2021年4月7日(木)〈続き〉
多聞院を後にして東側の多聞院前交差点を通過し、三芳町に入り多福寺に向かう。東隣
の町とはいえ、所沢市外に出たのは1月7日(木)のさいたま市西区のスケッチ展以来な
ので、3か月ぶりになる。
多聞院通りは相変わらずトラックなどの交通量が多いが、歩道は無いので注意しながら
進む。
北側の畑の向こうには、古くからの武蔵野の典型的な風景である雑木林が広がり、紅白
のしだれ桜も望まれる。
間もなく新緑萌える雑木林が近づき、その先が多福寺の南に接する木ノ宮地蔵堂である。
木ノ宮地蔵堂は「富〈とめ)の地蔵さま」として古くから親しまれ、江戸時代の古文書
によれば延暦24〈805〉年に坂上田村麻呂が北国遠征の折、武蔵野で道に迷ったとこ
ろを地蔵菩薩に助けられ、その加護に感謝して地蔵堂を建立したと伝えられているよう。
現在の地蔵堂は安永6(1777)年の再建とか。木ノ宮地蔵は縁結び、子授け、子育
てのお地蔵さんとして信仰され、4月と8月の縁日には多くの参拝者と出店で賑わうとい
うが、今年はコロナ渦で開催されるのだろうか・・・
地蔵堂の東側にあるのは多福寺斎場の建物。
斎場に接して小さいお堂もあり、そばのツツジがもう少しで見頃になりそう。
北側に広がる雑木林は明るい新緑に。
地蔵堂の背後には木ノ宮地蔵奥乃院があり、石地蔵が祭られているようだ。
地蔵堂の西側に立つ「埼玉県指定旧跡 三富開拓地割遺跡」標
側面には、「三富開拓地割遺跡は、元禄7年から9年(1694~96)に川越藩主柳
沢吉保の命を受け、重臣曽根権太夫の指揮により実施された開拓で、三芳町上富(当地)、
所沢市中富、下富の約400町歩(約1400㏊)に及び、開拓当時の景観をよく残す生
産性の高い農業地帯である」と記されている。
そばの木はホオノキだろうか。
地蔵堂背後の雑木林を抜けて、北西側にある広い境内の多福寺へ。山門は東向きに立つ。
山門越しに望む本堂など
山門をくぐるとヤマツツジが咲き出していた。
北側には鐘楼がある。
本堂前面の庭木は、新緑でみずみずしい。
本堂前に咲き残るシダレザクラ。
本堂に参拝し、新型コロナウィルスに感染しないよう、あわせて全世界からの早期終息
など祈願する。
本堂左手前にあるお堂。
本堂前に咲くミツバツツジやヤマツツジ
本堂前から山門をふり返り見る。
本堂前から南側の墓地への道。
右手の庫裡(くり)前から鐘楼の方へ回る。これは「元禄の井戸」
元禄の井戸とは、上富に元禄時代(1688~1703)に掘られた井戸のことで、三
富の開拓を行った際、一番大きな問題とされたのが飲用水だったという。
そこで柳沢吉保は上富地区に4か所の井戸を掘ったが、完全に水は出ず、真夏などは竹
馬沢村(現在は同じ三芳町内)を流れる柳瀬川などから水を桶で運んで生活したことも幾
度かあったとか。
現在、当時掘られた井戸で残っているのはこの多福寺境内のみで、ほとんどが崩れたり
埋めたりしており、この井戸水は当時「甘露水」と呼ばれ、住民ののどを潤したという。
近くの鐘楼に下がる銅鐘は、三富新田の開発をした曽根権太夫が寄進したもの。作者は
江戸の鋳物師、椎名伊予守藤原良寛で、元禄9(1696)年8月の完成らしい。
銅鐘に記された銘文の前半には曽根権太夫自身が三富に尽力したいきさつや多福寺の意
味づけが記され、後半には柳沢吉保の功績や銅鐘鋳造の経緯などが記されているようで、
歴史資料としても重要なことから、埼玉県指定有形文化財となっている。
鐘楼付近から眺めた山門
本堂の左手前には「伝承 狭山茶発祥の地」碑があり、『昭和4年刊行の「三富開拓誌」
に、茶は当寺を開山した洞天和尚が境内に茶を蒔いて、それから繁殖したのを三富各戸に
伝播して今日の狭山茶としており、三富の特産の一つである狭山茶は当寺が発祥の地とさ
れる』ことなどが記されていた。
多聞院には20人前後の人が訪れていたが、この多福寺は誰ひとり見えず、静かな境内
であった。
豊富な雑木林に囲まれた墓地の中から南側の道路に出て、境内西側から多聞院の方に向
かう。
多福寺を取り巻く雑木林は多福寺の境内林として残されたもので、ナラ、エゴノキなど
の落葉樹にアカマツが混在しており、20~30年に一度の薪炭用の伐採や農業用の堆肥
を得る目的で行う伐採や落ち葉はきなど、人為的な管理で植生が保たれてきたという。
途中に伐採されたところがあり、切られた丸太を見るとかなりの年輪を重ねていること
がうかがえる。
最初に参拝した木ノ宮地蔵堂の西から北側の「花の小径」と呼ぶ樹林の中を北に抜ける。
寺域の北側を流れる砂川堀沿いの細い土道に出て、帰路につく。流れに鵜の仲間かと思
われる黒い鳥が1羽だけ見えた。
砂川堀にはナノハナが。
雑木林の下を抜けて、調整池の横から往路の多聞院通りに出た。調整池沿いの土手のナ
ノハナ
幅広く交通量の多い県道126号線・所沢堀兼狭山線を次の下富駿河台交差点まで進み、
左折して西に少しで、狭山茶の茶畑が広がる。
狭山茶を直売している平岡園の茶園のよう。
すぐ先に大きな建物があり、ビュフェレストランの看板もあった。まだ昼食前なので、
しめしめと「彩乃菜宴」の看板のかかる入口に回ったら、なんと新型コロナウィルスの感
染防止のために閉店中でガッカリ!
