2016年10月8日(土)
前月の例会と同様に雨の予報だが、カントリーウオークグループの第237回例会に参
加した。集合はJR山手線の西日暮里(にしにっぽり)駅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ad/04f8ee20e0352a7487ea5a851275c0b1.jpg)
今回はタウンウオークなのでグループ分けはせず、全員一緒に10時14分に出発した。
== 谷中祭りの会場を縫って ==
線路の西側を南に少し上がって西日暮里公園に入る。公園はもとは花見寺のひとつ青雲
寺や旧加賀藩前田家墓地だったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8f/fe1fcec99ac0ad200888c82c2636d4ff.jpg)
小雨模様なので雨具を用意し、細道の諏訪台通りを南進して諏方(すわ)神社へ。信州
上諏訪社の分社で建久2年(1205)の創建、日暮里・谷中(やなか)の総鎮守とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f2/c54f7eab693936777c167fedfdffd281.jpg)
この辺りは道灌山(どうかんやま)と呼ばれ、豊富な木々の境内で、ひときわ大きなイ
チョウの古木が目に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f4/1c42a64dcb1860bd7593998333220d3a.jpg)
すぐ近く、西に下る急坂は富士見坂で「関東の富士見100景」のひとつ。現在も富士山
を望むことが出来るようだが、今日は雨で望むべくもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/9c/dcb755437d28104d02be77c6518ce07b.jpg)
その先東側の養福寺は、江戸時代の多くの文人の碑が残るというが、寄らずに過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/94/29877841d7efe62a6458705800d825e1.jpg)
JR日暮里駅から延びる通りに出て、そばの経王寺(きょうおうじ)に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/4d/3548700c4b97dc9b78fbd5817caa2e12.jpg)
明暦元年(1655)の建立で、大黒堂↓には日蓮上人作と伝わる大黑天が祭られてい
るという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ea/79473a4ae1a6c14b552faa742b429fda.jpg)
慶応4年(1868)の上野戦争の時に敗走した彰義隊戦士をかくまったため、新政府
軍の砲撃を受けた銃弾の跡が山門に残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ad/241b928b2e8ebf38fe61d617ff5219da.jpg)
西に下る七面坂の通りには、暮らしの道具を販売する店などがあり、すぐ近くで階段を
下って谷中銀座の商店街に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/63/2c039d0a8827d8f1754a94dd423dd3a7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/0e/fe66e19d5d1fa4a5ee8c530dd517a1c0.jpg)
狭い通りには観光客が多く、両側には飴(あめ)の店、竹工芸店、きれいなランプを吊
す店、下駄や草履の店、手づくりのおかずや弁当の店など、小さいがレトロな雰囲気の店
が約70店ほど並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/da/3d7132801cf335a0d55e689afc447aba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a3/3e4d83e070f58e247d6c695f869e6a41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c1/d1529cf77d828cf3faae867f7eeea289.jpg)
西端に抜けて「よみせ通り」を南に向かうと、市内局番が3桁や2桁のままの古い電話
番号を掲示した店が幾つか目に付き、ここも昭和のたたずまいが感じられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/d8/7f3e8957cf84b4d2bcb501150c05161c.jpg)
折り返すように細い路地を左折し、突き当たりの岡倉天心記念公園に入る。岡倉天心は
東京美術学校(東京藝術大学の前身)の設立に関わり、のち日本美術院を創設した。この
公園は岡倉天心旧宅跡で、日本美術院発祥の地である。
今日明日は「谷中まつり」の一環で六角堂が開扉され、平櫛田中(ひらぐしでんちゆう)
作の天心座像が公開されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/05/73602ff9220f1e6993f1dba7e2256b7d.jpg)
ちなみに岡倉天心は、2日前の夜のNHKBS3「英雄たちの選択」に取り上げられ、
明治期における廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の防止に腐心したことや、日本美術に対す
る業績を認識したばかりだった。
さらに東進して谷中防災コミュニティセンターへ。谷中まつりのメインイベント会場で、
南側の「初音(はつね)の森」と呼ぶ防災広場にはステージが設けられ、休憩用テントや
露店が並び、たくさんの地元区民などで賑わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/3c/4d89f1d8b8a013159f1aa3a6247cc712.jpg)
