昨年5月に続き今年も、大人の休日倶楽部会員限定「北陸フリーきっぷ」を利用して、
北陸路を3日間訪ねた。
第1日 5月9日(水)
== 北前船の寄港地で万葉のふるさと伏木へ ==
自宅を6時前に出て、上野駅7時58分発北陸新幹線はくたか553号に乗る。

富山駅に10時38分に着き、8分後のJR氷見(ひみ)線下り氷見行に乗り換える。

氷見線の車輌は、氷見市出身の漫画家・藤子不二雄A氏の漫画「忍者ハットリくん」の
ラッピング車になっている。

11時24分に伏木(ふしき)駅に着いた。

駅構内の観光案内所で昼食場所を聞くが、適当なところがなさそう。教えてもらった近
くのコンビニで弁当を買い、最初の目的地、勝興寺(しょうこうじ)に向かうことにした。
駅にはコインロッカーが無いので、終業の16時前までに戻る約束で観光案内所に預か
ってもらう。
駅前の郵便ポストには、この地に5年間国守(現在の富山県知事相当)として赴任した
大伴家持(おおとものやかもち)のミニチュア像が乗っていた。

駅前広場には、「如意の渡(にょいのわたし)」という義経・弁慶主従の銅像がある。
謡曲「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」の如意の渡は、この辺りにあったといわれているよう。

駅前の通りを西に少し、上り坂になった左手に「高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)」
があった。

伏木測候所は、明治16(1883)年に伏木港近代化の恩人・藤井能三らにより、わ
が国発の私立測候所として設立されたとのこと。
その後、県営、国営への移管を経て平成10(1998)年に無人化されたが、現在も
気象観測を続けているという。
庁舎は明治42(1909)年に建築された洋風建築で、測候所建物としても希少価値
が高いとして、国の登録有形文化財になっている。
館内も観覧できる(210円)が、時間の関係で入館は省いた。敷地内には、「越中国
守館址」碑と、測候所や伏木港、日本海側最初の洋式灯台、鉄道誘致運動などに多大な尽
力をされた明治の実業家「藤井能三翁像」があった。



その先、両側は勝興寺の寺内町(じないちょう)で、敷地は狭いが幾つかの寺院が建ち
並ぶ。


その中心部の小スペースに大友家持立像と家持の歌碑が立っていた。

すぐ先の突き当たりが、広い境内の勝興寺である。
勝興寺は、地方都市としては破格の規模と格式を備えた浄土真宗本願寺派の寺で、この
地に築かれたのは約420年前の戦国時代末期とのこと。

戦国の頃は一向一揆(いっこういっき)の拠点として、近世は加賀藩主前田家や本願寺、
公家とも密接なつながりを持つ北陸を代表する有力寺院になったという。
約3万㎡ある広大な敷地や門構えから城のようだといわれるようだが、それは神保氏の
古国府城を譲り受けて建てられたためで、境内には堀や土塁などが残っている。
勝興寺の境内は、奈良時代に越中を統治していた国庁のあったところとされており、大
伴家持が国主として赴任した天平18(746)年から5年間に、多くの歌を残したとこ
ろでもある。

堀の手前に記された「勝興寺の七不思議」が確認できるだろうかと思いながら豪華な唐
門(からもん)を入った(拝観料300円)。

唐門は、明和6(1769)年に京都の興正寺に建築され、明治年代に勝興寺に移され
たと推定されているよう。門の造りは「前後唐破風造」という全国的にもあまり類例のな
い形式とか。唐門を含む境内12棟全ての建造物が国の重要文化財に指定されている。

門には精巧な木彫が見られ、明後日訪ねる予定の南砺市井波(なんとしいなみ)の彫師
によるものかと思われた。
正面に、近年7年がかりで改修された大きな本堂が構える。本堂は、勝興寺住職から還
俗して加賀藩主第11代を継いだ前田治修(はるなが)の支援を受け、西本願寺の阿弥陀
堂を模して寛政7(1795)年に建立されたという。

大きさは約44m四方で、全国の重要文化財建造物中で8番目の大きさだとか。

本堂前に七不思議の一つ「実ならずの銀杏」が柔らかな新緑を見せ、近くに「天から降
った石」が、本堂左手には「水の涸れない池」と「越中国庁址」碑がある。




精巧な木組みの交差する上部を見上げながら本堂内に入る。

正面祭壇周辺の柱や彫刻は金箔に彩られ、側面には加賀藩主前田氏系図や洛中洛外図屏
風などが展示されている。



本堂を出て、北側濡れ縁の木組みや木彫なども観察した。

修理工事中で入れないエリアの北側本堂寄りに、七不思議の一つ「三葉の松」も望まれ
た。

本堂屋根下の四つ角上部には「屋根を支える猿」の木彫があるようだが、確認はできな
かった。
平成10(1998)年度から約23か年計画で境内の建造物は保存修理中。修理を終
えた本堂以外の建物は覆屋(おおいや)の中なので拝観はできない。

