2021年11月5日(金) 〈後半〉
三芳野神社南側の鳥居を出て西南へと向かい、上下水道庁舎の横を過ぎる。
すぐ先に、浮島稲荷神社と境内を活用した公園があったので入る。

神社の拝殿は公園の北東側に祭られている。

創建の時期は定かでないようだが、かつては末広稲荷とも呼ばれ、安産の神として麻を
奉納する風習が伝えられているとか。
言い伝えでは、いまの喜多院のところにあったのを慈覚大師が喜多院を開いたときにこ
こに移したとか、あるいは、太田道灌の父、太田道真が川越城を築いたときに城の守護神
としてこの地に祭ったものとも伝えられているようだ。
現在の社殿は、大正4(1915)年の改築という。

南側の鳥居から出て、すぐ南西で、喜多院入口交差点を渡る。
南進して喜多院の駐車場横まで進むと東側に小さな森がある。

道路際に立つ、「重要文化財 日枝神社」の看板が目についた。東京、赤坂の日枝神社
の本社であることも記されていたので、南側正面に回って境内へ。
日枝神社は、慈覚大師円仁が喜多院を中興する際、近江国坂本(滋賀県大津市)の日吉
神社を勧請したよう。
本殿の建立年代は不詳のようだが、喜多院が再考された慶長17(1612)年頃造営
された可能性もあり、装飾衣装の一部に室町時代末期の洋式を止め、また、地方的な技法
も見受けられるようで、国指定重要文化財(建造物)である。
拝殿に参拝後、背後の本殿に回ったが、周囲を木の柵で囲まれていたので、わずかな隙
間から本殿の一部しか撮れなかった。

南西側広い一帯が喜多院で、その東北側の山門から境内に入ることにした。

山門の手前には、2007年に訪れた天皇・皇后両陛下とスウェーデン国王ご夫妻の行
幸啓記念碑や、喜多院第27世住職で江戸初期に喜多院を復興した天海大僧正(てんかい
だいそうじょう)の立像などがある。



山門を入って右手一帯、石柱に囲まれたエリアには、天明2(1782)年建立という
五百羅漢が並んでいる。拝観は有料だが、石柱の間からその一部をのぞき見する。


幅広い石段を上がって本堂に参拝し、新型コロナウィルスに感染しないよう、そして一
日も早い国内外の終息を祈願した。

喜多院は、だるま市が有名で「川越大師」として親しまれる寺院。3代将軍家光が江戸
城から移築した家光公誕生の間や春日局化粧の間などがあり、徳川家とのゆかりも深く、
建物の多くが国重要文化財に指定されている。
境内北側に立つ多宝塔は寛永16(1639)年の建立とか。
明治45(1912)年に移築後、昭和50(1975)年に現在地に完成したようで、
県指定建造物である。
本堂の前、手水舎の吐水は龍の口から。

こちらも本堂前にある「苦ぬき地蔵尊」。苦しいことがあった時にお祈りすれば、苦し
みを和らげてもらえるのだろうか・・


境内中央部で「小江戸川越菊まつり」を開催中だったので、鑑賞することにした。

会場内は、参加したグループや飾り方などにより幾つものコーナーに分かれている。

盆栽仕立てのもの

鉢植えはたくさん並んでいる。


千輪咲きと呼ぶこの作品は、1本の菊を仕立てたもの




いずれもみごとな作品だが、入賞作品は、やはりきれいな花に仕立てられていた。


















最後に、入った正面にある三重塔仕立ての菊を眺め、会場を出た。
菊花展会場の南東側斜面に上がると、慈眼堂がある。

寛永20(1643)年に上野寛永寺で入寂した、天海僧正の木像が安置されているよ
うで、3年後の正保2(1645)年に徳川家光の命により建てられたという。お堂は川
越市重要文化財である。
東側の「葵庭園」と呼ぶ緑地の池にはホタルが生息していて、6月下旬から7月上旬に
は飛び立って幻想的な光を放つという。

慈眼堂の南側、より大きな斜面の上は仙波東照宮。

徳川家康を祭り、寛永10(1633)年に天海僧正が創建したものとか。5年後の川
越大火で焼失したが、寛永17(1640)年に再建されたよう。
日光、久能山(静岡)の東照宮とともに三大東照宮と呼ばれ、国指定重要文化財。
広い内をほぼ一巡し終えたので13時45分頃、鐘楼門の横から喜多院を後にした。

鐘楼門は、元禄15(1702)年刻銘の銅鐘とともに、国指定重要文化財である。
随身門と呼ばれる仙波東照宮の表門の前を南下する。

すぐ先の十字路を右折して東照宮中院通りを西進し、通町交差点の先で北に少し入り、
13時55分頃、川越市産業観光館「小江戸蔵里(こえどくらり)」へ。

川越で最後まで残った酒蔵を改造したという、明治蔵とよぶ建物に入る。

中には川越の土産物がたくさん並んでいて、購入できる。


その一隅にある「Kura Cafe」に入り、遅くなった昼食をする。


注文したランチBセット(キノコ入りスパゲティとコーヒー)(税込み1,045円)

産業観光館は、明治蔵のほかに蔵の空間で食事の出来る大正蔵(右)と、埼玉県内の
地酒を自販機で味わえる昭和館(左)もある。

さらに少し西進し、西武新宿線の本川越駅に14時42分に戻った。14時47分発
西武新宿行き上り電車に乗る。
(天気 快晴、距離 6㎞、地図 「時 薫るまち 川越散策マップ」、歩行地 川越市、
歩数 13,400)
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三芳野神社南側の鳥居を出て西南へと向かい、上下水道庁舎の横を過ぎる。
すぐ先に、浮島稲荷神社と境内を活用した公園があったので入る。