さらに石段を上がり谷中五丁目の台地に出た。左側に観音寺の長い築地塀(ついじべい)
が続く。江戸時代の築造のようで、当時にタイムスリップしたような一角だ。塀は国の登
録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b3/6fad972d43987750172aa650a3fbf02a.jpg)
すぐ先十字路際の「香隣舎」と呼ぶ古民家には花飾りが並び、近隣の小美術館やカフェ
などでの催し案内のはがきが用意されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1d/f294d812bf2d4f47fc0bf227b09bbb11.jpg)
東に進んで谷中霊園の交差点際へ。交番の北側、「子供の広場」でも谷中まつりのステ
ージが設けられ、演奏やダンスなどが進行中で、天王寺町会のテントでは、名物やきそば
の販売をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/64/d42ac2c0ecbf9b2416f62d23dff6dc8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/86/58beb4222efa276e553fb9241dd3cc56.jpg)
霊園内の大イチョウなどを見ながらさくら通りを北進、突き当たりは谷中七福神の毘沙
門天を祭る天王寺である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/be/c37d566f40afee933b3800cc9ebac2a0.jpg)
室町期の応永年代(1394~1427)の創建といわれ、江戸時代には富くじの興業
が開催され、目黒不動、湯島天神とともに江戸の三富として賑わったとか。境内にあった
五重塔は古田露伴の小説「五重塔」で知られたが、昭和32年(1957)に焼失してい
て現在は見られない。境内はいまも緑豊富で、落ち着いたたたずまい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/f9/6ad3c57c55285a1f50b02b49bf368051.jpg)
東側の新しい建物では、「古代文字アーティスト集団 天遊組(てんゆうぐみ)」と呼ぶ
グループが、ユニークな書アートの発表会を開催していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/bc/44a76811ef7c04a8ec08035e1f2188a0.jpg)
山門近くには、若柳観音菩薩と呼ぶ穏やかな姿の観音立像が目に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/21/1fe8807c03f97328c9769c92bc60f0c5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/fa/c612c9f0a8810552fc4c62c7fed8d5b1.jpg)
昼食のため、防災コミュニケーションセンターに戻ることに。子供の広場のステージで
は腹話術の実演中。そばの十字路の北西側に長谷川一夫夫妻の墓地があり、墓石は予想外
に小さなものだった。 (後ろ側中央↓の墓が長谷川一夫夫妻)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/5e/49e3807a2c7bc5f2789f395bd1b46c11.jpg)
雨がひときわ強まり、急ぎコミュニケーションセンターに戻るが、建物内は食事禁止。
防災広場のテントに空きスペースを探して座り、雨漏りを避けながら昼食に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/48/53180e134bd275c9c2b9a94f19d33d6e.jpg)
食事を終える頃には空が明るくなり、やがて雨も上がった。ステージではフラダンスの
グループが、何組か踊りを披露していた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/56/44277210cee2069f0039359ef50ca4ad.jpg)
建物前でミーティングをして、13時15分に午後のコースに向かう。
== へび道や寛永寺を経て上野公園へ ==
南側の三崎(さんさき)坂に出て、右折してすぐの大圓寺(だいえんじ)境内に入る。
ここも谷中まつり会場のひとつ、狭い境内では「谷中菊まつり」を開催中で、露店も並ん
でいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/cc/fb1c96ae85292a991e06702c9d849727.jpg)
横長の建物には二つの拝殿があり、右手の瘡守(かさもり)稲荷神社は江戸中期から祭
られ、疱瘡(ほうそう)や皮膚病を治すといわれて信仰が篤かったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/ce/c0f4b8edda52f588aab3eff419d24824.jpg)
左側の大圓寺本堂前はブルーテントで覆われ、催しに使われたらしい椅子が並んでいた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/94/c02ab286a59301a35d2a423795480cdb.jpg)
境内には、江戸三美人の一人という笠森お仙と、お仙を描いた錦絵開祖の鈴木春信の碑
がある。
三崎坂を西へ、次の信号まで進んで南に延びる「へび道」へ。旧藍染(あいぞめ)川の
河道跡で、その名の通り右に左に小カーブが続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/5a/c18b2c10fa16d7033adb2d7c494a1abf.jpg)
左手が谷中二丁目、右は千駄木二丁目で、台東区と文京区との区境である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/5f/f6b093345b9c0a975d1176aafb656323.jpg)
