2019年10月8日(火)
さいたま市大宮区にある鉄道博物館、今日は休館日ですが、JR東日本の「大人の休日
倶楽部」会員限定の貸切イベントに当選したので、観覧に出かけました。
「大人の休日倶楽部」では時々この催しをしており、私は2011年と2017年に続
く3度目の参加です。
JR大宮駅から10時50分発 埼玉新都市交通ニューシャトル(モノレール)に乗り、
3分でひと駅目の鉄道博物館駅で下車します。
高架のホームから下るとすぐに鉄道博物館の入口に続いています。11時ちょうどに入
館しました。
エントランスホールから、まずは1階中央部で一番広いスペースの車輌コーナーへ。
最初に展示されているのが国の重要文化財に指定されている1号機関車で、鉄道記念物
でもあります。
1872(明治4)年9月12日、新橋と横浜間を結ぶ日本最初の鉄道で走った10両
の中で最初に完成したもので、東海道本線や横須賀線などで活躍しました。
イギリスのバルカン・ファウンドリー社が1871年に製造したもの。
その横には弁慶号機関車が。1880(明治13)年製造で鉄道記念物に指定されてい
て、北海道最初の鉄道・幌内鉄道の開業時から使用された蒸気機関車です。
カウキャッチャー、ダイヤモンドスタック煙突、警鐘などアメリカン・スタイルが特徴
の蒸気機関車です。
1号機関車の奥には、1292号のナンバープレートの善光号機関車が。
1881年創業の日本鉄道の上野~熊谷間建設用に輸入された私鉄最初の機関車。動輪
ひとつにかかる重さが軽く、建設工事中の不完全な線路を走るのに適していたので、線路
の建設資材や土砂の輸送に活躍したようです。
この小さな車輌は人車(じんしゃ)鉄道の実物。人の力で押して走った鉄道で、明治の
終わり頃から大正にかけて関東や東北地方で多く使われ、この車は大正から昭和にかけて
宮城県松山町で使われていたもの。
東北本線松山町駅から町の中心部までの約2.5㎞を走ったようです。
車輌コーナー中央部のターンテーブルには、流線型電気機関車EF551号が展示され、
先頭部には今日の記念イベントのプレートも付けられていました。
1936(昭和11)年製造で準鉄道記念物。特急列車牽引機として流線形のデザイン
で登場し、当初は東海道本線の特急「富士」や「燕」の先頭に立って活躍し、戦中・戦後は
点検に邪魔な流線形カバーを外して東海道本線・高崎線などで使用されたよう。
近くにあるC57型135号蒸気機関車。
こちらはナデ6110号電車。山手線電化後の利用者増に対応するため、1911年に
登場したもの。当時としては大型の16m車体で、扉を3か所に増やし、今日の通勤型電
車の原型となった設備を備えており、2017年に国の要文化財に指定されました。
現在の鉄道では、架線から電気を取り込みレールに返す方式が主体ですが、この頃は、
屋根上に電気を取り込むポールと、変電所に返す2本のトロリーポールが設けられていた
ようです。
その車内
ナデ6110号の右手にはED4010電気機関車が。
上信国境の碓氷峠(うすいとうげ)を越える信越本線には66.7パーミルという急勾
配(1000mの距離で66.7m登る)があり、この急勾配を確実に走る「アプト」式
が採用され、蒸気機関車ではトンネル内で煙が車内に充満して乗務員も乗客も苦しむので、
1912年に電化して、国鉄最初の本線用国産電気機関車として開発されたものです。
右手最奥には、高速旅客用蒸気機関車の先駆けとなったC51型5号機がお召し列車の
飾り付けで展示されていました。
開発当時は鉄道輸送量の伸びが大きく、機関車を大型して輸送量を増強した時代。より
早く走れるよう動輪直径をそれまでの1600mmから1750mmに大きくし、ボイラ
ーも大きくして出力を上げています。
東京~神戸間の特急「燕」の初代牽引機として性能が高く評価されたよう。
その先、専用の部屋には初代東海道新幹線の0系車輌の先頭車が。
車輌コーナーにはまだたくさんの車両が展示されていましたが、この辺でひと区切りし
て、南側に最近増築された南館に向かいます。
車輌コーナーなどのある本館と南館の間には、2階建て新幹線E1系の先頭車両と、車
内で弁当などの食事ができる在来線特急車両183系↓の2両が並んでいます。
E1系はE153形新幹線電車で、1995(平成2)年の製造。新幹線通勤の普及に
より、1列車あたりの輸送力を大きくするために製造されたオール2階建て新幹線車両の
先頭車です。
南館1階は仕事コーナーで、左手奥には山形新幹線の400系411型(左)と、東北
新幹線のE5系車輌のモックアップ(右)が並んでいました。
