かの世界この世界:169
そうだったの……。
お茶のエッセンスを絞り切るようにポットを上下させて美空先輩は呟いた。
「完全じゃないと思うけど、この辺で手を打つか」
時美先輩が、見かけのボーイッシュさとは裏腹な優しい手つきでケーキをお皿に移す。
「ハハハ、不思議か?」
「あ、いえ」
「普段は大ざっぱだけど、ここ一番という時は丁寧にやるんだ」
「時美はね、思ったよりも見かけにこだわるのよ」
「潰れたケーキって、やだろ。三人で食べるんだったら三つとも綺麗にしとかなきゃ、つまんないだろ」
「そうですね」
時美先輩のこだわりにホッコリする。
「さ、いただきましょ」
そういうと美空先輩は『けいおん』のムギちゃんのような笑顔でケーキにフォークを入れた。
「……おいしい」
久々に(現実世界では二時間ほどしかたってないんだけどね)先輩といただくケーキはため息が出るほど美味しかった。
「じつはね、目当てのケーキ屋さんはお休みでね、ちがうお店で買ってきたの」
「え、そうなんですか!?」
「うん、ごめんね。最初に言ったらがっかりするだろうって思って」
「言わなきゃ、分かんねえのに」
「い、いえ、ちゃんと言ってくださるのは思いやりだと思います。じっさい美味しかったですし」
「そう、よかった」
「それで、冴子はどうだった?」
「はい、それが……」
冴子が赤の他人のようになってしまったことを説明した。
「でも、これで、殺すことも殺されることも無くなったわけだ」
「うん、そうね……」
言葉遣いはちがうけど、美空先輩も時美先輩も等しく労わってくださるのが身に染みて嬉しい。
「はい、落ち着いて、ここからやり直します」
二人の先輩は穏やかに微笑むことで賛同してくれた。
一人で下校する。
赤信号で立ち止まったり、電車がくるまでホームで待っていたりすると、無意識にスマホに手が伸びる。
冴子のメールを意識してるんだ。
もともと、いつも一緒にいるようなことはなかったけれど、何かにつけてメールのやりとりはしていた。
正しくはラインというらしいんだけど、違いがよく分からないわたしはメールという呼び方で納得している。ラインは個人情報を抜かれるという噂だったけど、便利で無料だし納得。
納得を二回も使ってしまう。ほんとは納得していないんだろうか。
郵便受けに新聞が溜まっている。
昨日の夕刊からとり忘れているところへ回覧板や市政だよりが入っている。
朝刊の折り込みチラシはスーパーワンダイの新装開店。市政だよりのカガミ(表紙)は神社の巫女舞の稽古の様子だ。
ちゃんと、見知らぬ中学生の女の子が緊張した表情で踊っている。
ここでは、三年連続でわたしと冴子がやらされることは無いんだ。
あれこれ見ていると、冴子に電話したくなる。
でも、もう他人なんだ……。
なんだか無性に寂しくなる。
ま、いい。ゆっくり時間をかけて……また、なれるものなら友だちになればいい。
あくる日、駅の改札を出ると、ちょっと前を冴子が歩いている。
ちょっと追い越したぐらいのタイミングで気が付いたことにして、ペコリと頭を下げるくらいの挨拶。
そうだ、一から始めればいいんだ。
そう思って、少し早足になる。
すこし横に出て、肩が並ぶ……。
ドン!
キャ!
わたしの後ろから自転車が来ていて、わたしが急に横に出たものだから、追い越しざまに接触。
チ!
自転車の主は舌打ちして行ってしまう。
タタラを踏んでコケて手を着いたところに犬のウンチ。
グニュ
「あ、ああ……」
間抜けなため息が出る。
前を歩いていた生徒たちが振り返る。一番間近に冴子。それも、仁王様のように怖い顔。
「あ、昨日の……!」
そこまで言うと、ひどく蔑んだ迷惑顔。
「ギョエ!! ちょ、離して!」
「あ!?」
わたしは、ウンチを握りつぶした手で冴子のスカートを掴んでいたのだ……。
疫病神を見るような冴子の視線を浴びながら、わたしは、もう一度時空をジャンプする決心をした。
☆ 主な登場人物
―― この世界 ――
- 寺井光子 二年生 この長い物語の主人公
- 二宮冴子 二年生 不幸な事故で光子に殺される 回避しようとすれば逆に光子の命が無い
- 中臣美空 三年生 セミロングで『かの世部』部長
- 志村時美 三年生 ポニテの『かの世部』副部長
―― かの世界 ――
- テル(寺井光子) 二年生 今度の世界では小早川照姫
- ケイト(小山内健人) 今度の世界の小早川照姫の幼なじみ 異世界のペギーにケイトに変えられる
- ブリュンヒルデ 無辺街道でいっしょになった主神オーディンの娘の姫騎士
- タングリス トール元帥の副官 タングニョーストと共にラーテの搭乗員 ブリの世話係
- タングニョースト トール元帥の副官 タングリスと共にラーテの搭乗員 ノルデン鉄橋で辺境警備隊に転属
- ロキ ヴァイゼンハオスの孤児
- ポチ ロキたちが飼っていたシリンダーの幼体 82回目に1/6サイズの人形に擬態