2023年10月17日(火)
千葉県のカントリーウオークグループ「とねるず」のメンバー、平松さんが出展されて
いる「第30回 新作家展」に、とねるずのメンバーが観覧に行くというので、私も同行
させてもらうことにした。
集合はJR上野駅の公園口に11時。平松さんなど8人の皆さんが集まり、観覧の前に
昼食を済ませることにして、東京文化会館前から南(御徒町方向)へ向かう。
改修工事中の日本藝術院の建物の先にムクノキの古木があり、幹に大きな空洞が。
近くの木々は、まだ緑がいっぱい。
上野駅の南側、上野公園の台地下にある「上野の森さくらテラス」という建物へエレベ
ーターで下り、1階の食堂街でそれぞれお好みの店で食事を済ませ、13時10分頃に上
で待ち合わせることに。
私は、3人の方々と「喜乃字屋」という蕎麦店に入り、冷やしとろろ(630円)を。
食事を終えて再び上野公園にエレベーターで上がり、「彰義隊の墓」のそばでほかの皆
さんを待つ。
墓の横には、色づいたサンゴジュの実がいっぱい。
すぐ南側にある上野公園のシンボルともいえる西郷隆盛像も、久しぶりに見上げる。
高村光雲作で明治31(1898)年の落成、台上3.6m、地上からは7.2mある
よう。
そばのイチョウの葉は、わずかに色づいている。
彰義隊の墓のそばにあったアオギリの木が、今朝根腐れで倒れたようで、切って整理し
ていた。
全員揃ったので会場に向かう。上野公園の東端近くから折り返して、ソメイヨシノの並
木の続くさくら通りの手前に平行する園路を東北東方向へ。
清水観音堂↑の背後辺りで、ジュウガツザクラが咲いていた。
その先に、「博士王仁碑」というのが2基並んでいる。
碑の右にある博士像↓の下の説明は以下の通り。
『王仁(わに)博士は、4世紀末 大韓民国全羅南道霊岩で誕生されたと伝えられ、「古
事記」「日本書紀」などによると、応神天皇の招聘により論語と千字文を携え渡来、皇太
子の 師匠となられ忠信孝悌を教えられたという。博士は孔子と比肩され、日本の飛鳥文
化を花咲かせた学者として崇められている』
さらに少し進むと、junjunnさんの帽子にカマキリが。
近くのソメイヨシノには、狂い咲きの花も見られた。
清水観音堂の先には、「時忘れじの塔」がある。
裏面には、「大正12(1923)年の関東大震災と昭和20(1945)年の東京大
空襲という、現在からは想像も出来ない悲しい歴史があるが、今、美しい上野の山を行き
交う人々に、そのような出来事を思い起こしてもらうとともに、平和な時代へと時をつな
げる心の目印として、この時計台を寄贈しました。」と刻まれ、
建立寄贈者として「初代林家三平妻 海老名香葉子」と有志の方々の名が記されていた。
その先からさくら通りに出て、さらに先へ。食事処 韻松亭前から上野大仏の斜面下に
進むとセンニンソウ↑が咲き、近くの分岐点にトーテムポールが立つ。
高さ7m、翼の長さ4m、制作は日本芸術院会員の三坂 耿一郎(こういちろう)氏に
よる1964年3月の制作で、東京上野ライオンズクラブが寄贈したものという。
そばの木はカクレミノだろうか、実が大きくなっている。
上野駅から真っ直ぐに延びた通りと交差して、その通りへ左折する。その角には馬上姿
の小松宮像が。
上野動物園の表門前を過ぎると、今日の目的の会場・東京都美術館である。
敷地の入口付近に「イスノキ」というマンサク科の常緑高木があり、その名のように太
い枝張りに腰掛けられそう。
入口に向かう広場に全面鏡面で球形の作品があり、太陽光を受けてまぶしい光を放つ。
「my sky hole 85-2 光と影」 1985年 井上武吉作という。
入口のロビー階に下りてから1階第3展示室に上がり「第30回 新作家展」の会場へ。
第3展示室は4室に分かれていたので、反時計方向に順次一巡して観賞する。
