↑我が家の庭に咲いたハイビスカス
“不登校”という言葉がある。
学校に行かないことである。
学校に行きたくても行けない時代の子が
このことを聞いたら、何と言うだろう?
私が小学生の頃、まだ、兄弟が多くて高校進学をあきらめるように言われ、
泣いていた友だちのお姉ちゃんを目撃したことがあった。
途上国で学校に行けず、働かざるを得ない子ども達も沢山いる。
人間って本当に贅沢で、行けないとなると、
行きたくてしようがなくなるのに、親が
「どうか、高校だけは、大学だけは行ってくれ!」
等という世の中になると、
「学校なんて、何で行かなきゃ行けないの?」
なんて言うようになる。
私は、学校教育は社会に出る練習として絶対必要だと思う。
もちろん、そこで、いわゆる「読み書き」的な知識を習得することも大切だが、
これは、塾や家でもできないことはない。
それより大切なのは、社会生活、集団生活の勉強をすることだ。
友だちとうまく付き合う練習、いじめ問題などももちろんある。
気の合わない先生とうまく付き合う練習。
クラブ活動、委員会活動、学校行事などに参加し、
活動計画を考えたり、予算を上手に使ったり、
先輩後輩の関係を持ったり、
人を喜ばせることを自分の喜びとすることを学んだりする。
小学校、中学校、高校と最初は大人の力を借りるが、
だんだん、自分たちでできるようになってくる。
それでもまだまだ、先生や親に守られた、甘い社会だ。
しかし、学校で練習をきちんと積んでいれば、
社会に出て、辛いことに出会っても、
どう対処すればいいか、考えられるし、人間関係もスムースに結べる。
知識を学ぶことができる上に、
こんなによい経験ができる学校に行かないなんてあまりにもったいない。
こんな経験、親が自分の力だけで味わわせてあげることはできない。
「不登校」こんなもったいないことをしたがるって変よね