2012年4月20日(金) 曇
東日本大震災直後の昨年(2012年)3月13日(日)に3度目の四国遍路を結願し、
翌14日には別格霊場二十番大瀧寺にも参り、別格霊場の結願も済ませることができたが、
高野山(こうやさん)へのお礼参りをせずに帰宅したので、改めて高野山詣でをすることに
した。
前2回のときのお礼参りは、南海高野線の九度山(くどやま)駅から真田幸村ゆかりの慈
尊院を経て、高野山町石道(ちよういしみち)を歩いて上がったのだが、今回は連れ合いが
同行したので、交通機関を利用して高野山に向かう。
== 高野山奥の院に参拝 ==
7時過ぎに自宅を出て、東京駅9時3分発の新幹線ひかり465号で新大阪まで行く。大
阪環状線の新今宮(しんいまみや)から、13時2分発南海高野線の快速急行に乗る。
橋本から先は「こうや花街道」と呼ぶようになったようで、各駅の駅名標は新しくなって
いた。
橋本市に接する九度山町(くどやまちよう)は柿の特産地。高度の上がった下古沢(しも
こさわ)駅付近から見下ろす集落にも、急斜面に柿畑が望まれる。
終点の極楽橋駅から30度を超すという急勾配を上がる200人乗りの大型ケーブルカー
に乗り、5分で高野山駅へ。
駅の気温は13℃で、この時期としては低い。
さらにバスを利用して15時10分頃、終点の奥の院前バス停に着いた。
予報では雨だったが、幸い雨は止んでいた。バス停近くの中の橋会館のコインロッカーに
荷物を預け、奥の院参道の東側に平行する参道を高野山奥の院に向かう。
こちらの参道には新しい墓地が並び、近畿周辺の企業の墓地などが多い。英霊殿の近くか
ら、中の橋からの中心の参道に入った。
背の高い老杉の間にこけむしたりっぱな五輪塔が並ぶ。加賀前田家や安芸浅野家供養塔、
法然上人墓所などの先に、徳川家康の二男、秀康の石廟がある。
徳川秀康石廟↓
肥前島原松平家墓所前を過ぎると、秀吉とその母、弟秀長など豊臣家一族の墓所が、さら
に先には織田信長の墓所があった。
水向地蔵の並ぶ御廟橋の先は、弘法大師御廟のある奥の院。
ここからは写真撮影禁止で、脱帽してお参りをする。弘法大師御廟前で般若心経を唱え、
無事四国遍路が結願できたことに感謝し参拝する。
中の橋案内所のところまで戻り、奥の院バス停からバスで千手院橋バス停まで乗る。壇上
伽藍(だんじょうがらん)の御影堂(みえどう)北側にある西禅院宿坊に16時42分に着
いた。この宿坊は、前回に続き2度目の宿泊になる。
予約した部屋は2階、宿泊者が少ないからか、ふすま仕切りの2部屋を用意してあった。
4年前泊まったときにはなかった、液晶テレビもある。夕食は18時から、二つの膳に盛ら
れた精進料理を美味しく頂いた。
この日は、部屋にも石油ストーブが必要なくらいに冷え込んだ。でも、宿坊の若いお坊さ
んが、就床前に小さめの湯たんぽを届けてくれた。
おかげで、暖かく眠りにつくことができた。
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東日本大震災直後の昨年(2012年)3月13日(日)に3度目の四国遍路を結願し、
翌14日には別格霊場二十番大瀧寺にも参り、別格霊場の結願も済ませることができたが、
高野山(こうやさん)へのお礼参りをせずに帰宅したので、改めて高野山詣でをすることに
した。
前2回のときのお礼参りは、南海高野線の九度山(くどやま)駅から真田幸村ゆかりの慈
尊院を経て、高野山町石道(ちよういしみち)を歩いて上がったのだが、今回は連れ合いが
同行したので、交通機関を利用して高野山に向かう。
== 高野山奥の院に参拝 ==
7時過ぎに自宅を出て、東京駅9時3分発の新幹線ひかり465号で新大阪まで行く。大
阪環状線の新今宮(しんいまみや)から、13時2分発南海高野線の快速急行に乗る。
橋本から先は「こうや花街道」と呼ぶようになったようで、各駅の駅名標は新しくなって
いた。
橋本市に接する九度山町(くどやまちよう)は柿の特産地。高度の上がった下古沢(しも
こさわ)駅付近から見下ろす集落にも、急斜面に柿畑が望まれる。
終点の極楽橋駅から30度を超すという急勾配を上がる200人乗りの大型ケーブルカー
に乗り、5分で高野山駅へ。
駅の気温は13℃で、この時期としては低い。
さらにバスを利用して15時10分頃、終点の奥の院前バス停に着いた。
予報では雨だったが、幸い雨は止んでいた。バス停近くの中の橋会館のコインロッカーに
荷物を預け、奥の院参道の東側に平行する参道を高野山奥の院に向かう。
こちらの参道には新しい墓地が並び、近畿周辺の企業の墓地などが多い。英霊殿の近くか
ら、中の橋からの中心の参道に入った。
背の高い老杉の間にこけむしたりっぱな五輪塔が並ぶ。加賀前田家や安芸浅野家供養塔、
法然上人墓所などの先に、徳川家康の二男、秀康の石廟がある。
徳川秀康石廟↓
肥前島原松平家墓所前を過ぎると、秀吉とその母、弟秀長など豊臣家一族の墓所が、さら
に先には織田信長の墓所があった。
水向地蔵の並ぶ御廟橋の先は、弘法大師御廟のある奥の院。
ここからは写真撮影禁止で、脱帽してお参りをする。弘法大師御廟前で般若心経を唱え、
無事四国遍路が結願できたことに感謝し参拝する。
中の橋案内所のところまで戻り、奥の院バス停からバスで千手院橋バス停まで乗る。壇上
伽藍(だんじょうがらん)の御影堂(みえどう)北側にある西禅院宿坊に16時42分に着
いた。この宿坊は、前回に続き2度目の宿泊になる。
予約した部屋は2階、宿泊者が少ないからか、ふすま仕切りの2部屋を用意してあった。
4年前泊まったときにはなかった、液晶テレビもある。夕食は18時から、二つの膳に盛ら
れた精進料理を美味しく頂いた。
この日は、部屋にも石油ストーブが必要なくらいに冷え込んだ。でも、宿坊の若いお坊さ
んが、就床前に小さめの湯たんぽを届けてくれた。
おかげで、暖かく眠りにつくことができた。
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