もらった出品目録によれば、この催しを主催する新作家美術協会の会員・平松さんなど
23点の作品のほか、委員21点、準会員14点、一般の方5点が出展されていた。
作品の多くは100号前後からそれを越えるような大きなもので、 抽象画のような作品
も多いが、彩りがきれいで見栄えのする作品がたくさんあった。
平松さんの作品は、最後の第4室の中央部に飾られていた。
出展作品「滝」を囲み、平松さんを中心に今日参加のとねるずの皆さん。
さらにほかの作品も。
ゆっくりと45分ほど作品を鑑賞し、13時30分頃に会場を後にした。
なお、主催の新作家美術協会のサイトはこちらを。
この後皆さんは、ロビー階でミーティングをするようなので、失礼して館前の広場に上
がる。
芝生広場のあちこちに展示されていた作品。まずは「三つの立方体 A」
1980年 堀内正和 作
「三本の直方体 B」 1978年 堀内正和作
「メビウスの立方体」 1978年 五十嵐晴夫作
第6回現代彫刻展 東京都美術館賞
「P3824 M君までの距離」 1977年 鈴木久夫作
第32回 行動美術展
入館前にも見た「my sky hole 85-2 光と影」の横を通過し、東京都美術館を後にした。
上野駅に向かう途中、大噴水の前の広場にはたくさんのテントが並んでいた。入口にい
た警備の人に聞いたら、週末の10月21日(土)と22日(日)に開催される「東京都
都市公園制度制定150周年・上野恩賜公園開園150周年記念式典」の会場になるという。
(写真は撮り忘れ)
その情報はこちらのサイトに
今日も上野公園内はかなりの人出で賑わっていたが、この催しで週末はさらに来園者が
増えそう。
ユニークな動物園前交番の前を通過して、 JR上野駅には13時50分頃着いた。
少し遅れたらしい13時51(53)分発、山手線内回り電車で池袋方面に向かう。
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千葉県のカントリーウオークグループ「とねるず」のメンバー、平松さんが出展されて
いる「第30回 新作家展」に、とねるずのメンバーが観覧に行くというので、私も同行
させてもらうことにした。
集合はJR上野駅の公園口に11時。平松さんなど8人の皆さんが集まり、観覧の前に
昼食を済ませることにして、東京文化会館前から南(御徒町方向)へ向かう。
改修工事中の日本藝術院の建物の先にムクノキの古木があり、幹に大きな空洞が。
近くの木々は、まだ緑がいっぱい。
上野駅の南側、上野公園の台地下にある「上野の森さくらテラス」という建物へエレベ
ーターで下り、1階の食堂街でそれぞれお好みの店で食事を済ませ、13時10分頃に上
で待ち合わせることに。
私は、3人の方々と「喜乃字屋」という蕎麦店に入り、冷やしとろろ(630円)を。
食事を終えて再び上野公園にエレベーターで上がり、「彰義隊の墓」のそばでほかの皆
さんを待つ。
墓の横には、色づいたサンゴジュの実がいっぱい。
すぐ南側にある上野公園のシンボルともいえる西郷隆盛像も、久しぶりに見上げる。
高村光雲作で明治31(1898)年の落成、台上3.6m、地上からは7.2mある
よう。
そばのイチョウの葉は、わずかに色づいている。
彰義隊の墓のそばにあったアオギリの木が、今朝根腐れで倒れたようで、切って整理し
ていた。
全員揃ったので会場に向かう。上野公園の東端近くから折り返して、ソメイヨシノの並
木の続くさくら通りの手前に平行する園路を東北東方向へ。
清水観音堂↑の背後辺りで、ジュウガツザクラが咲いていた。
その先に、「博士王仁碑」というのが2基並んでいる。
碑の右にある博士像↓の下の説明は以下の通り。
『王仁(わに)博士は、4世紀末 大韓民国全羅南道霊岩で誕生されたと伝えられ、「古
事記」「日本書紀」などによると、応神天皇の招聘により論語と千字文を携え渡来、皇太
