べている横を、まるで本番中の舞台裏で道具の転換をやるように正確に、静かに、見事に搬送車に載せられた。助手席に乗るとすぐに車は発車した。施設の人たちは一礼すると、すぐに建物の中に戻った。役者やったら見切れるとこでハケたらあかんやろ。と、ついダメ出ししたくなる。

 葬儀会館に着いてからは、営業のおばちゃんとの駆け引きである。

「家族葬、一本で」
 まるで、飲み屋の注文である。
「そのご予算ですと……」
 タブレットに入力して、さっと見積もりを見せる。メガネを忘れたことが悔やまれた。細かい数字がまるで見えない。ただ大きな数字で「総計」と書かれた字だけは見える。予算を二割もオーバーする。
 あちこち削って、やっと予算に収まる。ただ祭壇の細目が見えなかったことが、あとで悔やまれた。
「ぼんさん呼んだら、いくらかかりますか?」
 おばちゃんは黙ってVサインをした。二十万ということである。
「あ~ 親類が坊主なんで、そこ頼んでみますわ」

 電話をすると二十分で飛んできてくれた。わたしの従弟である。

「むっちゃん、直で言うてくれてよかったわ。こういうとこ通すと、ひどいとこは四割キックバックで持っていきよる」
 そこからは、二日興業の芝居のようであった。総議会館の人たちは、まことに丁寧と手慣れの間で葬儀を運んでくださった。

 そして葬儀の一切が終わった。

 意識したわけではないが、わたしは戯曲にしろ小説にしろ、種別ではコメディーの部類に入るものを書いている。最後でずっこけた。
「タクシーをお呼びしましょうか?」
 葬儀会館のオバチャンが言ってくれた。

 うかつに、わたしもカミサンも、息子も、通夜から、ここに至るまで自転車であった。

 息子の前カゴに父の骨箱を。カミサンの前カゴには仏具。そして、わたしの前カゴには収まりきれない祭壇のキット。見かねたオバチャンがペットボトルのお茶を四本持ってきてくれて、息子の前カゴに入れてくれた。
「これで、なんとか揺れんですみまっしゃろ」
 三日間世話になった葬儀会館の人がアクセントは別にして、むき出しの河内弁で喋ってくれた唯一のことばであった。

 重くかさばる祭壇をハンドルに結びつけ、歩くような速度で家路につきながら考えた。十年以上施設で過ごさせた父。季節が一回りするぐらいは家に置いてやろう。

 そうして、父の骨箱を目の前に、遺影を真横の壁に掛けて、一年有余の『父と暮らせば』が始まった。

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タキさんの押しつけ読書感想・『ホビット』映画化に先立って

2016-08-31 06:23:02 | 読書感想
タキさんの押しつけ読書感想・
『ホビット』映画化に先立って


この春(2016年4月)に逝ってしまった滝川浩一君を偲びつつ


これは、悪友の映画評論家・滝川浩一氏が個人的に『ホビット』映画化に先立って読み散らかした読書感想を仲間内に流した物ですが、映画鑑賞にあたって、お役に立てればと、本人の了解を得て転載したものです。



 前に読み返したのが「指輪物語」の映画化前だから、かれこれ10年以上前になる。
 今回 「ホビット」が映画化されるのでまたひっぱり出して読み返した。 日本での創刊は1951年、 もう60年になる。


 確か、「指輪物語」を発表しようとしたが、あまりの長大さに出版社が二の足を踏み、プレ編を童話仕立てにして出したのが本作だったと思う。
 トールキンの創作の原動力は、イギリスに神話の無きを悲しんでの事、当時 同じ大学の教授であった C・S・ルイス(ナルニア国物語の作者)と共に書き始めた。文学者であると共に言語学者でもあったトールキンは、ストーリーを錬るのと同時に「エルフ」や「ドワーフ」の言語を作ったり、各種族の詩や歌(作曲もやった)を作ったり、本編には書き込まない「世界創世神話」をも作っていた。

