2013年9月15日(日)
台風18号の影響で大雨が予想され、家を出た時はかなりの雨脚でしたが、続カタツム
リ歩行の第7回例会に出かけました。
集合地は、西武国分寺線の鷹の台駅。この雨で、参加者は事務局のDさんご夫妻のほか
は3人のみ。少し雨脚の衰えた10時5分に駅をスタートしました。
線路際を南に少しで、東西に流れる玉川上水沿いの左岸の緑道に入り、上流の西に向か
います。
緑道には、あちこちに水たまりがあり、除けながら進みました。
太いクヌギの木に、大きなコブが…。
近くの枝を見上げると、ゴンズイの実がまさに落ちそう。
緑道の北側、民家の玄関先にシロバナマンジュシャゲが咲き出していて、緑道沿いの下
草の中にも、ヒガンバナがあちこちで、もうすぐ咲きそうに花芽を伸ばしていました。
雨に濡れてしっとりとした彩り。
こちらの民家の庭先には、レモンの実が大きく育っています。
緑道の真ん中に立つ桜の古木から、したたり落ちていた流れ。樹液なのか水なのか分か
りません。
緑道の横に、「玉川上水オープンギャラリー」と呼ぶ小スペースがあり、玉川上水の植
物や花などの写真と絵が掲示されていました。
近くに咲くのは、ダイモンジソウの仲間でしょうか…。
一緒に歩いたjunjunさんから、センニンソウと教えてもらいました。
ゴツゴツした木の根。
600m余り進んで、いこい橋を渡って南に向かうことに。
橋から見下ろす玉川上水の流れは、雨でいつもより水量が増えていました。
北町3丁目の新興住宅地の間を南下して、五日市街道近くまで進んだのですが、街道沿
いの民家の手前で道が途切れ、戻って北町5丁目交差点から東側の畑の中の通りへ回りま
した。
畑の中にトウガンかと思われる瓜が下がっていて、隣のゴーヤーもりっぱな実がいっぱ
いでした。
近くの畑は、カリフラワーかキャベツの若株が広がっています。雨は小降りになってき
ました。
正午近く、五日市街道近くにあった北町地域センターでトイレを借り、昼食の場所もお
借りできないかと受付の方にお願いしたら、快く2階の集会コーナーを貸して下さり、雨
に濡れずに昼食をすることが出来ました。
食事を終えた頃には、思いがけずに雨が上がり、青空が少しずつ広がってきました。
すぐ南側、五日市街道に面した妙法禅寺に入ります。
本堂の前のサルスベリが、まだよい彩りを残しています。
境内南西端に、「川崎・伊奈両代官謝恩塔」が立っていました。
江戸時代の武蔵野の新田開発の頃、凶作などで開発が進まず農民の餓死者が続出してい
たのを、武蔵野新田の世話役、川崎平右衛門が救助の食料や養老金を与えるなどして新田
の安定を図り、その後に代官になった伊奈半左衛門も、さらに養老金制度を勧めるなどし
て、武蔵野の開発が進んでので、武蔵野新田八十数か村の村民達が感謝の結晶として、寛
政11年(1799)に、この碑を建立したと記されていました。
五日市街道を横断した南側に竹炭を造る小工房があり、それを販売する仮舗の上に、こ
のような表示が。年齢の区切りによる、お祝いの呼び方です。
道路の斜向かいは、関東では珍しい黄檗宗(おうばくしゅう)の鳳林院。りっぱな本堂
です。
境内にあった、大きな樽を活用した毘沙門堂。酒樽か味噌樽、あるいは醤油樽?。
境内の一隅に、陶器製の大きな水がめがたくさん並んでいて、スイレンなどの水草が茂
り、幾つかのかめには、最近は見ることの少ないメダカが泳いでいました。
鳳林院の道路を挟んだ西側は小公園で、今日の雨で出来た水たまりでハトが水浴びを。
五日市街道を東へ、次の信号のある交差点の先、北町の愛宕神社が今日のゴール、13
時7分にゴールしました。晴天となり、予想外に気温が上がり少し蒸し暑くなりました。
愛宕神社は、徳川幕府が武蔵野に新田を開発したとき、旧榎戸新田の氏神様として享保
10年(1726)8月に、この地に創建されたとのことです。
社殿の左手に、幹回り4.32mというご神木の大ケヤキが立っていました。
さらに五日市街道を東へ、200mほど進んで北に折れ、水車通りを鷹の台駅に向かい
ます。両側は畑が続きますが、西側はほとんど樹木畑でした。
そのまま進んで玉川緑道へ。往路では水たまりがたくさんでしたが、いまは陽が差し込
んで乾いてきました。
スタートした鷹の台駅には、13時38分にゴールしました。
今日は始終、激しい雨を予想していたのですが、途中から青空も見えるようになり、履
いてきた長靴が要らないくらいになり、幸いでした。
でも、明日は関東にも台風18号が接近して大雨の予報。災害の出ないことを祈ります。
(参加 5人、天気 雨後晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分
寺市、小平市)
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台風18号の影響で大雨が予想され、家を出た時はかなりの雨脚でしたが、続カタツム