13時近くに勝興寺山門を出た。手前の大伴家持立像のある小スペースにベンチがあっ
たので、買ってきた弁当を広げて昼食とする。
昼食後、細道を北側の台地下に下り、伏木小そばの車道を西北へと緩斜面を上がり、国
道415号を横断する。さらに400mほどで高岡市万葉歴史館に着いた。

高岡市は奈良、飛鳥と並ぶ万葉の故地とのこと。それは、万葉集の代表的歌人である大
伴家持が国守として伏木の地に5年間在住し、多くの歌を残したことに由来する。

大伴家持により越中で詠まれた歌は220余首、さらにゆかりのある歌を加えると337
首にのぼるという。そのうちの3首を紹介しよう。
東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の
釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ(巻十七・4017)
あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(はよ)取りて
かざしつらくは 千年寿(ちとせほ)くとそ(巻十八・4136)
立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に
見れども飽(あ)かず 神(かむ)からならし(巻十七・4001)

正面入口には大伴家持・坂上大嬢夫婦像が並び立つ。入館して常設展示室から企画展示
室へと順次観覧する(観覧料210円・65歳以上160円)。

常設展示室は「万葉集とは」「越中万葉とは」というテーマで、万葉集の歌や百人一首
画などが展示され、展示室の周囲は四季の庭に囲まれていて、企画展示室への回廊の両側
には池がある。


企画展示室では第6回企画展「越中国と万葉集」を開催中で、「越中国大友家持」「前
田家と万葉集」「近代歌人の越中万葉」などのパネル、越中国印、越中国大地ジオラマ、
大友家持の朝服、難波津木簡、遣唐使船模型などが展示されていた。



次の小さな特別展示室では、「大伴家持のすがた」と呼ぶ春の特別企画展を開催中。歌
仙絵から現代洋画まで、館蔵品を中心の展示である。

その先から外に出て、斜面に造られた自然庭園にも回る。

新緑がいっぱいでこの辺は晴れているが、東側に広がる黒雲がちょっと心配。14時40
分頃万葉歴史館を出た。

往路を伏木小の南まで戻りさらに東へ。JR氷見線の踏切手前で右折して南側の高台に
上がると、伏木北前船(きたまえぶね)資料館があったので入館する(入館料210円、
65歳以上160円)。

この資料館は、江戸時代から回船問屋を営んできた旧秋本家の邸宅。大きな家の部屋数
は16室あり、奥には江戸時代後期に建てられたという土蔵もある。
伏木は古代から知られた日本海屈指の良港で、18世紀には自ら渡海船を持ち公益業を
営む有力な船問屋が台頭し、大阪から瀬戸内海、下関を経て日本海側を北は蝦夷の松前ま
で、各港で海積みした商品を売りさばいたとのこと。
秋本家は、文化年間(1804~18)以前からここで海運業を家業とした旧家という。

館内の各部屋を回り、北前船の航海用具、船主の生活用具や衣装、歴史資料や写真など
の展示を見た。



奥の土蔵の1階にも北前船に関する展示があり、2階の屋根裏に設けられた望楼は港へ
の船の出入りを見張るためのもの。細い急階段を上がると、伏木港や伏木の家並みなどが
望まれた。



資料館になっている旧秋本家住宅は、高岡市指定有形文化財(建造物)である。

近くのゴミ入れには、万葉集で大友家持により唯一詠まれた堅香子(かたかご)の花
(現在のカタクリ)がデザインされている。

もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
寺井(てらい)の上(うへ)の 堅香子の花(巻十九・4143)
ちなみに「高岡市の花」は、かたかご(カタクリ)である。
また、その先の大きな民家は、小説家・評論家として知られた堀田善衛(ほったよしえ)
(1918~98)氏の生家ではないかと思われた。

帰宅後調べてみたら、生家は伏木港の廻船問屋と分かり、間違いなさそう。
15時40分過ぎにJR伏木駅に戻り、観光案内所で預けた荷物を受け取る。


16時24分発JR氷見線上り高岡行列車に乗る。高岡駅からは17時01分発IRい
しかわ鉄道(旧北陸本線)で金沢駅に17時42分に着いた。
駅構内にあった金澤旬料理「駅の蔵」という店で夕食を済ませ、東口の駅から数分にあ
るビジネスホテルに19時過ぎに入る。
(天気 曇後晴、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 伏木、歩行地 富山県高岡市)
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第1日 5月9日(水)
== 北前船の寄港地で万葉のふるさと伏木へ ==
自宅を6時前に出て、上野駅7時58分発北陸新幹線はくたか553号に乗る。

