あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

3度目の四国遍路(後編)・愛媛その1

2011-03-29 14:17:41 | 3度目の四国遍路
 第1日 2011年2月24日(木)
 =別格7番出石寺へ=

 5時40分に起床、6時朝食、不要な荷物は部屋に置いて、7時に、ときわ旅館を出る。


 大洲城や、眼下に停泊する屋形船を眺めながら肱川橋を渡る。大洲市役所前を通過し、
久米川沿いへ。途中、コンビニ・サークルKで弁当を仕入れる。


 平野の関谷橋を渡り、JR予讃線の西に出た。沼田川沿いを1.5㎞ほど進み、車道を
離れて遍路道に入る。

 おなじみの、へんろみち保存協力会のへんろ標識のほか、ときわ旅館の藤江さんが立
てたという独自の標識があり、林道横断か所なども迷わずに進める。


 今日の大洲の予想最高気温は18℃。朝から暖かいので、コンビニでジャンパーを脱ぎ、
車道の先で厚手のシャツも脱いだ。

 「キリシタン大名一条兼定仮寓の地」の説明板があり、そばに、「梶ヶ谷のヤマモモ」と
呼ぶ、ヤマモモの古木が枝を広げていた。


 樹林の切れ目から、南側の山並みが望まれる。



 炭焼きがまの横を過ぎ、幅広い林道に出ると、「ケーブル埋設」の標識が続く。舗装道路
を横断後、スプリンクラーのある椎茸栽培地の先から砂利道の林道に入った。

 右手に上がる遍路道の標識を見逃し、10分余り先で標識が無くなったのに気づき戻る。
はっきりした標識なのにどうして見逃したのか、戻ってみて不思議な気がした。

 遍路道が下りとなって車道に出て、いったん緩やかに下って標高490m点の車道交差
点から、稜線を上がる遍路道へ。幅広くて歩きやすい上り道が続く。


 今年初めての、ウグイスの鳴き声を聞きながら進む。ところどころに、石仏を刻んだ古い
丁石がある。


 たくさんのお地蔵さんが並ぶ一角を過ぎると、間もなく弘法大師像のところに上がった。


 石段のすぐ上が、別格霊場7番、出石寺(しゅっせきじ)の山門である。途中でも雨が
ぱらぱらしたが、ここでもぱらつく。でも、本堂に参拝中に止んで、晴れてきた。

 最奥に本堂があり↑、手前に大師堂、その前には御手びきの鹿と呼ぶ鹿の像や、牛の
像、多宝塔などが並んでいる。


 そのあたりからは、雲の切れ間から下の集落などが望まれる。


 境内の日陰には、雪が残っていた。


 石段下の納経所で御朱印をいただく。そばに護摩堂があり、山門横には、売店とうどん
店がある。

 納経所の方に断り、山門のそばのベンチで昼食をしたが、標高812mの山上なので、休
んでいると寒い。

 帰路は、標高560m地点まで往路を戻り、そのまま車道を下る。車はほとんど通らない
ので、どんどん下る。こちらでは、シジュウカラの初鳴きを聞いた。


 車道のカーブ点に、新しい休憩所が出来ていた。遍路に行くたびに休憩所は増えていて、
歩き遍路にとっては大変ありがたい。



 棚田を見下ろしながら下る。車道のヘヤピンカーブ点には、ショートカットする遍路道が
3か所続くが、真ん中の部分は崩壊で通行禁止になっていた。

 最初の集落まで下ると、大洲の町並みが見下ろせる。


 阿蔵(あぞう)集落から真っ直ぐに下る遍路道にも、藤江さんの遍路標識が多く、間違い
なく下れた。


 JRのガードをくぐって肱川の堤防に上がると、大洲城が近づく。


 アーケードのある本町一丁目商店街を抜けて肱川橋を渡り、大洲の市街地へ。ときわ
旅館には、15時55分に戻った。

 すぐに入浴でき、洗濯はお接待でしていただく。風呂から出たら腰を伸ばすと痛いので、
近くの薬局へ行き、湿布薬を買っきて貼る。

 夕食は18時過ぎから。今日は34㎞ほど歩いたという、奈良市の男性と一緒にいただく。
お勤め中の方で、数日の区切り打ちを続け、今回は51番石手寺までの予定とか。

 夕食後、宿の藤江さんも交えて情報交換をする。腰痛がややきつく、明日がどうなるか
気がかりだ。

 【コースタイム】ときわ旅館7・01ー西大洲・サークルK7・30~37ー関谷橋7・57ー桑坂
 川沿い遍路道へ8・22ー二つ目の遍路標識8・37~44ーH390m点9・30ーH560m点
 10・20~25ーH550m点10・42ー別格7番出石寺(昼食)11・32~12・20ーH490m点
 13・02ー出石寺9㎞標13・37ー出石寺11㎞標14・11~20ーJR予讃線際15・18~23ー
 ときわ旅館15・55

 (天気 晴一時曇、距離 25㎞、歩行地 大洲市、八幡浜市、歩数 46,300、遍路
  地図※ 94ー3図)

 ※ 「遍路地図」とは、へんろみち保存協力会発行の「四国遍路ひとり歩き同行二人」
   【地図編】第9版の地図をいう。


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3度目の四国遍路(後編)・自宅から大洲へ

2011-03-28 21:12:10 | 3度目の四国遍路
 3度目の四国遍路の後半は、2010年秋に予定していたが、所要が出来て延期し、前半から
ほぼ1年後の、2011年2月下旬から3月中旬に実施することにした。