リ歩行の第7回例会に出かけました。
集合地は、西武国分寺線の鷹の台駅。この雨で、参加者は事務局のDさんご夫妻のほか
は3人のみ。少し雨脚の衰えた10時5分に駅をスタートしました。
線路際を南に少しで、東西に流れる玉川上水沿いの左岸の緑道に入り、上流の西に向か
います。
緑道には、あちこちに水たまりがあり、除けながら進みました。
太いクヌギの木に、大きなコブが…。
近くの枝を見上げると、ゴンズイの実がまさに落ちそう。
緑道の北側、民家の玄関先にシロバナマンジュシャゲが咲き出していて、緑道沿いの下
草の中にも、ヒガンバナがあちこちで、もうすぐ咲きそうに花芽を伸ばしていました。
雨に濡れてしっとりとした彩り。
こちらの民家の庭先には、レモンの実が大きく育っています。
緑道の真ん中に立つ桜の古木から、したたり落ちていた流れ。樹液なのか水なのか分か
りません。
緑道の横に、「玉川上水オープンギャラリー」と呼ぶ小スペースがあり、玉川上水の植
物や花などの写真と絵が掲示されていました。
近くに咲くのは、ダイモンジソウの仲間でしょうか…。
一緒に歩いたjunjunさんから、センニンソウと教えてもらいました。
ゴツゴツした木の根。
600m余り進んで、いこい橋を渡って南に向かうことに。
橋から見下ろす玉川上水の流れは、雨でいつもより水量が増えていました。
北町3丁目の新興住宅地の間を南下して、五日市街道近くまで進んだのですが、街道沿
いの民家の手前で道が途切れ、戻って北町5丁目交差点から東側の畑の中の通りへ回りま
した。
畑の中にトウガンかと思われる瓜が下がっていて、隣のゴーヤーもりっぱな実がいっぱ
いでした。
近くの畑は、カリフラワーかキャベツの若株が広がっています。雨は小降りになってき
ました。
正午近く、五日市街道近くにあった北町地域センターでトイレを借り、昼食の場所もお
借りできないかと受付の方にお願いしたら、快く2階の集会コーナーを貸して下さり、雨
に濡れずに昼食をすることが出来ました。
食事を終えた頃には、思いがけずに雨が上がり、青空が少しずつ広がってきました。
すぐ南側、五日市街道に面した妙法禅寺に入ります。
本堂の前のサルスベリが、まだよい彩りを残しています。
境内南西端に、「川崎・伊奈両代官謝恩塔」が立っていました。
江戸時代の武蔵野の新田開発の頃、凶作などで開発が進まず農民の餓死者が続出してい
たのを、武蔵野新田の世話役、川崎平右衛門が救助の食料や養老金を与えるなどして新田
の安定を図り、その後に代官になった伊奈半左衛門も、さらに養老金制度を勧めるなどし
て、武蔵野の開発が進んでので、武蔵野新田八十数か村の村民達が感謝の結晶として、寛
政11年(1799)に、この碑を建立したと記されていました。
五日市街道を横断した南側に竹炭を造る小工房があり、それを販売する仮舗の上に、こ
のような表示が。年齢の区切りによる、お祝いの呼び方です。
道路の斜向かいは、関東では珍しい黄檗宗(おうばくしゅう)の鳳林院。りっぱな本堂
です。
境内にあった、大きな樽を活用した毘沙門堂。酒樽か味噌樽、あるいは醤油樽?。
境内の一隅に、陶器製の大きな水がめがたくさん並んでいて、スイレンなどの水草が茂
り、幾つかのかめには、最近は見ることの少ないメダカが泳いでいました。
鳳林院の道路を挟んだ西側は小公園で、今日の雨で出来た水たまりでハトが水浴びを。
五日市街道を東へ、次の信号のある交差点の先、北町の愛宕神社が今日のゴール、13
時7分にゴールしました。晴天となり、予想外に気温が上がり少し蒸し暑くなりました。
愛宕神社は、徳川幕府が武蔵野に新田を開発したとき、旧榎戸新田の氏神様として享保
10年(1726)8月に、この地に創建されたとのことです。
社殿の左手に、幹回り4.32mというご神木の大ケヤキが立っていました。
さらに五日市街道を東へ、200mほど進んで北に折れ、水車通りを鷹の台駅に向かい
ます。両側は畑が続きますが、西側はほとんど樹木畑でした。
そのまま進んで玉川緑道へ。往路では水たまりがたくさんでしたが、いまは陽が差し込
んで乾いてきました。
スタートした鷹の台駅には、13時38分にゴールしました。
今日は始終、激しい雨を予想していたのですが、途中から青空も見えるようになり、履
いてきた長靴が要らないくらいになり、幸いでした。
でも、明日は関東にも台風18号が接近して大雨の予報。災害の出ないことを祈ります。
(参加 5人、天気 雨後晴、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 立川、歩行地 国分
寺市、小平市)
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