あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

LLウオーク 館林~多々良沼~近藤沼~赤岩(群馬)

2012-01-11 12:47:27 | ウオーキング
 2012年1月9日(祝・月)

 「やまさん」こと、カントリーウオーカーの山浦正昭さんが、4年前から正月に実施
している『LL(Lake to Lake)ウオーク』、その16回目が成人の日に行われた。

 集合は、昨年のゴールである東武伊勢崎線の館林駅に10時。新装なった駅前広場に
集まったのは、やまさんのほか埼玉県の4人と、地元邑楽町(おうらまち)にお住まい
で、このウオークは初参加のKさんの6人、いずれも中山道ウオークのメンバーである。

 隣駅、茂林寺前駅に近い茂林寺ゆかりのタヌキや、設立当初の巨人軍のキャンプ地、
分福球場での猛練習(このことを知る人は相当の高年齢者)のことを記した記念碑の前
で記念撮影をして、駅東口を10時10分に出発した。


 西口に回って伊勢崎線の線路に沿って進み、最近開通したらしい広い道路に出ると、
北側に平屋建ての大きな工場があった。皇后さまゆかりの正田醤油の工場である。


 東武小泉線の踏切を越えて国道122号を横断、新栄町から北成島町へと進む。住宅
地の中に、いまは需要も少なくなっていると思われる旗の店があり、成人の日の今日は、
国旗が掲揚されていた。


 付近は畑も多く、農家の作業施設だろうか、こんな大きな建物も見られる。



 住宅地の北側で、多々良沼(たたらぬま)に沿ったりっぱな赤松林に入った。林の中
には、ところどころに野外彫刻が置かれている。


 松林を抜けて田んぼの中を多々良沼の東部に向かう。北側には、雪を被った男体山な
ど日光連山、上毛三山の一つ赤城山などの山並みが遠望できるが、今日は風がなく穏や
かな日和なので、それらは霞んでいた。


 北東には、やまさんなどと以前に関東百駅順礼歩行で来たときに入館した、県立美術
館も見られる。



 多々良沼の東側沼辺に出ると、たくさんのカモに混じり北国から飛来した白鳥が岸辺
に集まっていたが、以前Kさんの案内で回った対岸の弁天堂付近の方がはるかに多い。


 沼の東側から南側にかけては、県立多々良沼公園として整備されている。公園の自然
観察池から中央広場を経て里山ゾーンを西に抜けた。


 沼際を離れて「スーパー魚丈」のある交差点に出て、次の近藤沼に向かう。

 東武小泉線成島駅の西側の踏切を越えて、交通量の多い国道354号を横断、館林市
市立十小の通りを南に進んで、鶴生田川(つるうだがわ)沿いに出た。


 川沿いを進むと、水辺で休んでいた10羽前後のカモが、われわれに驚いて飛び立つ。

 1㎞余り進んで長方形の近藤沼の東北端に正午近くに着き、ここで昼食とする。


 沼の北岸には桜並木が続き、花どきにはよい花見の場所となりそう。沼では釣り糸を
垂れる人の姿も見られる。


 20分ほどで沼を離れて下三林町に入り、県道83号に面した長良神社の横を通過する。

 田んぼのあぜ道を南に進み、次の入ヶ谷町の県道361号際には、菅原神社が狭い高
台の上に祭られていた。


 県道のすぐ東の橋際、昭和天皇のご成婚記念碑のところから川に沿って南へ。工業団
地と田んぼを造成した広い空き地の間を進み、明和町大輪の住宅地を抜けて、利根川左
岸堤防に上がった。


 下流すぐ近くに、県道122号の昭和橋が望まれ、近くに利根川河口から151.5
㎞の標識が立つ。


 広々とした河川敷に繁る枯れススキや、堤防の北側に広がる明和町の家並みなどを眺
めながら上流に向かう。風がなく気温も幾分高め、新年になって初めての絶好のウオー
キング日和だが、遠方はさらに霞み、日光連山や北から西の山並みはほとんど認識でき
なくなった。