 後半も別格霊場を回ることにしたが、この後の予定から、終わりを3月14日までとしたので、
前回回った別格霊場の一部は割愛することにして、予定を組んだ。
 
 2011年2月23日(水) 快晴後曇
 =愛媛県大洲市へ向かう=

 6時起床、7時7分に自宅を出た。東京駅9時3分発東海道新幹線ひかり号で岡山駅へ。新
富士周辺からは、富士山がよく見えた。


 岡山駅からの特急を松山駅で乗り継ぎ、17時4分に伊予大洲(いよおおず)駅に着く。

 今日と明日連泊のときわ旅館に、17時25分頃入る。昨年最後の宿泊時と同じ部屋で、暖房
が入っていて暖かい。

 新幹線、特急ともに暖かすぎて、居眠りしている時間が多かった。出発前の昨日、軽いギックリ
腰を感じたが、今日は電車に座りきりなので、あまりよろしくない。悪化せねばよいがと心配だ。

 すぐに入浴し、18時過ぎから夕食。今夜の宿泊者は私だけ。いつも夕食をいただく部屋には、
今年もひな飾りが並んでいる。


 宿のご主人、藤江さんに、明日行く別格霊場7番出石寺(しゆつせきじ)へのルートなどを聞く。
藤江さんは、最近愛媛マラソンに初挑戦され完走したとのこと。4時間台で完走の賞状があった。

 部屋に、遍路関連の冊子がいくつか置いてある。


 その中に、NPO四国遍路おへんろ倶楽部発行の、県別の遍路コースや霊場を紹介した冊子が
あったので、この先歩く伊予(愛媛県)と讃岐(香川県)の2冊をいただいた。
 

 今日は歩いていないので、美味しい夕食だったが少し残した。


 明日から、いよいよ四国遍路の後半が始まる。前回の区切りとなった、43番明石寺と44番大宝
寺との中間、JR予讃線内子駅からの再開を前に、まずは別格霊場7番の出石寺に向かう。

                                       (歩数 6,100)

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3度目の四国遍路(前編)・愛媛その5

2010-06-29 21:43:05 | 3度目の四国遍路
 早春に出かけて1か月近く歩いた四国遍路の前半、3か月余り経ってようや
く最終日のレポートとなりました。

 この後は、遍路中に撮り貯めた写真を幾つかの切り口でまとめ、「四国遍路
あれこれ」のカテゴリーで紹介します。

 なお後半は、11月半ばから出かける予定です。

================================

 2010年3月19日(金)
 四国遍路前半第29日 
 =JR内子駅で前半の区切りに=

 5時50分起床、6時30分に朝食をする。宿のご主人から、マスクや絆創膏、
まち針、ポケットティッシュ、のど飴など、歩き遍路の必携品ともいうべきもの
を詰めた袋をお接待いただいた。


 昨日偶然にも、前回の遍路から1年ぶりに再開したという西宮のMさんと、市
川のTさんが先発する。

 Tさんは、私が何度か同泊した市川のHさんの知人ということも分かり、Hさん
によろしくと告げる。

 私は、今日は別格7番出石寺(しゆつせきじ)を往復するという埼玉・鳩山町
の男性と7時17分にときわ旅館を後にする。

 あとの女性は名古屋の方で、昨晩の話では、偶然の機会を得て、45番岩屋
寺の逼割道場(せりわりどうじよう)の垂直の岩場を上った経験があるという。

 鳩山町の男性とはJR大洲駅前で分かれ、国道56号へ。


 格好のよい山は冨士山(とみすやま)(319.6)。標高は日本一の富士山の
10分の1以下なので「富」に点がないのだろうか。桜やツツジの名所だという。


 電器、薬局、食品、書店、衣料品などの大型量販店が並ぶ通りを進む。それ
らの店が少なくなったあたりに別格8番十夜ヶ橋(とやがはし)永徳寺がある。


 本堂だけ参拝して納経印をもらったが、少し離れたお堂↑もあったので、後か
らお参りし、橋の下にある寝ている大師像にも手を合わせた。



 松山自動車道の下を通過して旧道に入り、新谷(にいや)郵便局で、頭陀袋
(ずだぶくろ)と洗面具など一部をゆうパックで送って、残りわずかだが軽量化を
図る。


 沿道のソメイヨシノは2~3部咲き。再び国道56号に合するところにある東屋、
神南堂で、男性と女性の遍路が休んでいたが↓、内子発の列車の時間が気に
なるので、寄らずに通過する。



 内子町に入り、五十崎(いかざき)から旧道へ。草付きの道はややぬかるみも
あるが、ウグイスがあちこちでさえずる。



 車道に上がって内子町運動公園の間を通過し、池の横を進んで、10時36分
にJR内子駅に着く。


 腰痛に悩まされて予定より2日ほど遅れたが、前半の区切りを終えることが出
来た。

 10時56分発のJR予讃線で松山駅まで行き、駅構内2階の食堂で昼食をす
る。急いで土産物を買ったが、12時20分発の特急にはわずかの差で間に合わ
ず、13時26分発特急しおかぜ20号に乗る。

 岡山駅発16時28分のひかり号で東京に向かった。 【前半完】

 【コースタイム】ときわ旅館7:17ー別格8番十夜ヶ橋8:10~35ー松山自動車道
 下(旧道へ)8:59ー新谷局9:07~17ー神南堂9:35ー五十崎の旧道へ10:00ー
 JR内子駅10:36

 (天気 晴後快晴、距離 11㎞、歩行地 大洲市、内子町、歩数 19,200、
  遍路地図 54-1、54-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・愛媛その4

