先週の5月9日(水)から3日間、北陸路の旅に出かけましたが、レポート作りに少し
時間がかかりそうなので、直後の週末に歩いたカントリーウオークを先に報告します。
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2018年5月12日(土)
春の大型連休直後の週末、カントリーウオークグループの第253回例会に参加した。
集合は西武新宿線の東村山駅。駅の周辺は高架化工事中である。今回も参加者は10人な
のでグループ分けはせず、全員一緒に10時05分に西口をスタートした。

== 正福寺、北山公園から北川沿いを狭山公園へ ==
線路沿いを北へ、踏切際の交差点を左折して西方に向かい、最初に野口町四丁目の大善
院へ。


大きな水がめにスイレンが咲き、富士山の溶岩石を積んだ小山に三十六童子が立ち並ぶ。



境内南隅に、10本くらいの幹が一つの木になった「家庭円満のこぶし」が立ち、ガク
アジサイやカルミヤが花を見せる。

北側の通りのすぐ先は、東京都唯一の国宝建造物である千体(せんたい)地蔵堂のある
正福寺(しょうふくじ)である。
正福寺は鎌倉の建長寺の末寺で、鎌倉幕府執権の北条時宗かその父時頼の開基と伝えら
れているという。狭山三十三観音霊場第十三番霊場でもある。

境内東南側には八坂神社が祭られ、その横から山門を入る。四脚門の山門は元禄14
(1701)年の建立のよう。

山門の正面が国宝の千体地蔵堂である。

千体地蔵堂は正福寺の仏殿で、応永14(1407)年建立の典型的な禅宗様式建築。
鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様(からよう)建築を代表する建築で、花頭窓(かとうまど)
や屋根の反りなどに特徴があり、昭和3(1928)年に国宝に指定されたとか。
堂内には、正徳4(1714)年から享保14(1729)年にかけて奉納された小地
蔵尊像約900体や、その後奉納された約500体が安置されているよう。

本堂前には新しい十三仏像が並び、そばのカルミヤが花をいっぱい見せ、東村山市保存
樹木のマキノ古木も目についた。



東側に出て北に進むと、八国山(はちこくやま)緑地を背にして北山公園がある。東側
の池の向こうの草むらに、アオサギが立っていた。


公園一帯に菖蒲田が広がり、あと半月前後で見ごろだろうか。私はほぼ毎年見に訪れる
のだが、現在はピンクのハナショウブとキショウブなどが何か所かに咲くのみ。




公園を北西端に抜け、北山小と西武西武園線の線路の間を進み、「八国山たいけんの里」
で小休止した。

建物内では「水の恵み下宅部遺跡」展を開催中。体験用の畑では、幼稚園児がサツマイ
モ苗植えの体験を始めようとしていた。


南側の道路を西へ、クワの木に熟した赤い実がある。空き地の先から細い流れの北川沿
いを上流に向かう。
流れにもキショウブがあちこちで花を見せ、民家の軒先の植木鉢の小木にイチジクが実
をつけていた。



流れにはたくさんのコイが泳ぎ、何れも丸々と太っている。流れ沿いの住宅には緑が多
く、流れにカラーの咲く一角もある。



川沿いの、緑に囲まれた民家が喫茶になっていた。生花の額縁や花咲くザクロの古木な
どあり、ひと休みしたいところ。

近くの民家の、大きなシャリンバイも花盛り。

西武多摩湖線の高架下を抜けて、北川の源流になっている多摩湖堰堤(えんてい)下の
都立狭山公園に入る。園内にはソメイヨシノやヤマザクラなどの桜が多く花見の名所だが、
いまは豊富な新緑に包まれている。


堰堤の北端付近に上がり、多摩湖(下湖)の湖面を眺める。


近くにあった独特の形の休憩舎に11時47分に入る。周辺の気持ちよい新緑を眺めな
がら昼食にした。

== 鳩峰公園の緑陰を抜けて 長久寺を経て所沢駅へ ==
ミーティングと記念撮影をして、12時55分に出発した。北側一帯は西武園遊園地で、
その南側沿いの車道を東に向かう。背の高い展望塔を眺め、遊園地入口前や大きな観覧車
のそばを通過する。


西武西武園線の西武園駅東側のT字路を左折して北へ、すぐに東京都から埼玉県に入る。
緩やかなアップダウンが続き、気温が上がって汗ばむ。T字路から1㎞ほどの仏眼寺に入
り小休止した。

山門を入った右手に新しい「聞くぞう地蔵尊」が祭られ、『うれしい事、悲しい事、愚
痴など何でも聞きます』などと記されていて、聞いてもらいたい人のための石造の椅子も
用意されていた。