隣接するさらに大きな建物は「食の駅」所沢店。
食の駅とは、体験農園を併設する民営の直売所のようで、地元・所沢産の野菜をはじめ
埼玉県産の米や地酒なども扱う大型店舗で、所沢地区名産のサトイモ、ごぼう、お茶、に
んじんなどが人気商品という。
入って中を一巡する。
なお、食の駅については、こちらのサイトをご参照ください。
3品を購入して食の駅を出て南西方向へ、西武新宿線の新所沢駅方面に向かう。途中に
あった所沢で創業され県内に店舗の多いうどんのチェーン店に入り、そばを注文して遅い
昼食を済ます。
新所沢駅を通過して、自宅には16時02分に帰宅した。
好天で気温も19.1℃まで上がり絶好のウオーキング日和だったが、最近は7㎞前後
しか歩いていないので、やや疲れた。
(天気 晴、距離 2㎞+バス利用後10㎞、地図 「ところざわウオーキングナビ④
北エリア」 歩数 24,400 )
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多聞院を後にして東側の多聞院前交差点を通過し、三芳町に入り多福寺に向かう。東隣
の町とはいえ、所沢市外に出たのは1月7日(木)のさいたま市西区のスケッチ展以来な
ので、3か月ぶりになる。
多聞院通りは相変わらずトラックなどの交通量が多いが、歩道は無いので注意しながら
進む。
北側の畑の向こうには、古くからの武蔵野の典型的な風景である雑木林が広がり、紅白
のしだれ桜も望まれる。
間もなく新緑萌える雑木林が近づき、その先が多福寺の南に接する木ノ宮地蔵堂である。
木ノ宮地蔵堂は「富〈とめ)の地蔵さま」として古くから親しまれ、江戸時代の古文書
によれば延暦24〈805〉年に坂上田村麻呂が北国遠征の折、武蔵野で道に迷ったとこ
ろを地蔵菩薩に助けられ、その加護に感謝して地蔵堂を建立したと伝えられているよう。
現在の地蔵堂は安永6(1777)年の再建とか。木ノ宮地蔵は縁結び、子授け、子育
てのお地蔵さんとして信仰され、4月と8月の縁日には多くの参拝者と出店で賑わうとい
うが、今年はコロナ渦で開催されるのだろうか・・・
地蔵堂の東側にあるのは多福寺斎場の建物。
斎場に接して小さいお堂もあり、そばのツツジがもう少しで見頃になりそう。
北側に広がる雑木林は明るい新緑に。
地蔵堂の背後には木ノ宮地蔵奥乃院があり、石地蔵が祭られているようだ。
地蔵堂の西側に立つ「埼玉県指定旧跡 三富開拓地割遺跡」標
側面には、「三富開拓地割遺跡は、元禄7年から9年(1694~96)に川越藩主柳
沢吉保の命を受け、重臣曽根権太夫の指揮により実施された開拓で、三芳町上富(当地)、
所沢市中富、下富の約400町歩(約1400㏊)に及び、開拓当時の景観をよく残す生
産性の高い農業地帯である」と記されている。
そばの木はホオノキだろうか。
地蔵堂背後の雑木林を抜けて、北西側にある広い境内の多福寺へ。山門は東向きに立つ。
山門越しに望む本堂など
山門をくぐるとヤマツツジが咲き出していた。
北側には鐘楼がある。
本堂前面の庭木は、新緑でみずみずしい。
本堂前に咲き残るシダレザクラ。
本堂に参拝し、新型コロナウィルスに感染しないよう、あわせて全世界からの早期終息
など祈願する。
本堂左手前にあるお堂。
本堂前に咲くミツバツツジやヤマツツジ
本堂前から山門をふり返り見る。
本堂前から南側の墓地への道。
右手の庫裡(くり)前から鐘楼の方へ回る。これは「元禄の井戸」
元禄の井戸とは、上富に元禄時代(1688~1703)に掘られた井戸のことで、三
富の開拓を行った際、一番大きな問題とされたのが飲用水だったという。