2010-06-28 17:24:33 | 3度目の四国遍路
 2010年3月18日(木)
 四国遍路前半第28日 
 =前半の区切り43番明石寺へ=

 5時30分に起床、6時朝食、民宿とうべやを6時48分に出発する。今朝も快晴
で冷え込んだ。


 工事中の四国横断自動車道のそばから、歯長峠(はながとうげ)への上りが始
まる。ウグイスのさえずりを聞きながら、石敷きの道からヒノキ林に入る。

 県道31号の延長なのか、前回は気づかなかった車道が出来ていた。その車道
を進む標識もあるが、前回も通った林間の遍路道へ。


 車道からの上り口に東屋があった。緩やかな上りの後、200mほどの急登には、
くさりがついている。上がりきれば傾斜は緩み、送電線鉄塔のある歯長峠に着く。

 ブロック積みの小屋に、数体のお地蔵さんが祭られていた。樹間から、西側の海
が望まれる。

 すぐ先から林間をどんどん下って行くと、四国横断自動車道の横に出た。車道を
少しで、歯長地蔵が小さいお堂に祭られている。そばに東屋があったので小休止
した。


 いつの間にか雲が広がり、風が少し冷たい。遍路道は、肱川の橋からは県道29
号に入るのだが、一つ先の橋まで、車の少ない手前の左岸の旧道を進む。


 県道に出てすぐ、番外霊場の導引(みちびき)大師堂があったので参拝。皆田(か
いだ)の民家には、早くもシャクナゲが花を開く。


 県道を左に分け、松山自動車道の西予宇和ICの下を通過し、自動車道の下を
2度くぐる。

 自動車道の東に出てから再度くぐるので、この辺りは遍路地図とよく対比しない
と分かりにくい。正面高台に、愛媛県立歴史文化博物館が見える。


 明石(あげいし)の家並みに入り、カシなどの常緑樹林の下に、43番明石寺(め
いせきじ)の奥の院、白王権現(はくおうごんげん)の小さなほこらが祭られていた。

 山ろくの真っ直ぐの参道を緩やかに上がり、43番明石寺門前へ。まず、遍路地
図に記された遍路用品店、常楽苑で、昨日飛ばされた菅笠のビニールカバーを求
める。これで雨になっても安心だ。

 43番明石寺は、木々に囲まれた静かなたたずまい。前半の区切りとなるこの寺
まで、腰痛に悩まされはしたが無事歩けたことに感謝する。



 境内の1本のソメイヨシノが満開。歩き遍路や車遍路の人が、何組か出入りして
いた。

 西側の針葉樹林を上がり、小さい峠を下って卯之町の古い家並みへ。

 国の伝統的建造物群保存地区に指定された家並みには、著名人が泊まったとい
う松屋旅館↓もある。


 次の角を下って国道56号に出て、宇和郵便局で最後の資金補充をする。真ん中
の通りに入り、中華店で昼食をした。旧道に戻ると、近くにある自動車学校の路上
教習車が何台も行き来する。

 国道に合する手前の神社に、太いクスノキが立っていた。


 国道は少しで再び旧道へ。1㎞ほど進んだころ、ポチポチ雨が落ちてきたので
ザックカバーをする。


 田園地帯となり、ナノハナが咲く。国道からさらに旧道に入るころ本降りとなり、
ポンチョを着用する。一時かなりの降りとなったので、ほんの少しの時間だが、駐
車場らしいところを借りて雨宿りした。

 鳥坂峠(とさかとうげ)への遍路道に入り、上り口の古い東屋で休憩するうちに、
雨はほぼ上がった。


 鳥坂番所跡↑を過ぎて林間に入り、広く緩やかな上りが続く。

 林道を横断してさらに緩やかに上がり、鳥坂峠に着く。途中では、来た道が見
下ろせるところがあったが、峠では展望が得られないので、すぐに下りへ。


 広い林道となり、林間の社、日天月天社(にってんがってんしゃ)を過ぎて下り
道が続く。前回は下った、国道の鳥坂トンネル北側への下り口に出たが、そのま
ましばらく旧国道を進む。

 ナラやクヌギの丸太が、たくさん積まれたところがあり、その先にはシイタケの
ほだ木らしいのがあった。

 16時ころ、今日の宿、ときわ旅館のご主人から腰痛を気づかっての「迎えに行
きましょうか」との電話があったが、もう少し下ってみますと返答する。

 番外霊場の札掛(ふだかけ)大師堂に立ち寄ったが、無人の堂内はかなり荒れ
ていて痛々しい感じ。

 雨が上がったのでポンチョを脱いだ。

 国道56号に入り、どんどんと下ったが、このペースでは宿に着くのが18時ころ
となりそう。北只郵便局で待つことにして、ときわ旅館に電話し、迎えに来ていた
だくようお願いする。お陰でときわ旅館には17時30分過ぎに着いた。

 夕食は18時から、ひな壇が飾られ、掘りごたつのある大広間で。今日の宿泊
者は、何泊か一緒の西宮のMさんと、ほかに男性3人、女性1人。

 手の込んだ美味しい料理をいただきながら、遍路道のことや遍路宿の良否など
の情報交換をする。

 食べ終えたころに若ご主人も加わり、20時近くまでさらに話が弾み、私にとっ
て前半最後の夜は、充実したひとときとなった。

 若主人Fさんも、昨年冬、番外霊場を含めた108の霊場を一人で歩いて回った
とか。カチカチの雪のところも多かったとのことだった。

 【コースタイム】民宿とうべや6:48ー遍路道上り口7:18ー歯長峠7:45~55ー
 歯長地蔵8.38~43ー導引大師8:58~9:00ー県道手前の東屋9:27~32ー43番
 明石寺10:21~11:00ーJR卯之町駅近い中華店(昼食)11:40~12:13ー大クス
 のある神社12:37ー宇和加茂局手前の信号13:12ー宇和町瀬戸(ポンチョ着用)
 13:33~38ー鳥坂峠上り口東屋14:40~50ー鳥坂峠15:21ー札掛大師堂16:21~
 25ー札掛ポケットパーク16:35~45ー北只郵便局17:10~=迎えの自動車=ときわ
 旅館17:30過ぎ

