やくもあやかし物語・151
アカミコさんと天守台に向かう。
そもそもが日本一大きな天守閣だったそうで、石垣だけになっても、その迫力はすごい。
大奥の裏口っぽいところを出ると、もう目の前に天守台。
おお……
ゆるく間の抜けた感嘆の声しか出ない。
小さいころから感激するのがヘタだった。クリスマスやお誕生会でプレゼントもらっても「おお……」だった。
おともだちみたいに、キャーキャー言ったり、ピョンピョン撥ねるのは苦手。っていうか、反応が遅れるんだよ。
おともだちが、キャーキャー、ピョンピョンやりだすと――あ、よろこばなくっちゃ――っておもうんだけど、ワンテンポ遅れてしまうと、もうダメになる。
お父さんが居なくなってからは、先生とかも事情を知ってて――やくもちゃんは事情があるから――って深読みされて、そっとされた。
だから、感謝とか嬉しさは、別の事で表すようになったよ。ラッピングの紙やらリボンやらは、きれいに巻いたり畳んだりしてファイルに入れたり、カバンに仕舞ったり。ラッピングの包装紙や梱包の紙くずとかで溢れたゴミを捨てに行ったり。でも、普通の子はそういうことしないから、オヘンコってことになる、なってしまう。
そもそも、チカコを捜しにやってきて、こんなこと思うこと自体が変なんだけどね。
「チカコさんも、そうだったんですよ。ほら、天守台の上の方から、そういう戸惑いがこぼれてきています」
「え、この上にいるの!?」
「さっきみたいな残像かもしれませんが……行ってみましょう」
えっちらおっちら、石段を上がる。
居た。
鉄漿(おはぐろ)に点眉さえしてなかったら、かわいいお雛様って感じのチカコ。その横には、葵の御紋の羽織着た小柄なイケメンさん。
「十四代将軍の家茂さんです」
家茂さん、後姿で分かるよ。
「ですよね……望まない輿入れで、元気のないチカコさんを慰めていらっしゃるんですね」
手を伸ばしたら届きそうな距離。
新婚さんとしては離れすぎ、でも、ふんわり寄り添ってますって、そんな距離。
「お二人とも、やっと十六歳ですからね」
十六歳……やっと高校一年生だ。
『……初めて見た時には驚いたものです』
やっと家茂さんが口を開いたよ。
え、チカコがギクってしたよ?
「自分の事を言われたんだと思ったんですね……」
「今のは違うよね、家茂さんは、目の前の江戸の街のことを言ったんだ」
「そうですね……」
『途方もない大きさです、江戸の街は。百万人以上が住んでいます。仏蘭西の公使が言っていました、百万を超える都市は世界に幾つも無いそうです。巴里や倫敦よりも多いんだそうです』
『あ……そうなんですね……えと……子どものころに嵐山から見た都よりも……大きいと思います』
『わたしは、この江戸の街と京の都と、それよりも広くて大きい日の本の国を護ってまいります。そして、親子さんと、親子さんの兄君である帝を安んじ奉ります……』
なんか、カチコチだけど心は伝わるよ。
『…………………』
『その……ですから、どうぞ、心安らかにお暮しください……』
チカコ焦ってる、好き好んでやってきたわけじゃないけど、この家茂さんの気持ちには応えなくちゃと焦ってるんだ。
『『あの……』』
『あ、どうぞ』
『いえ、上様から』
『いや、親子さんから』
『はい、えと……えと……』
『…………………』
『上様は将軍職に就かれる前は紀州藩の太守であられたのですね?』
『はい、紀州は良いところです!』
『はい、きっと良いところなのでしょうね(;'∀')!』
『緑が豊かな国で、物なりもよく、蜜柑などは紀伊国屋文左衛門のころからの名産で、江戸や坂東の人たちからも好まれております』
『そうなのですね』
『はい、江戸家老に聞いたのですが「千両蜜柑」という落語があるそうです』
『千両蜜柑?』
『病に臥せった大店の若旦那が苦しい息の下で「蜜柑が食べたい」と父に言うのです。大旦那である父は番頭に命じて、蜜柑を探させます。あいにく、蜜柑の季節は終わってしまって、どこに行ってもありません。そこで八方手を尽くした末に、さる青物問屋の蔵に一つだけ残っておりまして、なんと千両の値が付くというお話です。蜜柑は十房、若旦那が口に入れた一房が百両。それを見ていた番頭は……そこからの展開が……あ、落語と申すのは、噺家が、寄席という小屋で大勢を相手に噺を聞かせる芸だそうです』
