宮古島・石垣島10島巡りのレポートの続きが遅れていますが、先にJR東日本の駅か
らハイキングの模様を先に報告します。
========================================
2018年3月4日(日)
今日は暖かくなるという予報なので、JR東日本の駅からハイキング『早春の吉野梅郷
~再生中の「青梅・梅の里」とオープンガーデン巡り~』に参加した。
JR青梅線の日向和田(ひなたわだ)駅に10時49分に着き、10時55分に駅を出
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/84/9b7d933b8c6d40ae9be3f083eafaa720.jpg)
線路に平行する青梅街道・国道411号を北西にすぐの日向和田駅交差点から西へ、都
道199号に入り、眼下に清流を見下ろせる多摩川の神代橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f0/f20e7ad27eb54ae1c358ad3b7b949de4.jpg)
渡り終えた右岸端際に、中曽根康弘元首相の自筆らしい「ふるさとに 澄める空あり
雁渡る」と刻まれた歌碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f7/98d4aa852b81ec635e8baeb6fb5513c1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/cc/98a224e2c39c4d217db71e022d4cb15c.jpg)
近くの和菓子店、紅梅苑がスタート受付場所。店内で受付を済ませて地図をもらう。店
の入口にはきれいな紅梅やマンサクの生け花が飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c2/d6e5482174a255fd02211159b394af6b.jpg)
通りには「梅まつり」のちょうちんが下がり、街路樹の紅梅が咲き出している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a0/cc7af473a18ff94dff09fe2dd6244a27.jpg)
橋の手前まで戻り、多摩川右岸沿いの住宅地の静かな道を進む。市営水道のポンプ場の
先は「蝋梅(ろうばい)の道」と名付けられ、多摩川側に若木のロウバイが植えられてい
て、まだかなり花が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/71/d083cf57ea2b98096c4d78262f74bf99.jpg)
青梅市のマンホールはもちろん梅とウグイスのデザイン、あちこちでたくさん見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/18/0fa91ab1544c2fa7cf241feb0e29154e.jpg)
市立西中のところで左折してカーブ道を西進し、オープンガーデンのひとつである大聖
院に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b2/dab7810feae2ce883630af80afe998a0.jpg)
大聖院の創建年代は不明のようだが、慶安年間(1648~52)には江戸幕府から寺
領4石の御朱印状を拝領したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/96/ea56281d70580e3792bf875d1da691ad.jpg)
若木の紅梅が花を開き、本堂の左手には新しい延命地蔵堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b9/a2e2ab4f8500bd150ddceb1371985ec3.jpg)
堂内中央のお地蔵さんは、明治22(1889)年に当時の住職が四国八十八ヶ所霊場
19番立江寺(たつえじ)の本尊、延命地蔵を写し建立されたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/5f/edf0c7c294548b60b777a8d89ae7dbb0.jpg)
背後には、その年に合併して誕生した吉野村や周辺の人たちから奉納された、たくさん
の絵馬が並んでいた。地蔵堂の背後には数本のロウバイが咲いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ac/6a775fb62fbf0605198534905a6c2d8f.jpg)
寺を出て南西にすぐ、吉野街道に入って北西に400m前後進む。古民家を活用した
「茶房さらさや」↑の先を左折して、吉川英治記念館に入る(入館料500円、駅ハイ参
加者は400円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/e43dd78fd021082b091d16c66b648b9b.jpg)
青梅市の名誉市民である文豪・吉川英治は昭和19(1944)年3月にこの地に疎開
し、昭和28(1953)年8月までここで生活したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/ff/2ae9d694b6a562f325c2c24dc351c4d2.jpg)
長屋門の入口で受付を済ませて広い館内に入ると、正面に大きな母屋(おもや)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8e/5b2b8c2859b410549280c1d9e8348b27.jpg)
もと養蚕農家の屋敷で、弘化4(1874)年頃の建築を明治初期に建て替えたもの。
吉川英治が一部改造し開館後に屋根を銅板にふき替えているが、ほぼ昔のままの姿とか。
母屋の左手奥の洋館は明治期に建築された書斎で、創作に没頭した英治は三度の食事も
ここでとり、「新平家物語」もこの書斎から生まれたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/42/ef4cb30dd8ccfb9171a517e3066313aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d4/165209843898d822d823a3478f694bf2.jpg)
その横を上がって行くと大きなアセビが花をいっぱい見せ、樹齢5~600年と推定の
シイの古木の横を上がり、谷口吉郎の設計という展示館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c5/5c78851f66b78fa13af5d3619e9b5182.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/23/f4e8911b9f0fcada491fda01539feb3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f1/203b9701fda4b0d973707ace9d8f3ff8.jpg)
