徒然草 第五十四段 御室にいみじき児
御室にいみじき児のありけるを、いかで誘ひ出して遊ばんと企む法師どもありて、能あるあそび法師どもなどかたらひて、風流の破子やうの物、ねんごろにいとなみ出でて、箱風情の物にしたため入れて、双の岡の便よき所に埋み置きて、紅葉散らしかけなど、思ひ寄らぬさまにして、御所へ参りて、児をそそのかし出でにけり。
うれしと思ひて、ここ・かしこ遊び廻りて、ありつる苔のむしろに並み居て、「いたうこそ困じにたれ」「あはれ、紅葉を焼かん人もがな」「験あらん僧達、祈り試みられよ」など言ひしろひて、埋みつる木の下に向きて、数珠おし摩り、印ことことしく結び出でなどして、いらなくふるまひて、木の葉をかきのけたれど、つやつや物も見えず。所の違ひたるにやとて、掘らぬ所もなく山をあされども、なかりけり。埋みけるを人の見置きて、御所へ参りたる間に盗めるなりけり。法師ども、言の葉なくて、聞きにくいいさかひ、腹立ちて帰りにけり。あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり。
ちょっと訳します。
御室(みむろ)とは、法皇さま(天皇さまが引退して坊主になったの)のいる寺。ここでは例の仁和寺を指すらしい。そこにメッチャ可愛い稚児(坊主見習いの少年。ま、十歳ぐらいか)がいるので、仁和寺の坊主たちが、この子を誘い出して、双岡(ならびがおか=仁和寺の近所、京都大学のあたり)でピクニックをやろうと計画。で、あらかじめ稚児が喜びそうなプレゼントを適当な場所に隠しておき、稚児を連れ出した。
そうして、自分たちの法力で、あらら摩訶不思議。地中からプレゼントが出現! そう企んだ。
そして、いざ、印を結んだり、経を唱えたり、もったいつけて、その場所を掘り返した。
ところが……出てこない。で、いい歳こいた坊主ドモが「場所間違えたんとちゃうんか!?」などと、ネタバレバレバレに言い騒いだ。どうやら埋めるところを見ていて盗んだやつがいるらしい。
「なんや、このオッチャンら」と、稚児はドッチラケ。
あまりに凝りすぎると、ろくな事にはならないぞ……というお話。
わたしは、むかし見合い魔でありました。
二十代から、三十代前半にかけて手ひどい失恋を三回やりました。そこで、アトクサレが無く、精神的なダメージがない見合いに賭けてみたというわけです。友人知人に声を掛け、その手の会社にも登録をして、見合いを重ねました。だいたい月に三回ぐらいのペースで、延べ五十六回の見合いをし、職場の同僚からは「大橋の見合いは趣味や」と言われました(^_^;)。
見合いは一種の面接で、最初の三十秒、三分、三十分が勝負。
三十秒で、相手に好印象を与えなければ、あとの挽回は極めて難しい。
三分で、相手は「話を聞いた方がいいのか、こちらがリードして話題を提供しなければいけないのか、見極めなければならない。リードするといっても、最終的には相手にお話してもらえるようにする。人というモノは、共感してもらいたいものなのである。それも百パーセントではいけない。二割方の質問や、疑問は呈しておいたほうがいい。三十分もしたら(状況しだいで一時間)場所を変える。外に出た方がいい。お日さまに当たればセロトニンがお日さまからいただけ、人間はポジティブになれる。
「どこに行きましょうか?」
これは、最低。主体性がないこと丸出し。
男たるモノ、自然にエスコートできなければなりません。
わたしは、たいてい事前に見合いの場所と、その周辺を下見しておきました。むろん雨になった時のことも想定しておきます。途中立ち寄るかもしれないレストランや喫茶店もチェック。
これは、教師が校外学習の準備をするときの下見と同じなのです。校外学習では、タバコの自販機、トイレの有無、生徒のニーズに合ったアミューズメントやショッピングの場所。遊園地などだったら、同日に予約を入れている他の学校まで調べます。学校によってはケンカが起こる恐れがあるためですね。
担任を持った時には、生徒にこう提案しました。
「将来、困らないために、デートコースを遠足の場所にしよう」
で、初めてのデートから、恋人として互いが認めあえたレベルまで三段階に分け、実益を兼ねて見合いやデートコースの研究にいそしんでいました。
で、最初はよかった。
「大橋さんは、迷わないからいいですね。お見合いして、『どこ行こうか?』なんて、主体性の無いオトコなんて最低」
で、三十回目ぐらいからは裏目に出ることがしばしばになってきました。
「大橋さん、慣れてますねえ……」
で、当然、見合いしまくりのオッサンということがバレてしまう。
あまりに興あらんとする事は、必ずあいなきものなり……であります。