前線が通過して天気が回復しましたが、強風の吹き荒れた1日でした。
一昨日、2度目にサクラの開花予想が発表になり、東京は最初の予想より早まる
とか。そろそろお花見の計画をしている人もおられることでしょう。
今日は、昨年春の花どきに歩いた、京都の栂尾(とがのお)付近のウオークを報告
します。
05年4月17日(日)
東京駅7時36分発ひかり363号に乗り、京都駅に10時20分に着いた。
四条烏丸のビジネスホテルに荷物を預け、高尾行きバスに乗る。途中、仁和寺付近は
御室ザクラを見に来たマイカーで大渋滞、13時31分に終点高尾で降りる。
清滝川の対岸斜面に満開のミツバツツジがたくさん咲いていた。
国道162号(周山街道)は歩道が無く、行楽の車で込んでいるので、JRバスに
乗り継ぎ、2つ目の栂ノ尾(とがのお)で降りる。
そばに檜皮葺(ひわだぶき)の茶屋があり、周辺は若葉の新緑がみずみずしい。
清滝川を渡り、右岸山すそにある世界文化遺産のひとつ高山寺(こうざんじ)へ。
宝亀五年(774)、光仁天皇の勅願で開創、鎌倉時代に明恵(みょうえ)上人が中興
した寺である。
モミジの新緑がやわらかな彩りを見せる斜面を上がり、国宝の石山院を拝観。室内
に、教科書でおなじみの鳥獣人物戯画や、絵画、古文書などが展示されていた。
さらに上がって開山堂、明恵上人御廟などを回る。老杉の林立する表参道の石段を
下って寺を出た。
国道を槙尾(まきのお)まで戻る。バス停前のY字路を右に入り、朱塗りの橋を渡って
西名寺(さいみょうじ)へ。
天長年間(824~)に弘法大師の弟子、智泉法師が神護寺の別院として創建、現本堂
は、元禄13年(1700)、将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により再建されたという。
山門の横にご神木の槙が立ち、境内はやわかな若葉のモミジが多く、シャクナゲが
咲き始めていた。
ミツバツツジの大群落下を回って、高尾山の山麓にある神護寺(じんごじ)に入る。
和気清麻呂が愛宕神社の前身として建てた高尾山寺がはじまり。和気一族は最澄や
空海を招いたが、特に空海は、唐から帰朝して大同4年(809)に入山、14年間住持
して真言宗立教の基礎を築いた。前年、四国遍路を結願(歩き終えること)した私として
は、ぜひ訪れてみたいところだった。
20万㎡あるという境内、幅広い石段を上がってかやぶきの大きな楼門をくぐる。
書院前のしだれ桜が満開。和気公霊廟、大きな鐘楼、若い山桜の咲く五大堂、精巧な
木組みや太い柱に圧倒される朱塗りの金堂、若緑に囲まれた多宝塔、静かなたたずまい
の大師堂などを巡った。
さらに金堂内部に入り、国宝の本尊・木造薬師如来像や、国重文の日光月光菩薩像、
毘沙門天立像、愛染明王像などを拝観した。
南側のハイキングコースに回り、清滝川沿いに出る。
清滝橋を渡って左岸へ。すぐ先に堰(せき)があり、流れの大半が用水に取り入れられ、
本流は水量が減って景観がいまひとつとなる。
渓谷沿いは東海自然歩道と、京都一周トレイル北山コースになっている。
冠水橋を渡って右岸に回ると、道幅は人ひとり分に狭まった。東側から小さい流れが
幾筋か入り、淀みにハヤらしい小魚の影が見える。
道は右からの支流沿いに入り、緩い上りとなる。せせらぎも聞こえる気持ちよい山道、
北山杉の林立する坂を上がって車道に出た。右に月輪寺への道標があった。
反対方向に向かい、清滝川の高みを緩やかに下る。流れでカジカが鳴く。左岸に回ると
モミジが増え、竹林にはシャガが咲き、ウグイスがさえずる。間もなく清滝バス停である。
京都駅行きバスもあるが、もう少し歩くことにする。トンネルを抜けるバス道を避けて、
トンネル上を越える旧道へ。
ループ状に回って嵐山高尾パークウェイの横断点まで上がり、急な下りとなる。狭い峠
の壁面に、珍しい下向きのカーブミラーがあった。
バス道がトンネルを抜けたところに、愛宕(おたぎ)念仏寺がある。17時の拝観
終了時刻間際だが、急いで拝観する。
京都市内最古という鎌倉初期の仁王門をくぐると、狭い斜面いたるところに苔むした
羅漢像が並ぶ。その数1200体とか。
寺は、称徳天皇(764~770)の開基という。国重文の本堂は、鎌倉中期の和様建築
の代表的遺構。穏やかな曲線の屋根と、白木と白壁の壁面が新緑によく溶けこんで
いる。
仏像彫刻家・西村公朝(こうちょう)の寺としても知られる。公朝は昭和30年
(1955)に住職となり、荒れ寺を復興し、自作の仏像や仏画を奉納した。
三宝の鐘や中国風のお堂など、異色の建物が目立つ寺でもあった。
旧道を400mほど進んだところに、愛宕神社の一の鳥居があり、その辺りから、
南側にかやぶきの茶屋や旅館、鮎料理の店など並んでいる。
一帯は、国の「嵯峨鳥居本(さがとりいもと)伝統的建造物群保存地区」に指定され、
その先にも、町並み保存館など、かわらぶきの古い民家が多い。
近くの鳥居本バス停に17時20分頃着き、間もなく来た京都駅行きバスで四条