展示室には、「宮本武蔵」最終回などの原稿や、たくさんの著作本、書画など約300
点が展示されていた(撮影禁止)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/76/a23b960ba79bf0a8335fdce6c668163c.jpg)
高みにある展示室の窓からは、母屋↑や書斎↓の背後、咲き出した大きなミツマタなどが
見下ろせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/b6ab523790a12fd51710cd8c0220b7a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8e/5278102f2b2b5b0ba0e16657550785d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c5/9042af01fa5274c6e530c0282c1ebbbf.jpg)
展示室を出て、南側の斜面に広がる庭園を巡る遊歩道を一巡するなどして25分ほどで
退館した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a7/8748445fcc229a6bb88822fb85e2752e.jpg)
なお、吉川英治記念館のサイトはこちらを。
吉野街道を200m余り戻ってY字路を南に入り、近くにある即清寺(そくせいじ)の
石段を上がる。
ここもオープンガーデンで、山門の手前にすべて異形の9基のお地蔵さんが並ぶ。手前
の1基の台座には、享保6(1721)年と刻まれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/62/519700d8fac1b6f6fd237cca7ce32ab6.jpg)
即清寺は元慶年間(877~84)の開創という古寺、建久年間(1190~98)に
は源頼朝が畠山重忠に命じて堂宇を造営し、慶安元(1648)年には江戸幕府から明王
堂領として3石の御朱印状を拝領したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bb/72c992f27f60ca00af65c8a648c765e7.jpg)
立派な山門を入ると大きな本堂や鐘楼があり、本堂の柱には「関東八十八ヶ所霊場第七
十一番」の表示が。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所49番霊場でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/87/569b9b87e111d2c29883fc432b25392e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/1b/017b580e56609233619af7ab2070df55.jpg)
境内にはロウバイとフクジュソウが咲き、西側斜面には山内新四国八十八ヶ所霊場が設
けられていた。山門の近くには、文明5(1473)年11月と刻まれた板碑が保存され
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/00/45c4d428ceed9ca0bc26e60c23cd7993.jpg)
折り返すように東に向かい、少しだけ吉野街道を進んで梅郷(ばいごう)6丁目の旧道
を進み、次のオープンガーデン岩割の梅(跡)に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/aa/deb127be65f988b0119227b848326a89.jpg)
別名「悲恋の梅」と呼ばれた岩割の梅は枯れていたが、その奥一体にたくさんのミツマ
タが花を見せ、その下にはフクジュソウが咲く。奥の斜面を上がるとロウバイも咲き残っ
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/07/56c6b5d7e4c33ca740786b10e48fe21f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3b/f9a8d2e83a4c24c0ab9a42243cdf5a19.jpg)
南東に進んで運動広場横を過ぎ、下山八幡神社へ。創建は長久2(1041)年と伝え
られ、天正19(1591)年には家康から社領5石を賜っているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ec/f8343eb4be672093023aebe916107e44.jpg)
本殿は三間社流造りと呼ぶ建物で、宝暦5(1755)年の再建とのこと。江戸期の本
殿の多くが一間社流造りのようで、三間社流造りは都内では極めて少ない貴重な本殿建築
らしい。
本殿の前面が広場の開放的な境内、やはりオープンガーデンだが、花は目に入らなかっ
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/3a/cd38478803fd03c1e5d2709db723c19b.jpg)
さらに南東へ、広い芝生地に若木の梅の咲き出した中道梅園を抜けて、青梅きもの博物
館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c9/673044168e6aee56ac35e1ed6bcc0072.jpg)
日本の伝統文化財でもある着物の博物館で、建物は200年前の土蔵に増築をしたとか。
木造の民家風情の残るつくりである(入館料800円、駅ハイ割引600円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e0/ac2b1d3f6b22c3747721d50d8e83f1d9.jpg)
近代の着物を中心に展示されているが、特に大名や公家、元皇族の貴重な衣装が多い。
館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットに掲載されていた衣装のいくつかを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/69/405694069e0ff8691bcde17eab54f64c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f5/baaa9565178dd59403b75d5b104ff514.jpg)
梨本宮、浅香宮家の宮廷衣装、桂宮や明治天皇の内親王着用の衣装など、なかなか見る