411型新幹線電車は1992(平成4)年の製造、奥羽本線の福島~山形間を標準軌
に改軌して、東北新幹線から直通運転を行う山形新幹線用車両として登場したもの。
車体は在来線サイズで台車も標準軌用とし、電気品や保安装置は新幹線・在来線のどち
らにも対応できるようにしたグリーン車で、東京~福島間は200系やE4系と連結して
走行していました。
右のE5系電車の先頭車、E514形新幹線電車のモックアップですが、E5系は東北
新幹線で320㎞/hの営業運転を行いました。
モックアップですが、床下機器、保安装置、業務設備などをのぞき、実車とまったく同
様に車両メーカーで製造された新青森方先頭車で、グランクラスの客室も実車同様の内装
になっているようです。
仕事コーナーでは、鉄道の安全を支える仕事に挑む姿や、それぞれの仕事のつながりが
理解できるようなコーナーで、それらを体験することもできる展示室ですが、あまり撮り
ませんでした。
南館の3階は歴史コーナー。日本の鉄道技術の進化をたどる展示で、約150年の鉄道
進化の過程が資料や写真などで解説されています。年代順の展示をいくつか。
ここまで観覧したら13時を過ぎたので、昼食をすることにして4階に上がってトレイ
ンレストランに入り、チャシューメンとドリンクのセット(1270円)を注文しました。
食事を済ませて13時40分頃レストランを出て、本館に戻って2階の西側に展示の鉄
道車輌と年表の展示を年代を遡るように見ながら進みます。
展示の上部が年表で、その下にその時代の代表的車輌の模型が並んでいました。
2階中央部は南北に長い吹き抜けになっていて、最初に観覧した車輌コーナーの車輌が
見下ろせます。
年表の最初の1825年まで見終えて、1階の車輌コーナーをもう見下ろします。
1階に下りて、最初に見ていなかった特急富士の車内↑や関釜(かんぷ・下関~釜山)連
絡線金剛丸の模型などを観覧しました。
エントランスホールに出て、反対側にあるミュージアムショップをのぞきましたが、特
に買いたいものもありません。
エントランスホールでアンケートに記入して記念のカードをもらい、14時28分に鉄
道博物館の観覧を終え、ニューシャトル鉄道博物館駅から大宮駅に向かいました。
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さいたま市大宮区にある鉄道博物館、今日は休館日ですが、JR東日本の「大人の休日
倶楽部」会員限定の貸切イベントに当選したので、観覧に出かけました。
「大人の休日倶楽部」では時々この催しをしており、私は2011年と2017年に続
く3度目の参加です。
JR大宮駅から10時50分発 埼玉新都市交通ニューシャトル(モノレール)に乗り、
3分でひと駅目の鉄道博物館駅で下車します。
高架のホームから下るとすぐに鉄道博物館の入口に続いています。11時ちょうどに入
館しました。
エントランスホールから、まずは1階中央部で一番広いスペースの車輌コーナーへ。
最初に展示されているのが国の重要文化財に指定されている1号機関車で、鉄道記念物
でもあります。
1872(明治4)年9月12日、新橋と横浜間を結ぶ日本最初の鉄道で走った10両
の中で最初に完成したもので、東海道本線や横須賀線などで活躍しました。
イギリスのバルカン・ファウンドリー社が1871年に製造したもの。
その横には弁慶号機関車が。1880(明治13)年製造で鉄道記念物に指定されてい
て、北海道最初の鉄道・幌内鉄道の開業時から使用された蒸気機関車です。
カウキャッチャー、ダイヤモンドスタック煙突、警鐘などアメリカン・スタイルが特徴
の蒸気機関車です。
1号機関車の奥には、1292号のナンバープレートの善光号機関車が。
1881年創業の日本鉄道の上野~熊谷間建設用に輸入された私鉄最初の機関車。動輪
ひとつにかかる重さが軽く、建設工事中の不完全な線路を走るのに適していたので、線路
の建設資材や土砂の輸送に活躍したようです。
この小さな車輌は人車(じんしゃ)鉄道の実物。人の力で押して走った鉄道で、明治の
終わり頃から大正にかけて関東や東北地方で多く使われ、この車は大正から昭和にかけて
宮城県松山町で使われていたもの。
東北本線松山町駅から町の中心部までの約2.5㎞を走ったようです。
車輌コーナー中央部のターンテーブルには、流線型電気機関車EF551号が展示され、
先頭部には今日の記念イベントのプレートも付けられていました。
1936(昭和11)年製造で準鉄道記念物。特急列車牽引機として流線形のデザイン
で登場し、当初は東海道本線の特急「富士」や「燕」の先頭に立って活躍し、戦中・戦後は