そばの手押し信号のあるY字路を南東へ。急斜面を上がって水道タンク北側を回ると、
東に延びる林間の気持ちよい遊歩道となる。

一帯は鳩峰(はとみね)公園と呼ぶ緑地で、「人と雑木林がもう一度みつめあいふれあ
う」ことのできる風致公園として所沢市が整備したもの。

林間を進むと「トトロの森2号地」↑や、狭山丘陵の緑を守るための「ナショナル・ト
ラスト運動」の説明板なども立っていた。

公園の東端近くの森に、二つの神社がある。南側は久米(くめ)水天宮で、安産の神様
として市内の人々の崇敬を集めているとか。

新春1月5日にはだるま市で賑わうところでもあり、拝殿の前縁に小さいだるまが10
数個並んでいる。


北側、周辺の雑木林と一体化している広い境内は鳩峰八幡神社。現在の京都府八幡市の
石清水八幡宮から分社したもので、創建は延喜21(921)年という古社。本殿は県内
に少ない室町時代以前の古社建造物で、埼玉県文化財(建造物)に指定されている。
元弘3(1333)年、新田義貞が挙兵して鎌倉幕府軍と戦う際に当社に戦勝祈願した
ことで知られ、境内には義貞が兜(かぶと)を掛けたという「兜掛けの松」がある。

のち徳川家康から朱印五石を寄進され、以後代々の将軍から寄進を受けているという。
なお、南側の水天宮は、鳩峰八幡神社の摂社のひとつのようだ。

東側鳥居の前の斜面を南に下って光蔵寺に入ると、本堂前に立つ金色の一願観音が目に
入る。ここで小休止とする。

南側東西に広がる松が丘一丁目の住宅地の北側を東へ、そばの畑に熟したグミの実がい
っぱい実る。

調整池横のT字路を北へ、次のT字路を西に少しで、今日最後のポイント長久寺がある。

長久寺は関東には珍しい時宗の寺で、玖阿弥陀仏が鎌倉時代末の元弘3(1333)年
前後に開山したよう。境内東側には豊川稲荷神社が祭られている。


山門を入ると、安永3(1774)年建立の廻国供養塔があり、その上に薬師如来が祭
られていた。

本堂前には、時宗の宗祖、一遍上人像が立っている。

境内を東北側から出て住宅地を北に進む。西武池袋線の盛土下を抜けて、西武池袋線と
新宿線の交差する、ゴールの所沢駅西口に15時12分に着いた。

(参加 10人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・
東村山市、埼玉・所沢市、歩数 20,000)
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時間がかかりそうなので、直後の週末に歩いたカントリーウオークを先に報告します。
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2018年5月12日(土)
春の大型連休直後の週末、カントリーウオークグループの第253回例会に参加した。
集合は西武新宿線の東村山駅。駅の周辺は高架化工事中である。今回も参加者は10人な
のでグループ分けはせず、全員一緒に10時05分に西口をスタートした。

== 正福寺、北山公園から北川沿いを狭山公園へ ==
線路沿いを北へ、踏切際の交差点を左折して西方に向かい、最初に野口町四丁目の大善
院へ。


大きな水がめにスイレンが咲き、富士山の溶岩石を積んだ小山に三十六童子が立ち並ぶ。



境内南隅に、10本くらいの幹が一つの木になった「家庭円満のこぶし」が立ち、ガク
アジサイやカルミヤが花を見せる。

北側の通りのすぐ先は、東京都唯一の国宝建造物である千体(せんたい)地蔵堂のある
正福寺(しょうふくじ)である。
正福寺は鎌倉の建長寺の末寺で、鎌倉幕府執権の北条時宗かその父時頼の開基と伝えら
れているという。狭山三十三観音霊場第十三番霊場でもある。

境内東南側には八坂神社が祭られ、その横から山門を入る。四脚門の山門は元禄14
(1701)年の建立のよう。

山門の正面が国宝の千体地蔵堂である。

千体地蔵堂は正福寺の仏殿で、応永14(1407)年建立の典型的な禅宗様式建築。
鎌倉円覚寺舎利殿とともに唐様(からよう)建築を代表する建築で、花頭窓(かとうまど)
や屋根の反りなどに特徴があり、昭和3(1928)年に国宝に指定されたとか。
堂内には、正徳4(1714)年から享保14(1729)年にかけて奉納された小地
蔵尊像約900体や、その後奉納された約500体が安置されているよう。

