わたしの徒然草・19
或人、法然上人に、「念仏の時、睡にをかされて、行を怠り侍る事、いかがして、この障りを止め侍らん」と申しければ、「目の覚めたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊かりけり。
また「往生は、一定と思へば一定、不定と思えば不定なり」と言はれけり。これも尊し。
また「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」とも言はれけり。これもまた尊し。
ちょっとコムツカシイが仏教の話であります。
法然上人(ほうねんしょうにん)の話から入ります。
ザックリ言って、日本の仏教の総元締めは、比叡山延暦寺であります。
延暦寺の天台宗は、平安時代に最澄が空海と前後して遣唐使の船に乗り込み、唐と言われた中国から、輸入してきた、当時の新仏教であります。
空海は天才でありました。わずか数年の間に仏教の神髄をきわめ、自分の頭の中に取り込んで日本に帰り、真言宗を始めました。本山は高野山にあります。
真言宗では、空海一人が極めた(解脱した)ので、後輩たちは、一生懸命にそれに追いつくしかなかありませんでした。つまり目標は空海その人、そのものであります。
最澄は、ちょっと違います。天才ではなくただの秀才なのです。
天才は直感で、物事の本質をつかみ取ってしまいます。
分かり易いところで、坂本龍馬が同じ人種であると言えます。龍馬は、あまり真面目に勉強した様子がありませんが、民主主義や株式会社の有りようを直感で理解していました。だから倒幕して国民国家を創らなければならないことも分かっていたし、海援隊という株式会社の運営にも成功しています。
仏教=宗教というものは形而上の問題であり、龍馬が海援隊を創ったような「儲かる」というような目に見えるカタチでは分かりません。だから、空海の弟子達は今でも苦労されておられます。
最澄は、自分では分からないけれど、中国にあった仏教のあれこれを持ち帰りました。空海のように正式な留学僧ではない最澄は、時間的にも経済的にも空海ほど恵まれてはおらず、必要と思った全てを持ち帰るわけにもいかず、帰朝後、空海に教本を借りにいったりしています。
最澄は、それでも、持ち帰った教典の全てを極めることができず、後身に、それをゆだねました。
法華経も、座禅も、阿弥陀経(念仏)も、その後の日本の仏教の大きなエッセンスがその中にありました。比叡山というのは、そういう点で総合大学に似ています。
鎌倉時代に比叡山にいた法然は、その天台宗の中にある阿弥陀経をエモーションとして持ち出して浄土宗を始めました。
エモーションということが大事なのだと思います。
コムツカシイ教典の理解や、修行は全て捨てました。
「南無阿弥陀仏」が全てであります。
南無は、サンスクリット語で呼びかけの「ナーム」であります。呼びかけるからには目的がある。目的は「タスケテホシイ」であります。「タスケ」とは極楽往生することであります。
「極楽」とは、どういうところかというと「わしは、行ったことがないから、ようわからん」と法然は答えます。
そんなアホな……と、凡夫のわたしは今でも、そう思っているところがあります。見たことも、行ったこともないものを信じろというのは、現代の感覚では分かりにくいですね。
南無阿弥陀仏の六字で書けば、もっともらしい感じですが訳せば「おーい、阿弥陀様、助けてちょうだい!」だけですからね。
「詐欺師やんけ」とも受け止められかねない。
わたしの家は、長らく、この法然さんの浄土宗でありましたが、父の死をきっかけに浄土真宗に鞍替えしました。
理由は簡単。母方の親類が、みな浄土真宗の坊主であるからであります。葬儀の導師は従兄弟に頼みました。安くあがるというだけではなく、親類の気安さと、浄土宗以上の簡明さがあったからです。ややこしいので、浄土宗も浄土真宗も念仏宗と括っておきます。
法然さんは、こうもおっしゃっています。
「ほんまかいな……と、疑って念仏しても往生できる」
すさまじい信念です。浅学非才なわたしには、正直、まだ完全には分かりません。
今のところ、こう置き換えています。
「ゼロの概念」です。ゼロとは、何もないことで、質量も大きさも色も匂いもありません。
でも、世間の人は、軽々とゼロの概念を信じていますね。1-1=0と言われて「0とはなんだ?」と聞く人はいません。0とは何もないことだ。何もないことが、どうして認識できるんだ? ゼロを見せろ。0? これは0を現す記号だ。記号ではなく、本物のゼロを見せろ。いや、だから……(^_^;)
これに似ていると思います。ゼロも仏教もともにインドで発見(発明)されました。
世の中には、憲法に平和だと書いておけば平和が保たれるものだと信じている人が、かなりいます。なんだか宗教じみているようにさえ思えます。
それに比べれば、浄土はある(らしい) 仏の力(絶対他力)により、人はそこに行ける。このほうが、よっぽど信頼が持てるように感じます。
そういうことに気づいていた兼好というのは、我々より、よほど近代人のように思えてきます。
南無阿弥陀仏……。