今朝の朝日新聞埼玉版に、『深谷市の「みかえりの松」が、害虫により幹の空洞化が進み、倒木の危険が出たので伐採されることになった』との記事が掲載されました。
毎年、中山道を歩くグループがあり、私も4年前から参加し、この場所も3回ほど通りましたので、その都度眺めており、ちょっと淋しい枝振りだなと感じていました。
場所が、旧中山道と国道17号の交差点なので、排気ガスの影響なのかと思っていましたが、害虫にやられていたのですね。
この写真は、昨年9月29日に歩いたときのものです。
中山道において、隣の熊谷宿には飯盛女(めしもりおんな)がいなかったため、深谷は遊女の町として名をはせ、広重の「木曾街道六拾九次」にも描かれており、宿場の外れにあるこの見返りの松は、宿に泊まった江戸への旅人が、一夜の間柄となった女との別れを惜しんだ場所だったことから名付けられたようです。
かつてこの周辺には、2.5㎞にわたり松や杉の並木が続き、江戸末期には約450本あったとか、いま、見返りの松以外には何本も残っていなかったように思います。
中山道でいまも松並木が多く残っているところは、信州、立科(たてしな)町の芦田宿と笠取峠の間で、「笠取峠の松並木」として知られています。
芦田宿や、東側の、間(あい)の宿・茂田井(もたい)辺りは、昔の中山道の面影がよく残っている場所ですので、機会があったら訪ねて見ることをお勧めします。
毎年、中山道を歩くグループがあり、私も4年前から参加し、この場所も3回ほど通りましたので、その都度眺めており、ちょっと淋しい枝振りだなと感じていました。
場所が、旧中山道と国道17号の交差点なので、排気ガスの影響なのかと思っていましたが、害虫にやられていたのですね。
この写真は、昨年9月29日に歩いたときのものです。
中山道において、隣の熊谷宿には飯盛女(めしもりおんな)がいなかったため、深谷は遊女の町として名をはせ、広重の「木曾街道六拾九次」にも描かれており、宿場の外れにあるこの見返りの松は、宿に泊まった江戸への旅人が、一夜の間柄となった女との別れを惜しんだ場所だったことから名付けられたようです。
かつてこの周辺には、2.5㎞にわたり松や杉の並木が続き、江戸末期には約450本あったとか、いま、見返りの松以外には何本も残っていなかったように思います。
中山道でいまも松並木が多く残っているところは、信州、立科(たてしな)町の芦田宿と笠取峠の間で、「笠取峠の松並木」として知られています。
芦田宿や、東側の、間(あい)の宿・茂田井(もたい)辺りは、昔の中山道の面影がよく残っている場所ですので、機会があったら訪ねて見ることをお勧めします。
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