そこで柳沢吉保は上富地区に4か所の井戸を掘ったが、完全に水は出ず、真夏などは竹
馬沢村(現在は同じ三芳町内)を流れる柳瀬川などから水を桶で運んで生活したことも幾
度かあったとか。
現在、当時掘られた井戸で残っているのはこの多福寺境内のみで、ほとんどが崩れたり
埋めたりしており、この井戸水は当時「甘露水」と呼ばれ、住民ののどを潤したという。
近くの鐘楼に下がる銅鐘は、三富新田の開発をした曽根権太夫が寄進したもの。作者は
江戸の鋳物師、椎名伊予守藤原良寛で、元禄9(1696)年8月の完成らしい。
銅鐘に記された銘文の前半には曽根権太夫自身が三富に尽力したいきさつや多福寺の意
味づけが記され、後半には柳沢吉保の功績や銅鐘鋳造の経緯などが記されているようで、
歴史資料としても重要なことから、埼玉県指定有形文化財となっている。
鐘楼付近から眺めた山門
本堂の左手前には「伝承 狭山茶発祥の地」碑があり、『昭和4年刊行の「三富開拓誌」
に、茶は当寺を開山した洞天和尚が境内に茶を蒔いて、それから繁殖したのを三富各戸に
伝播して今日の狭山茶としており、三富の特産の一つである狭山茶は当寺が発祥の地とさ
れる』ことなどが記されていた。
多聞院には20人前後の人が訪れていたが、この多福寺は誰ひとり見えず、静かな境内
であった。
豊富な雑木林に囲まれた墓地の中から南側の道路に出て、境内西側から多聞院の方に向
かう。
多福寺を取り巻く雑木林は多福寺の境内林として残されたもので、ナラ、エゴノキなど
の落葉樹にアカマツが混在しており、20~30年に一度の薪炭用の伐採や農業用の堆肥
を得る目的で行う伐採や落ち葉はきなど、人為的な管理で植生が保たれてきたという。
途中に伐採されたところがあり、切られた丸太を見るとかなりの年輪を重ねていること
がうかがえる。
最初に参拝した木ノ宮地蔵堂の西から北側の「花の小径」と呼ぶ樹林の中を北に抜ける。
寺域の北側を流れる砂川堀沿いの細い土道に出て、帰路につく。流れに鵜の仲間かと思
われる黒い鳥が1羽だけ見えた。
砂川堀にはナノハナが。
雑木林の下を抜けて、調整池の横から往路の多聞院通りに出た。調整池沿いの土手のナ
ノハナ
幅広く交通量の多い県道126号線・所沢堀兼狭山線を次の下富駿河台交差点まで進み、
左折して西に少しで、狭山茶の茶畑が広がる。
狭山茶を直売している平岡園の茶園のよう。
すぐ先に大きな建物があり、ビュフェレストランの看板もあった。まだ昼食前なので、
しめしめと「彩乃菜宴」の看板のかかる入口に回ったら、なんと新型コロナウィルスの感
染防止のために閉店中でガッカリ!
隣接するさらに大きな建物は「食の駅」所沢店。
食の駅とは、体験農園を併設する民営の直売所のようで、地元・所沢産の野菜をはじめ
埼玉県産の米や地酒なども扱う大型店舗で、所沢地区名産のサトイモ、ごぼう、お茶、に
んじんなどが人気商品という。
入って中を一巡する。
なお、食の駅については、こちらのサイトをご参照ください。
3品を購入して食の駅を出て南西方向へ、西武新宿線の新所沢駅方面に向かう。途中に
あった所沢で創業され県内に店舗の多いうどんのチェーン店に入り、そばを注文して遅い
昼食を済ます。
新所沢駅を通過して、自宅には16時02分に帰宅した。
好天で気温も19.1℃まで上がり絶好のウオーキング日和だったが、最近は7㎞前後
しか歩いていないので、やや疲れた。
(天気 晴、距離 2㎞+バス利用後10㎞、地図 「ところざわウオーキングナビ④
北エリア」 歩数 24,400 )
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