『まあ』
『そこからの話が面白いのですが……世の中が落ち着いたら、噺家を城に呼んで聴かせてもらいましょう』
『それは……いっそ、しのびで寄席というところに参りましょう。噺家と申す者も人間、皆が裃を着たような殿中ではあがってしまって、芸の発揮のしようもございませんでしょう』
『そ、そうですね、良いところに気付かれた』
「あ、今のは……」
「優しい人ですね家茂さんは、チカコさんの気を引き立てようと必死です。連日公武合体とか攘夷の実行とか忙しい毎日、その間に無理くり時間を作って、チカコさんを慰めようとしておいでなのですね」
「チカコも、それを分かっていても、うまく応えられないし……」
『その蜜柑を作っているのが海辺の段々畑です、そこから見る紀州の海はなかなかのものです。紀州は山がちで田んぼの少ない国です。他国の者は秋の実りの田畑を見て豊かな平穏を感じるのですが、紀州は、木材と蜜柑です。そこに青い海と空が広がっていたら、もう、そのまま成仏してもいいと思うんだそうです』
『そんな景色、一度は上様といっしょに観てみたいものです』
『そ、そうですね。そうできるように努めます……ふふふ』
『どうかなさいました?』
『いえ、親子さんが蜜柑畑に立っているところを想像してしまいました』
『え、どんな?』
『段々畑の親子さんは、海から見ると、きっと雛人形のようでしょうねえ』
『まあ、わたしが雛人形だなんて』
『いけませんか?』
『女雛だけでは雛人形にはなりません、男雛が横に居なくては』
『いや、そうですね。これは一本取られました』
『そうでございましょ?』
『しかし、こまった』
『なにがですか?』
『わたしは、段々畑の親子さんが見たいのです。いっしょに雛壇に並んでしまっては、親子さんが見られません』
『フフ、そうですね( *´艸`)』
『ならば、こうしましょう。わたしは海から現れて、しばし親子さんを眺めて、そう、亜米利加公使からもらったフォトガラフで親子さんを撮って、それから段々畑に上がって親子さんの横に並びましょう』
『う~ん……フォトガラフは、上様が段々畑に上がってからにいたしましょう。どうせなら二人並んで撮りたいものです』
『そうですね……そうですね、それがいい。ぜひ、そうしましょう!』
その時、近習の若侍が天守台に上がってきて、静かに蹲踞したよ。蹲踞したまま「上様」と一言。
それだけで分かるのね、家茂さんはクルリとチカコの方を向いた。
『これから白書院で会議です。みんな揃っているようですから、これから参ります』
『はい、行ってらっしゃいませ』
『はい、行ってまいります』
石段まではゆっくりと、石段を数段下りたところからは足早に駆け下りていく家茂さん。
ギリギリまでチカコとの時間を大切にしたんだ。
そして、そっと右手を左手に重ねるチカコ。家茂さんの背中に挨拶しているようにも、置いてきた左手をなだめているようにも、愛しんでいるようにも見えたよ。
☆ 主な登場人物
- やくも 一丁目に越してきて三丁目の学校に通う中学二年生
- お母さん やくもとは血の繋がりは無い 陽子
- お爺ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い 昭介
- お婆ちゃん やくもともお母さんとも血の繋がりは無い
- 教頭先生
- 小出先生 図書部の先生
- 杉野君 図書委員仲間 やくものことが好き
- 小桜さん 図書委員仲間
- あやかしたち 交換手さん メイドお化け ペコリお化け えりかちゃん 四毛猫 愛さん(愛の銅像) 染井さん(校門脇の桜) お守り石 光ファイバーのお化け 土の道のお化け 満開梅 春一番お化け 二丁目断層 親子(チカコ) 俊徳丸 鬼の孫の手 六条の御息所 里見八犬伝 滝夜叉姫 将門 アカアオメイド アキバ子 青龍 メイド王 伏姫(里見伏)