谷中二丁目の終わりに近い三差路近くに、開店祝のコチョウランが並ぶ小さい店があっ
た。女優川上麻衣子さんの「SWEDEN GRACE」と呼ぶ店で、明日が開店のよう。
川上さんご本人もチラと姿を見せた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/43/6aeb6035dac45d289242de323b8c8946.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/39/777dcf41af947731da7022005e49f34f.jpg)
へび道が終わり、少し左カーブしてその先に延びる通りに入り、次の十字路を左折して
三浦坂を上る。坂の名は、美作(みまさか)(岡山県北部)勝山藩主三浦氏の下屋敷前の
坂道だったの付けられとか。南側一帯は臨江寺の長い塀が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/b8/9e2f70536f0d77829856e99f2a233b14.jpg)
坂の中腹辺りに、「ねんねこ家」と呼ぶネコの飾り物の並ぶ店があった。その先の民家
には、見たことの無いピンクの花が咲く。
上がりきったY字路の北西側、緑豊富な敷地には大名時計博物館があるが、入館は略す。
Y字路の突端部に大きなヒマラヤスギが立ち、木の下に「みかどパン店」と記された小さ
なパン屋があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/a2/cd9e6bea2dca12eac98fb11545dd0ed6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/c8/3b470c3438b1f2d4cb1aad1746edd48c.jpg)
この辺りは江戸時代には「三方地店(さんぼうちだな)」と呼ばれた地区で、ヒマラヤ
スギを目印に古くからの店や工房、アトリエなどが並び、明治の頃から画家や彫刻家、作
家の川端康成などが近隣に住み、芸術文化を育む場所でもあったとか。
「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定された谷中のシンボルであるヒマラヤスギ
は、切り取られて一帯が更地になる可能性があるようで、守ろうという活動が進められて
いる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/dd/6ea6b891a1adab877c3a27d2b5caaa5a.jpg)
谷中六丁目まで進んで言問通りに回り、三崎坂からの交差点際にある下町風俗資料館付
設展示場に行く。江戸商家の建築様式を残す旧吉田屋酒店の建物を移築したもの。ここも
谷中まつりの会場の一つとして、建物前でステージプログラムが続き、ギターの演奏中。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/c0/45bf70b3b5b153482b73e9b703565d62.jpg)
甘酒のサービスもしていたので頂きながら演奏を少し聴き、開放された建物に入って酒
樽や徳利、ポスターなどの展示を見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/62/7eed45691c16b8f52ec76b63238d74de.jpg)
交差点の西側、古民家を活用したカヤバ珈琲店のネムノキに、色鮮やかな花が咲く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/79/6d513280bca30af8fb6b6d658684a805.jpg)
ひとつ南の通りを東へ、東京藝術大音楽楽部の北側を進む。北側の円珠院境内はよく手
入れされた植栽が、気持ちよい緑を見せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/49/613674c2b583018a2eb2995e62b9b10d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/90/a5fc61ffe1d62cf7c001a72a528b9af5.jpg)
次の交差点を渡って寛永寺に入り、旧本堂(根本中堂)の前で小休止後に記念撮影をし
た。建物は、明治9年(1876)から12年にかけて川越市の喜多院の本地堂を移築し
たもので、寛永15年(1638)の建造らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/46/a4ec3ad16fa5310fd489eb7f1c6c3561.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/36/9d4c7e652242f54421f83b707a56779f.jpg)
境内には、琳派の創始者として知られる画家・尾形光琳の弟、尾形乾山(けnざん)の
顕彰碑である乾山深省蹟(しんせいせき)や、江戸時代前期の黄檗(おうばく)宗の僧で、
難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)を設置した了翁禅師塔碑などがあった。
根本中堂の北東側には、徳川綱吉霊廟勅額門(れいびょうちょくがくもん)がある。5
代将軍綱吉は「生類憐み(しようるいあわれみ)の令」などを施行した将軍として知られ、
勅額門は国の重要文化財。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/f1/a44dce09e753a9b5b7142dddbd9d0381.jpg)
その綱吉公霊廟内には、13代将軍家定(いえさだ)の正室、天璋院篤姫の墓所がある
ようだが、非公開で拝観は出来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/fa/c11a4fd2eff5e4822930c54bf63d099a.jpg)
上野中学校前の通りを南東に進み、国際子ども図書館↑の前を通過する。京成電鉄の博
物館動物園駅跡の建物横を左折して、国重要文化財の「黒門」と呼ぶ旧因州池田屋敷表門