ことのできない精緻で豪華な衣装が数多くあり、館の方の説明を聞きながら4つの展示室
を観覧した。
館前の道路を南東に進んでT字路を西へ、すぐにオープンガーデンの天澤院(てんたく
いん)への石段を上がる。中段の地蔵堂に「お願い地蔵尊」が3体祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e5/384e4a3327fd19fee1f341032ae065c6.jpg)
天澤院は慶長8(1603)年の開創と伝えられ、明治42(1909)年に火災にか
かり、現本堂と庫裡(くり)は大正年間(1912~26)の再建らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/d4/c1dc5cbe7e9f96cb363e28bf943abbf3.jpg)
境内の花はまだこれからのようで、本堂左手のセツブンソウだけが花開く。傍らに信州
・安曇野(あずみの)に多い双代道祖神が1基立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1f/81655f288cda4096802aa3ad39546cbf.jpg)
寺の下を西にすぐで、「青梅市梅の公園」が北向きの斜面に広がる。13時44分に公
園に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8d/9a21ce1169d1887849e141f066e54f3f.jpg)
かつては斜面全体にたくさんの梅が花を見せていたが、平成21(2009)年に市内
の梅樹から国内初めてのウメ輪紋ウィルスが確認され、植物防疫法により市内で4万本近
いウメが伐採されたとか。この公園でも1,739本全てが伐採を余儀なくされたようだ。
その後、梅の里再生に向け一昨年11月から再植樹が始まり、これまでに4,000本
以上の梅が植樹され新たな歩みを踏み出したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/6f/208c4e2ba8e8981dcc3f2fbbe95959c5.jpg)
そのため公園の木々もまだ若木で小さく、公園全体を眺めると見栄えに乏しいが、紅梅
など何本かが花を開いて迎えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d0/7452ef2a7b0e1c28ddf27d9e80064271.jpg)
2月25日~3月25日は「青梅吉野梅郷梅まつり」を開催中で、今日はそのイベント
のひとつ「観梅市民まつり」の日とあり、公園周辺も多くの市民などで賑わっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a1/96b156faa8241a2afd17c8f858c66b70.jpg)
入口近くの仮設ステージでは、甲冑(かっちゅう)隊のメンバーによる寸劇が始まって
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e6/b9b454d127b69f48af5bbb045defb60c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/26/b84c999235aa2a4cdcb38e53a4454b0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0b/f7ae3eab53ea76095ee57a4dc546d573.jpg)
斜面中腹まで上がり、眼下に広がる園内や北側の梅郷地区の家並みなどを眺めながら、
ベンチで遅い昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c3/702a4ad719a13c0d20f600b5aa9bd9f7.jpg)
14時16分に梅の公園を後にした。吉野街道に向かうと、梅まつりの宣伝活動で演奏
するチンドン屋さんがやってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8c/e5954ea52e534667b9aaab0e2bad2fa2.jpg)
梅の公園入口交差点で吉野街道に出て西北へ、JAのそばの梅郷四丁目交差点を右折し
て駅に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/13/1e4f95236f8428fb6675c41289e3eac0.jpg)
その神代橋通りは歩行者天国になっていて、露店が並び地元青梅市民や観光客で賑わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/9712ba70d495aabe05cba42f389d6e8a.jpg)
高円寺阿波おどりの連と行き交い、山車や仮設舞台ではお囃子に合わせて獅子舞も始ま
っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/cb/e9c168adf4fe7f08248f6b0f20c663cb.jpg)
駅からハイキングの受付をした和菓子店・紅梅苑まで戻り、紅梅饅頭を求める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/5e/5e422131b6373cdeb8d5b5eeadcb9caf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/7d/b343645dd4045145e6409e7c3545acd6.jpg)
多摩川の神代橋を渡り、スタートした日向和田駅には14時40分に着いた。15時
03分発青梅行き上り電車で帰路につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d8/a203cfd946c8b46a82e53537206642a0.jpg)
この日の青梅市の最高気温は21.8℃、春本番の陽気だった。
(天気 快晴、距離 7.5㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 青梅市、歩数
12,900)
アウトドアランキング
にほんブログ村
らハイキングの模様を先に報告します。
========================================
2018年3月4日(日)
今日は暖かくなるという予報なので、JR東日本の駅からハイキング『早春の吉野梅郷
~再生中の「青梅・梅の里」とオープンガーデン巡り~』に参加した。
JR青梅線の日向和田(ひなたわだ)駅に10時49分に着き、10時55分に駅を出
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/84/9b7d933b8c6d40ae9be3f083eafaa720.jpg)
