高村光太郎の詩集や著作物に触れ、詩は勿論、 芸術家としての使命感、またその芸術観において
近代日本の芸術家にこれほどまでの深みに到達できた作家は、
しかもその若さで、、1人もいなかったのではないかと感動致しました。
が、ふと我に返り考えてみますと制作数が少ないとはいえ、光太郎の彫刻作品には
なるほどその技術も、また極力無駄を省くというい近代的な試み、造形美も十分感じられるにもかかわらず
詩や文章に受ける圧倒的な情熱の継続、感動をそこに長く、強く感じ続ける事が出来ない気がしてなりませんでした。
制作に変化がないといってしまえば簡単すぎるのかもしれませんが、
彫刻家としてだけで高村を評価して良いものなのかと迷うのですね。
そんな中にあって以前もお伝えしました通り、当店の図書室に舟越保武と佐藤忠良の対談集を見つけました。
高村光太郎について触れて書かれている部分を以下に抜粋させていただきたい思います。
舟越
僕はやっぱり文章に魅かれているという事がこの頃わかったね。作品にはそんなに魅かれていなかったようだ。
佐藤
作品はそんなにないものね。僕が作品を見て感心したのは「黒田清輝像」あの作品はなかなかの傑作だよ。
舟越
他の人の胸像、いわゆる肖像をつくったのはほとんど良くない。
佐藤
そう、あまり良く出来ていない。
木彫の
鯰、文鳥みたいな作品もどうしても僕はわからない部分というのがあるんだ。
舟越
日本の伝統的な木彫の手法の中の最も良い部分があの中には出ていると思うんだ。
鯰 にしても文鳥にしても、簡潔に、面を処理していて、無駄を取り除いている。その簡潔な手法が高村さんの姿勢、
高村さんの詩の精神と通じるものがある。それがあの木彫には端的にでていると僕はそう見ているんだ。
佐藤
悪い作品だと僕は思わないけれど、あんまり神様みたいに言っちゃうと、どうして俺にはわからなないんだろうなと
いうものがある。
舟越
高村さんは神格化されすぎたというところがあるね。
佐藤
詩を書いたいたせいもあると思う。
舟越
だからかえって気の毒だったね。
佐藤
自分に厳しい人だったという点ではこれはやっぱり珍しい。高雅な人だったというのは僕は良くわかるけど。
舟越
戦争を称える詩なんか随分書いていて、それへの贖罪、そういう気持ちもあって、引っ込んだようなところがあると思う。
それで肉体的にすごく苦労された。あんな所に住めるわけなんだから。それでかなり胸を悪くしている。
中略
佐藤
朝倉さんの家に光太郎の「手」があるんだよ。ちゃんと買っておいてあるというのは、まさにライバル意識のあらわれ
だったと思うよ。
舟越
高村さんの「手」を?
佐藤
そう、買ったんだろうな。
高村が東京へ出てきて十和田湖の彫刻を作るときに、朝倉さんは「高村が山の中に入っていて神様みたいに思われていて、
彫刻をしないであんな詩ばかり作っていて、もしいい彫刻が出来たら俺はシャッポを脱ぐ」といったそうなんだ。
あの人は「彫刻家が1日土をいじらざれば1日の退歩だ」と言っていたし、僕は今でもその言葉を大事にしている。
学生時代は朝倉さんのことを銅像屋だなんて馬鹿にして先生が教室に入ってくると外へ出たりしていたけど、俺は粘土職人になったんだな、というのがその時本当にわかったね。
あの高村の「ロダンの言葉」というのは君も聖書のようにして読んだし、僕もおなじだったね。
高村さんにあれだけの翻訳が出来たというのは、当時高村さんがいい仕事をしてたから深く読み、訳せた証拠だと思う。
舟越
大東亜戦争的な頃の詩が高村さんには災難になったね。それで戦後山に入っちゃった。
舟越
今まで話した事がなかったけれど、僕の書いた手紙の返事に高村さんは「今、佐藤忠良と舟越保武、その辺に私は期待しています。その上の人たちは」とここまできて、名前が何人か書いてあって、「よくない」とあった。便箋三、四枚の手紙をいただいた事があるんだ。「佐藤、舟越など、若い人達に期待しています」という高村さんの手紙、今も大事に残してあるよ。
特に舟越保武は高村光太郎を尊敬し、お嬢さんに千枝子という名前をつけてもらったそうです。
この舟越と佐藤の対談を読ませていただいて、私は高村光太郎を彫刻家として評価するときの戸惑いを払拭させることができました。
やはり高村は詩や文章を書いて良かったのだと思えました。
彫刻家というよりも、芸術家として高村をしばらく捉えていきたいと思え、スッキリとした気持ちになれたのです。
最後に高村が熱心に訳したとされるロダンの言葉をここに書かせていただきます。
彫刻も含め、美術品に込める作家達の思いや鍛錬の意味を鋭く説いていると思っています。
・自然」 をして君達の唯一の神たらしめよ。
彼に絶対の信を持て。彼が決して醜でない事を確信せよ。そして君達の野心を制して彼に忠実であれ。
・美はいたるところにあります。美がわれわれの眼を背くのではなくて、われわれの眼が美を認めそこなうのです。
・自然はつねに完全です。決して間違いはない。間違いはわれわれの立脚点、視点の方にある。骸骨にすら美と完全とがある。・芸術は感情に外ならない。しかし量と、比例と、色彩との知識なく、手の巧みなしには、きわめて鋭い感情も麻痺される。
と、ここまで書いて、佐橋にこの記事を読んでもらうと・・
「う・・ん、舟越も忠良も、結局粘土やさんだからね。
光太郎のことは、わかっているようでわからない部分もあるんじゃないかとこのお話を読んで思ったよ。
彫像と塑像の違いってあるね。
木彫には木目があるんだ。逆目をどう刃物で処理するか?木はずっと生きている。しかも作品にした後も、木は動くでしょ。
毎日捏ねていればいいわけでもないかもしれないね。」
「あっ、なるほど。
大工の娘として、小さい頃からおが屑の中で遊んで、そんなことにも気づかなかった。
やはり彫刻家として、光太郎だけに見えている世界もあったはずね」
そう反省して、この記事の掲載を諦めようとしましたが、ここまで書いてそれも勿体無いので
高村光太郎って?のまま、今回は終わらせていただこうと思います。