昨日は、中山道の話題にしましたので、今日から少し、一昨年春に歩いた中山道木曽路の模様を報告します。
毎年、中山道を歩いている仲間の5年目、第5次中山道ウオーク(前半)の一部です。
04年4月19日(月)
中津川駅前のビジネスホテルを出発、雨なので色とりどりの雨具を着けて出発した。
市街地を抜け、高札場や芭蕉句碑のある寺坂を上がる。石仏群の並ぶ地蔵堂を抜け、子野川を越えて次の台地上の子野集落に出た。
子野一里塚を過ぎ、急坂を上がった与坂立場跡の先からは、これから下る落合宿や恵那山方面の展望がよい。
落合宿は美濃路最後の宿場、本陣跡、脇本陣跡はあるが、古い家並みは少ない。
落合川を越えて上りにかかる。山中集落では、レンギョウ、アケビ、ボケなどの花が咲いていた。
800m続く石畳を上がる。途中に、ナンジャモンジャの森がある。本州南部だけに生息するヒトツバタゴのことだが、花はまだ咲いていなかった。
間もなく美濃・信濃国境(ただし、昨年、この先の長野県の旧山口村が岐阜県中津川市に併合された)、「是より北 木曽路」の碑や、一里塚跡の標識がある。
新茶屋集落では、土手にショウジョウバカマが咲いていた。
島崎藤村の「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルで藤村の父、島崎正樹碑のある諏訪神社を過ぎ、馬籠宿に着いた。石畳と石段の街道を挟んで、古い家並みが続いている。ここで昼食となり、そば屋に入る。食後、隣の藤村記念館を見学した。
馬籠峠に向かう高札場の上からは、谷筋に残雪を見せる恵那山の展望がよい。
一度、川に向かって下ってから、峠に向かう。梨子ノ木坂を上がると、十返舎一九の句碑が立っていた。明治天皇御休所碑の立つ熊野神社を過ぎ、標高790mの馬籠峠に着いた。古い茶屋のかたわらに子規の句碑があった。
杉落ち葉の山道を下ると一石栃立場跡、満開のしだれ桜やソメイヨシノが数本あり、ちょうど見ごろ。とりわけ子安観音堂横のしだれ桜は見事だった。
歩きやすい土の道をさらに下る。神居木と呼ぶサワラの大木があった。高さ40m、樹齢300年だという。
岩をはむ清流を渡って男滝、女滝と呼ぶ二つの滝を見る。落差はそう無いが、なかなか見栄えのある滝だった。
倉科祖霊社を過ぎると、木曽らしい石置き屋根の民家が現れ大妻籠へ。おもむきある民宿が3軒あった。
2つの橋を渡って妻籠宿に入る。昭和43年(1968)~45年、全国で初めての集落保存に着手した。江戸時代にタイムスリップしたような家並みが続き、一帯は国の重要伝統的建物群に指定されている。
その一角にある民宿・下嵯峨屋が今日の宿、表側は開け放たれ、国の重文として公開されている。細い路地を入った裏手が民宿である。
夕食は、馬刺やイワナの姿煮、山菜の精進揚げなど盛り沢山。皆おいしくいただいた。
幸い、歩いている間、雨足はたいしたことはなかったが、夜半になって風雨となり、雨や風音が宿のトタン屋根に響いた。 (歩行距離 15㎞)
毎年、中山道を歩いている仲間の5年目、第5次中山道ウオーク(前半)の一部です。
04年4月19日(月)
中津川駅前のビジネスホテルを出発、雨なので色とりどりの雨具を着けて出発した。
市街地を抜け、高札場や芭蕉句碑のある寺坂を上がる。石仏群の並ぶ地蔵堂を抜け、子野川を越えて次の台地上の子野集落に出た。
子野一里塚を過ぎ、急坂を上がった与坂立場跡の先からは、これから下る落合宿や恵那山方面の展望がよい。
落合宿は美濃路最後の宿場、本陣跡、脇本陣跡はあるが、古い家並みは少ない。
落合川を越えて上りにかかる。山中集落では、レンギョウ、アケビ、ボケなどの花が咲いていた。
800m続く石畳を上がる。途中に、ナンジャモンジャの森がある。本州南部だけに生息するヒトツバタゴのことだが、花はまだ咲いていなかった。
間もなく美濃・信濃国境(ただし、昨年、この先の長野県の旧山口村が岐阜県中津川市に併合された)、「是より北 木曽路」の碑や、一里塚跡の標識がある。
新茶屋集落では、土手にショウジョウバカマが咲いていた。
島崎藤村の「夜明け前」の主人公、青山半蔵のモデルで藤村の父、島崎正樹碑のある諏訪神社を過ぎ、馬籠宿に着いた。石畳と石段の街道を挟んで、古い家並みが続いている。ここで昼食となり、そば屋に入る。食後、隣の藤村記念館を見学した。
馬籠峠に向かう高札場の上からは、谷筋に残雪を見せる恵那山の展望がよい。
一度、川に向かって下ってから、峠に向かう。梨子ノ木坂を上がると、十返舎一九の句碑が立っていた。明治天皇御休所碑の立つ熊野神社を過ぎ、標高790mの馬籠峠に着いた。古い茶屋のかたわらに子規の句碑があった。
杉落ち葉の山道を下ると一石栃立場跡、満開のしだれ桜やソメイヨシノが数本あり、ちょうど見ごろ。とりわけ子安観音堂横のしだれ桜は見事だった。
歩きやすい土の道をさらに下る。神居木と呼ぶサワラの大木があった。高さ40m、樹齢300年だという。
岩をはむ清流を渡って男滝、女滝と呼ぶ二つの滝を見る。落差はそう無いが、なかなか見栄えのある滝だった。
倉科祖霊社を過ぎると、木曽らしい石置き屋根の民家が現れ大妻籠へ。おもむきある民宿が3軒あった。
2つの橋を渡って妻籠宿に入る。昭和43年(1968)~45年、全国で初めての集落保存に着手した。江戸時代にタイムスリップしたような家並みが続き、一帯は国の重要伝統的建物群に指定されている。
その一角にある民宿・下嵯峨屋が今日の宿、表側は開け放たれ、国の重文として公開されている。細い路地を入った裏手が民宿である。
夕食は、馬刺やイワナの姿煮、山菜の精進揚げなど盛り沢山。皆おいしくいただいた。
幸い、歩いている間、雨足はたいしたことはなかったが、夜半になって風雨となり、雨や風音が宿のトタン屋根に響いた。 (歩行距離 15㎞)
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