前を過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/c6/294eb7a170d5e6ff896330a27adcaa7b.jpg)
東京国立博物館正門前↑から上野公園に入り、噴水池や開催中の大陶器市のテントが並
ぶ横を通過して、交番近くの広場付近でゴールとし、15時24分に散会した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/da/c4a6156bc393b041738706c68218bf2c.jpg)
多くのメンバーはさらに西郷隆盛像やアメヤ横町を経て二次会に向かい、私など3人が
JR上野駅の公園口から帰途についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/a9/0114e056732b4a35ad5c41a18a5d905e.jpg)
(参加 15人、天気 雨後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地
荒川区、台東区、文京区、歩数 13,200)
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前月の例会と同様に雨の予報だが、カントリーウオークグループの第237回例会に参
加した。集合はJR山手線の西日暮里(にしにっぽり)駅。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ad/04f8ee20e0352a7487ea5a851275c0b1.jpg)
今回はタウンウオークなのでグループ分けはせず、全員一緒に10時14分に出発した。
== 谷中祭りの会場を縫って ==
線路の西側を南に少し上がって西日暮里公園に入る。公園はもとは花見寺のひとつ青雲
寺や旧加賀藩前田家墓地だったとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/8f/fe1fcec99ac0ad200888c82c2636d4ff.jpg)
小雨模様なので雨具を用意し、細道の諏訪台通りを南進して諏方(すわ)神社へ。信州
上諏訪社の分社で建久2年(1205)の創建、日暮里・谷中(やなか)の総鎮守とか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/f2/c54f7eab693936777c167fedfdffd281.jpg)
この辺りは道灌山(どうかんやま)と呼ばれ、豊富な木々の境内で、ひときわ大きなイ
チョウの古木が目に付いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/f4/1c42a64dcb1860bd7593998333220d3a.jpg)
すぐ近く、西に下る急坂は富士見坂で「関東の富士見100景」のひとつ。現在も富士山
を望むことが出来るようだが、今日は雨で望むべくもない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/9c/dcb755437d28104d02be77c6518ce07b.jpg)
その先東側の養福寺は、江戸時代の多くの文人の碑が残るというが、寄らずに過ぎる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/94/29877841d7efe62a6458705800d825e1.jpg)
JR日暮里駅から延びる通りに出て、そばの経王寺(きょうおうじ)に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/4d/3548700c4b97dc9b78fbd5817caa2e12.jpg)
明暦元年(1655)の建立で、大黒堂↓には日蓮上人作と伝わる大黑天が祭られてい
るという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/ea/79473a4ae1a6c14b552faa742b429fda.jpg)
慶応4年(1868)の上野戦争の時に敗走した彰義隊戦士をかくまったため、新政府
軍の砲撃を受けた銃弾の跡が山門に残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/ad/241b928b2e8ebf38fe61d617ff5219da.jpg)
西に下る七面坂の通りには、暮らしの道具を販売する店などがあり、すぐ近くで階段を
下って谷中銀座の商店街に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/63/2c039d0a8827d8f1754a94dd423dd3a7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/0e/fe66e19d5d1fa4a5ee8c530dd517a1c0.jpg)
狭い通りには観光客が多く、両側には飴(あめ)の店、竹工芸店、きれいなランプを吊
す店、下駄や草履の店、手づくりのおかずや弁当の店など、小さいがレトロな雰囲気の店
が約70店ほど並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/da/3d7132801cf335a0d55e689afc447aba.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/a3/3e4d83e070f58e247d6c695f869e6a41.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/c1/d1529cf77d828cf3faae867f7eeea289.jpg)
西端に抜けて「よみせ通り」を南に向かうと、市内局番が3桁や2桁のままの古い電話
番号を掲示した店が幾つか目に付き、ここも昭和のたたずまいが感じられる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/d8/7f3e8957cf84b4d2bcb501150c05161c.jpg)