本堂前には新しい十三仏像が並び、そばのカルミヤが花をいっぱい見せ、東村山市保存
樹木のマキノ古木も目についた。



東側に出て北に進むと、八国山(はちこくやま)緑地を背にして北山公園がある。東側
の池の向こうの草むらに、アオサギが立っていた。


公園一帯に菖蒲田が広がり、あと半月前後で見ごろだろうか。私はほぼ毎年見に訪れる
のだが、現在はピンクのハナショウブとキショウブなどが何か所かに咲くのみ。




公園を北西端に抜け、北山小と西武西武園線の線路の間を進み、「八国山たいけんの里」
で小休止した。

建物内では「水の恵み下宅部遺跡」展を開催中。体験用の畑では、幼稚園児がサツマイ
モ苗植えの体験を始めようとしていた。


南側の道路を西へ、クワの木に熟した赤い実がある。空き地の先から細い流れの北川沿
いを上流に向かう。
流れにもキショウブがあちこちで花を見せ、民家の軒先の植木鉢の小木にイチジクが実
をつけていた。



流れにはたくさんのコイが泳ぎ、何れも丸々と太っている。流れ沿いの住宅には緑が多
く、流れにカラーの咲く一角もある。



川沿いの、緑に囲まれた民家が喫茶になっていた。生花の額縁や花咲くザクロの古木な
どあり、ひと休みしたいところ。

近くの民家の、大きなシャリンバイも花盛り。

西武多摩湖線の高架下を抜けて、北川の源流になっている多摩湖堰堤(えんてい)下の
都立狭山公園に入る。園内にはソメイヨシノやヤマザクラなどの桜が多く花見の名所だが、
いまは豊富な新緑に包まれている。


堰堤の北端付近に上がり、多摩湖(下湖)の湖面を眺める。


近くにあった独特の形の休憩舎に11時47分に入る。周辺の気持ちよい新緑を眺めな
がら昼食にした。

== 鳩峰公園の緑陰を抜けて 長久寺を経て所沢駅へ ==

ミーティングと記念撮影をして、12時55分に出発した。北側一帯は西武園遊園地で、
その南側沿いの車道を東に向かう。背の高い展望塔を眺め、遊園地入口前や大きな観覧車
のそばを通過する。


西武西武園線の西武園駅東側のT字路を左折して北へ、すぐに東京都から埼玉県に入る。
緩やかなアップダウンが続き、気温が上がって汗ばむ。T字路から1㎞ほどの仏眼寺に入
り小休止した。

山門を入った右手に新しい「聞くぞう地蔵尊」が祭られ、『うれしい事、悲しい事、愚
痴など何でも聞きます』などと記されていて、聞いてもらいたい人のための石造の椅子も
用意されていた。

そばの手押し信号のあるY字路を南東へ。急斜面を上がって水道タンク北側を回ると、
東に延びる林間の気持ちよい遊歩道となる。

一帯は鳩峰(はとみね)公園と呼ぶ緑地で、「人と雑木林がもう一度みつめあいふれあ
う」ことのできる風致公園として所沢市が整備したもの。

林間を進むと「トトロの森2号地」↑や、狭山丘陵の緑を守るための「ナショナル・ト
ラスト運動」の説明板なども立っていた。

公園の東端近くの森に、二つの神社がある。南側は久米(くめ)水天宮で、安産の神様
として市内の人々の崇敬を集めているとか。

新春1月5日にはだるま市で賑わうところでもあり、拝殿の前縁に小さいだるまが10
数個並んでいる。


北側、周辺の雑木林と一体化している広い境内は鳩峰八幡神社。現在の京都府八幡市の
石清水八幡宮から分社したもので、創建は延喜21(921)年という古社。本殿は県内
に少ない室町時代以前の古社建造物で、埼玉県文化財(建造物)に指定されている。
元弘3(1333)年、新田義貞が挙兵して鎌倉幕府軍と戦う際に当社に戦勝祈願した
ことで知られ、境内には義貞が兜(かぶと)を掛けたという「兜掛けの松」がある。

のち徳川家康から朱印五石を寄進され、以後代々の将軍から寄進を受けているという。
なお、南側の水天宮は、鳩峰八幡神社の摂社のひとつのようだ。

東側鳥居の前の斜面を南に下って光蔵寺に入ると、本堂前に立つ金色の一願観音が目に
入る。ここで小休止とする。

南側東西に広がる松が丘一丁目の住宅地の北側を東へ、そばの畑に熟したグミの実がい
っぱい実る。

調整池横のT字路を北へ、次のT字路を西に少しで、今日最後のポイント長久寺がある。

長久寺は関東には珍しい時宗の寺で、玖阿弥陀仏が鎌倉時代末の元弘3(1333)年
前後に開山したよう。境内東側には豊川稲荷神社が祭られている。


山門を入ると、安永3(1774)年建立の廻国供養塔があり、その上に薬師如来が祭
られていた。

本堂前には、時宗の宗祖、一遍上人像が立っている。

境内を東北側から出て住宅地を北に進む。西武池袋線の盛土下を抜けて、西武池袋線と
新宿線の交差する、ゴールの所沢駅西口に15時12分に着いた。

(参加 10人、天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 東京・
東村山市、埼玉・所沢市、歩数 20,000)


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