 次第に近づく武蔵大橋に向かって進み、橋の北詰に出た。

 橋のすぐ上流が満々と水をたたえた利根大堰(おおぜき)。全長は約700mあり、
対岸の埼玉県側の取水口から昭和44年(1969)年4月に取水を開始して、首都圏
の飲料水や工業用水、利根川中流域のかんがい用水などに供給されている。


 ちなみに最近の報道では、取水口近くで観察された昨年のサケの遡上数が1万5千匹
を超えており、過去最大だったという。 詳細は、このウェブページを…。

 利根大堰のあたりから、利根川の流れは右に緩やかにカーブする。満々とたたえた水
面ではジェットスキーが、上空には近くの河川敷から上がったモーターグライダーが、
激しい音を立てて移動していた。


 一方、3~4㎞先の妻沼グライダー滑空場から離陸したグライダーが数基、音もなく
上空や前方を飛翔するのが望まれる。

 瀬戸井集落の東端付近の堤防上にあった、水辺運動広場の東屋で休憩する。


 しっかりした足取りでウオーキング中の女性が来たので、声をかける。近くにお住ま
いで、間もなく喜寿になるとか。そうは見えない足取りに感心し、元気の秘訣などをう
かがった。

 堤防に上がってから7㎞ほど、河口から158.5㎞標識の近くに、今日のゴールの
赤岩渡船場があり、15時ちょうどに着いた。


 赤岩渡船の歴史は古く、永禄年間(1558~69)の上杉景虎の案内状にも記され
ており、江戸時代には年貢米や参勤交代の荷物、生活物資の集積地、上下流の物資の中
継地点として栄えたという。

 現在は、群馬県千代田町赤岩と埼玉県熊谷市葛和田(くずわだ)とを結ぶ県道熊谷館
林線の道路渡船として、地域の人に利用されている。

 次回は、この渡船を利用して埼玉県に入るので、管理小屋に寄ってみたら、地元の方
数人が寄り集まり、歓談していた。

 堤防上にあった標識のそばで、今回のゴールの記念撮影をする。


 そばのバス停からのバスは16時発なので、周辺を少し回ることにした。北側の赤岩
集落に入り、「赤岩不動」とも呼ばれる光恩寺へ。

 「北関東三十六不動尊霊場第十一番札所」と掲げられた山門前には、お堂に入ってい
ない仁王像が立っていた。


 本堂の天井には龍の天井絵があるが、正面の扉はわずかしか開かず、全面を見ること
はできない。

 境内東側には、対岸の熊谷市葛和田出身で日本最初の女医、荻野吟子(おぎのぎんこ)
生家の長屋門が移築されていて、国登録有形文化財に指定されている。


 そばに、最近できたらしい荻野吟子像が立っていた。


 境内西側、コンクリート製の建物の下には、県指定重要文化財の地蔵菩薩画像板碑が
保存されていた。鎌倉時代の文永8年(1271)の制作で、画像板碑としては最古に
属するものという。

 ここで、地元から初参加のKさんが、自宅まで歩いて帰宅されるというので分かれる。

 門前の通りを東から北に回ると、光恩寺の境内が続いていて、全長80m、高さ8m
ほどの前方後円墳で、古墳時代のものと推定される堂山古墳があり、後円部頂上には光
音寺の鐘楼が設置されていた。


 古墳の前には、県重文の阿弥陀三尊を祭る阿弥陀堂があり、そばに、「弘法大師が安
置し、永享12年(1440)の結城合戦に焼け残った」ことなどが記されている。

 利根加用水を越えてさらに北へ、町民プラザを呼ぶ建物の前や町立体育館の横を通過
し、15時45分に千代田町役場に着く。


 少し遅れてきた16時5分発バスに乗ったら、70歳以上は無料という。16時35
分に館林駅に着き、すぐに来た久喜行き上り電車に乗る。

(天気 快晴、参加者 6人、距離 18㎞(役場まで20㎞)、地図(1/2.5万)
 館林、佐野、妻沼、(足利南部))、歩行地 館林市、明和町、千代田町、歩数
 32,100(役場まで)
 


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