 ルイスの方は、ナルニア著述にあたって そこまでアンダーラインを引かなかったようだ。アスランがルーシー達の世界では違う名前で呼ばれている(キリスト)と さっさと裏を割っている。

 さて、「ホビット~行きて帰りし物語」は早々にベストセラーとなり「指輪~」出版の背中を押す事と成るのだが、今回再読して、その世界観のまとまり方に改めて気づかされた。
 作家は、その処女作に 後に続く数々の作品の総てを詰め込んでいるものだといわれる。物書き各位におかれては異論もおありだろうが、私の読書経験からすると十分に首肯できる。ましてや「ホビット~」はトールキンの気か遠くなるような未整理草稿の上に成立している。これ以後、「指輪物語第1部~旅の仲間」に修正が入ったかどうかについては記憶が不確かなのだが、ホビットから指輪1の間は密接緻密に繋がっていて 些かの齟齬も無い。そして「指輪~」で語られる膨大な物語のエッセンスをプレ冒険談として語り尽くしている。まさにトールキンの総てがここにあると言って差し支えないと断言できるのである。
 
 トールキンは、世界を三千年を一区切りとして、三つの三千年紀を語っている。

唯一神がまず天使を生み、天使達との合唱の内に世界が創世されていく。この時、不協和音を出した天使が悪魔となり、もともと繋がっていた神界と地上を引き離す原因となる。悪魔を滅ぼさんと地上に残った天使達は後のエルフ達の先祖となる。悪魔対天使の戦で悪魔は滅ぼされるが、その一番弟子と一部眷属はしぶとく残り、この弟子が 後に魔法の指輪を作り、悪魔族対エルフ・人間連合の大戦争となる。
 この戦いもエルフ・人間側の勝利となるのだが、この時 指輪を破壊しなかった為、悪魔の弟子を完全には滅殺できず、後に禍根を残す事となる。
 
記憶が定かではないが、確か 悪魔対天使の戦いまでが第一の三千年紀で、悪魔の眷属との戦争が第二の三千年紀の二千五百年、この時 とあるホビットが指輪を偶然拾い 山深くに隠れてから五百年、この間に彼は怪物ゴラム(瀬田貞二訳ではゴクリと名付けられている)へと変身してしまう。

 世界創世から第二の大戦争までの五千五百年の話は、トールキンの死後 彼の子息が膨大な草稿を整理して「シルマリルの物語」として出版している。その後の五百年に関しては「指輪物語 第三部~王の帰還」巻末補講に触れられている。

 現在 日本語訳では、未発表草稿の内から 比較的まとまった逸話を集めた。「知られざる物語(全二巻)」が発行されている。イギリスではトールキンの遺稿総てを整理し 全十巻の本がある。知る限り未だ邦訳はされていない筈で、今回の映画化によって日本語訳が出版されるかもしれない。トールキンフリークとしては涎を垂らして待っているのだが……。

「指輪物語 第三部」で主なる登場人物達はこの世を去り、新たな三千年紀が 今度は人間の世紀として始まる…今は その第三の三千年紀の終末期と捉えられる。さて人間は無事に第四の三千年紀を迎えられるのだろうか…というのがトールキンの含みである。

 翻訳者の瀬田氏に対して何の含みも無いが、ただ、宗教的考察に欠けるきらいがある。訳自体も少々古くなっているので改訂訳を望みたい所。さらに言うと、ホビットがウサギの人格化ではないかと指摘されている。ホビット~ラビットで、至極当然な連想であるがトールキン自身それに言及してはいない(筈である) 瀬田さんは岩波文化人であって、どうしても唯物的思考のお人と思われる。
 イデオロギー・フリーでなおかつ宗教的教養のある人の訳で読みたいものである。いやなに、私が自在に英語を操れれば良いのですがね…………アハハハ。
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