わたしの徒然草・14
たった二行の短い段です。
金沢文庫の近くの入り江に甲香(かひこう)という小さな貝が転がっていて、地元の者は、その蓋のとこを「へなだり」というんだって。
それだけのウンチクとも言えないメモのようなものです。
「へなだり」というのは小型のホラ貝みたいで、広島の一部で食用になっているようですが、全国的にはあまり知られておらず。どうということのない貝です。
しかし、よくよく調べると、この「へなだり」というのは香の原料になるんですねえ。
昔は「聞き香」という遊びがあって、いろんな香を焚きしめては、その香りを言い当てる遊び……というか、貴族や上流武家にとっては「たしなみ」の一つであったようです。
織田信長が、皇室の持ち物で、正倉院に所蔵されていた蘭奢待(らんじゃたい)という香木を削って楽しんだことは有名で、信長が出てくる大河ドラマに、信長のエピソードとして出てくることが多いですね。
日本人の風呂好きは、わたしの知識では江戸時代に入ってからで、それまではあまり入浴の習慣がなかったように思います。
江戸期でも女性が髪を洗うのは大変なので、今のご時世のように、朝シャンなどという習慣はありません。当然臭いが気になり、香でごまかしていました。また身分の高い貴族などは自分の香りというものを持っており、外出の折りなどは、衣に香を焚きしめたりしました。『源氏物語』などには、夜に忍んできた男が、この香でだれであるか分かる仕組みになっていたりします。
ひるがえって、今のご時世はどうでしょう。
分けて二種類あるように思えます。洗剤などに香りの粒が含まれていて、軽く、服をポンと叩くとホワーンといい香りがするもの、という積極派。
なにかにつけて臭いを消してしまう、消臭派。
両極に見えるこの臭い(匂い)に対する対応は同根であるように思うのですが、いかがでしょう。
わたしが幼かったころ、街も人もニオイで満ちていました。
トイレが汲み取り式であったっため、どこの街も、そこはかとなくカグワシイ香りがしました。田舎にいくと、これを熟成させて肥料にしていたので、なんとも弥生の昔から、わが遺伝子に組み込まれた魂の奥底が平らかになっていくような心地がしたものです。
もっとも都会育ちのわたしは、田舎の便所(トイレなどというヤワなものではありません)に、戦時中の米機の大編隊に囲まれた、戦艦大和のような心境でありました。ハエやカの数が半端ではなく、用を足したあとは、露出した身体のあちこちに銃爆撃の跡がのこったものです。
また、子供たちは(わたしもそうでしたが)日向くさい匂いがしたものです。街のお母ちゃんたちは、洗剤やら、お総菜やらの入り交じった匂いが、じいちゃん、ばあちゃん達は、なんというか番茶に通じるような匂いがしました。あのころは加齢臭などという言語明瞭、意味明瞭、人間性皆無な言い方は無かったように思います。
匂いには、もう一つ意味があります。
「らしさ」を例えた匂いです。たとえば「学生服に、染みついたオトコの匂いがやってくる~♪」と歌にあるようなラシサ。
以前、タクシーなどに乗ると「学校の先生だっしゃろ」と、言われて慌てることがありました。タクシーに乗る時は、終電の後とか、よんどころなく時間に間に合わせる時で、やっと掴まえたタクシーに乗り込んだ時は『ああ、ヤレヤレ……』と気の抜けた顔をしていますからね。
今でも街で「ああ、こいつは学校の教師(先生ではない)やろなあ」という人を見かけることがあります。演劇部の指導員をやっていたころは「この人は組合のバリバリやねんやろなあ」というところまで分かりました。
昔の先生はコンセントの多い顔をした人が、わりといたように思います。コンセントとは生徒とのコンセントのことです。
今の教師にはあまりコンセントを感じません。USB端子とでも言おうか、マウスでもコントローラーでも大容量記憶装置でも接続できそうな……何を象徴しているかは、読者のみなさんのご想像におまかせします。