 (天気 晴曇雨後晴、距離 25㎞、歩行地 宇和島市、西予(せいよ)市、
  大洲(おおず)市、歩数 49,700、遍路地図 52-1、52-2、54-1図)
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3度目の四国遍路(前編)・愛媛その3

2010-06-26 22:52:07 | 3度目の四国遍路
 2010年3月17日(水)
 四国遍路前半第27日 
 =別格6番龍光院、41番龍光寺、42番仏木寺=

 真冬並みに冷え込んだが快晴、工事で宿泊の3人と朝食を食べ、7時05分に
大畑旅館を出る。

 宿のはし袋に「文学ゆかりの宿」と書いてあったので、ご主人に聞いたら、獅子
文六が2年間滞在して、毎日新聞の連載小説「てんやわんや」を執筆したとのこ
とだった。


 岩松川の橋を渡って国道56号へ。宇和島の中心街に向かう自動車が多く、
渋滞気味である。

 松尾峠越えは、前2回とも旧国道を上がったのだが、松尾トンネル(1710m)
の手前から、復元された遍路道を上がれられるようなので、その道を進むことに
する。

 上り口にはへんろ休憩所もあった。


 ジグザクの緩やかな上りで旧国道に出て横断、近くの採石場の石を砕く音が
聞こえる。

 標高220mの峠には、ヘンロ小屋26号わん屋があったので、休憩した。


 その先の下りも、緩やかで気持ちよい林間の道。下にある別の採石場の中を
抜けて、前回通過した旧国道沿いの遍路道へ。ウグイスがあちこちでさえずる。


 国道56号に出てすぐ、左に並行する旧道を1㎞ほど進んで国道に入る。ロー
ソンとその先に出来たばかりのスーパーマルナカで、昼食などを購入する。

 しばらく国道を進んで右手の旧道に入り、大イチョウの立つ番外霊場の馬目木
(まめき)大師に参拝して休憩した。



 川沿いから古い家並みの通りを進んで、宇和島城の下を南から東に回って中
心街に入る。


 右折してアーケード街を横断、間もなく別格6番龍光院がある。

 石段を上がると高台なので、市街地や宇和島城の展望がよい。

 本堂は近年の護摩法要中に火災にあい修理中、大師堂に全部の仏像が祭ら
れているとのことで、大師堂↓のみにお参りする。

 納経所で「歩きですか?」と聞かれ、あめ3つと納経料にあたる300円のお接
待をいただいた。

 腰痛対策として今日は、務田(むでん)駅までの県道57号の上りを、列車利
用することにした。


 そばのJR宇和島駅↑に寄り、予土線の時刻を確認、時間があるので無人の
北宇和島駅まで行き、ベンチで昼食をする。

 13時16分発の予土線は、1両のワンマンカー。遍路姿の1人とザックの2人
が乗っていたが、務田駅では私とザックのご夫婦のみが下車した。

 これで、北宇和島~務田間、5.5㎞ほどを歩かずに短縮できた。


 広々とした明るい田園地帯を北に進んで、山すその41番龍光寺に上がる。



ここも高台なので、下の集落などの展望がよい。境内には、稲荷神社も祭られ
ていた。

 墓地の横の遍路道を西に抜けて、県道31号へ。こちらものどかな田園が広
がり、明日上がる歯長峠(はながとうげ)が望まれる。


 歩道にはチューリップが植えられ、咲き出したものもあった。


 かやぶき屋根の鐘楼のある、42番仏木寺(ぶつぼくじ)に着き参拝。納経後
ひと休みしていたら、そばに同じ列車で来たご夫妻もおられ、東京・八王子から
来られたとのこと。

 今日は仏木寺近くの民宿稲荷に泊まり、明日から23日にかけて、自転車で
65番三角寺まで回る予定とか。

 私の今日の宿、民宿とうべやは近い。15時41分に着いた。同泊は、岡本旅
館と民宿磯屋で一緒だった西宮のMさん(大阪にお住まいではなかった)、部
屋は西日が入って暖かい。

 1日中快晴だったのは、今回の遍路では初めて。しかし真冬並みの寒さで、
手袋はほとんど付けたままだった。

 【コースタイム】大畑旅館7:05ー松尾トンネル手前の遍路小屋7:46~53ーヘン
 ロ小屋26号わん屋8:25~33ー国道56号へ9:17ーローソン9:38~44ー保田の
 マルナカ10:00~10ー馬目木大師10:52~11:00ー別格6番龍光院11:35~57
 ー宇和島駅11:58~12:03ー北宇和島駅12:30~13:16=JR=務田駅13:28~
 30ー41番龍光寺13:53~14:15ー42番仏木寺15:06~29ー民宿とうべや15:41

 (天気 快晴、距離 24㎞、歩行地 宇和島市、歩数 37,300、遍路地図
  50-2、50-3、52-1図)

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3度目の四国遍路(前編)・愛媛その2

2010-06-25 22:54:43 | 3度目の四国遍路
 2010年3月16日(火)
 四国遍路前半第26日 
 =柏坂を越える=

 5時50分起床、6時30分朝食。大阪の2人が朝食後すぐに出発したのにつら
れて7時13分に出たが、今日は短めの距離なので、初回の時に大変お世話に
なった磯屋のおかみさんと、もう少しゆっくり話してから出ればよかったと、歩き
始めてから思ったがもう遅い。