烏丸の宿に向かった。
一昨日、2度目にサクラの開花予想が発表になり、東京は最初の予想より早まる
とか。そろそろお花見の計画をしている人もおられることでしょう。
今日は、昨年春の花どきに歩いた、京都の栂尾(とがのお)付近のウオークを報告
します。
05年4月17日(日)
東京駅7時36分発ひかり363号に乗り、京都駅に10時20分に着いた。
四条烏丸のビジネスホテルに荷物を預け、高尾行きバスに乗る。途中、仁和寺付近は
御室ザクラを見に来たマイカーで大渋滞、13時31分に終点高尾で降りる。
清滝川の対岸斜面に満開のミツバツツジがたくさん咲いていた。
国道162号(周山街道)は歩道が無く、行楽の車で込んでいるので、JRバスに
乗り継ぎ、2つ目の栂ノ尾(とがのお)で降りる。
そばに檜皮葺(ひわだぶき)の茶屋があり、周辺は若葉の新緑がみずみずしい。
清滝川を渡り、右岸山すそにある世界文化遺産のひとつ高山寺(こうざんじ)へ。
宝亀五年(774)、光仁天皇の勅願で開創、鎌倉時代に明恵(みょうえ)上人が中興
した寺である。
モミジの新緑がやわらかな彩りを見せる斜面を上がり、国宝の石山院を拝観。室内
に、教科書でおなじみの鳥獣人物戯画や、絵画、古文書などが展示されていた。
さらに上がって開山堂、明恵上人御廟などを回る。老杉の林立する表参道の石段を
下って寺を出た。
国道を槙尾(まきのお)まで戻る。バス停前のY字路を右に入り、朱塗りの橋を渡って
西名寺(さいみょうじ)へ。
天長年間(824~)に弘法大師の弟子、智泉法師が神護寺の別院として創建、現本堂
は、元禄13年(1700)、将軍綱吉の生母、桂昌院の寄進により再建されたという。
山門の横にご神木の槙が立ち、境内はやわかな若葉のモミジが多く、シャクナゲが
咲き始めていた。
ミツバツツジの大群落下を回って、高尾山の山麓にある神護寺(じんごじ)に入る。
和気清麻呂が愛宕神社の前身として建てた高尾山寺がはじまり。和気一族は最澄や
空海を招いたが、特に空海は、唐から帰朝して大同4年(809)に入山、14年間住持
して真言宗立教の基礎を築いた。前年、四国遍路を結願(歩き終えること)した私として
は、ぜひ訪れてみたいところだった。
20万㎡あるという境内、幅広い石段を上がってかやぶきの大きな楼門をくぐる。
書院前のしだれ桜が満開。和気公霊廟、大きな鐘楼、若い山桜の咲く五大堂、精巧な
木組みや太い柱に圧倒される朱塗りの金堂、若緑に囲まれた多宝塔、静かなたたずまい
の大師堂などを巡った。
さらに金堂内部に入り、国宝の本尊・木造薬師如来像や、国重文の日光月光菩薩像、
毘沙門天立像、愛染明王像などを拝観した。
南側のハイキングコースに回り、清滝川沿いに出る。
清滝橋を渡って左岸へ。すぐ先に堰(せき)があり、流れの大半が用水に取り入れられ、
本流は水量が減って景観がいまひとつとなる。
渓谷沿いは東海自然歩道と、京都一周トレイル北山コースになっている。
冠水橋を渡って右岸に回ると、道幅は人ひとり分に狭まった。東側から小さい流れが
幾筋か入り、淀みにハヤらしい小魚の影が見える。
道は右からの支流沿いに入り、緩い上りとなる。せせらぎも聞こえる気持ちよい山道、
北山杉の林立する坂を上がって車道に出た。右に月輪寺への道標があった。
反対方向に向かい、清滝川の高みを緩やかに下る。流れでカジカが鳴く。左岸に回ると
モミジが増え、竹林にはシャガが咲き、ウグイスがさえずる。間もなく清滝バス停である。
京都駅行きバスもあるが、もう少し歩くことにする。トンネルを抜けるバス道を避けて、
トンネル上を越える旧道へ。
ループ状に回って嵐山高尾パークウェイの横断点まで上がり、急な下りとなる。狭い峠
の壁面に、珍しい下向きのカーブミラーがあった。
バス道がトンネルを抜けたところに、愛宕(おたぎ)念仏寺がある。17時の拝観
終了時刻間際だが、急いで拝観する。
京都市内最古という鎌倉初期の仁王門をくぐると、狭い斜面いたるところに苔むした
羅漢像が並ぶ。その数1200体とか。
寺は、称徳天皇(764~770)の開基という。国重文の本堂は、鎌倉中期の和様建築
の代表的遺構。穏やかな曲線の屋根と、白木と白壁の壁面が新緑によく溶けこんで
いる。
仏像彫刻家・西村公朝(こうちょう)の寺としても知られる。公朝は昭和30年
(1955)に住職となり、荒れ寺を復興し、自作の仏像や仏画を奉納した。
三宝の鐘や中国風のお堂など、異色の建物が目立つ寺でもあった。
旧道を400mほど進んだところに、愛宕神社の一の鳥居があり、その辺りから、
南側にかやぶきの茶屋や旅館、鮎料理の店など並んでいる。
一帯は、国の「嵯峨鳥居本(さがとりいもと)伝統的建造物群保存地区」に指定され、
その先にも、町並み保存館など、かわらぶきの古い民家が多い。
近くの鳥居本バス停に17時20分頃着き、間もなく来た京都駅行きバスで四条
烏丸の宿に向かった。
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