神社の拝殿は公園の北東側に祭られている。

創建の時期は定かでないようだが、かつては末広稲荷とも呼ばれ、安産の神として麻を
奉納する風習が伝えられているとか。
言い伝えでは、いまの喜多院のところにあったのを慈覚大師が喜多院を開いたときにこ
こに移したとか、あるいは、太田道灌の父、太田道真が川越城を築いたときに城の守護神
としてこの地に祭ったものとも伝えられているようだ。
現在の社殿は、大正4(1915)年の改築という。

南側の鳥居から出て、すぐ南西で、喜多院入口交差点を渡る。
南進して喜多院の駐車場横まで進むと東側に小さな森がある。

道路際に立つ、「重要文化財 日枝神社」の看板が目についた。東京、赤坂の日枝神社
の本社であることも記されていたので、南側正面に回って境内へ。
日枝神社は、慈覚大師円仁が喜多院を中興する際、近江国坂本(滋賀県大津市)の日吉
神社を勧請したよう。
本殿の建立年代は不詳のようだが、喜多院が再考された慶長17(1612)年頃造営
された可能性もあり、装飾衣装の一部に室町時代末期の洋式を止め、また、地方的な技法
も見受けられるようで、国指定重要文化財(建造物)である。

拝殿に参拝後、背後の本殿に回ったが、周囲を木の柵で囲まれていたので、わずかな隙
間から本殿の一部しか撮れなかった。

南西側広い一帯が喜多院で、その東北側の山門から境内に入ることにした。


山門の手前には、2007年に訪れた天皇・皇后両陛下とスウェーデン国王ご夫妻の行
幸啓記念碑や、喜多院第27世住職で江戸初期に喜多院を復興した天海大僧正(てんかい
だいそうじょう)の立像などがある。



山門を入って右手一帯、石柱に囲まれたエリアには、天明2(1782)年建立という
五百羅漢が並んでいる。拝観は有料だが、石柱の間からその一部をのぞき見する。


幅広い石段を上がって本堂に参拝し、新型コロナウィルスに感染しないよう、そして一
日も早い国内外の終息を祈願した。

喜多院は、だるま市が有名で「川越大師」として親しまれる寺院。3代将軍家光が江戸
城から移築した家光公誕生の間や春日局化粧の間などがあり、徳川家とのゆかりも深く、
建物の多くが国重要文化財に指定されている。
境内北側に立つ多宝塔は寛永16(1639)年の建立とか。

明治45(1912)年に移築後、昭和50(1975)年に現在地に完成したようで、
県指定建造物である。
本堂の前、手水舎の吐水は龍の口から。

こちらも本堂前にある「苦ぬき地蔵尊」。苦しいことがあった時にお祈りすれば、苦し
みを和らげてもらえるのだろうか・・


境内中央部で「小江戸川越菊まつり」を開催中だったので、鑑賞することにした。

会場内は、参加したグループや飾り方などにより幾つものコーナーに分かれている。

盆栽仕立てのもの

鉢植えはたくさん並んでいる。


千輪咲きと呼ぶこの作品は、1本の菊を仕立てたもの




いずれもみごとな作品だが、入賞作品は、やはりきれいな花に仕立てられていた。


















最後に、入った正面にある三重塔仕立ての菊を眺め、会場を出た。
菊花展会場の南東側斜面に上がると、慈眼堂がある。

寛永20(1643)年に上野寛永寺で入寂した、天海僧正の木像が安置されているよ
うで、3年後の正保2(1645)年に徳川家光の命により建てられたという。お堂は川
越市重要文化財である。
東側の「葵庭園」と呼ぶ緑地の池にはホタルが生息していて、6月下旬から7月上旬に
は飛び立って幻想的な光を放つという。

慈眼堂の南側、より大きな斜面の上は仙波東照宮。

徳川家康を祭り、寛永10(1633)年に天海僧正が創建したものとか。5年後の川
越大火で焼失したが、寛永17(1640)年に再建されたよう。

日光、久能山(静岡)の東照宮とともに三大東照宮と呼ばれ、国指定重要文化財。
広い内をほぼ一巡し終えたので13時45分頃、鐘楼門の横から喜多院を後にした。

鐘楼門は、元禄15(1702)年刻銘の銅鐘とともに、国指定重要文化財である。
随身門と呼ばれる仙波東照宮の表門の前を南下する。

すぐ先の十字路を右折して東照宮中院通りを西進し、通町交差点の先で北に少し入り、
13時55分頃、川越市産業観光館「小江戸蔵里(こえどくらり)」へ。

川越で最後まで残った酒蔵を改造したという、明治蔵とよぶ建物に入る。

中には川越の土産物がたくさん並んでいて、購入できる。


その一隅にある「Kura Cafe」に入り、遅くなった昼食をする。


注文したランチBセット(キノコ入りスパゲティとコーヒー)(税込み1,045円)

産業観光館は、明治蔵のほかに蔵の空間で食事の出来る大正蔵(右)と、埼玉県内の
地酒を自販機で味わえる昭和館(左)もある。

さらに少し西進し、西武新宿線の本川越駅に14時42分に戻った。14時47分発
西武新宿行き上り電車に乗る。
(天気 快晴、距離 6㎞、地図 「時 薫るまち 川越散策マップ」、歩行地 川越市、
歩数 13,400)


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