 2人は足早に進んで、間もなく見えなくなった。城辺町の外れから、国道56号
は緩やかな上り坂が続く。


 今朝は向かい風が強く、時々菅笠を手で押さえる。山の斜面には、今日もヤマ
ザクラがあちこちに見える。


 しばらくの上りの後、ようやく下りとなる。室手(もろで)海岸が近づき、養殖真
珠のいかだが幾つも浮かんでいるのが見える。

 風が強いのに、なぜか海は霞んでいる。湾の近くは風がいっそう強く、菅笠が
飛ばされそう。風も冷たくて、手袋が欲しいくらいだ。



 旧内海村の中心街に下り、「DEあい21」でトイレを借りようとしたら、3月末ま
で工事中。工事の人が教えてくれたので、構内の工事用のトイレを借りた。

 手前から入る川沿いの遍路道も川の工事中で、左手の家並みの方へ少し迂
回させられる。でもそのお陰で、途中にあったJAの組合マーケットで、弁当を仕
入れることが出来た。

 山間の遍路道への上り口の手前に、ナノハナ畑があり、「お遍路さんへの花
畑接待」の立て札が立っていた。


 折り畳み杖を出して山道にかかり、汗が出ないようゆっくりゆっくりと上がって
行く。

 ところどころに野口雨情の歌碑が立ち、その内容からこの地で呼んだことが知
れる。


 標高400mの柳水(やなぎのみず)大師まで上がると、「四国のみち」の柏坂
休憩所があったのでひと休みした。


 少し先で、鈴を鳴らしながら下ってきた逆打ちの男性遍路と行き交う。

 休憩舎から少し上がると、前回までになかった舗装された林道を横切る。標高
460m地点の下10mくらいのところに、番外霊場・清水大師が祭られていた。

 このあたりでは、強風で木のこずえが鳴り、手が冷たい。風で落ちた枯れ枝が
へんろ道をふさいでいた。


 初回歩いた時に、月岡祐紀子さんのコンサートを聞いた、景勝の地、つわな奥
に出たが、相変わらず海が霞んでいて、眺望はさえない。



 しばらくは、気持ちよい緩やかな下りが続き、送電線の鉄塔そばの、茶堂休憩
所の東屋で昼食とする。

 手が冷たいので、昼食後は軍手を着用した。

 すぐ下に民家が現れ、周辺にはシキミヤミカン畑があり、車道も通っていたので
折り畳み杖をしまったら、再び山道の下りとなる。でも、杖を出すほどの傾斜では
なかった。

 芳原川沿いの車道に出て、150m戻ると「へんろ椿(つばき)」があると記され
ていたので、回ってみたが、民家の近くに数本のツバキがあり、どれがそれやら
分からない。

 でも民家の周囲は、咲きだしたソメイヨシノや、シダレザクラ、レンギョウなどが
花盛りだった。

 静かなたたずまいの集落を芳原川沿いに下り、国道56号の下をくぐって反対側
の川沿いに出て、国道に並行して進む。


 畑地小の先で鴨田橋を渡り、国道にあるヘンロ小屋19号津島に寄り休憩する。

 そばの農産物直売所をのぞいてみたが、前回に買った弁当は品切れで、峠越え
前にJAで買ってきてよかった。

 川の西側に戻り、2つめの橋で国道の東に並行する旧道に回る。国道のように
車を気にすることのない静かな道だが、相変わらず風が治まらず、菅笠があおら
れる。


 そういえば、昼食場所で菅笠を脱いだときに気づいたのだったが、いつの間にか
菅笠のビニールカバーが飛ばされていた。

 岩松川左岸に出て、次の橋の先にある大きな松のそばが、今日の宿、大畑旅
館だった。


 老舗らしいつくりで、受付の奥の2間続きの12畳の部屋に入る。バストイレ付き
だが、風呂は別の小風呂に。といっても大きな浴槽だった。

 16時前の入浴はぜいたくそのもの。夕食の18時前にこのデータ整理も出来た。
夕食は部屋に運んできて下さった。

 宿のおかみさんに聞くと、今日の空がぼんやりしているは、黄砂の影響らしい
と分かった。

 【コースタイム】民宿磯屋7:13ー菊川小8:15ー「DEあい21」9:20~30ー組合マー
 ケット9:35~40ー柏坂上り口9:55ー柳水大師10:45~55ー清水大師11:20~25
 ーつわな奥11:38~40ー茶堂休憩所12:19~44ー遍路ツバキへの分岐13:19~
 30ーヘンロ小屋19号津島14:20~30ー大畑旅館15:29

 (天気 曇後晴、距離 23㎞、歩行地 愛南町、宇和島市、歩数 42,000、
  遍路地図 50-1、50-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・高知その16、愛媛その1

2010-06-24 22:11:40 | 3度目の四国遍路
 2010年3月15日(月)
 四国遍路前半第25日 
 =高知県から愛媛県へ、40番観自在寺=

 5時50分起床、6時30分からの朝食は、夕食と同じく玄関を入った正面のテー
ブルで。

 大阪の人は先発し、7時7分に岡本旅館を出発した。ポチポチしていたので雨
の装備をして出たが、すぐに止んだ。

 市街地外れの、国道56号交差点際にあるコンビニで弁当を購入し、遍路道へ。


 民家の並ぶ一角に宿毛貝塚があり、その先から上り坂となる。上がるにつれて、
昨日通過した宿毛湾などが見下ろせる。


 山間を抜けて集落に下ると、ナノハナの花盛りでウグイスが鳴く。

 再び山間を抜けた錦集落にも、ナノハナやプラムが花盛り。雨はしばらく大丈夫
そうなので、ポンチョを脱いだ。

 高知県最後の集落、大深浦に入り、北に向かって最奥まで進む。


 田んぼではレンゲが花開き、山間にはヤマザクラがあちこちで咲く。



 集落を抜けて文旦畑に入り、子安地蔵堂で小休止する。以前あった地蔵堂への
表示はなかった。


 その先から、いよいよ県境の峠に向かっての上り道となる。幅広くよく踏み固め
られた道を少しずつ高度を上げる。古くは松並木があったことや、わずかに残る石
だたみの説明板があった。