富山駅に10時38分に着き、8分後のJR氷見(ひみ)線下り氷見行に乗り換える。

氷見線の車輌は、氷見市出身の漫画家・藤子不二雄A氏の漫画「忍者ハットリくん」の
ラッピング車になっている。

11時24分に伏木(ふしき)駅に着いた。

駅構内の観光案内所で昼食場所を聞くが、適当なところがなさそう。教えてもらった近
くのコンビニで弁当を買い、最初の目的地、勝興寺(しょうこうじ)に向かうことにした。
駅にはコインロッカーが無いので、終業の16時前までに戻る約束で観光案内所に預か
ってもらう。
駅前の郵便ポストには、この地に5年間国守(現在の富山県知事相当)として赴任した
大伴家持(おおとものやかもち)のミニチュア像が乗っていた。

駅前広場には、「如意の渡(にょいのわたし)」という義経・弁慶主従の銅像がある。
謡曲「安宅」や歌舞伎の「勧進帳」の如意の渡は、この辺りにあったといわれているよう。

駅前の通りを西に少し、上り坂になった左手に「高岡市伏木気象資料館(旧伏木測候所)」
があった。

伏木測候所は、明治16(1883)年に伏木港近代化の恩人・藤井能三らにより、わ
が国発の私立測候所として設立されたとのこと。
その後、県営、国営への移管を経て平成10(1998)年に無人化されたが、現在も
気象観測を続けているという。
庁舎は明治42(1909)年に建築された洋風建築で、測候所建物としても希少価値
が高いとして、国の登録有形文化財になっている。
館内も観覧できる(210円)が、時間の関係で入館は省いた。敷地内には、「越中国
守館址」碑と、測候所や伏木港、日本海側最初の洋式灯台、鉄道誘致運動などに多大な尽
力をされた明治の実業家「藤井能三翁像」があった。



その先、両側は勝興寺の寺内町(じないちょう)で、敷地は狭いが幾つかの寺院が建ち
並ぶ。


その中心部の小スペースに大友家持立像と家持の歌碑が立っていた。


すぐ先の突き当たりが、広い境内の勝興寺である。
勝興寺は、地方都市としては破格の規模と格式を備えた浄土真宗本願寺派の寺で、この
地に築かれたのは約420年前の戦国時代末期とのこと。

戦国の頃は一向一揆(いっこういっき)の拠点として、近世は加賀藩主前田家や本願寺、
公家とも密接なつながりを持つ北陸を代表する有力寺院になったという。
約3万㎡ある広大な敷地や門構えから城のようだといわれるようだが、それは神保氏の
古国府城を譲り受けて建てられたためで、境内には堀や土塁などが残っている。
勝興寺の境内は、奈良時代に越中を統治していた国庁のあったところとされており、大
伴家持が国主として赴任した天平18(746)年から5年間に、多くの歌を残したとこ
ろでもある。

堀の手前に記された「勝興寺の七不思議」が確認できるだろうかと思いながら豪華な唐
門(からもん)を入った(拝観料300円)。

唐門は、明和6(1769)年に京都の興正寺に建築され、明治年代に勝興寺に移され
たと推定されているよう。門の造りは「前後唐破風造」という全国的にもあまり類例のな
い形式とか。唐門を含む境内12棟全ての建造物が国の重要文化財に指定されている。

門には精巧な木彫が見られ、明後日訪ねる予定の南砺市井波(なんとしいなみ)の彫師
によるものかと思われた。
正面に、近年7年がかりで改修された大きな本堂が構える。本堂は、勝興寺住職から還
俗して加賀藩主第11代を継いだ前田治修(はるなが)の支援を受け、西本願寺の阿弥陀
堂を模して寛政7(1795)年に建立されたという。

大きさは約44m四方で、全国の重要文化財建造物中で8番目の大きさだとか。

本堂前に七不思議の一つ「実ならずの銀杏」が柔らかな新緑を見せ、近くに「天から降
った石」が、本堂左手には「水の涸れない池」と「越中国庁址」碑がある。




精巧な木組みの交差する上部を見上げながら本堂内に入る。

正面祭壇周辺の柱や彫刻は金箔に彩られ、側面には加賀藩主前田氏系図や洛中洛外図屏
風などが展示されている。



本堂を出て、北側濡れ縁の木組みや木彫なども観察した。

修理工事中で入れないエリアの北側本堂寄りに、七不思議の一つ「三葉の松」も望まれ
た。

本堂屋根下の四つ角上部には「屋根を支える猿」の木彫があるようだが、確認はできな
かった。
平成10(1998)年度から約23か年計画で境内の建造物は保存修理中。修理を終
えた本堂以外の建物は覆屋(おおいや)の中なので拝観はできない。