線路に平行する青梅街道・国道411号を北西にすぐの日向和田駅交差点から西へ、都
道199号に入り、眼下に清流を見下ろせる多摩川の神代橋を渡る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/f0/f20e7ad27eb54ae1c358ad3b7b949de4.jpg)
渡り終えた右岸端際に、中曽根康弘元首相の自筆らしい「ふるさとに 澄める空あり
雁渡る」と刻まれた歌碑があった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/f7/98d4aa852b81ec635e8baeb6fb5513c1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/cc/98a224e2c39c4d217db71e022d4cb15c.jpg)
近くの和菓子店、紅梅苑がスタート受付場所。店内で受付を済ませて地図をもらう。店
の入口にはきれいな紅梅やマンサクの生け花が飾られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c2/d6e5482174a255fd02211159b394af6b.jpg)
通りには「梅まつり」のちょうちんが下がり、街路樹の紅梅が咲き出している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/a0/cc7af473a18ff94dff09fe2dd6244a27.jpg)
橋の手前まで戻り、多摩川右岸沿いの住宅地の静かな道を進む。市営水道のポンプ場の
先は「蝋梅(ろうばい)の道」と名付けられ、多摩川側に若木のロウバイが植えられてい
て、まだかなり花が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/71/d083cf57ea2b98096c4d78262f74bf99.jpg)
青梅市のマンホールはもちろん梅とウグイスのデザイン、あちこちでたくさん見た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/18/0fa91ab1544c2fa7cf241feb0e29154e.jpg)
市立西中のところで左折してカーブ道を西進し、オープンガーデンのひとつである大聖
院に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b2/dab7810feae2ce883630af80afe998a0.jpg)
大聖院の創建年代は不明のようだが、慶安年間(1648~52)には江戸幕府から寺
領4石の御朱印状を拝領したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/96/ea56281d70580e3792bf875d1da691ad.jpg)
若木の紅梅が花を開き、本堂の左手には新しい延命地蔵堂がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/b9/a2e2ab4f8500bd150ddceb1371985ec3.jpg)
堂内中央のお地蔵さんは、明治22(1889)年に当時の住職が四国八十八ヶ所霊場
19番立江寺(たつえじ)の本尊、延命地蔵を写し建立されたとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/5f/edf0c7c294548b60b777a8d89ae7dbb0.jpg)
背後には、その年に合併して誕生した吉野村や周辺の人たちから奉納された、たくさん
の絵馬が並んでいた。地蔵堂の背後には数本のロウバイが咲いている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/ac/6a775fb62fbf0605198534905a6c2d8f.jpg)
寺を出て南西にすぐ、吉野街道に入って北西に400m前後進む。古民家を活用した
「茶房さらさや」↑の先を左折して、吉川英治記念館に入る(入館料500円、駅ハイ参
加者は400円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/ef/e43dd78fd021082b091d16c66b648b9b.jpg)
青梅市の名誉市民である文豪・吉川英治は昭和19(1944)年3月にこの地に疎開
し、昭和28(1953)年8月までここで生活したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/ff/2ae9d694b6a562f325c2c24dc351c4d2.jpg)
長屋門の入口で受付を済ませて広い館内に入ると、正面に大きな母屋(おもや)がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/8e/5b2b8c2859b410549280c1d9e8348b27.jpg)
もと養蚕農家の屋敷で、弘化4(1874)年頃の建築を明治初期に建て替えたもの。
吉川英治が一部改造し開館後に屋根を銅板にふき替えているが、ほぼ昔のままの姿とか。
母屋の左手奥の洋館は明治期に建築された書斎で、創作に没頭した英治は三度の食事も
ここでとり、「新平家物語」もこの書斎から生まれたという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/42/ef4cb30dd8ccfb9171a517e3066313aa.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/d4/165209843898d822d823a3478f694bf2.jpg)
その横を上がって行くと大きなアセビが花をいっぱい見せ、樹齢5~600年と推定の
シイの古木の横を上がり、谷口吉郎の設計という展示館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/c5/5c78851f66b78fa13af5d3619e9b5182.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/23/f4e8911b9f0fcada491fda01539feb3e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/f1/203b9701fda4b0d973707ace9d8f3ff8.jpg)
展示室には、「宮本武蔵」最終回などの原稿や、たくさんの著作本、書画など約300
点が展示されていた(撮影禁止)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/76/a23b960ba79bf0a8335fdce6c668163c.jpg)
高みにある展示室の窓からは、母屋↑や書斎↓の背後、咲き出した大きなミツマタなどが