 ひとしきり上って、高知・愛媛県境の松尾峠(300m)に着いた。


 峠には、土佐藩と宇和島藩の標石が立ち、松尾大師堂跡やトイレがある。


 この峠は、享和元年(1801)には、普通200人、多いときには300人の通行
があったという。南からの風が強まり、竹がガタガタ音をたてている。

 愛媛県に入り、疑木のさくが続く緩やかで歩きやすい下り道は、いつ来ても気
持ちよい。


 車道に下り小山集落に入ったら、雨となりポンチョを着用する。


 小山御番所跡に、当時から使われている井戸↑があり、少し先の春日神社
下に、新しいトイレが出来ていた。ここで大阪の人と、もう一人の男性を追い抜
く。古い東屋のところに、新しい松尾大師堂が出来ていた。

 一本松の町並みを抜けて、県道299号を進む。札掛(ふだかけ)の先からは、
林間の遍路道となり、やがて沢沿いに出た。2つのヘヤピンカーブのところは、
以前に通過した記憶のない林間の遍路道で、ショートカットして上大道に上が
った。

 満倉簡易郵便局の手前、大宮神社のそばに、愛南町で作ったらしい照明付
きのりっぱな遍路休憩所があり、トイレも水洗になっている。

 大阪と神戸、そしてもう一人の歩き遍路が、あい前後してここで休憩し、私が
昼食中に3人は先発する。

 県道299号にいったん出て、再び旧道の遍路道へ。


 「いっぷく堂」という遍路休憩所があり、その先を下って県道に出て、間もなく
僧都川(そうずがわ)左岸沿いとなる。

 以後、左岸堤防を進み、観栄橋を渡って正面突き当たりの、40番観自在寺
(かんじざいじ)に入る。

 本堂、大師堂↑ともに屋根下で参拝でき、納経所は本堂内にある。

 国道56号に出て西へ2㎞足らずで、3度目の民宿磯屋に14時47分に着い
た。濡れた靴には新聞紙を入れ、ポンチョは外のバイクに干し、ほかのものは
部屋に干す。先着の大阪の2人のあと、入浴を済ませたのは15時半前だった。

 私の部屋は、1階の食事をする部屋の隣、前回同様、床の間に大きなヒョウ
タンが飾られていた。

 【コースタイム】岡本旅館7:07ーローソン7:20~26ー小深浦の池8:10ー子安
 地蔵堂8:35~43ー松尾峠(高知・愛媛県境)9:30~45ー林道へ下る10:10ー
 春日神社下10:36~40ー国道56号交差点11:04ー満倉の大宮神社(遍路休
 憩所)(昼食)12:03~35ーとよた茶堂(休憩所)13:11~15ー40番観自在寺
 13:55~14:20ー民宿磯屋14:47

 (天気 曇後雨、距離 23㎞、歩行地 宿毛市、愛媛県愛南町、歩数
 38,000、遍路地図 46-2、50-1図)

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3度目の四国遍路(前編)・高知その15

2010-06-20 21:07:51 | 3度目の四国遍路
 今日、6月13日(日)は、カタツムリ歩行の第195回礼に参加し、JR武蔵野線
西浦和駅周辺を歩きました。

 いつものようにデジタルカメラも持参したのですが、数枚撮っただけでバッテリー
切れとなり、予備バッテリーに交換しました。ところが、これも充電してないもので
使えず、あとは撮れませんでした。 したがって、このレポートは、無しとします。

=================================

 2010年3月14日(日)
 四国遍路前半第24日 
 =39番延光寺=

 6時20分起床、7時に朝食、快晴でさわやかな朝、少し冷えている。7時51分
に大島屋旅館を出発した。

 間もなくの小筑紫(こづくし)小の校庭にはフェニックスが並び、南国らしさを感
じる。


 近くの桜の木の下草刈りをするのだと、周辺の奥様方が鎌(かま)を手に集まっ
ていた。

 国道321号に入り、小筑紫町湊で右手を走る旧道を抜けていたら、道沿いの家
の奥さんから文旦を2ついただいた。


 国道は車が多いが右側に歩道があり、左側の海を見ながら進んでも危険は感じ
ない。田野浦周辺では、山の斜面にヤマザクラがあちこちに咲いている。

 宿毛(すくも)湾沿いに出て、道の駅すくもに寄る。一角に、神殿のようなヘンロ
小屋10号宿毛の建物がある。

 道の駅からも、宿毛湾の展望が得られる。


 道の駅の先に、果物や弁当の直売店があったので弁当を買ったら、250円と
安く、その上ミカンを3つお接待いただいた。


 松田川が宿毛湾に注ぐところにある松田川大橋を渡り、宿毛市の市街地に入り、
今日の宿、岡本旅館にザックを預ける。

 不要荷物も近くの郵便局から自宅に送ろうとしたが、今日は土曜日で閉まって
いた。シマッタと宿まで戻り、おかみさんに話したら、「月曜日に発送します」と預
かって下さった。


 宿毛市街の東に抜けて、松田川を渡る。川の両岸にナノハナが咲き、右岸には
武者のぼりがたくさん風にはためく。帰りに数えたら、100本近かった。


 その先で、自分と同年代かと思われる女性から、50円のお接待をいただく。
 ナノハナのことを聞いたら、「昔は、なたね油用に田んぼにもナノハナを作って
いたが、今は川の堤防だけになってしまった」と残念そうだった。