13時近くに勝興寺山門を出た。手前の大伴家持立像のある小スペースにベンチがあっ
たので、買ってきた弁当を広げて昼食とする。
昼食後、細道を北側の台地下に下り、伏木小そばの車道を西北へと緩斜面を上がり、国
道415号を横断する。さらに400mほどで高岡市万葉歴史館に着いた。

高岡市は奈良、飛鳥と並ぶ万葉の故地とのこと。それは、万葉集の代表的歌人である大
伴家持が国守として伏木の地に5年間在住し、多くの歌を残したことに由来する。

大伴家持により越中で詠まれた歌は220余首、さらにゆかりのある歌を加えると337
首にのぼるという。そのうちの3首を紹介しよう。
東風(あゆのかぜ) いたく吹くらし 奈呉(なご)の海人(あま)の
釣する小舟(をぶね) 漕(こ)ぎ隠る見ゆ(巻十七・4017)
あしひきの 山の木末(こぬれ)の 寄生(はよ)取りて
かざしつらくは 千年寿(ちとせほ)くとそ(巻十八・4136)
立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏(とこなつ)に
見れども飽(あ)かず 神(かむ)からならし(巻十七・4001)

正面入口には大伴家持・坂上大嬢夫婦像が並び立つ。入館して常設展示室から企画展示
室へと順次観覧する(観覧料210円・65歳以上160円)。

常設展示室は「万葉集とは」「越中万葉とは」というテーマで、万葉集の歌や百人一首
画などが展示され、展示室の周囲は四季の庭に囲まれていて、企画展示室への回廊の両側
には池がある。


企画展示室では第6回企画展「越中国と万葉集」を開催中で、「越中国大友家持」「前
田家と万葉集」「近代歌人の越中万葉」などのパネル、越中国印、越中国大地ジオラマ、
大友家持の朝服、難波津木簡、遣唐使船模型などが展示されていた。



次の小さな特別展示室では、「大伴家持のすがた」と呼ぶ春の特別企画展を開催中。歌
仙絵から現代洋画まで、館蔵品を中心の展示である。

その先から外に出て、斜面に造られた自然庭園にも回る。

新緑がいっぱいでこの辺は晴れているが、東側に広がる黒雲がちょっと心配。14時40
分頃万葉歴史館を出た。

往路を伏木小の南まで戻りさらに東へ。JR氷見線の踏切手前で右折して南側の高台に
上がると、伏木北前船(きたまえぶね)資料館があったので入館する(入館料210円、
65歳以上160円)。

この資料館は、江戸時代から回船問屋を営んできた旧秋本家の邸宅。大きな家の部屋数
は16室あり、奥には江戸時代後期に建てられたという土蔵もある。
伏木は古代から知られた日本海屈指の良港で、18世紀には自ら渡海船を持ち公益業を
営む有力な船問屋が台頭し、大阪から瀬戸内海、下関を経て日本海側を北は蝦夷の松前ま
で、各港で海積みした商品を売りさばいたとのこと。
秋本家は、文化年間(1804~18)以前からここで海運業を家業とした旧家という。

館内の各部屋を回り、北前船の航海用具、船主の生活用具や衣装、歴史資料や写真など
の展示を見た。



奥の土蔵の1階にも北前船に関する展示があり、2階の屋根裏に設けられた望楼は港へ
の船の出入りを見張るためのもの。細い急階段を上がると、伏木港や伏木の家並みなどが
望まれた。



資料館になっている旧秋本家住宅は、高岡市指定有形文化財(建造物)である。

近くのゴミ入れには、万葉集で大友家持により唯一詠まれた堅香子(かたかご)の花
(現在のカタクリ)がデザインされている。

もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ
寺井(てらい)の上(うへ)の 堅香子の花(巻十九・4143)
ちなみに「高岡市の花」は、かたかご(カタクリ)である。
また、その先の大きな民家は、小説家・評論家として知られた堀田善衛(ほったよしえ)
(1918~98)氏の生家ではないかと思われた。

帰宅後調べてみたら、生家は伏木港の廻船問屋と分かり、間違いなさそう。
15時40分過ぎにJR伏木駅に戻り、観光案内所で預けた荷物を受け取る。


16時24分発JR氷見線上り高岡行列車に乗る。高岡駅からは17時01分発IRい
しかわ鉄道(旧北陸本線)で金沢駅に17時42分に着いた。

駅構内にあった金澤旬料理「駅の蔵」という店で夕食を済ませ、東口の駅から数分にあ
るビジネスホテルに19時過ぎに入る。
(天気 曇後晴、距離 3㎞、地図(1/2.5万) 伏木、歩行地 富山県高岡市)


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