見下ろせた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/04/b6ab523790a12fd51710cd8c0220b7a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/53/8e/5278102f2b2b5b0ba0e16657550785d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/c5/9042af01fa5274c6e530c0282c1ebbbf.jpg)
展示室を出て、南側の斜面に広がる庭園を巡る遊歩道を一巡するなどして25分ほどで
退館した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/a7/8748445fcc229a6bb88822fb85e2752e.jpg)
なお、吉川英治記念館のサイトはこちらを。
吉野街道を200m余り戻ってY字路を南に入り、近くにある即清寺(そくせいじ)の
石段を上がる。
ここもオープンガーデンで、山門の手前にすべて異形の9基のお地蔵さんが並ぶ。手前
の1基の台座には、享保6(1721)年と刻まれていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/62/519700d8fac1b6f6fd237cca7ce32ab6.jpg)
即清寺は元慶年間(877~84)の開創という古寺、建久年間(1190~98)に
は源頼朝が畠山重忠に命じて堂宇を造営し、慶安元(1648)年には江戸幕府から明王
堂領として3石の御朱印状を拝領したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/bb/72c992f27f60ca00af65c8a648c765e7.jpg)
立派な山門を入ると大きな本堂や鐘楼があり、本堂の柱には「関東八十八ヶ所霊場第七
十一番」の表示が。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所49番霊場でもある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/87/569b9b87e111d2c29883fc432b25392e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/1b/017b580e56609233619af7ab2070df55.jpg)
境内にはロウバイとフクジュソウが咲き、西側斜面には山内新四国八十八ヶ所霊場が設
けられていた。山門の近くには、文明5(1473)年11月と刻まれた板碑が保存され
ている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/00/45c4d428ceed9ca0bc26e60c23cd7993.jpg)
折り返すように東に向かい、少しだけ吉野街道を進んで梅郷(ばいごう)6丁目の旧道
を進み、次のオープンガーデン岩割の梅(跡)に行く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/aa/deb127be65f988b0119227b848326a89.jpg)
別名「悲恋の梅」と呼ばれた岩割の梅は枯れていたが、その奥一体にたくさんのミツマ
タが花を見せ、その下にはフクジュソウが咲く。奥の斜面を上がるとロウバイも咲き残っ
ていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/07/56c6b5d7e4c33ca740786b10e48fe21f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/3b/f9a8d2e83a4c24c0ab9a42243cdf5a19.jpg)
南東に進んで運動広場横を過ぎ、下山八幡神社へ。創建は長久2(1041)年と伝え
られ、天正19(1591)年には家康から社領5石を賜っているとか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/ec/f8343eb4be672093023aebe916107e44.jpg)
本殿は三間社流造りと呼ぶ建物で、宝暦5(1755)年の再建とのこと。江戸期の本
殿の多くが一間社流造りのようで、三間社流造りは都内では極めて少ない貴重な本殿建築
らしい。
本殿の前面が広場の開放的な境内、やはりオープンガーデンだが、花は目に入らなかっ
た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/3a/cd38478803fd03c1e5d2709db723c19b.jpg)
さらに南東へ、広い芝生地に若木の梅の咲き出した中道梅園を抜けて、青梅きもの博物
館に入る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/c9/673044168e6aee56ac35e1ed6bcc0072.jpg)
日本の伝統文化財でもある着物の博物館で、建物は200年前の土蔵に増築をしたとか。
木造の民家風情の残るつくりである(入館料800円、駅ハイ割引600円)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/e0/ac2b1d3f6b22c3747721d50d8e83f1d9.jpg)
近代の着物を中心に展示されているが、特に大名や公家、元皇族の貴重な衣装が多い。
館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットに掲載されていた衣装のいくつかを。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5e/69/405694069e0ff8691bcde17eab54f64c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/f5/baaa9565178dd59403b75d5b104ff514.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/3b/8ba95c58836a3a57718ad95669e29c15.jpg)
梨本宮、浅香宮家の宮廷衣装、桂宮や明治天皇の内親王着用の衣装など、なかなか見る
ことのできない精緻で豪華な衣装が数多くあり、館の方の説明を聞きながら4つの展示室
を観覧した。
館前の道路を南東に進んでT字路を西へ、すぐにオープンガーデンの天澤院(てんたく
いん)への石段を上がる。中段の地蔵堂に「お願い地蔵尊」が3体祭られていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/e5/384e4a3327fd19fee1f341032ae065c6.jpg)