 国道56号に合流して少しで、右に並行する遍路道に入り、再び国道と交差し
て左の道に入って、1.5㎞ほど進む。

 国道に合流して、東押川バス停のところから左手の遍路道へ。


 集落の端から竹林を上がり、広葉樹の多い林間を下ると、延光寺のすぐそばに
出た。そこには、中務茂平衛(なかつかさもへい)の114度遍路石が立っていた。


 正午前後に39番延光寺に参拝後、国道56号に向かって南下し、手前の川沿
いで弁当を食べた。 これが250円の弁当。


 昼食地からの眺め。


 近くの民家の、庭先に咲き競う花。


 田んぼにはレンゲも咲いている。


 往路を戻り、松田川の武者のぼりの先、橋の西側にあるヘンロ小屋33号宿毛
で小休止する。

 野宿遍路氏のものらしい大きなザックが置いてあったが、本人は不在。買い物
にでも行ったのだろうか。


 市街地に入り、宿毛出身の政治家、竹内氏記念碑、林有造・譲治邸↑などを見
て、岡本旅館には14時30分に戻った。

 2階のちどりの間に入り、間もなく入浴する。出てから近くの薬局へ腰痛用湿布
薬を買いに行く。

 夕食は17時半から。同泊の歩き遍路は大阪のヒゲの男性で、数回目とか。私
と同様2回の区切り打ちをしていて、明日の宿も同じところのよう。

 もらった文旦ひとつを差し上げる。私の分は昨日の宿と同様に、おかみさんが皮
をむいて食べやすいようにして下さった。

【コースタイム】大島屋旅館7:51ー琴浦漁港8:22ー道の駅すくも8:55~9:05ー果物
 ・弁当店9:18~23ー岡本旅館9:56~58ー郵便局から岡本旅館へ戻り10:08ー
 国道56号から遍路道へ10:46ー東押川BS11:30ー39番延光寺11:50~12:14ー
 小島石工手前の川沿い(昼食)12:25~50ー遍路道から国道56号へ13:42ー岡本
 旅館14:30

 (天気 快晴後晴、距離 22㎞、歩行地 宿毛市、歩数 36,900、遍路地図
  49-1、46-2図)
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3度目の四国遍路(前編)・高知その14

2010-06-19 21:18:06 | 3度目の四国遍路
 2010年3月13日(土)
 四国遍路前半第23日 
 =月山神社を経て宿毛入り=

 6時起床、6時35分朝食、民宿とさやを7時10分に出発して、宿のご主人に
車で叶崎(かなえさき)展望台のところまで送っていただく。

 車中のご主人の話では、昨日通過した益野から三原への車道があり、峠の手
前にはビーコン基地と自衛隊基地があるので2車線になっていて、その先も舗装
道路で車も少なく、39番延光寺への近道とのこと。次の機会があれば歩いてみ
たいものだ。


 展望台から展望を楽しんでから出発する。今日も向かい風がやや強いが、昨日
よりは暖かめ。

 小才角では、前回も見たが、スルメにするイカを干していた。


 土佐清水市から四国西南端の町、大月町に入ると、国道321号は歩道が無く
なるが、自動車の交通量は少ない。

 大浦の東屋のあるところに、「土佐サンゴ発祥の地」碑と説明板がある。



 海を見ながら大浦集落に入り、ヘンロ小屋14号大浦で休憩する。

 前回にもあった、漁師用の古い双眼鏡が残っていた。借りて見ると、かなり遠
方までよく見える。


 小屋から先の急坂を墓地まで上がり、林間の遍路道へ。


 1町ごとに自然石のままの町石がかなり残り、大月小3年生の書いた、「がん
ばってください」「むりしないで」など、激励の札がたくさん下がっていて、元気づ
けられる。

 残り4丁のところで車道に出て、間もなく大月神社へ。

 社殿背後の急石段を20mほど上がると、月型霊石↓が祭られている。


 神社前から車道を進んで、再び林間の遍路道へ。


 竹の多いところからウラジロの群生地を過ぎると、簡単な展望台があり、やや
霞んでいるが西方の岬が見下ろせる。


 良く刈り払われた歩きやすい遍路道を下って海岸に出て、ゴロゴロ石の上を
100mほど進んで、車道に戻る。



 谷間を進んで赤泊集落に入り、集落の一番先方(北)にあり前回訪問したNさん
宅に寄る。ちょうど庭におられたので、前回伺い、江戸時代からの古い遍路札を
見せていただいたお礼を申し上げる。

 今回も中に入るよう勧められ、お茶やお菓子、奥様手作りという文旦の皮の砂
糖漬けなどをごちそうになる。

 奥様のお姉さんは、私の自宅に近い西所沢にお住まいとのこと。30分近くお
じゃまして、立派な文旦もいただいた。

 姫の井で国道321号に上がり、北に向かう。よい昼食場所が見つからないの
で、軽食シャンチーの店の先の岩に腰掛けて食べた。

 このあたりの国道321号は、右側に広い歩道があり安心して歩ける。道の駅
大月にあるヘンロ小屋9号で休憩する。


 大月町役場などのある中心街付近だけは、歩道がなかった。早くも、端午の節
句ののぼりを上げる家がある。


 町外れから緩やかに上がって下ると、ヤマザクラがあちこちに咲く。高知県の
最西端、宿毛(すくも)市との市町境付近にあった、竹造りの小屋で小休止する。

 そばの田んぼでは、早くも田のあぜ造りが始まっていた。

 小筑紫(こづくし)港に面した大島屋旅館には、15時40分に着いた。2階の
港に面した部屋に入り、洗濯機を借りようとしたら、おかみさんが洗って下さる。

 夕食は17時15分と早い。今日も宿泊者は私1人だけ。夕食後おかみさんに、
Nさんからもらった文旦の食べ方を聞きに下りたら、皮をむいてふさも切って種も
出し、食べやすいようにして下さった。

