すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

眠りながら、人生整理?

2009-11-11 | 縁側の日

縁側の日

 月に一度
 中道和久さんをお招きして開いています。
 認知症に関心のある人、
 どなたでもどうぞ!

●11月5日より

今日の参加者は、中道さんを入れて11人。
昨年の6月に始めてから16回目です。

この日の初めに、中道さんがこう言われました。

「ここの会は、
頭のトレーニングなどをするよりも、
自分たちの話をして、
みなでいいアイデアなどを考える会にした方がいいみたいやなぁ」。

参加者は、「認知症」当人よりも、
家族に認知症がいる人やケアマネージャーさんという人が
占めるようになってきています。

そこで、この日は、
おのおのの「その後の話」を聞かせていただきました。

終わってから、中道さんが私にこう言われます。

「いやー、今日のおばあちゃんの話、ええ話やったわー」。

どうも中道さんが「睡眠」について考えていたことを実証するような話だったらしいのです。

どんな話だったかと言いますと・・・・

●「あんたが、変わったんとちがうの?」

今、私の母は、「穏やかで可愛らしいおばあちゃん」と言われています。
うちの家族曰く、
「あんな可愛らしいおばあちゃんになるとは、意外やったなあ」。

母は、どうしてそんなおばあちゃんになれたのでしょうか?

参加していた母に聞いてみました。

娘:お母さんは、何か自分で心がけていたことがあったの?
母:・・・? あったやろか・・・?
皆さん:^_^;

すると、中道さんが私に聞きました。

「あんたが、変わったんとちがうの?
きっと、何かをきっかけに変わったはずやと思うよ」。

自分の変化は、少しずつ起こっていたと思います。

しかし、確かに大きく変わる出来事がありました。

●三日三晩眠り続けた母

母は、食事を食べようともせず、
ひたすら眠り続けたことがありました。

それは、ほぼ三日続きました。

日頃から何があってもご飯だけは欠かさない人ですので、
それは、かなり「異常」。

医者に行こうと言っても、
「医者に行くより寝ていた方がいいわ」と言って、
また眠りについてしまうのでした。

体重34kgのやせた体です。

それはそれは、ひやひやで目が離せませんでした。

●走馬灯のように・・・

ところが、面白いことがわかってきました。

母は、眠っている間ずっと夢を見ているようなのです。
目が覚めた母にどんな夢を見ていたのか聞いてみますと・・・

どうやら、子どもの頃から順に見ているようなのです。
まるで走馬灯のようではありませんか。

そして、こう言うのです。

「ああ、あの人はええ人やったなあ。
私はええ人に出会わせていただいてきたわ。
私の人生よかったわぁ」。

私は思いました。

この人はこうやって逝ってしまうのではないだろうか・・・・
もしそうだとしても、
自分の人生をこのように肯定し感謝して逝けるとしたら、
それは、幸せではないだろうか。

かかりつけのお医者さんに相談したところ・・・

「そういうこともあるかも知れません」。

●生きているだけでいい。

ひやひやしながらも私は何処かで覚悟をしていたのでしょう。
私も母と一緒に暮らし始めてからの日々を振り返っていました。

「デイサービスにいかなければ、もっとぼけてしまうのではないだろうか?」
「母にも人生を最後までよりよく生きてほしい」
「母の夢であった歌集を作ろう」
「寝てばかりでは、頭がぼける。何とかしてやらねば・・・・」

そんな気持ちで私は一生懸命でした。

でも、本当にそれが母のためにいいことだったのだろうか?
84年という人生を尊重することになっていたのだろうか?
母の「今」を大事にしていることになっていたのだろうか?

もしここで母が人生の幕を閉じるとしたら、
あの時間が母にとって最後の時間ということになります。
しかし、とても幸せとは言えないように思えてきたのです。

人それぞれあるように、人生もいろいろ。
私が「こうありたい」と思うことを母も望むとは限らない。
私がよかれと思っても、必ずしも母にもよいとは限らない。
もし、命があるのなら、もっと好きなようにさせてあげよう。
生きているだけでいいじゃないか。
生きていれば、母もよく生きようとしているに違いない。
それをもっと信じてみよう。

そんな気持ちになっていたように思います。

●目覚めた母は、「感謝の人」に

三日目、母は点滴を受け、一瞬動き出したものの
また眠り、そして、復活したのです。

まるで人相が変わっていました。

つぶらな眼になり、
それは、仏さんに近づいたような顔つきになっていたのです。

それからです。

母が、事あるごとに「ありがとう」と言ってくれ、
以前のように怒らなくなりました。

眠りの中で、一体母に何が起こっていたのでしょう?

「ありがとう」
「いいえー、私の方こそありがとう」。

そんなやり取りが二人の間に増えていきました。
それは、私にも母にも穏やかで幸せな気持ちを与えてくれました。

すると、また
「ありがとう」
「いいえー、私の方こそありがとう」。
と言いたくなることが増えてくるのです。

並行して、母は穏やかになり
くよくよしていたのが、明るくなることが出てくるようになったのです。

●デイサービス、お風呂を受け入れた!

間もなく、
母はずっと拒否していたデイサービスに行くようになり、
全く入らなかったお風呂に
デイサービスでなら入るようになりました。

私の方も、母がいくら寝続けても
「これが、母のリズム」
と安心して眠かせておくことができるようになりました。
事実、眠りから覚めると母の頭は、はっきりするのでした。

●眠りが脳を整理する

自分で眠るのと「薬で眠る」のとは違うでしょうが、
脳の中でどう違うかはわからない。
ただ、
眠ることで体も脳も休ませてあげることができる。
その間に、脳が自動的に何かを整理してくれている。
それは頭にも体にもよい方向に向かわせてくれる作用である。

そんなことを中道さんは、長い経験から抱いてきたところ、
母の話は、それを裏付けるような事例だったというわけです。

「眠っているから、頭がぼける」とは一概に言えない。
私もそうは思っていましたが、
「眠りの効用」とまでは考えていませんでした。

そう考えると、なるほど、確かに面白いお話でしたね。

人間とは、なんと巧妙にできていることか・・・
そして、そうそう柔な存在ではない。
そんなことを実感する一件でした。

しかし、これで一転して常に平和になったわけではありません。

徐々に徐々に・・・その中で大きな出来事だったということですので

あしからず。

 

縁側の日を一足先に退席した母は・・・、
ガ~~、ス~~、ガ~~ ・・・
よくお眠りになっておりました。


 

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