折り返すように細い路地を左折し、突き当たりの岡倉天心記念公園に入る。岡倉天心は
東京美術学校(東京藝術大学の前身)の設立に関わり、のち日本美術院を創設した。この
公園は岡倉天心旧宅跡で、日本美術院発祥の地である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/1d/df11c0bec9cb4b5699e7276f2c9daaf8.jpg)
今日明日は「谷中まつり」の一環で六角堂が開扉され、平櫛田中(ひらぐしでんちゆう)
作の天心座像が公開されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/05/73602ff9220f1e6993f1dba7e2256b7d.jpg)
ちなみに岡倉天心は、2日前の夜のNHKBS3「英雄たちの選択」に取り上げられ、
明治期における廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の防止に腐心したことや、日本美術に対す
る業績を認識したばかりだった。
さらに東進して谷中防災コミュニティセンターへ。谷中まつりのメインイベント会場で、
南側の「初音(はつね)の森」と呼ぶ防災広場にはステージが設けられ、休憩用テントや
露店が並び、たくさんの地元区民などで賑わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/3c/4d89f1d8b8a013159f1aa3a6247cc712.jpg)
さらに石段を上がり谷中五丁目の台地に出た。左側に観音寺の長い築地塀(ついじべい)
が続く。江戸時代の築造のようで、当時にタイムスリップしたような一角だ。塀は国の登
録有形文化財である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/b3/6fad972d43987750172aa650a3fbf02a.jpg)
すぐ先十字路際の「香隣舎」と呼ぶ古民家には花飾りが並び、近隣の小美術館やカフェ
などでの催し案内のはがきが用意されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/1d/f294d812bf2d4f47fc0bf227b09bbb11.jpg)
東に進んで谷中霊園の交差点際へ。交番の北側、「子供の広場」でも谷中まつりのステ
ージが設けられ、演奏やダンスなどが進行中で、天王寺町会のテントでは、名物やきそば
の販売をしていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/64/d42ac2c0ecbf9b2416f62d23dff6dc8c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/86/58beb4222efa276e553fb9241dd3cc56.jpg)
霊園内の大イチョウなどを見ながらさくら通りを北進、突き当たりは谷中七福神の毘沙
門天を祭る天王寺である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/be/c37d566f40afee933b3800cc9ebac2a0.jpg)
室町期の応永年代(1394~1427)の創建といわれ、江戸時代には富くじの興業
が開催され、目黒不動、湯島天神とともに江戸の三富として賑わったとか。境内にあった
五重塔は古田露伴の小説「五重塔」で知られたが、昭和32年(1957)に焼失してい
て現在は見られない。境内はいまも緑豊富で、落ち着いたたたずまい。
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東側の新しい建物では、「古代文字アーティスト集団 天遊組(てんゆうぐみ)」と呼ぶ
グループが、ユニークな書アートの発表会を開催していた。
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山門近くには、若柳観音菩薩と呼ぶ穏やかな姿の観音立像が目に入る。
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昼食のため、防災コミュニケーションセンターに戻ることに。子供の広場のステージで
は腹話術の実演中。そばの十字路の北西側に長谷川一夫夫妻の墓地があり、墓石は予想外
に小さなものだった。 (後ろ側中央↓の墓が長谷川一夫夫妻)
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雨がひときわ強まり、急ぎコミュニケーションセンターに戻るが、建物内は食事禁止。
防災広場のテントに空きスペースを探して座り、雨漏りを避けながら昼食に。
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食事を終える頃には空が明るくなり、やがて雨も上がった。ステージではフラダンスの
グループが、何組か踊りを披露していた。
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建物前でミーティングをして、13時15分に午後のコースに向かう。
== へび道や寛永寺を経て上野公園へ ==
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南側の三崎(さんさき)坂に出て、右折してすぐの大圓寺(だいえんじ)境内に入る。
ここも谷中まつり会場のひとつ、狭い境内では「谷中菊まつり」を開催中で、露店も並ん
でいる。
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横長の建物には二つの拝殿があり、右手の瘡守(かさもり)稲荷神社は江戸中期から祭
られ、疱瘡(ほうそう)や皮膚病を治すといわれて信仰が篤かったとか。
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左側の大圓寺本堂前はブルーテントで覆われ、催しに使われたらしい椅子が並んでいた。
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境内には、江戸三美人の一人という笠森お仙と、お仙を描いた錦絵開祖の鈴木春信の碑