天澤院は慶長8(1603)年の開創と伝えられ、明治42(1909)年に火災にか
かり、現本堂と庫裡(くり)は大正年間(1912~26)の再建らしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e5/f5b6da063f3429107d4f191fec9630eb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/d4/c1dc5cbe7e9f96cb363e28bf943abbf3.jpg)
境内の花はまだこれからのようで、本堂左手のセツブンソウだけが花開く。傍らに信州
・安曇野(あずみの)に多い双代道祖神が1基立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/1f/81655f288cda4096802aa3ad39546cbf.jpg)
寺の下を西にすぐで、「青梅市梅の公園」が北向きの斜面に広がる。13時44分に公
園に入った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8d/9a21ce1169d1887849e141f066e54f3f.jpg)
かつては斜面全体にたくさんの梅が花を見せていたが、平成21(2009)年に市内
の梅樹から国内初めてのウメ輪紋ウィルスが確認され、植物防疫法により市内で4万本近
いウメが伐採されたとか。この公園でも1,739本全てが伐採を余儀なくされたようだ。
その後、梅の里再生に向け一昨年11月から再植樹が始まり、これまでに4,000本
以上の梅が植樹され新たな歩みを踏み出したという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/6f/208c4e2ba8e8981dcc3f2fbbe95959c5.jpg)
そのため公園の木々もまだ若木で小さく、公園全体を眺めると見栄えに乏しいが、紅梅
など何本かが花を開いて迎えてくれた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/d0/7452ef2a7b0e1c28ddf27d9e80064271.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/87/720b0fe5d9148ba7c1f677f3601dfc4f.jpg)
2月25日~3月25日は「青梅吉野梅郷梅まつり」を開催中で、今日はそのイベント
のひとつ「観梅市民まつり」の日とあり、公園周辺も多くの市民などで賑わっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/a1/96b156faa8241a2afd17c8f858c66b70.jpg)
入口近くの仮設ステージでは、甲冑(かっちゅう)隊のメンバーによる寸劇が始まって
いた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/e6/b9b454d127b69f48af5bbb045defb60c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/26/b84c999235aa2a4cdcb38e53a4454b0b.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/0b/f7ae3eab53ea76095ee57a4dc546d573.jpg)
斜面中腹まで上がり、眼下に広がる園内や北側の梅郷地区の家並みなどを眺めながら、
ベンチで遅い昼食をした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/c3/702a4ad719a13c0d20f600b5aa9bd9f7.jpg)
14時16分に梅の公園を後にした。吉野街道に向かうと、梅まつりの宣伝活動で演奏
するチンドン屋さんがやってきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/8c/e5954ea52e534667b9aaab0e2bad2fa2.jpg)
梅の公園入口交差点で吉野街道に出て西北へ、JAのそばの梅郷四丁目交差点を右折し
て駅に向かう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/13/1e4f95236f8428fb6675c41289e3eac0.jpg)
その神代橋通りは歩行者天国になっていて、露店が並び地元青梅市民や観光客で賑わう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/f4/9712ba70d495aabe05cba42f389d6e8a.jpg)
高円寺阿波おどりの連と行き交い、山車や仮設舞台ではお囃子に合わせて獅子舞も始ま
っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/cb/e9c168adf4fe7f08248f6b0f20c663cb.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/5d/fdd80ab5b5c2058fca7939ffbc896eb6.jpg)
駅からハイキングの受付をした和菓子店・紅梅苑まで戻り、紅梅饅頭を求める。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/5e/5e422131b6373cdeb8d5b5eeadcb9caf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/7d/b343645dd4045145e6409e7c3545acd6.jpg)
多摩川の神代橋を渡り、スタートした日向和田駅には14時40分に着いた。15時
03分発青梅行き上り電車で帰路につく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/d8/a203cfd946c8b46a82e53537206642a0.jpg)
この日の青梅市の最高気温は21.8℃、春本番の陽気だった。
(天気 快晴、距離 7.5㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 青梅市、歩数
12,900)
![アウトドアランキング](https://blog.with2.net/img/banner/c/banner_1/br_c_2000_1.gif)
![にほんブログ村 アウトドアブログ ウォーキングへ](http://outdoor.blogmura.com/walking/img/walking88_31.gif)