女の子がうなだれて、先生の前に座っている。
手入れしていないショートボブはクシャクシャになり、着ているものも、シャツの打ち合わせが左前なのに気づかなければ華奢な男の子にしか見えなかった。
従順そうに座っているが、自分の意志でそうしているのか、先生に圧倒されてそうしているのかよく分からない。
「もうしません……見つかってしまったら、管理も監視も厳重になるし、わたしには、もうできないし、他にできることを考えます」
「……そうね、先生が力になれることがあったら話してね。できることは力になるから。じゃ、今日は炊事当番ね、自分の役目だけはきちんと、こなしてね」
「はい……それだけですか?」
「形だけの指導しても、亜紀ちゃんの心に届かなきゃ意味ないもの。分かるようになったら、そのときにね」
「……行っていいですか」
「はい、あたしから言うことは、それだけだから」
パーテーションで仕切られてはいるが、狭い職員室なので亜紀と田隅先生の話は筒抜けだった。
「お待たせしましたね、吉岡君のことですね?」
粗末なソファーに座りながら田隅先生はタブレットを操作して終わったばかりの指導記録をつけていた。一見失礼に見えるが、ヒナタには、この愛育園の忙しさと、何事にも手を抜かない田隅先生の好ましい印象に写った。
「吉岡君、重症なんですか?」
タブレットを操作し終えた田隅先生は、真剣にスグルのことを心配する目をしている。
「重度の記憶障害です。で、吉岡三佐の記録をもとに、成育歴や記録を収集し、そのメモリーショックで覚醒させようとお邪魔しました」
さすがに、スグルがほとんど義体化し、自分を救うために究極受信をして、記憶や機能を喪失したとは言えなかった。
「吉岡君は、今の亜紀ちゃんに似ていましたね……」
田隅先生は、眼鏡を外すと両目の間を揉んだ。見かけと馬力は三十代でも通用しそうだったが、こういうふとした動作に、この道三十年の疲れが見えた。
「あの子は、個人ファイルを消去しようとしたんですね」
「ええ、本部のCPに元ファイルは入っているんで、ここのを消去しても復元はできるんですけどね。やはり指導は指導ですから」
「亜紀ちゃんも、こないだの東京ゲルの襲撃で孤児に?」
「いえ、あの子は福岡ゲルのテロ事件で」
「あの時の犠牲者の子供だったんですか」
「ええ、もう半年になりますけど、まだ心を開いてくれません。だから、まだ、この愛育園にも馴染まなくって……まあ、福岡事件の犠牲者はあの子の親だけでしたから、ショックも孤独感も強いんでしょう……ここに来る子は、概ね二つのタイプに分かれます。いつまでも過去の記憶にしがみつく子と、亜紀ちゃんや、かつての吉岡君のように過去と決別しようとする子に。どちらも過去に縛られているという点では同じです。まあ、結果がネガと出るかポジと出るかの違いですね。それと他者に心を開かないという点でも共通です。精神の弱い子はネガに、強い子は亜紀ちゃんのようにポジに出る傾向があります」
「心の強さが、ここでは逆効果なんですね」
「さすが特科の方ですね、並の神経の子なら、いつまでも心を閉ざしてはいられないものです。一か月もすれば、たいてい馴染んでしまいます。まあ、それだけのスキルと自信はあります」
「それぐらいでなければ、戦災孤児の世話なんかできないでしょう」
「ご理解いただいて嬉しいです。ただ政府は、そういう我々のスキルや精神力に頼りすぎで、もう少し予算と人員を考えてもらいたいんですけどね……ハハ、あなたのような実戦部隊の方に申し上げても仕方のないことなんですけど……そうそう吉岡君のことですね」
「はい、あの人はプライベートなことは言わない人でしたので、成育歴に関しては、ここだけが頼りなんです」
「あの子の時代は、情報を本部に集中していませんでしたからね。気づいたころには、消去した上にダミーの記録まで上書きしていましたから、発見が後手になってしまいました」
「その記録を見せていただけますか」
「ダミーですから、役にはたちませんよ」
「ダミーの作り方から、個性や精神状態が推測できる場合があります。お願いします」
「分かりました……これです」
田隅先生は、タブレットを操作して、スグルのダミーの記録を見せてくれた。
なんの変哲もない、三人家族のプロフだったが、ヒナタはネガに読み取った。
「ここに書かれていないことに真実がありそうですね」
「あ、そういう見方……でも、プロファイラーでもなきゃ」
「多少、プロファイリングもやりますんで……」
ヒナタは熱心にダミーのプロフを読んだ。その熱心さに引き込まれ、田隅先生も、これまでになく熱心にダミーを読み返した。
「なにか分かりました?」
「おそらく、吉岡三佐は四人家族です。妹がいた形跡があります」
「妹さんが?」
「ええ、友達のことがたまにでてきますけど、友達本人より、その妹についての記載が多いです。友達ということでカモフラージュしたんでしょう」
「なるほどね……」
田隅先生は感心した。
実は、主に調べていたのは田隅先生の記憶にあるスグルの姿だった。ダミーのプロフを見たのは、田隅先生に当時のスグルの印象を喚起してもらうためだった。
でも、妹がいたことは、ほぼ間違いが無い。
ヒナタは、スグルの孤独、その根の深さを理解した。