子の 師匠となられ忠信孝悌を教えられたという。博士は孔子と比肩され、日本の飛鳥文
化を花咲かせた学者として崇められている』
さらに少し進むと、junjunnさんの帽子にカマキリが。
近くのソメイヨシノには、狂い咲きの花も見られた。
清水観音堂の先には、「時忘れじの塔」がある。
裏面には、「大正12(1923)年の関東大震災と昭和20(1945)年の東京大
空襲という、現在からは想像も出来ない悲しい歴史があるが、今、美しい上野の山を行き
交う人々に、そのような出来事を思い起こしてもらうとともに、平和な時代へと時をつな
げる心の目印として、この時計台を寄贈しました。」と刻まれ、
建立寄贈者として「初代林家三平妻 海老名香葉子」と有志の方々の名が記されていた。
その先からさくら通りに出て、さらに先へ。食事処 韻松亭前から上野大仏の斜面下に
進むとセンニンソウ↑が咲き、近くの分岐点にトーテムポールが立つ。
高さ7m、翼の長さ4m、制作は日本芸術院会員の三坂 耿一郎(こういちろう)氏に
よる1964年3月の制作で、東京上野ライオンズクラブが寄贈したものという。
そばの木はカクレミノだろうか、実が大きくなっている。
上野駅から真っ直ぐに延びた通りと交差して、その通りへ左折する。その角には馬上姿
の小松宮像が。
上野動物園の表門前を過ぎると、今日の目的の会場・東京都美術館である。
敷地の入口付近に「イスノキ」というマンサク科の常緑高木があり、その名のように太
い枝張りに腰掛けられそう。
入口に向かう広場に全面鏡面で球形の作品があり、太陽光を受けてまぶしい光を放つ。
「my sky hole 85-2 光と影」 1985年 井上武吉作という。
入口のロビー階に下りてから1階第3展示室に上がり「第30回 新作家展」の会場へ。
第3展示室は4室に分かれていたので、反時計方向に順次一巡して観賞する。
もらった出品目録によれば、この催しを主催する新作家美術協会の会員・平松さんなど
23点の作品のほか、委員21点、準会員14点、一般の方5点が出展されていた。
作品の多くは100号前後からそれを越えるような大きなもので、 抽象画のような作品
も多いが、彩りがきれいで見栄えのする作品がたくさんあった。
平松さんの作品は、最後の第4室の中央部に飾られていた。
出展作品「滝」を囲み、平松さんを中心に今日参加のとねるずの皆さん。
さらにほかの作品も。
ゆっくりと45分ほど作品を鑑賞し、13時30分頃に会場を後にした。
なお、主催の新作家美術協会のサイトはこちらを。
この後皆さんは、ロビー階でミーティングをするようなので、失礼して館前の広場に上
がる。
芝生広場のあちこちに展示されていた作品。まずは「三つの立方体 A」
1980年 堀内正和 作
「三本の直方体 B」 1978年 堀内正和作
「メビウスの立方体」 1978年 五十嵐晴夫作
第6回現代彫刻展 東京都美術館賞
「P3824 M君までの距離」 1977年 鈴木久夫作
第32回 行動美術展
入館前にも見た「my sky hole 85-2 光と影」の横を通過し、東京都美術館を後にした。
上野駅に向かう途中、大噴水の前の広場にはたくさんのテントが並んでいた。入口にい
た警備の人に聞いたら、週末の10月21日(土)と22日(日)に開催される「東京都
都市公園制度制定150周年・上野恩賜公園開園150周年記念式典」の会場になるという。
(写真は撮り忘れ)
その情報はこちらのサイトに
今日も上野公園内はかなりの人出で賑わっていたが、この催しで週末はさらに来園者が
増えそう。
ユニークな動物園前交番の前を通過して、 JR上野駅には13時50分頃着いた。
少し遅れたらしい13時51(53)分発、山手線内回り電車で池袋方面に向かう。
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