点検に邪魔な流線形カバーを外して東海道本線・高崎線などで使用されたよう。
近くにあるC57型135号蒸気機関車。
こちらはナデ6110号電車。山手線電化後の利用者増に対応するため、1911年に
登場したもの。当時としては大型の16m車体で、扉を3か所に増やし、今日の通勤型電
車の原型となった設備を備えており、2017年に国の要文化財に指定されました。
現在の鉄道では、架線から電気を取り込みレールに返す方式が主体ですが、この頃は、
屋根上に電気を取り込むポールと、変電所に返す2本のトロリーポールが設けられていた
ようです。
その車内
ナデ6110号の右手にはED4010電気機関車が。
上信国境の碓氷峠(うすいとうげ)を越える信越本線には66.7パーミルという急勾
配(1000mの距離で66.7m登る)があり、この急勾配を確実に走る「アプト」式
が採用され、蒸気機関車ではトンネル内で煙が車内に充満して乗務員も乗客も苦しむので、
1912年に電化して、国鉄最初の本線用国産電気機関車として開発されたものです。
右手最奥には、高速旅客用蒸気機関車の先駆けとなったC51型5号機がお召し列車の
飾り付けで展示されていました。
開発当時は鉄道輸送量の伸びが大きく、機関車を大型して輸送量を増強した時代。より
早く走れるよう動輪直径をそれまでの1600mmから1750mmに大きくし、ボイラ
ーも大きくして出力を上げています。
東京~神戸間の特急「燕」の初代牽引機として性能が高く評価されたよう。
その先、専用の部屋には初代東海道新幹線の0系車輌の先頭車が。
車輌コーナーにはまだたくさんの車両が展示されていましたが、この辺でひと区切りし
て、南側に最近増築された南館に向かいます。
車輌コーナーなどのある本館と南館の間には、2階建て新幹線E1系の先頭車両と、車
内で弁当などの食事ができる在来線特急車両183系↓の2両が並んでいます。
E1系はE153形新幹線電車で、1995(平成2)年の製造。新幹線通勤の普及に
より、1列車あたりの輸送力を大きくするために製造されたオール2階建て新幹線車両の
先頭車です。
南館1階は仕事コーナーで、左手奥には山形新幹線の400系411型(左)と、東北
新幹線のE5系車輌のモックアップ(右)が並んでいました。
411型新幹線電車は1992(平成4)年の製造、奥羽本線の福島~山形間を標準軌
に改軌して、東北新幹線から直通運転を行う山形新幹線用車両として登場したもの。
車体は在来線サイズで台車も標準軌用とし、電気品や保安装置は新幹線・在来線のどち
らにも対応できるようにしたグリーン車で、東京~福島間は200系やE4系と連結して
走行していました。
右のE5系電車の先頭車、E514形新幹線電車のモックアップですが、E5系は東北
新幹線で320㎞/hの営業運転を行いました。
モックアップですが、床下機器、保安装置、業務設備などをのぞき、実車とまったく同
様に車両メーカーで製造された新青森方先頭車で、グランクラスの客室も実車同様の内装
になっているようです。
仕事コーナーでは、鉄道の安全を支える仕事に挑む姿や、それぞれの仕事のつながりが
理解できるようなコーナーで、それらを体験することもできる展示室ですが、あまり撮り
ませんでした。
南館の3階は歴史コーナー。日本の鉄道技術の進化をたどる展示で、約150年の鉄道
進化の過程が資料や写真などで解説されています。年代順の展示をいくつか。
ここまで観覧したら13時を過ぎたので、昼食をすることにして4階に上がってトレイ
ンレストランに入り、チャシューメンとドリンクのセット(1270円)を注文しました。
食事を済ませて13時40分頃レストランを出て、本館に戻って2階の西側に展示の鉄
道車輌と年表の展示を年代を遡るように見ながら進みます。
展示の上部が年表で、その下にその時代の代表的車輌の模型が並んでいました。
2階中央部は南北に長い吹き抜けになっていて、最初に観覧した車輌コーナーの車輌が
見下ろせます。
年表の最初の1825年まで見終えて、1階の車輌コーナーをもう見下ろします。
1階に下りて、最初に見ていなかった特急富士の車内↑や関釜(かんぷ・下関~釜山)連
絡線金剛丸の模型などを観覧しました。
エントランスホールに出て、反対側にあるミュージアムショップをのぞきましたが、特
に買いたいものもありません。
エントランスホールでアンケートに記入して記念のカードをもらい、14時28分に鉄
道博物館の観覧を終え、ニューシャトル鉄道博物館駅から大宮駅に向かいました。
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