 部屋はこたつだけで、ほかに暖房器具はないが、寒くはなかった。

【コースタイム】民宿とさや7:10=車=叶崎展望台7:22~30ー大浦の東屋(土佐
 サンゴ発祥の地碑)7:55~8:00ーヘンロ小屋14号大浦8:30~38ー月山神社
 9:25~43ー展望台10:03~10ー浜から上がる10:37ーNさん宅11:05~34ー
 姫の井局12:08ー軽食シャンチー先(昼食)12:25~48ー道の駅大月13:35~55
 ーヘンロ小屋2号大月(弘見)14:26ー大月町・宿毛市境のへんろ休み処15:02
 ~08ー大島屋旅館15:40

 (天気 晴後曇、距離 25㎞、歩行地 土佐清水市、大月町、宿毛市、歩数
 41,800、遍路地図 48-1、49-1図)

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3度目の四国遍路(前編)・高知その13

2010-06-17 19:18:59 | 3度目の四国遍路
 2010年3月12日(金)
 四国遍路前半第22日 
 =足摺岬西岸を土佐清水経由竜串まで=

 6時20分起床、7時からの朝食も盛りだくさんで、盛りつけもきれい。きのう
もらったハッサクの1つを、自転車での若い遍路さんにあげる。

 彼は、39番延光寺を15時に出て、大月回りで20時過ぎに着いたとのこと
だった。おむすび3つのお接待をいただき、8時2分に民宿青岬を出る。

 ツバキの多い車道を進み、突き当たりから林間の遍路道へ。

 やはりツバキが多く、緩やかに下って民宿夕日のそばで県道27号に出た。


 岩礁が波立つ海岸沿いの県道を進み、中浜集落へ。蒸すためのカツオを積んだ
棚が加工場に見える。急斜面を上がって台地上に出る。中浜小の近くに、第2次
世界大戦の際の防空壕が残っていた。

 中浜郵便局の先から連続するカーブを下って行くと、「ジョン万次」で知られる
「中浜万次記念碑」と、「中浜万次生誕地碑」がある。

 近くの区長場にスタンプがあるというので立ち寄り、資料もいただいた。

 すぐ近いという生家へ、狭い路地を2分ほど入って行く。現在は別の住宅がある
が、今年中に生家を復元するという。

 寄付を募集していたので、ささやかな募金をした。

 高台を走る県道27号の橋のそばに上がり、林間の遍路道に入る。緩やかに上
がると、ウラジロの花が咲く。下りも傾斜は緩やかで、歩きやすいよい遍路道が続
き、民家の間に下った。

 清水港沿いに出ると唐船島記念碑があり、向かい風がやや強い。海沿いの足摺
黒潮市場に入って青さのりを買い、ベンチで小休止したが、風が冷たい。


 土佐清水の市街地に入り、DoCoMoショップで契約プランの変更をする。遍路の
出発前にすべきだったが忘れ、昨日までのブログ投稿のメール代がかさんでしまっ
たが仕方ない。


 市街地の西端で90度右折して、「足摺サニーロード」と呼ぶ国道321号は足摺
港沿いに進む。



 「海の駅あしずり」に正午過ぎに着き、少し寒いが食堂横のテーブルを借りて
昼食をする。


 海の駅では、ジョン万次展を開催中だったので、食事後観覧することにした。
受付でザックを預けようとしたら、受付嬢が「上司に聞いてみるので…」というの
で、「それならいい」と、背負ったまま見た。


 国道321号は、土佐清水市街地を含めて歩道があるので安心だ。

 落窪海岸のあたりは、昭和21年(1946)の南海地震で隆起した、「化石連痕」
(かせきれんこん)と呼ぶ岩礁が見られる。



 海沿いを離れて山間を回り、益野川沿いを進み、道の駅めじかの里土佐清水へ。

 新しいヘンロ小屋35号土佐清水があったので休んだが、吹きさらしで寒く、早春
向きの小屋ではない。

 置いてあったノートにも、そのことが書いてあった。

 今日の宿、民宿とさやは、すぐ先の竜串(たつくし)にある駐車場近くの中心地。
15時19分に着いた。

 時間が早いのでザックを預け。明日車で送ってもらう国道を出来るだけ先まで歩
いて、バスで戻ることににする。宿のご主人から、バス停でないところでも乗せて
もらえると聞き、安心する。


 景勝地・竜串の海岸↑を眺め、下川口を過ぎる。2つめの片粕トンネルは982m
あるが、割合広い歩道が付いていた。


 バスの時間を見ながら進み、その先の歯朶浦トンネル(649m)を出たところに
横峰入口バス停があったので、ここまでとする。3分後にバスが来て、宿には17
時6分に戻った。

 気温が低く汗をかかなかったので、洗濯はせずに入浴をして、17時50分ころか
ら夕食をいただく。宿泊者は私1人なので、宿のご夫妻も少し離れたところで、すぐ
に食べ始めた。

 【コースタイム】民宿青岬8:02ー民宿夕日横8:36ー中浜小9:04ージョン万次郎生家
 跡9:30ー県道の大橋際9:41ー県道348号との交差点10:20ーDoCoMo土佐清水
 11:05~17ー薬局11:40ー道の駅あしずり(昼食・観覧)12:06~55ー休憩13:30~
 38ー下益野交差点14:14ー道の駅めじかの里14:38~53ー民宿とさや15:19~23
 ー下川口16:06ー横峰入口バス停16:55~54=バス=竜串・民宿とさや17:06

 (天気 曇一時晴、距離 25㎞、歩行地 土佐清水市、歩数 46,000、遍路
 地図 42-2、48-1図)
コメント (2)
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