がある。
三崎坂を西へ、次の信号まで進んで南に延びる「へび道」へ。旧藍染(あいぞめ)川の
河道跡で、その名の通り右に左に小カーブが続く。
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左手が谷中二丁目、右は千駄木二丁目で、台東区と文京区との区境である。
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谷中二丁目の終わりに近い三差路近くに、開店祝のコチョウランが並ぶ小さい店があっ
た。女優川上麻衣子さんの「SWEDEN GRACE」と呼ぶ店で、明日が開店のよう。
川上さんご本人もチラと姿を見せた。
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へび道が終わり、少し左カーブしてその先に延びる通りに入り、次の十字路を左折して
三浦坂を上る。坂の名は、美作(みまさか)(岡山県北部)勝山藩主三浦氏の下屋敷前の
坂道だったの付けられとか。南側一帯は臨江寺の長い塀が続く。
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坂の中腹辺りに、「ねんねこ家」と呼ぶネコの飾り物の並ぶ店があった。その先の民家
には、見たことの無いピンクの花が咲く。
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上がりきったY字路の北西側、緑豊富な敷地には大名時計博物館があるが、入館は略す。
Y字路の突端部に大きなヒマラヤスギが立ち、木の下に「みかどパン店」と記された小さ
なパン屋があった。
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この辺りは江戸時代には「三方地店(さんぼうちだな)」と呼ばれた地区で、ヒマラヤ
スギを目印に古くからの店や工房、アトリエなどが並び、明治の頃から画家や彫刻家、作
家の川端康成などが近隣に住み、芸術文化を育む場所でもあったとか。
「美しい日本の歴史的風土100選」にも選定された谷中のシンボルであるヒマラヤスギ
は、切り取られて一帯が更地になる可能性があるようで、守ろうという活動が進められて
いる。
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谷中六丁目まで進んで言問通りに回り、三崎坂からの交差点際にある下町風俗資料館付
設展示場に行く。江戸商家の建築様式を残す旧吉田屋酒店の建物を移築したもの。ここも
谷中まつりの会場の一つとして、建物前でステージプログラムが続き、ギターの演奏中。
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甘酒のサービスもしていたので頂きながら演奏を少し聴き、開放された建物に入って酒
樽や徳利、ポスターなどの展示を見た。
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交差点の西側、古民家を活用したカヤバ珈琲店のネムノキに、色鮮やかな花が咲く。
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ひとつ南の通りを東へ、東京藝術大音楽楽部の北側を進む。北側の円珠院境内はよく手
入れされた植栽が、気持ちよい緑を見せる。
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次の交差点を渡って寛永寺に入り、旧本堂(根本中堂)の前で小休止後に記念撮影をし
た。建物は、明治9年(1876)から12年にかけて川越市の喜多院の本地堂を移築し
たもので、寛永15年(1638)の建造らしい。
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境内には、琳派の創始者として知られる画家・尾形光琳の弟、尾形乾山(けnざん)の
顕彰碑である乾山深省蹟(しんせいせき)や、江戸時代前期の黄檗(おうばく)宗の僧で、
難民救済や寛永寺に勧学寮(図書館)を設置した了翁禅師塔碑などがあった。
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根本中堂の北東側には、徳川綱吉霊廟勅額門(れいびょうちょくがくもん)がある。5
代将軍綱吉は「生類憐み(しようるいあわれみ)の令」などを施行した将軍として知られ、
勅額門は国の重要文化財。
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その綱吉公霊廟内には、13代将軍家定(いえさだ)の正室、天璋院篤姫の墓所がある
ようだが、非公開で拝観は出来ない。
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上野中学校前の通りを南東に進み、国際子ども図書館↑の前を通過する。京成電鉄の博
物館動物園駅跡の建物横を左折して、国重要文化財の「黒門」と呼ぶ旧因州池田屋敷表門
前を過ぎる。
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東京国立博物館正門前↑から上野公園に入り、噴水池や開催中の大陶器市のテントが並
ぶ横を通過して、交番近くの広場付近でゴールとし、15時24分に散会した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/da/c4a6156bc393b041738706c68218bf2c.jpg)
多くのメンバーはさらに西郷隆盛像やアメヤ横町を経て二次会に向かい、私など3人が
JR上野駅の公園口から帰途についた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/a9/0114e056732b4a35ad5c41a18a5d905e.jpg)
(参加 15人、天気 雨後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 東京首部、歩行地
荒川区、台東区、文京区、歩数 13,200)
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