
一人暮らしを始めてから、息子が時々電話をくれるようになりました。


お互いの仕事のことなどもよく話します。
山口薫展は何も伝えなくてもすぐに見にきましたが、福井展に来ていなかったので一度見ておくと良いのにと思いながら、先日「仕事をしていると心が濁る時がある」的な会話の後に、上の福井の作品の画像を送りました。お清めの意味を込めました。
今日は、少し用事があり車を出してもらうことになったので息子についでに店まで送ってもらうと「福井ってまだ飾ってある?」と聞いてくれました。
「孔版画と雪景色だけ残してあるよ」と伝えると「見にいくわ」(名古屋弁)と車を降りてきました。
まず小窓の上の孔版画「異性」に釘付けになり、続いてエントランスからギャラリーに入ると、
「おー」
「すげぇなぁ〜福井ってこんなに良かった?ずっと見てきたつもりだったけど、こんなに良いんだなぁ。感動する。今までの展覧会でうちの店に1番ぴったり合っている気がするよ」と言ってくれました。
嬉しくなって倉庫に仕舞ってあったお納め予定の作品やくわいの作品を見せると、そちらにも感激して観てくれました。
珍しなぁ〜と話を聞いていると「このチークの額がいいんだなぁ、でも今の時代の新しい家には存在感が重いんだよなぁ。小さい作品ならなんとかなるんだけれど」というところまで口にしたので驚きました。
例の「青い音」は欲しいなぁと言い、雪景色ではこれかな?と


「暗い日」を選んだので、小さい作品だからということもあるかもしれませんが、お気に入りが私とぴったり同じでそこまでいくと「うんざりするほど親子だなぁ」と不思議にゾッとしました。
息子は教師をしています。
小林秀雄が「教育」の原理について「教師の魂が弟子(生徒)の魂に移ること」と書いていましたが、その意味からすると画家と鑑賞者についても同じ。。鑑賞者は絵画を通して画家の魂をいかに受けとることができるか?がこの「コレクション病」の本体ではないかと考えるのです。
「魂のやりとり」について福井はどの作家よりも静かに私たちに語ってくれているようです。
独りでいることにこれほどの安心感を与えてくれる作品は他にないでしょう。
人は結局人間同士の魂のやり取りだけを力として生きるのだと思います。
寒さは苦手ですが、この寒さのおかげでもうしばらく雪景色を飾らせていただけることに密かな喜びを感じています。
ブログにお寄りくださる皆様に元気をいただき、病院に見舞いながらの1週間をなんとか過ごすことができました。
来週もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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